ジア戦記

トウリン

文字の大きさ
121 / 133
第三章:角笛の音色と新たな夜明け

第三の手、そして未来を望む者①

しおりを挟む
 フリージアとソルが大きく目を見開く中、火薬玉は不自然なほどにゆっくりと宙を行く。それはまるで鳥の羽がふわりと風に押しやられているかのようで。

 あそこだけ、時の流れが狂っているのではないだろうか。

 そう思わせるほどに、その動きは緩慢に見えた。
 だがしかし、それは錯覚に過ぎない。
 フリージア達がいる場所からは、それが落下する正確な位置を推測することは難しい。だが、明らかに第一投よりは北に進路が修正されており、飛距離も短くなっていた。
 もしかしたら、直撃は免れるかもしれない。けれども、完全に無傷というわけにはいかないだろうことは、判った。
 フリージアがこの場から飛び出しても、何も変わらない。何の意味もないことだ。
 手綱を打ち振るいそうになるのを堪えて、彼女はそれを強く握り締めた。腕を強張らせて成り行きを見守るしかない自分を、フリージアは絞め殺してやりたくなる。

 やがて火薬玉は落下に転じる――黒鉄軍が身を潜ませているその場所めがけて。
 意識せぬまま、フリージアは息を止める。
 だが、今まさに、それが地面に叩き付けられようとした、その時だった。
 唐突に、その黒玉は方向を変えた。さながら、目には見えない巨大な足に蹴り上げられたかのように。
 地面に衝突して爆発せずに跳ね返る筈がない。けれども、それは再び大きな放物線を描く。そして黒鉄軍が隠れている溝を遥かに飛び越え、彼方で大きな爆音を轟かせた。

「……何……?」
 フリージアは目にした光景に、呆然と呟く。理解不能な現象だった。
 ハッと気を取り戻し、橋の方へと目を向ける。ソルが放った熱球が、火薬を満載した投石器を焼き尽くす筈だった。
 まだ火の手は上がっていない。だが、彼女が目にしたのはわらわらと橋の上から逃げ出すニダベリル軍の兵士達の姿だった。彼らは、何も起きていない投石器を置き去りに、一目散にそこから離れていく。

「あ!」
 不意に、フリージアの腕の中のソルが何かに気付いたように声をあげた。
「どうしたの?」
「来てくれた!」
 喜びに溢れた声と共に、ソルは慌てた様子で何かを揉み消すように右手を握り込む。そしてフリージアを振り返り、パッと笑顔になった。

「見てて、ほら!」
 彼女の小さな指が指し示す方へ、フリージアは視線を向ける。と、彼女の目に飛び込んできたのは、勢いよく溢れ出した川の水だった。それはまるで意思があるかのように、橋の上に残された二基の投石器にのしかかり、薙ぎ倒す。
 雪解けの水だとしても、こんなふうにルト川が唐突に溢れ出す姿など、フリージアは今まで見たことがなかった。
 あまりに強烈な『自然の猛威』を言葉もなく見守るフリージアの視界の隅を、ふ、と何かがかすめる。目を凝らして、フリージアはそれを見つめた。

 ――あれは……?

 それは三つの人影だった。投石器を襲ったあまりに強烈な現象に目を奪われて、いつの間にか現れていたことに気付かなかった。
 後ろ姿では髪の色くらいしか判らない。一人は背を覆うほどの銀緑の髪、もう一人はグッと小柄で、肩にもかからないほどの白銀のクセ毛。そして、それを挟むように、銀青色の髪。

「ラタに――まさか……」
 ヒトでは有り得ない、銀色に若葉の色を散らした色。
 その色彩に、見覚えがあった。けれども、彼がこの場にいる筈がなかった。戦いの為にその特異な力を振るうことを拒み、険しい山脈の奥深くから足を踏み出すことを拒んだのだから。

 期待と否定に揺れるフリージアの隣で、ソルが華やいだ声で断言する。
「長よ。フォルスだわ」
 エルフィアの長、フォルス。安住の地、マナヘルムで己が民を護ろうとした者。
 エルフィアの里を訪れた時、フリージアは彼の考えを変えることができなかった。とにかく種の存続を望んでいたフォルスの考えが変わるとは思えなかったが、現に、彼はここにいる。

 ――何があったのだろう。
 フリージアがフォルスの元へ走ろうとした、その時だった。
 大地の奥で巨大なモノがのた打ち回っているような、鼓膜よりも腹の底に響くような音が足元から伝わってくる。その源がどこにあるのか、漠然としすぎていてフリージアには判らなかった。
 馬が不安そうに足踏みするのを、手綱を引いて抑える。
 地響きは、次第に大きくなっていく。地の底に棲む巨竜が、今にも牙を剥きながら頭をもたげそうだった。

 そして。

 フリージアはその光景に目を見張る。
 橋を渡り切り、ルト川の南岸に据えられた二基の投石器。それが大きく揺れた。と思うと、その直下の地面に亀裂が走る。グラリと傾いた投石器は、さながら大地の咢《あぎと》に咀嚼されるかのごとく、ゆっくりと沈み込んでいく。
 途切れぬ地響きに、硬質な物が砕かれていく悲鳴にも似た音が混じる。

 圧倒的な、力だった。

 これほどの力を持っているのにそれを使おうとしないエルフィアが、フリージアには理解できなかった――いや、あるいは、ここに姿を現したということは、ついに彼らも闘うことを決めたのだろうか。
 そんなふうに自らの思考の中に沈み込んでいたフリージアは、いつしか周囲が静まり返っていたことに気付く。鳴動は失せ、大地は、元通りの静寂を取り戻していた。
 まるで何事もなかったかのようだが、水浸しになって横たわる投石器と、不自然な形で地面から突き出している木の杭にも似た残骸が、そこで起きたことが現実であったことを示している。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

処理中です...