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「佐伯?」
短髪の男だった。
茶髪ですらりとした女と、寄り添うようにして立っている。
彼はこちらへと飄々と歩いてきた。
「よう、すげえ偶然だなあ」
男はにこにこしながら、俺を横目で捉えた。
「で、どちら様?」
やましい気持ちはないはずなのに、男の眼差しに居たたまれなくなるのは、男の目が笑っていなかったからだった。
「加藤雄介。加藤、こっちは遠野彰」
佐伯から紹介され、会釈をする。
「はじめまして」
相手は不躾なまでに俺を見るだけで、こちらに返事をする気はないようだった。
「なにか?」
「うん? ああ、悪い。なんつうか、加藤君って、大人しそうな顔してるけど、けっこう、えぐいんかなあって」
「は?」
佐伯が素早く、俺と遠野の間に割って入った。
「彼女が困ってるぞ」
佐伯の声には棘があった。
「邪険にすんなよ。俺は佐伯のことを心配してんのよ」
お前、流されやすいから、と遠野は俺を見た。
「加藤君、こいつね、久しぶりのメールで、大切な人と行きたい場所ってどこだって、訊いてきたんだわ。んで、友達思いの俺は、元気かあとか、最近どうだあとか、そういう、俺のことを気にするような文章を、まったく打たない佐伯に、愚痴も溢さず、返信してやったってわけ」
「遠野は映画を撮っているから、詳しいと思ったんだ。俺のメールでイラついているなら悪かった。謝る」
遠野は頭を下げた佐伯に対し、「いやいや」と手を振った。
「いつものことだし。慣れてるべ。俺が言いたいのは、そこじゃないから」
「俺達、帰るから、彼女とゆっくりしていけ」
佐伯に手を引っ張られる。
「佐伯さあ」
遠野が一回り大きい声を出し、佐伯の足を止めさせた。
「わかってねえの?」
「なにが?」
「あのな、お前、俺に大切な人と行きたい場所はどこってメールしてきて、俺が教えた場所に、加藤君と来てんだぜ」
「だから、こいつが大切な人なんだろ」
「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくって」
遠野が頭をがしがしと掻く。
「お前、加藤君のことが好きなの?」
佐伯が遠野に向き直る。
「好きだけど」
「そうやって簡単に言えるところがなあ」
遠野は腕を組んで佐伯を眺めたあと、俺を見た。
嫌な汗が背中を滑り落ちる。
「他人のことに口出しするの、やめなよ」
女が遠野を見上げた。
遠野はそんな女の頭をやさしく撫でた。
「加藤君はどうなん? 佐伯、君のこと、好きっつってっけど」
「応えなくていい。帰ろう」
佐伯が歩きはじめる。
俺は遠野の視線に射られ、動けない。
この男の疑問の要点は、俺が佐伯の無頓着な部分につけ込み、男同士の恋愛へ引きずり込んだのではないか、ということだろう。
「佐伯のこと、よくわかっているんですね」
無理やり、唇を伸ばした。
「だったら、佐伯の好きの意味、わかっていますよね?」
遠野も微笑んでいる。
「俺、フラれたんです」
遠野の笑顔が崩れた。
その変わりように、喉が笑った。
佐伯が速足で戻って来て、俺の腕を掴み、階段を駆け下りた。
展望台を出たところで、佐伯に謝罪された。
笑いを殺そうと口を覆って、首を横に振る。
「帰ろう」
佐伯の声が労わりを含んでいて、吐き気がした。
笑っていたはずなのに、ひきつるような嗚咽が溢れてくる。
腕で顔を隠すが、佐伯にその砦を壊された。
泣き顔を見られたくなくて、俯いた。
佐伯は俺の両腕を拘束したまま、何も言ってこない。
と、影が視界を過った。
唇にやわらかいものが被さり、それが佐伯の唇だと気付いたとき、舌が口腔へ押し入ってきた。
同時に、キスで顔を上げられる。
佐伯の行動が理解できず、放れようと抵抗し、舌を吸われ、膝が震えた。
「んん……」
なぜか、キスが深くなった。
佐伯の腕が後頭部に回される。
浅く深く、口の中を刺激され、涙が滲んだ。
角度を変え、強弱を変え、俺のいいところを探すようなキスだ。
俺がされる覚えのないキスだ。
友達にはしないキスだ。
額を相手の額に当て、佐伯からのキスを止めた。
ゆっくり息を吐き、佐伯から離れる。
「ごめん」
「何に対しての謝罪?」
佐伯が戸惑う。
「キスなら嫌じゃない。わかっているだろ? 俺の気持ち」
「……加藤を泣かすために、ここへ連れて来たわけじゃなかった」
「わかってる。でも、お前の言動は誤解を生むんだ。だから、もうやめろ。まず、友達にキスなんかするな。俺に」
心臓が潰されるような痛みに、唇を噛む。
俺に、これ以上……、期待させないでくれ。
「なんでもない」
帰ろうか、と笑いかけ、先頭を歩いた。
「あ……。ああ」
「夜景、綺麗だったな」
「ああ」
「遠野さんに、さようならも言わなかった」
「ああ」
「謝っといてくれよ。頼むから」
「ああ……。いや、あれは遠野が悪い」
「佐伯のことが心配なんだろ?」
「俺は遠野の子どもじゃない。だいたい、言い方ってものがある」
佐伯と目が合う。
相手にじっと見つめられ、眉を上げた。
「どうかしたか?」
「………………加藤って」
語尾は小さすぎて聴こえなかった。
「俺が、なに?」
「……いや。……夜景、綺麗だったな」
「お前、俺の話、ちゃんと聴いてないだろ?」
俺は笑って、佐伯は眉根を寄せながら口元に笑みを作る。
ひずみが生まれる予感に、口を閉じた。
