夜を越えて巡る朝

トウリン

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糸を操る者②

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 一人になったキーツは、こつこつと机を指で弾きながら考える。
 ――今の男が見事任務を果たして帰ってきたとして、彼をそのまま生かしておくことでどんな利点があるのかを。
 ゲオルグは特殊部隊の兵士たちの中でも、立てた武勲が一際目を引く男だ。そんな男を公然と処刑するには余程の理由が無ければならない。仮に暗殺させるとしても、あれだけ腕の立つ男を始末させるには、やはりそれなりの腕を持つ者が必要となる。
 結局、堂々巡りとなる可能性は充分にあった。
「相打ちになってくれるのが、一番都合がいいんだけどな」
 ぼやいてはみたけれど、そううまくはいかないことをキーツは重々承知していた。
「……仕方ないか」
 呟き、重い腰を上げる。
 部屋を出たキーツは、再びイチの部屋に向かう。いつに無く険しい顔をして廊下を行く彼に、擦れ違う人々がちらちらと視線を送ったが、キーツは一向に意に介さず歩みを進めた。

 目的の場所に着いたキーツは、二度ほどその扉を叩いた。が、返事が無い。
「イチ? 入るぞ?」
 その言葉と同時に扉を開ける。キーツが部屋に一歩踏み入れると、イチが驚いたように寝台から身を起こすのが視界の隅に入った。
「……どうした、イチ? お前らしくないじゃないか。俺が部屋の前に立ったのも気が付かなかったのか?」
 苦いものが滲み出てしまいそうになるのを辛うじて抑え、努めて軽い口調でキーツはそう言った。
「あ……」
 明らかにいつもと違うイチの口籠りように、キーツの中で正体の判らない苛立ちがこみ上げてくる。後ろ手に戸を閉め、つかつかとイチの傍に歩み寄った。
 彼女はやや俯き気味にキーツから目を逸らしている。その様は、怯えているようにすら見えた。
 キーツの中から、苛立ちが引き潮のように遠のいていく。
「イチ、俺を見るんだ」
 言われ、ゆっくりと彼女の視線が上がってくる。だが、キーツの目と合わせようとはしなかった。
「本当は、あいつのところに行ってきたんだろう?」
 腰を屈め、イチの顔を覗き込むようにして、キーツは静かにそう問いかけた。
 彼女はわずかな身動ぎもしない。
 ただ、瞬きを一度だけ。
「正直に答えてごらん。怒りはしない」
 作ったものではない、穏やかな声。今、この時、先ほどキーツの心の中に湧き上がってきた理由の判らない苛立ちは彼の中から消え去っていた。不思議なほど、心を空にすることができた。
「……キーツ大佐……」
 細い声が、ようやくそれだけ紡ぎ出す。キーツは言葉を使わず、目だけで先を促した。イチからの告白は、すぐには成されなかった。

 再び俯いてしまったイチは、自分に注がれているキーツの視線を痛いほど感じていた。しかし、いつもならば否が応でも伝わってくる彼の思考が、今は全く響いてこない。それが、無性に不安だった。
 キーツはイチが自発的に何か言葉を口にするのを、辛抱強く待つ。蝸牛が這うように時間が流れ、そして、イチの口が開いた。

「本当は、外に行っていました」

 顔を伏せ、蚊の鳴くような声でやっとそれだけ言う。うな垂れ、身を硬くしているイチの肩は、いつもより尚一層細く見えた。
 キーツは、それが溜め息に聞こえないように、軽く一つ息を吐いた。
「初めから、正直にそう言えば良いんだよ」
 彼のその言葉に、イチは尚更小さくなる。何か間違ったことをした時には罰が与えられる──それが『決まり』だった。
 全身を耳にして罰が言い渡されるのを待ったが、次にイチに届いたのは全く違う、そして更に彼女が恐れていたことだった。

「それで、あいつに逢ってきたのかい?」

 キーツの心を読まなくても、彼の言う『あいつ』が誰であるのかははっきりと判った。言葉で返事するのが怖くて、イチは小さく頷いた。
「……そうか。やはりな。で、どうしたんだ? まさか、あいつを殺しに行ったわけではあるまい?」
 『殺す』と言う言葉に、イチの肩が大きく震えた。どうやらここに付け込む隙がありそうなことを、キーツは見逃すことなく察知する。

「殺してはいないようだな。……じゃあ、骨の二、三本でも折ってきたか」
 『良くやった』という色を滲ませてそう言うと、イチの震える声が答えた。
「わたしは、あの人をはじいてしまいました。そして、あの人は、木に……」
「叩き付けたのか? なんだ、一人で反乱軍を潰しに行ったのなら、最初からそう言えば良いんだぞ。まあ、確かに許可無く外に出たことは罰則ものだが、その為だったのなら、情状酌量の余地がある」
 キーツは立ち上がり、部屋の中を往復する。あと一押しでイチの中のたわいのない幻想など消え去ってしまうだろう事が容易に推測できた。
「しかし、たとえ死んではいなくとも、あいつにもお前の力が良く理解できたことだろうな。指一本触れずに人を吹き飛ばす力だ。さぞかしびびっていることだろうよ。ことによると、今頃反乱軍から逃げ出しているかもしれないなぁ。何しろ、お前の力を、身を持って体験したんだからな。普通の奴なら、二度とお前の前に立とうなんて気は起こさなくなるだろうさ」
 己がどんな生き物として他の人々の目に映っているのかということを、思い出させる。
 キーツはイチの前で足を止め、再び彼女の顔を覗き込んだ。強張った彼女の身体は、小刻みに震えていた。

「なあ、イチ。お前が存在を赦されるのは、この俺の隣でだけなんだぞ。お前が俺の言うことを聞くということが解っているから、他の奴らは何も言わないんだ。そうでなけりゃ、とっくの昔に、お前の力を恐れるあまり盲になった奴らに殺されていたとこだ。それを忘れるなよ」
 今までにも何度も繰り返されてきたその言葉に、イチは小さく頷いた。
「……わかっています。キーツ大佐がいたから、わたしは生きてこられたのです」
 か細い声ではあったがいつもどおりの素直な返事に、キーツは自分の台詞が充分効を奏していると確信する。これでゲオルグがうまくやってくれれば万々歳というところである。

 望んだ効果が得られ、すっかり気を良くしたキーツは、立ち上がり、扉に向かう。今はイチの気が動転している為にこちらの思考を読まれずに済んでいるようだが、良からぬ企みを胸に秘めている時は、あまり彼女の近くにいるべきではなかった。
「今俺が言ったことをイチがちゃんと理解していれば、全てうまくいくんだ」
 扉に手を掛け振り返ったキーツは、出掛けに最後の駄目押しとばかりにそう残す。

 キーツの姿が消えるまで見送ったイチに残されたのは、諦念だけである。省吾と会って彼女の中に芽生えかけていた何かは、キーツの手によって握り潰された。
 いや、最初から、何かの間違いに過ぎなかったのかもしれない。

 イチは寝台から立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。遠くには鬱蒼と広がる森が──省吾のいる森が、見える。

 どうして、あれほど彼に逢いたいと思ったのか。
 どうして、その気持ちを抑えようとは思えなかったのか。

 ──会いに行かなければ、良かった。
 今、イチは生まれて初めて、後悔というものを噛み締めていた。
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