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第2章 王都フレンテと魔王の影
34話 追憶と呪い
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ドラゴンの痛撃により絶体絶命の状況に陥った俺だったが、自身に宿る諸刃の呪い”心喰いの呪い”によって再び戦線に舞い戻ることになった。
どこかに飛んで行ってしまった得物たちの代わりに右手に魔法で生み出した漆黒の剣を携えて、俺はドラゴンに向かって疾駆していく。さっきまで微動だにしなかった体が再び動くようになったとはいえ、それは呪いの効果による一時的なもののようで、なんとなくマナを使って推進力を得る技術”纏い”にも似た、自分の体を無理やり操り人形のように動かしているような感覚があった。
俺が狙いを定めるドラゴンもこちらの尋常ではない様子に気づいたようで、蛇にも似た首を動かしてこちらに大きく開けた口を向けた。幾度となく見たその動き、今からこいつは俺に向かって火炎を投射しようとしているのだ。
「させるかよ……ッ!」
マナよりもはるかに重く、粘りすら感じる体内の何かを足に集中させて俺は纏いの体勢に入る。タイミングを合わせて纏いを発動した瞬間、普段の纏いとは比べ物にならないほどの爆発的な加速が発生し、俺の足は木の床を粉砕するほどのスピードで蹴り出された。そのまま減速することなく地面すれすれを水平に跳躍していき、目の前にドラゴンの真っ赤な口が迫る。その大口の中のずらりと並んだ歯、奥へと洞穴のように続く喉、そして太く長い舌の先端の小さな穴から赤い光がちらついている様子すら見える距離になったところで再びの纏いを発動させ、俺の足で上向きに弧を描いた。すさまじい速度で回転した踵は一回転してドラゴンの脳天を鈍い音を立てながら打ち抜く。そこで初めて纏いで振り撒かれているのがいつもの紫の光ではなく黒い粒子であることに気がついた。俺の踵に打たれたドラゴンの顎はバチンと締まり、そのまま地面に叩きつけられる。
蹴りの反作用で一回転しながら後方に着地し、すぐに追撃を加えようと右足を踏み出したところで、突如として俺は頭をかち割られて中に電撃を流されたかと思うほどの頭痛に襲われた。ガンガンと周りの音が聞こえないくらいに耳鳴りが響き、心臓を握り通されているかのような空虚感に苛まれる。恐らくは呪いが水面下にあったその影響をついに顕現させ始めたのだろう。なぜだか小さな頃の記憶が蘇り、しかしすぐに写真が燃えるかのように記憶が消滅していく。
魔法で存在を維持していた剣が俺の手から滑り落ち、儚い破砕音を立てて消滅する。その音でようやく俺は記憶の中から現実に戻ってくることが出来た。どれだけ長い時間意識を喪失していたかとドラゴンの方を見やると、すでに目の前に鋭い爪が迫っている。俺が慌てて纏いを発動させて上空に飛び出すと、それすら読んでいたかのようにドラゴンはその巨大な顎で俺に噛みつこうと口を開いていた。上空で何とか体勢を持ち直しながら俺はドラゴンに向かって右手を突き出して詠唱を開始する。
「テネロ・エメルゲ・ルーン!!」
俺の手に現れた黒い魔法陣から樹木を思わせる黒いスパイクが竜に向かって急速に伸びていき、さすがの竜もたまらず頑丈な鱗に覆われた腕で頭を守った。鱗に直撃するや否やスパイクはバキバキとまさしく木のように壊れていくが、ドラゴンの追撃を防ぐことが出来たのなら御の字だ。くるくると回転しながらドラゴンの正面に着地した俺は再び魔法で剣を造り出すと中段に構えた。
なんとか記憶の狭間からは脱出できたものの相変わらずひどい頭痛は消えない。体の、そして心のタイムリミットが迫っているのを本能的に感じつつ、俺は短期決戦に持ち込もうとドラゴンに向かって突進した。まず狙うのは先ほどの切りつけた方とは逆の腕と足。ここで一気に奴の体勢を崩すことが出来ればこちら側に勝機が見えてくるはずだ。
ボロボロの床板をブーツで蹴りつけながら俺はどんどん加速していく。重くすら感じる空気を切り裂いて、もはや纏いを発動した時ぐらいのスピードでドラゴンの横を走り抜けると、左腰に引いた剣を居合切りのような要領で振り抜いて左腕を切り裂く。ドラゴンの絶叫を背後に感じながら壁までトップスピードのまま走り抜け、纏いを発動しながら人のいない壁を蹴って再びドラゴンの方へ飛び出す。そこから先は切っては走り抜けて壁を蹴り、そしてまた切ってを繰り返して黒い軌跡を描きながら四方からドラゴンに斬撃を加えていく。しかし同時に、絶え間なく高速で体を動かし続けてがりがりと何か重要なものが削られていく感覚が俺を襲った。
