鈍色の先へ

上野たすく

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 人は二十四を過ぎると、滅多なことがなければ変われない、と言ったのは、高校の美術の教師だった。
 人は変わるんじゃない。もとからあった性格に、ただ色を重ねていくだけなのだと言ったのは、中学の数学の教師だった。
 佐伯はどっちなのだろう。
 俺と付き合うことが、滅多なことだったのか、それとも、違う色が上塗りされただけなのか。
 あれから、佐伯は時間があれば、俺を抱くようになった。
 習慣化された行為は、着実に俺の体に染み込み、二週間と経たずに、後ろだけでいけるようになった。
 佐伯の達した顔を見たことはない。
 最後まで、俺の意識がもたないからだ。
 気持ちはいい。
 体は満たされる。
 だけど、俺も、佐伯が良くなっているのを、見たい。
 先に抜いてやろうか、と訊いたこともある。
 が、丁重に断られた。
 つきあったなら、すべてが解決するわけじゃないのだと、思い知った原因はそれだけじゃない。 
 セックスも好きだが、俺は佐伯と出かけたかった。
 おおっぴらに手を繋ぐとかはできないかもしれないが、思い出を作りたかった。
 もし、佐伯と別れたとしても、思い出があれば、乗り越えていけるかもしれないから。
 死ぬまでなんて望んではいけない。
 佐伯には佐伯の人生がある。
 今は俺に立ち止まってくれているだけだ。
 飽きれば、また、歩き出す。
 そこからが、佐伯の本当の未来だ。

 佐伯にフラれたら、俺はどうするだろう?
 ……俺はまた、恋ができるかな?

 仕事帰り、駅から五分とかからない居酒屋で、佐伯と待ち合わせた。
 相手は無料で出されるキャベツを、数名の男女と一緒に食べていた。
 遠野の姿もあり、引き返そうとするが、佐伯がこちらに気づいて手を上げ、帰るに帰れず、誰とも知らない男と女の間に座り、薄手のコートを椅子にかけた。
 遠野が俺の紹介を大声でする。
 名前と卒業した学部を公表され、溜息をつきたいのを耐えて会釈した。

「お疲れ様です。仕事だったんですよね」

 ウェーブのかかる髪を耳にかけながら、女がビールをついでくる。

「ありがとう」
「いえいえ。こちらこそ、巻きこんじゃってすみません。佐伯先輩と約束していたんですよね?」

 泡のたたないビールを苦笑しながら飲んだ。

「先輩は音楽学科だったんすよね。俺、映画です」

 金髪の男が親指で自分をアピールする。
 学生か。

「なんのサークル?」

 男は、俺達は映画だとは言わなかった。学部の集まりではないのだろう。

「パセリです」
「ああ。なるほど」

 その名前なら聞いたことがある。
 映像制作をする非公認のサークルだ。
 俺の友人も何人か入っていた。

「芸術祭で発表する映画が完成したので、今日はお披露目会だったんです」

 女が適当につまみをよそってくれる。

「ありがとう」
「いえいえ」

 佐伯は遠野や他の学生と笑い合っている。
 部屋ではあんなに俺を求めてくるのに、外では他人面か。

「先輩は芸術祭、来られますか? 卒業しても、来る人いるって聞きますけど」
「俺は行かないかな」
「え~。来ましょうよ。そんでもって、私達の作品、観てってくださいよ」

 そうっすよぉ、と男が話に割り込んでくる。
 空笑いし、佐伯を見た。
 相手は後輩の話に上機嫌だ。
 俺だけ場違いか。
 加藤君、と遠野に手を振られる。

「君、ギターできるんだって? いっちょ、弾き語りしてみてよ」

 誰かが指笛を吹き、拍手と歓声があがる。

「無理言わないでくださいよ。他のお客さんに迷惑でしょ」

 遠野は含み笑いをした。

「大丈夫だって、周りの客、全部、後輩だから。あっちは落研と漫研、で、むこうは軽音」

 遠野に視線を送られたグループが、それぞれの乗りで応える。

「でも、店の了解が」
「店主! いいっすよねえ!」
「好きにやればいいだろ」

 鉢巻をした五十代と思われる男が、じろりと俺を睨みつける。

「うまかったら、寿司、作ってやらあ」

 ますます盛り上がる周りに反し、どんどん鬱になっていく俺。

「ギターがないですし」
「ギター、貸しますよ?」

 軽音の青年がアコースティックギターを突き出す。
 腱鞘炎もよくなり、指は動く。

「だけど」
「歌えよ」

 佐伯は微笑していた。

「俺、加藤の歌、好きだよ」

 遠野は呆れたようだった。

「佐伯の主観は置いとけ。参考にならん」

 前にも、こんなことがあったな。
 あの日は、洋子さんにせがまれた。

「わかった。リクエストしてくれ」

 軽音の青年からギターを受け取り、軽くチューニングをする。
 どこからか、今をときめく、アニメ映画の主題歌があげられる。
 水で喉を潤し、ギターを構え、バラード調にアレンジして歌った。
 場がシンと静まり返る。
 やっちまった感があった。

「あの。寿司は俺が奢るから」
「なに言ってんだ! 兄ちゃん、うまいよ! 待ってな! 今、用意すっから!」

 店主の怒鳴り声に呆然としていると、遠野に名前を呼ばれた。

「マジで上手いじゃん。上手すぎて、みんな、引いてるぜ。ここまで歌えるのに芽が出なかったのは、あれか? 世間から逃げていたか、見つけてくれた人間が悪かったか、自分はこんなもんだって、自己完結するタイプか……。なんにしろ、加藤君に必要なのは、佐伯が言う通り、いてっ!」

 遠野が顔を顰め、次いで、佐伯を睨みつける。
 当の本人は、「上手かったよ」と俺に微笑んできた。
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