鮮やかなもの

上野たすく

文字の大きさ
10 / 41

10

しおりを挟む
 壁に凭れ、腕時計を確認する。
 あと、三十秒。
 秒針が十二のところへきてから、答案用紙を持って電気を消した。
 廊下は静まりかえっている。
 講義の音が講義室ごとに漏れ聞こえていた。
 今日は俺も白石も、社会人講座は受け持っていない。
 会社の看板講師が力を振っている。
 生徒を合格させてやるぜって感じの気迫を伴う声の中、女の軽やかな笑い声が耳元で聞こえ、危うく答案用紙をぶちまけそうになった。
 幽霊?
 おずおずと声のした方を振り返り、階段の踊り場に、黒いハイヒールと淡いピンク色のスカートを見つけ、胸を撫で下ろす。
 ここからじゃ、上半身は隠れてっけど、ちゃんと足はある。誰かと話をしてるみてぇだな。今、ここにいるってことは、社会人講座の生徒じゃない。午前の部の生徒は帰っただろうし……。職員か? つっても、あんなスカート穿いてた人、いたっけかな?
 どうでもいいか。早いとこ、白石から答案用紙もらいに行こう。
 女に背を向けた途端、甘い痺れが体を突き抜け、答案用紙を抱え蹲った。
 やっべ。
 立てねぇ。
 息が乱れていく。
 体が熱い。
 んでもって、脳みそが揺さぶられたあとみたいに、気持ち悪い。
 でも、根性で立ぁつ。
 抑制剤は……出入り口んとこか。
 まずはこの答案用紙、どうにかしねぇとな。
 くっそ、ボケ。
 熱いわ。
 今、発情して、どうすんだ?
 孕ましてくれる相手なんて、いねぇだろ?
 場所考えろっての、このスカタン!
 仕事中だっての、ボケ。
 ボケもカスもバカもアホも、白石じゃなく、俺の体だ。
 でも、付き合ってくしかねぇだろ?
 これが俺なんだからさぁ。
 壁に寄りかかりながら、来た道を引き返す。
 凡ミスで、薬、のまなかった俺が悪い。
 認めよう。
 だけどな、αに会わなきゃ、こっちの勝ちだ。
 わかってる。
 自分の中のΩと張り合っても、仕方ねぇことぐらい。
 だって、自分だ。
 周りには、勝負していることすら、理解してもらえない。
 わかってる。わかってんだよ、んなことは。
 でも、抗わなきゃ、俺が消えちまう。
 俺は、種だけを求めて腰振るなんて、まっぴらだ。
 ずっと、耐えてきたんだ。
 初めて発情した日から。
 どんなに抱かれたくても、独りで治めてきた。
 体が欲するまま動くなんて、獣だ。
 俺は人でいたい。
 立ち眩みがし、膝を床についた。
 身体が重い。
 水を含んだ真綿に、乗っかられてるみてぇ。
 辛い。
 声に出さず、口だけを動かす。
 瞼を閉じ、息を長めに吐き出した。
 ……い。
 辛い……。
 真っ暗闇の奥、確かに光る鮮やかな何かがあって、それは俺が一番幸せだったあの頃の、俺達が友達でいられたあの頃の……。
「保……」
 キュッと床が鳴く。
「どうしたの? 白石君」
 耳元で聞こえた、女の声が白石を呼ぶ。
 しらいし?
 肩越しに振り返ろうとし、全身がショートしちまうみたいな電流に、息が止まる。
 白石は口を押さえ、顔を赤らめて立っていた。
 中学のあの日のように。
 だからきっと、白石は逃げていく。
 発情した男は醜いから。
 発情した友達は……、もう友達じゃないから。
 目に映る白石が踵を返す。
 そりゃ、そうだわな。
 中学んときのこと、気にしているつったって、白石には女がいる。カリスマ講師だって言われるくらいの力も、αっつう後ろ盾だって。
 順風満帆な人生だ。うっかり、フェロモンにあてられて、俺なんか抱いちまったら、勿体ないくらいのそれを、失いかねない。
 たとえ、俺が男のΩであり、白石に法的な罰が下されないとしても。
 安心したわ。お前とは割り切って付き合えばいいんだな。
 異論はねぇよ。お前にさっき言ったことは、本心だったしな。
 なのに、なんで涙が出てくんだよ?
 俺は独りでも平気だ。
 独りっていいじゃん。気を遣う必要もねぇし。独り、最高じゃん?
 真横に、人の影が現れる。
 その主を確認する暇も与えられず、俺はそいつに抱きかかえられ、カウンセリング室へ運ばれた。
 肩で息を整える男は、匂いでαだとわかった。
 そいつは部屋の鍵をかけ、電気も点けずに、俺を床へと下ろした。
 答案用紙をとられる。
 目が室内の暗さに慣れず、傍にいるのが、誰なのかわからない。
 ついに、やられちまうのかな?
 ここ、密室だし、防音だから、叫んでも助けが来てくれる可能性は、低い。
 白石は今頃、女と会ってんのかな?
 案外、あのピンクのスカートの子だったりして。
 俺の横で生まれた、命。
 俺と違う性を持った、幼馴染み。
 この差が運命ってやつなのかな?
 涙が頬を伝っていく。
 熱い指がそれを拭き取った。
 思いがけない行動をされ、相手を見上げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

箱入りオメガの受難

おもちDX
BL
社会人の瑠璃は突然の発情期を知らないアルファの男と過ごしてしまう。記憶にないが瑠璃は大学生の地味系男子、琥珀と致してしまったらしい。 元の生活に戻ろうとするも、琥珀はストーカーのように付きまといだし、なぜか瑠璃はだんだん絆されていってしまう。 ある日瑠璃は、発情期を見知らぬイケメンと過ごす夢を見て混乱に陥る。これはあの日の記憶?知らない相手は誰? 不器用なアルファとオメガのドタバタ勘違いラブストーリー。 現代オメガバース ※R要素は限りなく薄いです。 この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の「BL部門」お題イラストから着想し、創作したものです。ありがたいことに、グローバルコミック賞をいただきました。 https://www.pixiv.net/novel/contest/kadokawapixivnovel24

あなたの家族にしてください

秋月真鳥
BL
 ヒート事故で番ってしまったサイモンとティエリー。  情報部所属のサイモン・ジュネはアルファで、優秀な警察官だ。  闇オークションでオメガが売りに出されるという情報を得たサイモンは、チームの一員としてオークション会場に潜入捜査に行く。  そこで出会った長身で逞しくも美しいオメガ、ティエリー・クルーゾーのヒートにあてられて、サイモンはティエリーと番ってしまう。  サイモンはオメガのフェロモンに強い体質で、強い抑制剤も服用していたし、緊急用の抑制剤も打っていた。  対するティエリーはフェロモンがほとんど感じられないくらいフェロモンの薄いオメガだった。  それなのに、なぜ。  番にしてしまった責任を取ってサイモンはティエリーと結婚する。  一緒に過ごすうちにサイモンはティエリーの物静かで寂しげな様子に惹かれて愛してしまう。  ティエリーの方も誠実で優しいサイモンを愛してしまう。しかし、サイモンは責任感だけで自分と結婚したとティエリーは思い込んで苦悩する。  すれ違う運命の番が家族になるまでの海外ドラマ風オメガバースBLストーリー。 ※奇数話が攻め視点で、偶数話が受け視点です。 ※エブリスタ、ムーンライトノベルズ、ネオページにも掲載しています。

処理中です...