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何かがズレている。
何かがおかしい。
はっきりとは言えないが。
抱いてしまった疑問で頭を使っていると、店主が皿一杯に詰められた寿司を運んできた。
学生達が急いで俺の前に場所を作り、店主がそこに寿司を置く。
「ありがとうございます……」
「おう……」
店主は口を歪めたり、頬を吊り上げたり、顎を引いたりして、一人で顔芸をしていたが、最後には深い溜息をつき、鉢巻をとった。
「俺、やっぱ、こういうの、駄目だわ。悪い」
「え?」
そう声をあげたのは、一人じゃなかった。
「兄ちゃん、いいもんもってるよ。これは本当に俺からの奢りだ」
反射的に佐伯を見た。
相手はこちらの視線に気づき、口を引き締めた。
「予想以上に兄ちゃんが上手いもんだから、ここにいる連中、みんな、自分のしなきゃなんねえことを忘れちまったんだ」
「店主、なに言ってくれちゃってるんすか? ちょっと、夜風にでもあたりに行きましょう」
そう店主の肩に腕を回したのは遠野だった。
ここにいる全員が仕掛け人ってことか。
持ち上げられて落とされたのに、怖いくらいに冷静だった。
「大丈夫ですよ。はじめからわかっていましたから。学生も、卒業生も、みんな、演技がボロボロだ。変なことに巻き込んでしまい、すみません。元凶の男に金、ちゃんと貰ってくださいね」
佐伯、と恋人を笑顔で振り返る。
「払っとけよ、責任もって」
「わかってる」
ギターを軽音の青年に返し、コートに腕を通して、腑に落ちない顔を向けてくる恋人を、もう一度、見る。
「佐伯、俺の分、立て替えておいてくれ。あと」
半眼で相手を見つめた。
「今日は帰ってくんな」
佐伯以外に向けて頭を下げた。
「俺はこれで失礼します」
無言で見送られ、一人になってから拳を握りしめた。
馬鹿正直に歌うんじゃなかった。
速足で路地を歩いて行く。
後ろから手首を掴まれた。
「待てよ」
帰り支度をしてきたらしい佐伯の手を払った。
「俺も帰る」
「帰ってくるなって言った」
「お前のところ以外には帰れない」
路地を行く人々がじろじろと俺達を見てくる。
「とにかく、手を放せ」
「お前が好きなんだ。放すわけがないだろ」
「なに言ってんだ。酔ってんのか?」
「ああ。酔ってる。遠野達にお前の実力を知らしめることができて、俺は満足だ。酒で酔うよりいい気分だね。加藤にもそうなって欲しかった。俺はやれるんだと、もう一度、夢を描いて欲しかった」
佐伯は本当に俺のことを、何も知らないんだな。
相手の真剣な眼差しに、唇を伸ばした。
「俺だって何もしてこなかったわけじゃない。音楽会社にデモテープを送ったり、ライブハウスで歌ったり、路上をしたり……。だけど、駄目だったんだ。佐伯さ、いつか言ってたよな? 芸術家は自分の意思で輝けるわけじゃないって。俺もそう思う。そんでもって、倍率が高いから、みんな、そこに夢を見るんだって、そう思う。お前が俺のことを買ってくれるのは、すごく嬉しいし、ありがたい。俺、佐伯と一緒にいられて幸せだよ。佐伯の傍にいることが、俺の夢だったから。これからも、佐伯が許してくれる限り、支えていきたい。俺は今の俺を不幸だとは思っていない。むしろ、幸せだって」
「俺が嫌なんだ。俺が加藤と作品を生み出していきたいんだ。俺達に子どもは望めないけど、作品をふたりで育てていくことはできる。俺はそうやって生きていきたいし、なにより、そうやって生きていくことを、加藤に当たり前だと思って欲しい」
「なに、勝手なことを」
「加藤に不要な心配をして欲しくない。だから、当たり前に思って欲しいんだ。俺と作品を形作っていくことや、俺との関係や、俺が傍にいることを、特別なことだと思わないで欲しい」
「馬鹿だな。そういうのは俺なんかに使う言葉じゃない」
なぜか、佐伯の顔が険しくなった。
「みんなのところへ戻ろう」
「は? 俺、場の雰囲気、壊してきたんだぞ」
「俺だって帰るって、頭下げてきたばかりだ」
強く手を引っ張られ、はからずしも、足が佐伯を追いかける。
「わかった。帰ってきていいから。佐伯、お願いだ」
怖くて、涙が頬を伝う。
嗚咽すると、佐伯は立ち止まった。
「……許して」
佐伯は居酒屋に背を向け、俺の手を握りしめたまま部屋へと歩き、アパートの玄関のドアを開けると抱擁してきた。
「好きだよ。加藤が好きだ。俺を、もっと好きになれよ。もっと、俺に寄りかかってくれよ。俺を独占するくらいの気持ちでいろよ」
そうしたい。
そうできたら、どんなに幸せだろう。
だけど、怖いんだ。
夢を追いかけることも、佐伯のことも。
明日がわからないから、どうしようもなく、怖い。
その夜は、体を繋げなかった。
時折、どちらからともなくキスをしながら、ただ抱き合って過ごした。
