ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

混戦③

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 前線が、にわかに騒がしくなる。
 ニダベリル軍が橋を渡りきったようだ。
 だが、明らかにいつもと動きが違っている。両軍は中央で揉み合っているように見えた。いつものように戦いが広がっていかない。

「ロキスの説得が効いたのかな?」
 フリージアの問いに、オルディンが頷く。
「どうやらそのようだな。どうする? もう少し様子を見るか?」
 黒鉄軍に混乱や押されている気配は見えない。
 ほんの少し考えて、フリージアは首を振った。

「ううん、行こう。こっちに逃げてくる人を助けないと。黒鉄軍だけじゃ、守りきるのは無理だ。一人たりとも、失わせやしないよ」
 そうして顔を上げ、スラリと剣を抜き放つ。

「第一陣、第二陣、出撃! 一番の目的は、武器を捨てたニダベリル兵を助けること!」
 その掛け声と共に手綱を振るった。と、即座にオルディンが隣に並ぶ。
「ちょっと、待て、お前も行くつもりか?」
「ごめん、ロキスが心配」
「お前な」
「先行くよ!」
 オルディンの小言に取り合っている暇はない。グッと馬の速度を上げて彼を引き離す。
 途中、手に何も持たないニダベリル兵とすれ違った。彼等は懸命に駆けている。

 ――守らないと。

 国を裏切るように唆したのは、フリージアだ。彼等を守る義務が、彼女にはあった。それを他人任せにするわけにはいかない。
 黒鉄軍の間を縫って、その防衛線の前へと躍り出る。今まさに、剣を捨てた自軍の歩兵襲い掛かろうとしていたニダベリル兵の剣を打ち払った。

「早く奥へ行って! 重装歩兵の間に逃げ込んで!」
 ニダベリルの騎兵は全て正規兵の筈だ。『転向者』とやらではない。歩兵にはうかつに手を出せないから、取り敢えず目についた騎馬兵へと剣を振るう。
 手綱を繰りながらではいつものようには動けなかったが、フリージアは馬を自在に操りニダベリル兵を切り伏せ、馬上から叩き落としていった。

 不意に、すぐ横で甲高い金属音が響く。

 チラリとそちらに目を走らせると、フリージア目がけて突進しようとしているニダベリル兵を二人まとめて薙ぎ払うオルディンの姿があった。
 ニダベリル兵の中には混乱と戸惑いがある。今なら、なし崩しに撤退に持ち込むのは容易な事だろう。ここは全力で押し切るのだ。

「行け! 一気に片を着けるんだ!」

 フリージアの鼓舞に、そこかしこから彼女に応じるときの声が上がる。目に見えんばかりに沸き立つグランゲルド軍の士気。

 次々と離脱していくニダベリルの戦力に、グランゲルドはより一層勢いを増していった。


   *


「王! 『転向者』共が寝返っております! あの恩知らず共が!」
「『転向者』が? ……そうか」
 アウストルの天幕に飛び込んできたイアンが、眉を逆立ててそうまくしたてる。まるでいつもの戦況報告を耳にしているような王の反応に、イアンの額にはくっきりと青筋が浮かんだ。
「そうか、ではありませぬ! 前線は大混乱ですぞ!? ダウ大隊を出してください。このままでは――」
「それほどの数か?」
「――かなりの数です」
 胡坐をかいて頬杖をついたアウストルの問いかけに、一転勢いを失ったイアンが気まずそうに頷く。『転向者』には牙を与えてはいたが、従順な羊のような存在の筈だったのだ。それが今やまるで翼を得たかのように、次々と離反していっている。

 これは、何の予兆なのか。

 表情には出さぬまま、アウストルはこの事態について考える。
 裏切り者どもが何を考えているのか、さっぱり理解できなかった。
 ニダベリルがグランゲルドに敗れると思ったのだろうか。それとも、勝敗が決した後には処刑されることになるのも厭わずに、束の間の自由を求めたのか?
 いずれにせよ、兵達の結束が揺らいでいることには間違いなかった。橋の向こうではまだ戦闘が繰り広げられている筈だが、これで生じた兵達の動揺は致命的かもしれない。

 ――まずいな。

 アウストルの心中に、予感めいた危惧が飛来する。
 兵の数が減ったことではなく、離反者が出たということが問題だった。戦って命を落とした者が出たのなら、復讐心を煽ることでむしろ兵達を鼓舞することができる。だが、ニダベリル軍を見限った者が出たとなれば、話が違う。士気を大きく減じかねない。

 控えていたフィアルが、眉根を寄せてアウストルを見つめる。
「王、そろそろご決断を。投石器の用意は整いました。急がせましたが、整備は万全です。問題なく使用できます」
 ただの報告以上の熱意を込めて、フィアルがそう告げた。それに答えぬ王に、彼は眉間の皺を微かに深める。

 ――アレを使うしか、ないのか。

 状況を考えれば、それが最善だ。

 だが。

「王? 何をお迷いです?」
 問われて、アウストルは自問する。これは迷いなのだろうか、と。
 確かに迷っているのかもしれない。確かに、過去の感傷に囚われ、今必要な決断を鈍らせていた。
 腿に爪を立てて、アウストルはその痛みを感じる。自らを目覚めさせるように。

「……兵を撤退させろ」
「では?」
「投石器の準備だ。火薬玉も全て出せ」
 彼のこのめいで、グランゲルド軍は――あの女将軍は打ちのめされるだろう。二度と立ち上がれぬほど、完膚なきまでに。
 そこには、公平さなど微塵もない。
 だが、そもそも戦に公平さなど必要ないのだ。重要なのは、どちらが勝つかということ。ただ、それだけだ。手段ではなく、結果だけが物を言う。

「直ちにだ。今日中に片を着ける」
 アウストルの宣言に、将軍二人が背を伸ばす。

「は!」

 一礼して天幕を出て行くイアンとフィアルの背を見送り、アウストルは小さく息をつく。気付けば、両腿には血がにじんでいた。
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