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あの夜、私が解雇を免れた日、幸島はのっそり現れ、一升瓶を上げて「泊まらせろ」と肩を抱いてきた。
すでに、どこかで一杯ひっかけてきたようだった。
できあがっている友人をベッドに転がし、スーツを脱いで、顔を洗っていると「佐伯」と幸島が呼んできた。
タオルで顔を拭いながら戻ったなら、幸島はさっきまでのおちゃらけたマスクを剥いでいた。
彼は何かをこちらに放り投げた。
「お前が続きを書いてくれ」
私は掌を広げ、フラッシュメモリを見つめた。
「俺が本当に書きたかった話だ」
「だったら、最後まで自分で書け」
「本当に書きたかったから、書けない」
できの悪い子どもの言い訳を、大の大人が漏らす。
「俺は仕事で忙しい。それに芸術センスがない。原田がフリーで脚本書いているだろ。あいつに頼め」
「あいつとは反りが合わん。お前のいう芸術云々の反りだ」
私は溜息をつき、幸島の隣に座った。
「お前なら文学王子になれる。売れるぜ」
幸島は髭で黒ずんだ顎を撫でた。
体格のいい男だが、目が細く、長方形に近い輪郭で、長方形といえば豆腐を連想し、学生時、豆腐の角を削るように美容整形で骨をカットしてもらえよと、ゼミ仲間の酒の肴にされていた。
幸島が笑うと目が一筋の線になった。
「印税はお前にやる」
「条件は?」
外で車のブレーキ音が乱暴に響いた。
「看取って欲しい」
「誰を?」
幸島はゆっくりと手を上げ、すっと空中にレールがあるかのように迷いなく、自分を指した。
「癌だ」
私たちは長い間、口を閉ざした。
そして、私が耐えられなくなった。
「病院へ行け」
「開腹手術をしたが、切除しても、ガンが零れるかもしれんと開ける前と後と同じだ」
「延命は」
「できる。意識がなくなってもチューブで酸素を送り、胃に直接流動食を流し、体だって週に三回は消毒され、なあ、佐伯、心臓が止まっていなければ生きているっていうんだろ?」
幸島の願いを聞き入れたのは、彼への愛情でも友情でもなかった。
幸島のやつが、何もしなくていいといってきたからだ。
私は友人のために客人用の敷布団を押入れから引っ張り出し、ベッドは彼に与え、後はお互い干渉しない生活をした。
幸島は、時折、外出しては、枯葉や道端に咲いた花を持ち帰ってきた。
それでは飽き足りなかったのか、その内、百円ショップで小さな花瓶を買い、その花が枯れるまで飾った。
私は寝るために部屋のドアを開ける日々で、幸島と会話らしい会話を持たなかった。
彼は、くたくたになって明日の用意をする私に、「書かないのか」と、それだけを何度も繰り返した。
その口調が懇願から罵倒へ、罵倒から仕舞いには呟きに変わった。
あからさまに、元気がなくなった幸島を窺うと、男から異臭がし、私はようやく、友人が風呂に入っていないことを、知った。
私は湯を汲み、難儀して、友人を壁にもたれさせ、彼の上着を脱がした。
その時の幸島の表情を、私は忘れられない。
子供のような目だ。
縋るような目だ。
「ありがとう」
彼は恐ろしく平坦に、一言一言を区切り、私にあの一筋の目を見せた。
幸島の胸には湿布が貼られていた。
友人は私の視線に気づき、「痛み止めだ」といった。
その張り薬は、筋肉の疲労を癒すものではないのだ。
夜、私は幸島の腹を撫で続けた。
友人は自分の生い立ちを語り、母や父、恋人との些細な出来事を、そこに文章があるかのように話し、最後に学生時代の馬鹿げた情熱や価値観、間違った正義感をとつとつと、それでいて、しっかりした声で伝え、
「好きだった」
と、唇をわななかせた。
幸島の意識の波は正常ではなかった。
私は潮時だと思い、携帯電話を手にした。
救急車を呼ぶためだ。
しかし。
「俺はお前の書く話が好きだった」