何かがおかしい。
はっきりとは言えないが。
抱いてしまった疑問で頭を使っていると、店主が皿一杯に詰められた寿司を運んできた。
学生達が急いで俺の前に場所を作り、店主がそこに寿司を置く。
「ありがとうございます……」
「おう……」
店主は口を歪めたり、頬を吊り上げたり、顎を引いたりして、一人で顔芸をしていたが、最後には深い溜息をつき、鉢巻をとった。
「俺、やっぱ、こういうの、駄目だわ。悪い」
「え?」
そう声をあげたのは、一人じゃなかった。
「兄ちゃん、いいもんもってるよ。これは本当に俺からの奢りだ」
反射的に佐伯を見た。
相手はこちらの視線に気づき、口を引き締めた。
「予想以上に兄ちゃんが上手いもんだから、ここにいる連中、みんな、自分のしなきゃなんねえことを忘れちまったんだ」
「店主、なに言ってくれちゃってるんすか? ちょっと、夜風にでもあたりに行きましょう」
そう店主の肩に腕を回したのは遠野だった。
ここにいる全員が仕掛け人ってことか。
持ち上げられて落とされたのに、怖いくらいに冷静だった。
「大丈夫ですよ。はじめからわかっていましたから。学生も、卒業生も、みんな、演技がボロボロだ。変なことに巻き込んでしまい、すみません。元凶の男に金、ちゃんと貰ってくださいね」
佐伯、と恋人を笑顔で振り返る。
「払っとけよ、責任もって」
「わかってる」
ギターを軽音の青年に返し、コートに腕を通して、腑に落ちない顔を向けてくる恋人を、もう一度、見る。
「佐伯、俺の分、立て替えておいてくれ。あと」
半眼で相手を見つめた。
「今日は帰ってくんな」
佐伯以外に向けて頭を下げた。
「俺はこれで失礼します」
無言で見送られ、一人になってから拳を握りしめた。
馬鹿正直に歌うんじゃなかった。
速足で路地を歩いて行く。
後ろから手首を掴まれた。
「待てよ」
帰り支度をしてきたらしい佐伯の手を払った。
「俺も帰る」
「帰ってくるなって言った」
「お前のところ以外には帰れない」
路地を行く人々がじろじろと俺達を見てくる。
「とにかく、手を放せ」
「お前が好きなんだ。放すわけがないだろ」
「なに言ってんだ。酔ってんのか?」
「ああ。酔ってる。遠野達にお前の実力を知らしめることができて、俺は満足だ。酒で酔うよりいい気分だね。加藤にもそうなって欲しかった。俺はやれるんだと、もう一度、夢を描いて欲しかった」
佐伯は本当に俺のことを、何も知らないんだな。
相手の真剣な眼差しに、唇を伸ばした。
「俺だって何もしてこなかったわけじゃない。音楽会社にデモテープを送ったり、ライブハウスで歌ったり、路上をしたり……。だけど、駄目だったんだ。佐伯さ、いつか言ってたよな? 芸術家は自分の意思で輝けるわけじゃないって。俺もそう思う。そんでもって、倍率が高いから、みんな、そこに夢を見るんだって、そう思う。お前が俺のことを買ってくれるのは、すごく嬉しいし、ありがたい。俺、佐伯と一緒にいられて幸せだよ。佐伯の傍にいることが、俺の夢だったから。これからも、佐伯が許してくれる限り、支えていきたい。俺は今の俺を不幸だとは思っていない。むしろ、幸せだって」
「俺が嫌なんだ。俺が加藤と作品を生み出していきたいんだ。俺達に子どもは望めないけど、作品をふたりで育てていくことはできる。俺はそうやって生きていきたいし、なにより、そうやって生きていくことを、加藤に当たり前だと思って欲しい」
「なに、勝手なことを」
「加藤に不要な心配をして欲しくない。だから、当たり前に思って欲しいんだ。俺と作品を形作っていくことや、俺との関係や、俺が傍にいることを、特別なことだと思わないで欲しい」
「馬鹿だな。そういうのは俺なんかに使う言葉じゃない」
なぜか、佐伯の顔が険しくなった。
「みんなのところへ戻ろう」
「は? 俺、場の雰囲気、壊してきたんだぞ」
「俺だって帰るって、頭下げてきたばかりだ」
強く手を引っ張られ、はからずしも、足が佐伯を追いかける。
「わかった。帰ってきていいから。佐伯、お願いだ」
怖くて、涙が頬を伝う。
嗚咽すると、佐伯は立ち止まった。
「……許して」
佐伯は居酒屋に背を向け、俺の手を握りしめたまま部屋へと歩き、アパートの玄関のドアを開けると抱擁してきた。
「好きだよ。加藤が好きだ。俺を、もっと好きになれよ。もっと、俺に寄りかかってくれよ。俺を独占するくらいの気持ちでいろよ」
そうしたい。
そうできたら、どんなに幸せだろう。
だけど、怖いんだ。
夢を追いかけることも、佐伯のことも。
明日がわからないから、どうしようもなく、怖い。
その夜は、体を繋げなかった。
時折、どちらからともなくキスをしながら、ただ抱き合って過ごした。
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