ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

選択②

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 ソルがキッと睨み上げてくる。
「何を考えてるの? わたしの力を使えば一番良いと、判ってるんでしょう? 何故、そうしないの?」
「エルフィアはヒトを傷付けられない筈だろ? アレに対してソルが力を使ったら、ちょっと火傷、じゃ済まないよ」
 フリージアの言葉に、ソルは大きく胸を膨らませた。そして、説く。
「ねえ、フリージア。わたしはこんな姿をしていても、あなたたちの基準では量れないのよ? ちゃんと自分の頭で考えてるし、自分の行動に責任も持てる。わたしは、自分たちの道は自分たちで切り拓く為にマナヘルムを出てきたの。わたしが為すべきことを、させて」
 そう言ったソルの眼差しは強い。

 確かに、ソルの力を借りれば簡単で確実だ。グランゲルド側の被害も出さずに済む。
 けれども、それによって生じる人的被害に、ソルは耐えられるのだろうか。本来、エルフィアにとって、生ある者に対してそれを害する意図で力を用いるのは禁忌だ。その力でヒトを殺すことになったら、ソルはどうなるのだろう。
 それに、フリージアもその結果もたらされることに耐えられるかどうか、自信がなかった。

 見下ろせばソルの小さな顔は血の気を失っていて、彼女自身、己が何を言っているのか、力を振るうことでどんな事態が引き起こされるのか、充分に理解していることは明らかだった。

 フリージアは逃げ場を求めるように、視線を彷徨わせる。だが、目が合った者も、何も言わない――オルディンでさえ。
 ふと気付けば、ラタの姿が消えていた。フリージアの命令を伝えに跳んでしまったのだ。下がっていた黒鉄軍や紅竜軍が到着するのも、時間の問題だろう。
 よく見極めれば放出された火薬玉を避けることは可能だとは言え、人が密集しているところに撃ち込まれれば、少なからぬ被害を受けるのは必至だ。

 こうなると、彼らを呼び戻したのは失策だったかもしれない。
 そんな考えがフリージアの脳裏をよぎるが、ニダベリルが進軍してきた以上、そうする必要があったのもまた、事実だ。
 幾筋も伸びる取捨選択の糸に、フリージアの頭は破裂しそうになる。

 どうするのか、早く決めなければならない。正しい道を、早く選ばなければ。
 こうやって迷っているうちに、防衛線も兵士の命も刻一刻と危うさを増していってしまうのだ。

 フリージアは一度胸が痛くなるほどに息を吸い、そして半分ほど吐き出す。
 勝利の為に使えるモノは、全て使う。個人の感情よりも、多くの命を優先する――グランゲルドの民の命を。
 それがフリージアの取るべき道だ。
 だけれども、ソルに対して「頼む」の一言が出てこない。

「おい、フリージア。投石器が一基渡りきったぞ」
 どうするのだと言外に決断を迫るロキスの声が、フリージアの鼓膜を打った。
 フリージア達が飛び出せば、東側に退避している黒鉄軍も動く。併せて百人弱の命だった。

 ――ソルとフリージアの感情と、兵士達の命。天秤にかけてしまえば、傾く側がどちらになるのかは明々白々としている。

 フリージアは、心を決めた。
「……わかった。じゃあ、ソル。第一位将軍としてあたしが命令するよ。アレを燃やして」
「命令なんか――」
「ううん、これは命令。確かに力を持っていてそれを振るうのはソルだけど、君は命じられて行動するんだよ。君の意思は関係ない。それが、軍なんだ」
「――……うん」
 真っ直ぐに視線を合わせて簡潔な言葉で説くフリージアに、ソルがコクリと頷いた。
「よし。じゃあ、おいで」
 フリージアは幼い子どものその身体を抱き上げて、馬の背へ乗せる。続いてその後ろにまたがった。
「ジア……」
 窺うように見つめてくるオルディンを、フリージアはしっかりと見返す。

「いいんだよ。これが採るべき最上の手段なんだから。みんなはここで待機。大勢だと見つかるからね」
 反論を許さず一同の間をすり抜けて、フリージアは溝から出るべく緩やかな勾配となっている一画へと向かった。ソルの力は、対象を視界に収めなければ正確には燃やせない。ある程度、外の様子を確認する必要がある。
 ソルの背丈でも外が窺える高さまで来ると、フリージアは止まった。
 橋の南側に到着している投石器は、二基にまで増えている。そのうちの一基は、何故か東を向いたままだった。

「何でだろう? 壊れた、とか……?」
 フリージアは首をかしげて呟く。あれでは、投石器を作動させてもあらぬ方向へ飛んでいってしまう。
 眉をひそめたフリージアが見守る中、その東を向いた投石器の周りで数人の兵士が動き出した。一人が脇に突き出している取っ手をグルグルと回し始める。それと共に、投石器の中央に垂直に立っていた大きな匙のようなものがゆっくりと倒れていく。匙がだいぶ傾いた頃、後続の台車から二人がかりで丸い物を持ち上げ、そのつぼの上に置いた。

「――! まずい!」
 移動途中なのでも、故障したわけでもない。あれは明確な狙いを持って、あの向きなのだ。
 フリージアが呻く間も、彼らは更に何かを操作する。直後、投石器からはその導火線から火花を散らしている火薬玉が大きな弧を描いて放出された――黒鉄軍が身を隠している、その場所をめがけて。
 煙の尾を引くそれを、フリージアは固唾を呑んで見守る。

 呼吸三回。

 火薬玉は地面に叩き付けられ、刹那、爆音が轟く。
 だが、それは飛距離があり過ぎて、えぐられたのは溝が掘られた辺りよりもやや南側、溝を少し越えた地面だった。
 溝への直撃は避けられたことに、思わずフリージアは安堵の息を漏らす。
 だが、そのまま気を緩めているわけにはいかなかった。

 外れたことを悟ったニダベリル軍は、投石器の向きを微調整して、止まる。そうして、再び先ほどと同じ動作を見せ始めた。今度の匙の傾きは、先ほどよりも立てられている。どうやら、あれで飛距離を調整するらしい。

 猶予が、ない。

「どう? やれる?」
「うん……やるわ」
 そう答えたソルは、声も肩も小刻みに震えていた。フリージアはその身体を強く抱き締める。彼女の腕の中で、ソルは大きく一つ深呼吸をした。
「フリージア、放して」
 その声は、もうわずかな揺れも残していない。
 馬上で、ソルは真っ直ぐに両腕を伸ばす――投石器が居並ぶ方へ。
 木と鉄でできた装置を燃やすのは、油をかけた食糧に火花を散らすのと同じわけにはいかないのだろう。あの時よりも、明らかに集中の度合いが違う。
 小さな両手の間に熱が生まれた。赤く燃え盛る炎はない。だが、ゆらゆらと揺らめく何かがそこに存在している。

 何かの気配を感じたのか、馬が落ち着かなげに小さないななきを上げる。フリージアはそれを宥めながら、ソルを見守った。

「いくわよ」

 ――ソルの手の中の熱波と投石器からの災厄が放たれたのは、ほぼ同時の事だった。
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