「これでッ! 止めだあああッ!!!」
もう何度目かもわからない斬撃を繰り出して壁を蹴ると俺はまっすぐドラゴンの正面に疾駆した。右手に握る漆黒の剣を頭の上まで振りかぶり竜の頭に狙いを定める。やけにゆっくりと流れていく視界の中で黒い刃がドラゴンのマズルに迫りあと数瞬の後に真っ二つに切り裂く──、という所で突然ブレーカーが下りたようにがくんと俺の体は動きを止めた。今の今までドラゴンを切り裂かんとしていた剣は瞬く間に砕け散り俺は膝から崩れ落ちる。さっき陥った記憶の狭間とはまた異なる感覚、まるで炭酸飲料の泡が浮上していくような……。
次の瞬間、目の前に広がっていたのは夕暮れ時の草原だった。さっきまで俺が何をしていていたか全く記憶にないし、そもそも自分が誰であるかも分からない。なぜだか胸を締め付ける焦燥感に急かされるようにしてあちこちを振り返っていると遠くに一人の少女が立っていることに気がついた。小麦色の肌に亜麻色の髪、そして吸い込まれるような青い瞳が俺の記憶の奥底を強く刺激するが、もう少しで彼女が誰か思い出せそうという所で出てこない。しかし、そのかすかな記憶の彼方にいる少女にどうしようもないほど切ない感情がこみ上げていた。
混乱の渦中に放り出された俺の元に少女はゆっくりと歩み寄ってくる。穏やかな表情で俺を見つめてくる彼女に、俺は思わず疑問をすべて投げかけてしまった。
「な、なあ、ここは一体どこなんだ? 君は誰なんだ? 俺は……、俺は一体誰なんだ……」
尋ねていくうちにどんどん自分という存在の境界が分からなくなっていき、ついには俺は力なく俯き草原に手をついて倒れてしまった。たった今地面についた足に触れる草の感覚すら曖昧に溶けていく。
「ソーマさん」
朝日を思わせる温かな少女の声が俺の耳たぶを打った。そーま、……そうだ、俺の名前はソーマだ。思い出すことが出来たのはほんのわずかではあるが、記憶にかかった靄が少しずつ晴れていくのが分かった。そして俺の正面でカサカサと草を分ける音が聞こえたかと思えばふわりと両の頬を確かな熱が包み込む。頬を触れられた途端に自身の輪郭が戻ってきた。
「また無茶なことして……、相変わらずですね」
優しげな表情で呆れたように笑って見つめてくる少女はまるで俺をよく知っているかのような口調で語りかけてくる。どこか懐かしささえ感じる声に、いつの間にか俺の頬には涙が伝っていた。
「ふぇ、る……てる……」
かすかによみがえった記憶が俺の目の前の少女の名前を訴えかける。俺の口から零れた名前に少女は柔らかく微笑むと俺の頭を自身の胸に抱きよせた。温かな暗闇が視界に広がる。
「私にしてくれたように、あともう少しだけみんなを守ってあげて──」
少女の言葉が熱となって俺の体を絶え間なく巡っていき、それと同時に再びの浮遊感が俺を襲った。視界が急速に白い光で染まっていく中でも、俺の顔に触れる温かさだけは消えることがなかった。
「が、はあッ!!」
水面から浮上するかように俺は記憶の中の草原から解放された。どうやら心喰いの呪いによって自我すらも一時的に失っていたらしい。
目の前に迫るのはドラゴンの巨大な真紅の口。俺が瓦礫にもたれて寝転がっているのは堅い石畳なので、どうやら俺が意識を失っているうちに奴の攻撃によって集会所の外まで吹き飛ばされたのだろう。どこからどう見ても絶対絶命という状況だが、俺に諦めるという選択は一ミリもない。俺の中の闘志が息を吹き返すと同時に再び呪いが発現し、体のあちこちから黒い粒子をまき散らしながら俺の体を突き動かし始めた。しかしもはや全身を動かせるほどの力が残っていないのか、腕一本ほどしか動かすことが出来ない。だが──。
「俺は……、俺はぁッ! 負けるわけにはいかねえんだよッ!!」
雄たけびとともに俺はドラゴンの口に向かって左腕を突き出した。もはや竜の口の中にまで腕が伸びているので間違いなく竜は俺の左腕を噛むことが出来る。しかし、それは同時に俺の攻撃も必中であることを意味しているのだ。
「テネロ……」
