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おめでとう、とその男は言った。
私は唇を弄った。
考え事をすると出てしまう癖だ。
おめでとうに対してではない。
加藤雄介と一緒に見慣れない部屋にいたことに対して記憶を辿ったのだ。
そう、私はここにきてやっと男を加藤雄介、私の大学時代の友人だと知ったのだった。
「朝だ」
加藤は立ち上がり、薄い白のカーテンを捲ってみせた。
「朝」
白い空の中に茶けた屋根が見える。
どこかで若者のはしゃぐ声がし、車のエンジン音が聞こえた。
朝がきた。
一日が始まる。
働かなくてはいけない。
上半身を起すとカーテンが元に戻された。
「十と日と十と月」
加藤の背中が呟く。
私は下唇を捻った。
「たすと朝になるだろ」
「は?」
「ほら、田圃の田は口たす十っていう風にさ。漢字をたして、別の漢字を作れるじゃないか」
「ああ」
「だから、十たす日たす十たす月は朝になる」
「確かに」
「じゃあ、十月十日でも朝になるよな」
「字を入れ替えただけだろ」
「人が生まれるのにかかる時間は、一般的に十月十日っていわれている」
彼は私の指摘を受け流したようだった。
「十月十日に人が生まれるなら、朝と同時に人は何度も生まれ変わっているってことだ。だって、朝は十と月と十と日で作られているんだからな」
「強引な言い分だ」
彼は振り返り、眉を上げた。
「そうだろうか。人が何かを作ろうとする時、そこに意味を持たせるのは不思議なことじゃない。先人は朝という文字に、きっと誕生の意を込めたんだよ。だから」
そこで彼は私の至近距離まで歩いてきた。
私の肩に手を乗せる。
「おめでとう。生まれ変わって、おめでとう。今日は昨日とは違う佐伯英治だ」
彼の指が離れ、私は首筋を掻いた。
「ところでさ、俺、お前とどこで会ったんだ」
「××のバーだけど。覚えてない?」
頷くと苦笑された。
「あまり無茶をするなよ。俺がいたからよかったものの。広告代理店だっけ、就職先? 休みは定期的にとれているのか?」
「あってないようなもんだ」
「今日はいいのか? 日曜だから起さなかったんだけど」
「大丈夫。午後から出れば充分だ」
「変則的なんだな」
私はシーツを引き寄せた。
汗とコロンが合い混じったような香がする。
コロンのような香りは洗剤だ。
無性に腹の底から生温い、綿あめのような感情が湧きあがってくる。
学生時代、私は四回の誕生日を迎えた。
七月七日。
私の所属していたゼミでは、自己紹介で生まれた日までいわされていたので、ゼミの仲間は皆、一度は耳にしたことがあっただろう。
しかし、大学では前期試験の最中であり、誰一人として他人の誕生日を祝う余裕などなかった。
私も一般教養と専門科目の板挟みに合い、徹夜で図書館から借りた本の解読をしていた。
芸術には批評がつき物であり、批評されていない芸術はあまりメジャーなものではない。
夏目漱石や三島由紀夫、ディケンズやゲーテ、その一人一人に抱えきれないほどの論文があるのだ。
加藤雄介とは一般教養の講義で知り合った。
彼は音楽学科に所属し、作曲を専攻していた。
廊下や学食で会えば挨拶を交わす。
それ以上でも以下でもない。
しかし、訪れた七月七日。
加藤はスーパーの袋を片手に講義室に入ってくるなり、着席している私の机の上に袋を置いた。
「やる」
彼はそういい残し、空いている席へと移動した。
袋の中身は粉の洗剤だった。
試験終了後、私はテラスで寛いでいた加藤のところへと行った。
「それ? バースデープレゼントだよ、いわゆる」
七月七日。
今日は私の誕生日。
しかし、彼に話してはいない。
「どこからの情報だ?」
加藤は首を傾げた。
「どこからも仕入れてない。人って一年に一回は必ず誕生日が来るだろ。だから、夏休みに入る前にやろうと思っただけ」