すうっと、気の抜けた吐息に邪魔された。
すでに、どこかで一杯ひっかけてきたようだった。
できあがっている友人をベッドに転がし、スーツを脱いで、顔を洗っていると「佐伯」と幸島が呼んできた。
タオルで顔を拭いながら戻ったなら、幸島はさっきまでのおちゃらけたマスクを剥いでいた。
彼は何かをこちらに放り投げた。
「お前が続きを書いてくれ」
私は掌を広げ、フラッシュメモリを見つめた。
「俺が本当に書きたかった話だ」
「だったら、最後まで自分で書け」
「本当に書きたかったから、書けない」
できの悪い子どもの言い訳を、大の大人が漏らす。
「俺は仕事で忙しい。それに芸術センスがない。原田がフリーで脚本書いているだろ。あいつに頼め」
「あいつとは反りが合わん。お前のいう芸術云々の反りだ」
私は溜息をつき、幸島の隣に座った。
「お前なら文学王子になれる。売れるぜ」
幸島は髭で黒ずんだ顎を撫でた。
体格のいい男だが、目が細く、長方形に近い輪郭で、長方形といえば豆腐を連想し、学生時、豆腐の角を削るように美容整形で骨をカットしてもらえよと、ゼミ仲間の酒の肴にされていた。
幸島が笑うと目が一筋の線になった。
「印税はお前にやる」
「条件は?」
外で車のブレーキ音が乱暴に響いた。
「看取って欲しい」
「誰を?」
幸島はゆっくりと手を上げ、すっと空中にレールがあるかのように迷いなく、自分を指した。
「癌だ」
私たちは長い間、口を閉ざした。
そして、私が耐えられなくなった。
「病院へ行け」
「開腹手術をしたが、切除しても、ガンが零れるかもしれんと開ける前と後と同じだ」
「延命は」
「できる。意識がなくなってもチューブで酸素を送り、胃に直接流動食を流し、体だって週に三回は消毒され、なあ、佐伯、心臓が止まっていなければ生きているっていうんだろ?」
幸島の願いを聞き入れたのは、彼への愛情でも友情でもなかった。
幸島のやつが、何もしなくていいといってきたからだ。
私は友人のために客人用の敷布団を押入れから引っ張り出し、ベッドは彼に与え、後はお互い干渉しない生活をした。
幸島は、時折、外出しては、枯葉や道端に咲いた花を持ち帰ってきた。
それでは飽き足りなかったのか、その内、百円ショップで小さな花瓶を買い、その花が枯れるまで飾った。
私は寝るために部屋のドアを開ける日々で、幸島と会話らしい会話を持たなかった。
彼は、くたくたになって明日の用意をする私に、「書かないのか」と、それだけを何度も繰り返した。
その口調が懇願から罵倒へ、罵倒から仕舞いには呟きに変わった。
あからさまに、元気がなくなった幸島を窺うと、男から異臭がし、私はようやく、友人が風呂に入っていないことを、知った。
私は湯を汲み、難儀して、友人を壁にもたれさせ、彼の上着を脱がした。
その時の幸島の表情を、私は忘れられない。
子供のような目だ。
縋るような目だ。
「ありがとう」
彼は恐ろしく平坦に、一言一言を区切り、私にあの一筋の目を見せた。
幸島の胸には湿布が貼られていた。
友人は私の視線に気づき、「痛み止めだ」といった。
その張り薬は、筋肉の疲労を癒すものではないのだ。
夜、私は幸島の腹を撫で続けた。
友人は自分の生い立ちを語り、母や父、恋人との些細な出来事を、そこに文章があるかのように話し、最後に学生時代の馬鹿げた情熱や価値観、間違った正義感をとつとつと、それでいて、しっかりした声で伝え、
「好きだった」
と、唇をわななかせた。
幸島の意識の波は正常ではなかった。
私は潮時だと思い、携帯電話を手にした。
救急車を呼ぶためだ。
しかし。
「俺はお前の書く話が好きだった」
すうっと、気の抜けた吐息に邪魔された。
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