限界を超えた集中の影響で何倍にも加速された視界の中でドラゴンの顎が締まり始める。このままではすぐにでもその鋭い歯が俺の左腕に達するが、俺は詠唱をやめず次の式句を叫ぶ。
「エメルゲ……」
第二の式句を唱えた直後、ドラゴンの刃物然とした歯が左腕に食い込む。今は何とか籠手のおかげで引きちぎられてはいないものの、これ以上の時間がかかれば俺の腕はあっけなく俺の体から離れていくだろう。恐怖で強張りそうになる体を意志の力のみで御して最後の式句を言い放った。
「ルーンッ!!!」
最後の詠唱が完了した瞬間、俺の左腕の先に生じた魔法陣から植物を思わせるねじくれた漆黒のスパイクを迸らせた。本来の魔法であれば既存の物体を押しのけて物を生成することは不可能であるはずだが、呪いの恩恵を受けた魔法の棘はそんなことはお構いなしに竜の体を穿たんと生き物のように伸びていき、乱暴に肉を引き裂きながら竜の体内を進んでいく。
「グルラアアアアッ!!」
どれだけの攻撃を受け体を切り刻まれようともさすがは竜、口端から絶叫を漏らしながら最後の抵抗とばかりに俺の左腕を噛みちぎろうとさらに顎に力を込める。そしてついに奴のナイフのような歯が俺の左腕を守る籠手を突き破った。そのまま俺の肉を容易く切り裂き、激痛とともにゴキリ! という不吉な音を俺に伝える。あまりの痛みに視界がちらつきまたもや意識が体を離れていきそうになる。
「フェルテルのためにも、俺のためにも、俺は絶対にあきらめないッ!!」
自らの誓いの叫びとともに残りの力全てを魔法陣に注ぎ込んだ。魔法陣に俺の最後のエネルギーが充填されていき、臨界に達した瞬間、一気にそのエネルギーは俺の思いを乗せて姿を変えた。
「いっっっけえええええッ!!」
俺の全身全霊の思いに応じた魔法陣はすさまじい勢いで黒い槍を炸裂させ、内部から四方八方にドラゴンを刺し貫いた。勝敗が決まった瞬間に流れる静寂の後、黒竜の体はゆっくりと脱力していった。それと同時に俺の魔法も解除され、体のあちこちから飛び出したスパイクが粉々に砕け散っていく。
終わったのだ。何とか集会所の人たちを守り抜くことが出来たのだ。ふと目を向けた道の先に一人の少女の面影が見えた。霞んだ俺の視界にはもはや少女の表情を読み取ることは不可能だが、それでも彼女は俺に向かって微笑んでいるように感じた。
「フェルテル……、俺、頑張ったよ……」
そんな届くはずのない言葉が俺の口から零れ、俺の意識は段々とフェードアウトしていく。全身の感覚が薄れ、目の前が真っ暗になろうというその時、突如として耳を打った声に俺の意識は強引に引っ張り起こされた。
「よくぞ今まで持ち堪えてくれた。貴殿の気高き行いに感謝と称賛を。あとは我々、聖火隊に任せろ」
凛としたよく通る声を俺にかけて足音は遠ざかっていく。再びまどろみに落ちていく俺が最後に見たのは、純白とブロンズに身を包む人物と翡翠のような青緑の業火だった。
どこかに飛んで行ってしまった得物たちの代わりに右手に魔法で生み出した漆黒の剣を携えて、俺はドラゴンに向かって疾駆していく。さっきまで微動だにしなかった体が再び動くようになったとはいえ、それは呪いの効果による一時的なもののようで、なんとなくマナを使って推進力を得る技術”纏い”にも似た、自分の体を無理やり操り人形のように動かしているような感覚があった。
俺が狙いを定めるドラゴンもこちらの尋常ではない様子に気づいたようで、蛇にも似た首を動かしてこちらに大きく開けた口を向けた。幾度となく見たその動き、今からこいつは俺に向かって火炎を投射しようとしているのだ。
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マナよりもはるかに重く、粘りすら感じる体内の何かを足に集中させて俺は纏いの体勢に入る。タイミングを合わせて纏いを発動した瞬間、普段の纏いとは比べ物にならないほどの爆発的な加速が発生し、俺の足は木の床を粉砕するほどのスピードで蹴り出された。そのまま減速することなく地面すれすれを水平に跳躍していき、目の前にドラゴンの真っ赤な口が迫る。その大口の中のずらりと並んだ歯、奥へと洞穴のように続く喉、そして太く長い舌の先端の小さな穴から赤い光がちらついている様子すら見える距離になったところで再びの纏いを発動させ、俺の足で上向きに弧を描いた。すさまじい速度で回転した踵は一回転してドラゴンの脳天を鈍い音を立てながら打ち抜く。そこで初めて纏いで振り撒かれているのがいつもの紫の光ではなく黒い粒子であることに気がついた。俺の踵に打たれたドラゴンの顎はバチンと締まり、そのまま地面に叩きつけられる。