「で、俺が一人暮らしだからって気を回してくれたってわけだ?」
「気に入らなかったか、洗剤。昨日、近所のスーパーがセールしていてさ。一人三つまで半額だったんだ。このメーカーのは使ったことないんだけど、何事もチャレンジだと思って」
私は加藤の隣に座り、煙草を銜えた。
が、彼の指に素早く煙草を奪われた。
「俺の前では吸うなっていっているだろ」
「歌手志望の方には申し訳ないが、ニコチン分が不足しているんだ」
「嘘つくな。何本もふかしていたくせに」
指差され、私はTシャツの匂いを嗅いだ。
煙の匂いが染み付いている。
「パッケージ、貸してみろ」
いわれた通りにする。
加藤は筆箱からマジックペンを出し、キャップを口で外した。
「落書きするなよ」
彼は私の忠告を手で払い、ペンを動かしていく。
「ほら。これからはこれを使え」
投げられたパッケージにはドクロのマークがあった。
その下に文字が書かれている。
「俺は毒です。吸い続けるとあなたは病気になります。……何だよ、これ」
「そのまんまだよ。毒だってわかっていて吸うんだ。大したもんだよ、お前は」
「馬鹿にしているのか」
「危機感を持てといっているんだ。何事にも限度がある。ストレス解消に煙草を使うのはいいけど、他の解消法も見つけろよ」
私はコーヒーでも買おうと席を発った。
六十円で紙コップのホットコーヒーを購入する。
戻ると、加藤は私から取った煙草で指を潜らせていた。
親指と人差し指の間から人差し指と中指の間へ、人差し指と中指の間から中指と薬指の間へと煙草が渡っていく。
「もしかして当たりだった?」
「何がだ?」
「誕生日だよ」
私は腰かけ、コーヒーを啜った。
「ビンゴだ」
「へえ」
彼は唇を伸ばした。
指を渡っていく煙草の速度が上がる。
器用だと思った。
その日貰った洗剤は、思いのほか香がよく、私は切れるたびにそれを買った。
加藤も同類だったのだろう。
私は唇を弄った。
考え事をすると出てしまう癖だ。
おめでとうに対してではない。
加藤雄介と一緒に見慣れない部屋にいたことに対して記憶を辿ったのだ。
そう、私はここにきてやっと男を加藤雄介、私の大学時代の友人だと知ったのだった。
「朝だ」
加藤は立ち上がり、薄い白のカーテンを捲ってみせた。
「朝」
白い空の中に茶けた屋根が見える。
どこかで若者のはしゃぐ声がし、車のエンジン音が聞こえた。
朝がきた。
一日が始まる。
働かなくてはいけない。
上半身を起すとカーテンが元に戻された。
「十と日と十と月」
加藤の背中が呟く。
私は下唇を捻った。
「たすと朝になるだろ」
「は?」
「ほら、田圃の田は口たす十っていう風にさ。漢字をたして、別の漢字を作れるじゃないか」
「ああ」
「だから、十たす日たす十たす月は朝になる」
「確かに」
「じゃあ、十月十日でも朝になるよな」
「字を入れ替えただけだろ」
「人が生まれるのにかかる時間は、一般的に十月十日っていわれている」
彼は私の指摘を受け流したようだった。
「十月十日に人が生まれるなら、朝と同時に人は何度も生まれ変わっているってことだ。だって、朝は十と月と十と日で作られているんだからな」
「強引な言い分だ」
彼は振り返り、眉を上げた。
「そうだろうか。人が何かを作ろうとする時、そこに意味を持たせるのは不思議なことじゃない。先人は朝という文字に、きっと誕生の意を込めたんだよ。だから」
そこで彼は私の至近距離まで歩いてきた。
私の肩に手を乗せる。
「おめでとう。生まれ変わって、おめでとう。今日は昨日とは違う佐伯英治だ」
彼の指が離れ、私は首筋を掻いた。
「ところでさ、俺、お前とどこで会ったんだ」
「××のバーだけど。覚えてない?」
頷くと苦笑された。
「あまり無茶をするなよ。俺がいたからよかったものの。広告代理店だっけ、就職先? 休みは定期的にとれているのか?」
