捨て猫を拾った日

トウリン

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捨て猫を拾った日

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「誰か待ってんのか?」

 深夜も間近な冬の寒空の下、ぼんやりと駅前のロータリーのベンチに座り込んでいるその少女に、佐々木孝一ささきこういちはそう言葉を投げた。

 断っておくが、間違っても、孝一は世話焼きな性質ではない。というよりも、他人に関心は持たない男だった。募金箱に金を入れたことはないし、電車で年寄りに席を譲ったこともない。
 親切心から誰かに気を留めるなど、たとえ天地がひっくり返ったとしても、彼には有り得ないことだった。
 にも拘らずその少女に声をかけてしまったのは、多分、どこか浮世離れした風情が妙に心に引っかかったせいだろう。

 日本人にしては色素の薄い髪と目。
 もう十二月に入ったというのに、終電もなくなりそうな時間にコートも着ずにいる。厚手とは言えない長袖Tシャツの襟もとから見える肌は透けるように白い。

 少女は茫洋とした目を孝一に向け、大きく一つ、瞬きをする。そうして、背中ほどまである栗色のくせ毛を揺らして微かに首をかしげた。
 年の頃は十七、八か。こんな時間に外をうろついているくらいだから、高校生ではないのだろう。肉付きの薄い頬に、アーモンド形の大きな目が目立つ。まるでガリガリに痩せた捨て猫のようだ。彼女はその目で、ジッと孝一を見上げてくる。

 あまりに真っ直ぐで無防備なその眼差しに、彼は微かに顎を引いた。
 そんな孝一を更にたっぷり三十秒は見つめた後、少女はポツリと問いとも呟きともつかない一言を漏らす。
「……ナンパ?」
 言葉とともに吐き出した息の白さが、やけに目に残る。
「女に不自由はしていないしガキにも興味ない」
 孝一は肩を竦めて即答する。三十二歳でまずまずの稼ぎがあり、見てくれも、放っておいても女の方から声をかけてくるレベルだ。今夜も、ストレス解消がてらバーで引っかけた女とホテルでひと時過ごしてきたところだった。こんな色気のない子どもに手を出すほど飢えてはいない。

 彼の返事に少女はまた瞬きを一つし、頷く。
「そう」
 それきり、また視線は孝一から外れる。

「帰らないのか?」
「うん」

「……帰る場所がないのか?」
「ある」

「……帰りたくないのか?」

 沈黙。

 返事を待っても、彼女はぼんやりと彼女にしか見えない何かを見つめているだけだ。
 と、不意にふわりと孝一の視界に何かが舞い込んでくる。
 夜空を見上げた彼の顔に、それはヒヤリと冷たい感触を残し、消えた。

(そう言えば、これからしばらく雪になるんだっけか)

 この冬の冷え込みは厳しく、関東では珍しくホワイトクリスマスになるかもしれないと、バカみたいにはしゃいだ天気予報の女子アナが言っていたのを孝一は思い出す。

 六花は、まだまばらだ。
 それは少女の髪に、頬に、鎖骨に舞い降り、そして溶ける。

「俺と来るか?」
 何故、そんなことを言ったのかは孝一自身も判らない。だが、彼女の上で溶けていく雪を見ていたら、知らないうちにその台詞が彼の口を突いて出ていたのだ。

「え?」
 元から大きな目を更に見開いて、少女が孝一を見上げる。
 彼はその視線を受けて初めて、彼女に『見られた』と感じた。その瞬間、胸がざわつくような、奇妙な満足感を覚える。

「帰りたくないなら俺のところに来るかって訊いたんだよ」

 しばしの間。

 孝一はコートのポケットに突っ込んでいた手を出し、少女に差し伸べた。彼女は人の手というものを初めて目にしたかのようにまじまじとそれを見つめる。

 空の手のひらの上にひらりふわりと雪片がのり、そして水滴に変わる。
 やがてそこに重ねられた少女の指先は、雪よりも冷たく凍えていた。孝一が握り返すと、小さなその手は微かに、だが確かに震えを帯びる。

 栗色の髪と瞳、白い肌をした、とらえどころのない少女。
 ――孝一は、その日一匹の『捨て猫』を拾ったのだ。
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