その日から、佐伯の態度がおかしくなった。
短髪の男だった。
茶髪ですらりとした女と、寄り添うようにして立っている。
彼はこちらへと飄々と歩いてきた。
「よう、すげえ偶然だなあ」
男はにこにこしながら、俺を横目で捉えた。
「で、どちら様?」
やましい気持ちはないはずなのに、男の眼差しに居たたまれなくなるのは、男の目が笑っていなかったからだった。
「加藤雄介。加藤、こっちは遠野彰」
佐伯から紹介され、会釈をする。
「はじめまして」
相手は不躾なまでに俺を見るだけで、こちらに返事をする気はないようだった。
「なにか?」
「うん? ああ、悪い。なんつうか、加藤君って、大人しそうな顔してるけど、けっこう、えぐいんかなあって」
「は?」
佐伯が素早く、俺と遠野の間に割って入った。
「彼女が困ってるぞ」
佐伯の声には棘があった。
「邪険にすんなよ。俺は佐伯のことを心配してんのよ」
お前、流されやすいから、と遠野は俺を見た。
「加藤君、こいつね、久しぶりのメールで、大切な人と行きたい場所ってどこだって、訊いてきたんだわ。んで、友達思いの俺は、元気かあとか、最近どうだあとか、そういう、俺のことを気にするような文章を、まったく打たない佐伯に、愚痴も溢さず、返信してやったってわけ」
「遠野は映画を撮っているから、詳しいと思ったんだ。俺のメールでイラついているなら悪かった。謝る」
遠野は頭を下げた佐伯に対し、「いやいや」と手を振った。
「いつものことだし。慣れてるべ。俺が言いたいのは、そこじゃないから」
「俺達、帰るから、彼女とゆっくりしていけ」
佐伯に手を引っ張られる。
「佐伯さあ」
遠野が一回り大きい声を出し、佐伯の足を止めさせた。
「わかってねえの?」
「なにが?」
「あのな、お前、俺に大切な人と行きたい場所はどこってメールしてきて、俺が教えた場所に、加藤君と来てんだぜ」
「だから、こいつが大切な人なんだろ」
「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくって」
遠野が頭をがしがしと掻く。
「お前、加藤君のことが好きなの?」
佐伯が遠野に向き直る。
「好きだけど」
「そうやって簡単に言えるところがなあ」
遠野は腕を組んで佐伯を眺めたあと、俺を見た。
嫌な汗が背中を滑り落ちる。
「他人のことに口出しするの、やめなよ」
女が遠野を見上げた。
遠野はそんな女の頭をやさしく撫でた。
「加藤君はどうなん? 佐伯、君のこと、好きっつってっけど」
「応えなくていい。帰ろう」
佐伯が歩きはじめる。
俺は遠野の視線に射られ、動けない。
この男の疑問の要点は、俺が佐伯の無頓着な部分につけ込み、男同士の恋愛へ引きずり込んだのではないか、ということだろう。
「佐伯のこと、よくわかっているんですね」
無理やり、唇を伸ばした。
「だったら、佐伯の好きの意味、わかっていますよね?」
遠野も微笑んでいる。
「俺、フラれたんです」
遠野の笑顔が崩れた。
その変わりように、喉が笑った。
佐伯が速足で戻って来て、俺の腕を掴み、階段を駆け下りた。
展望台を出たところで、佐伯に謝罪された。
笑いを殺そうと口を覆って、首を横に振る。
「帰ろう」
佐伯の声が労わりを含んでいて、吐き気がした。
笑っていたはずなのに、ひきつるような嗚咽が溢れてくる。
腕で顔を隠すが、佐伯にその砦を壊された。
泣き顔を見られたくなくて、俯いた。
佐伯は俺の両腕を拘束したまま、何も言ってこない。
と、影が視界を過った。
唇にやわらかいものが被さり、それが佐伯の唇だと気付いたとき、舌が口腔へ押し入ってきた。
同時に、キスで顔を上げられる。
佐伯の行動が理解できず、放れようと抵抗し、舌を吸われ、膝が震えた。
「んん……」
なぜか、キスが深くなった。
佐伯の腕が後頭部に回される。
浅く深く、口の中を刺激され、涙が滲んだ。
角度を変え、強弱を変え、俺のいいところを探すようなキスだ。
俺がされる覚えのないキスだ。
友達にはしないキスだ。
額を相手の額に当て、佐伯からのキスを止めた。
ゆっくり息を吐き、佐伯から離れる。
「ごめん」
「何に対しての謝罪?」
佐伯が戸惑う。
「キスなら嫌じゃない。わかっているだろ? 俺の気持ち」
「……加藤を泣かすために、ここへ連れて来たわけじゃなかった」
「わかってる。でも、お前の言動は誤解を生むんだ。だから、もうやめろ。まず、友達にキスなんかするな。俺に」
心臓が潰されるような痛みに、唇を噛む。
俺に、これ以上……、期待させないでくれ。
「なんでもない」
帰ろうか、と笑いかけ、先頭を歩いた。
「あ……。ああ」
「夜景、綺麗だったな」
「ああ」
「遠野さんに、さようならも言わなかった」
「ああ」
「謝っといてくれよ。頼むから」
「ああ……。いや、あれは遠野が悪い」
「佐伯のことが心配なんだろ?」
「俺は遠野の子どもじゃない。だいたい、言い方ってものがある」
佐伯と目が合う。
相手にじっと見つめられ、眉を上げた。
「どうかしたか?」
「………………加藤って」
語尾は小さすぎて聴こえなかった。
「俺が、なに?」
「……いや。……夜景、綺麗だったな」
「お前、俺の話、ちゃんと聴いてないだろ?」
俺は笑って、佐伯は眉根を寄せながら口元に笑みを作る。
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