「あってないようなもんだ」
「今日はいいのか? 日曜だから起さなかったんだけど」
「大丈夫。午後から出れば充分だ」
「変則的なんだな」
私はシーツを引き寄せた。
汗とコロンが合い混じったような香がする。
コロンのような香りは洗剤だ。
無性に腹の底から生温い、綿あめのような感情が湧きあがってくる。
学生時代、私は四回の誕生日を迎えた。
七月七日。
私の所属していたゼミでは、自己紹介で生まれた日までいわされていたので、ゼミの仲間は皆、一度は耳にしたことがあっただろう。
しかし、大学では前期試験の最中であり、誰一人として他人の誕生日を祝う余裕などなかった。
私も一般教養と専門科目の板挟みに合い、徹夜で図書館から借りた本の解読をしていた。
芸術には批評がつき物であり、批評されていない芸術はあまりメジャーなものではない。
夏目漱石や三島由紀夫、ディケンズやゲーテ、その一人一人に抱えきれないほどの論文があるのだ。
加藤雄介とは一般教養の講義で知り合った。
彼は音楽学科に所属し、作曲を専攻していた。
廊下や学食で会えば挨拶を交わす。
それ以上でも以下でもない。
しかし、訪れた七月七日。
加藤はスーパーの袋を片手に講義室に入ってくるなり、着席している私の机の上に袋を置いた。
「やる」
彼はそういい残し、空いている席へと移動した。
袋の中身は粉の洗剤だった。
試験終了後、私はテラスで寛いでいた加藤のところへと行った。
「それ? バースデープレゼントだよ、いわゆる」
七月七日。
今日は私の誕生日。
しかし、彼に話してはいない。
「どこからの情報だ?」
加藤は首を傾げた。
「どこからも仕入れてない。人って一年に一回は必ず誕生日が来るだろ。だから、夏休みに入る前にやろうと思っただけ」
「で、俺が一人暮らしだからって気を回してくれたってわけだ?」
「気に入らなかったか、洗剤。昨日、近所のスーパーがセールしていてさ。一人三つまで半額だったんだ。このメーカーのは使ったことないんだけど、何事もチャレンジだと思って」
私は加藤の隣に座り、煙草を銜えた。
が、彼の指に素早く煙草を奪われた。
「俺の前では吸うなっていっているだろ」
「歌手志望の方には申し訳ないが、ニコチン分が不足しているんだ」
「嘘つくな。何本もふかしていたくせに」
指差され、私はTシャツの匂いを嗅いだ。
煙の匂いが染み付いている。
「パッケージ、貸してみろ」
いわれた通りにする。
加藤は筆箱からマジックペンを出し、キャップを口で外した。
「落書きするなよ」
彼は私の忠告を手で払い、ペンを動かしていく。
「ほら。これからはこれを使え」
投げられたパッケージにはドクロのマークがあった。
その下に文字が書かれている。
「俺は毒です。吸い続けるとあなたは病気になります。……何だよ、これ」
「そのまんまだよ。毒だってわかっていて吸うんだ。大したもんだよ、お前は」
「馬鹿にしているのか」
「危機感を持てといっているんだ。何事にも限度がある。ストレス解消に煙草を使うのはいいけど、他の解消法も見つけろよ」
私はコーヒーでも買おうと席を発った。
六十円で紙コップのホットコーヒーを購入する。
戻ると、加藤は私から取った煙草で指を潜らせていた。
親指と人差し指の間から人差し指と中指の間へ、人差し指と中指の間から中指と薬指の間へと煙草が渡っていく。
「もしかして当たりだった?」
「何がだ?」
「誕生日だよ」
私は腰かけ、コーヒーを啜った。
「ビンゴだ」
「へえ」
彼は唇を伸ばした。
指を渡っていく煙草の速度が上がる。
器用だと思った。
その日貰った洗剤は、思いのほか香がよく、私は切れるたびにそれを買った。
加藤も同類だったのだろう。
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