捨て猫を拾った日

トウリン

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愛猫日記

幕間~まどろみのひと時

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 トクン、トクン、トクン。

 左の耳に、ゆったりとした、心を落ち着かせてくれるリズムが響いてくる。頬は何か滑らかで温かなものに触れていて、真白ましろはまどろみながらその心地良さにうっとりした。
 それは、彼女の肌に馴染んだ感触で。

 半分寝ぼけたまま、真白はゆっくりと目蓋を持ち上げる。
 真白の身体の下にあるのは、シーツじゃない。
 温かくて弾力があって――彼女は、孝一こういちの上でうつぶせになっていた。
 腰の辺りに感じる重みは彼の腕で、真白は仰向けになった孝一の上に乗った形で抱き締められている。頭の天辺の辺りに当たっているのは、多分、彼の顎。
 すっぽりと、彼の温もりが真白を包み込んでいる。

(重くないのかな……)
 ぼんやりとそんなふうに思ったけれど、頭の上の方で聞こえる孝一の寝息はとても深くて、完全に熟睡しているようだった。

 孝一は、いつも真白を抱き締めたまま眠る。
 彼女が目を覚ました時に、彼の温もりを感じないことはなかった。真白よりも孝一の方が先に起きていても、腕を解くのは彼女が起きてからなのだ。

 最初のうちは寝顔を見られていたことにバツが悪い思いをしたけれど、いつの間にかそれにも慣れてしまった。今では、朝起きて真っ先に彼と目が合うことが当たり前になっている。
 目が合って、彼に笑いかけてもらうことが。

(今、何時だろ)
 時計は真白の後ろ側に置かれていて、寝返りを打たないと見えない。そんなに動いたら孝一を起こしてしまうだろう。少し考えて、彼女は視線だけを動かして窓の方を窺った。
 カーテンの隙間から見える空は白んでいるけれど、明るくはなかった。夜が明け始めた頃――多分、五時かそこらくらい。
 いつも彼女と孝一が起き出す時間よりも、一時間くらい早い。

(どうしよう)
 このままこうしているのは心地良いけれど。
 少し頭を反らして孝一の顔を見ようとしても、顎ぐらいしか見えなかった。

 真白はもそもそと手を伸ばして、薄らとひげが伸び始めているそこに指先でそっと触れる。
 孝一は毛深い方ではないけれど、朝と晩にひげを剃る。前に、ほんの少しだけ伸びたひげで真白の肌がこすれて、赤くなってしまったことがあるからだ。
 別に、真白は痛くもかゆくもなかったのに、孝一はずいぶん気にしていた。赤くなったところに触れて、渋い顔をして。
 全然平気だから、と言っても、なかなか眉間の皺が消えなかった。

 そんなふうに、孝一は、真白に関わる小さなことで大騒ぎする。
 ちょっと油が飛んで小指の先より小さな火傷をした時とか、掃除の最中で埃を吸ったせいだと判りきってるくしゃみをした時とか、味見をし過ぎていつもよりも食べた量が少なかった時とか。
 水ぶくれができた指を包帯でグルグル巻きにしたり、いつもよりも早い時間に寝かせようとしたり、翌日にケーキを買ってきたりする。
 別に何でもないのに、と大袈裟な反応に少し呆れながらも、真白はそんな彼にくすぐったさを覚える。

 物心ついた頃から、真白はいつも他の子の世話を焼いていた――他の子の世話を焼くことはあっても、自分が世話を焼かれるということは、少なくとも記憶に残る限り、無かった。
 だから、孝一が彼女のことで騒ぐのが、くすぐったい。

 真白は、誰かの世話を焼くことが好きだった。世話を焼いて、役に立っていれば、そこにいても赦される気がしたから。
 孝一の為に何かをすることも、好きだ。
 ご飯をつくったり、洗濯をしたり。
 でも、孝一は、真白がそういうこまごましたことをすることは、どうでもいいと思っているのだ――悪い意味ではなくて。
 真白が家事をするとかそんなことはおまけみたいなもので、孝一にとっては彼女が傍にいるということが大事なようだった。そしてそれは、真白の希望でも推測でもない。疑う余地がないほどはっきりと、言葉で、態度で、孝一は毎日毎日彼女にそう示してみせるのだから。

 平日は仕事があるから無理だけれども、休日は孝一の方が料理をしたりする。真白がすることを、彼が取ってしまう。料理だけでなくて、他にも、色々と。
「俺が、やりたいんだよ」
 そう言いながら、彼は笑うのだ。

 孝一は、ただ、真白がここにいることを望んでくれている。
 真白が、彼の腕の中にいることを。
 それを実感するたび、真白は胸の中がキュッと締め付けられるような、何とも言えない感覚に襲われる。そんな時、彼にしがみつきたくてたまらなくなる。
 孝一が真白にそれを実感させてくれるたび、彼の為にできることは何でもしてあげたくなってしまう。

 真白は頭の下にある彼の胸をそっと指先で辿った。

 この人は、わたしの、大事なひと。

「大好き」

 こっそり囁いても、もちろん返事はない。
 小さく微笑んで、真白は彼の肌に頬をすり寄せる。

 いつの間にか、すっかり目が覚めてしまった。
 もう起きて、いつもよりも少し凝った朝ご飯にしよう。

 そう思って、彼女は孝一を起こさないようにできるだけゆっくりと彼の腕から逃れようとした。

 けれど。

 低いうなり声と共に、真白の背中と腰に回されたがっしりとした腕に力がこもる。彼の大きな手が、彼女の背中をゆっくりと撫で下ろした。
「んッ」
 背中とお尻に手を置かれて、ギュッと彼の身体に押し付けられる。
 お腹の辺りに当たっている、これは……
「朝っぱらから煽るなよ」
 かすれた声が、そう言った。

「コウ! ……起こしちゃった?」
「こんな起こされ方なら、最高の目覚ましになるな」
 言いながら孝一は真白を引き上げて、彼女の唇に触れるだけのキスをした。と思ったら、クルリと上下を入れ替えられる。
 突然天井を見上げることになって一瞬キョトンとしてしまった真白は、孝一のキスが唇から顎の先、首筋へと下りていって、彼がしようとしていることに気付いた。

「コウ、今日は仕事でしょ? 遅れるよ」
 すでに胸元へと到達しようとしている孝一の頭を押し上げようとしたけれど、彼は目だけを上げてニッと笑う。
「間に合わせるよ」
「でも!」

 ――慌ててあげた彼女の抗議の声は、じきに甘い吐息へと変わっていった。
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