蹴りの反作用で一回転しながら後方に着地し、すぐに追撃を加えようと右足を踏み出したところで、突如として俺は頭をかち割られて中に電撃を流されたかと思うほどの頭痛に襲われた。ガンガンと周りの音が聞こえないくらいに耳鳴りが響き、心臓を握り通されているかのような空虚感に苛まれる。恐らくは呪いが水面下にあったその影響をついに顕現させ始めたのだろう。なぜだか小さな頃の記憶が蘇り、しかしすぐに写真が燃えるかのように記憶が消滅していく。
魔法で存在を維持していた剣が俺の手から滑り落ち、儚い破砕音を立てて消滅する。その音でようやく俺は記憶の中から現実に戻ってくることが出来た。どれだけ長い時間意識を喪失していたかとドラゴンの方を見やると、すでに目の前に鋭い爪が迫っている。俺が慌てて纏いを発動させて上空に飛び出すと、それすら読んでいたかのようにドラゴンはその巨大な顎で俺に噛みつこうと口を開いていた。上空で何とか体勢を持ち直しながら俺はドラゴンに向かって右手を突き出して詠唱を開始する。
「テネロ・エメルゲ・ルーン!!」
俺の手に現れた黒い魔法陣から樹木を思わせる黒いスパイクが竜に向かって急速に伸びていき、さすがの竜もたまらず頑丈な鱗に覆われた腕で頭を守った。鱗に直撃するや否やスパイクはバキバキとまさしく木のように壊れていくが、ドラゴンの追撃を防ぐことが出来たのなら御の字だ。くるくると回転しながらドラゴンの正面に着地した俺は再び魔法で剣を造り出すと中段に構えた。
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ボロボロの床板をブーツで蹴りつけながら俺はどんどん加速していく。重くすら感じる空気を切り裂いて、もはや纏いを発動した時ぐらいのスピードでドラゴンの横を走り抜けると、左腰に引いた剣を居合切りのような要領で振り抜いて左腕を切り裂く。ドラゴンの絶叫を背後に感じながら壁までトップスピードのまま走り抜け、纏いを発動しながら人のいない壁を蹴って再びドラゴンの方へ飛び出す。そこから先は切っては走り抜けて壁を蹴り、そしてまた切ってを繰り返して黒い軌跡を描きながら四方からドラゴンに斬撃を加えていく。しかし同時に、絶え間なく高速で体を動かし続けてがりがりと何か重要なものが削られていく感覚が俺を襲った。
「これでッ! 止めだあああッ!!!」
もう何度目かもわからない斬撃を繰り出して壁を蹴ると俺はまっすぐドラゴンの正面に疾駆した。右手に握る漆黒の剣を頭の上まで振りかぶり竜の頭に狙いを定める。やけにゆっくりと流れていく視界の中で黒い刃がドラゴンのマズルに迫りあと数瞬の後に真っ二つに切り裂く──、という所で突然ブレーカーが下りたようにがくんと俺の体は動きを止めた。今の今までドラゴンを切り裂かんとしていた剣は瞬く間に砕け散り俺は膝から崩れ落ちる。さっき陥った記憶の狭間とはまた異なる感覚、まるで炭酸飲料の泡が浮上していくような……。
次の瞬間、目の前に広がっていたのは夕暮れ時の草原だった。さっきまで俺が何をしていていたか全く記憶にないし、そもそも自分が誰であるかも分からない。なぜだか胸を締め付ける焦燥感に急かされるようにしてあちこちを振り返っていると遠くに一人の少女が立っていることに気がついた。小麦色の肌に亜麻色の髪、そして吸い込まれるような青い瞳が俺の記憶の奥底を強く刺激するが、もう少しで彼女が誰か思い出せそうという所で出てこない。しかし、そのかすかな記憶の彼方にいる少女にどうしようもないほど切ない感情がこみ上げていた。
混乱の渦中に放り出された俺の元に少女はゆっくりと歩み寄ってくる。穏やかな表情で俺を見つめてくる彼女に、俺は思わず疑問をすべて投げかけてしまった。
「な、なあ、ここは一体どこなんだ? 君は誰なんだ? 俺は……、俺は一体誰なんだ……」
尋ねていくうちにどんどん自分という存在の境界が分からなくなっていき、ついには俺は力なく俯き草原に手をついて倒れてしまった。たった今地面についた足に触れる草の感覚すら曖昧に溶けていく。
「ソーマさん」
朝日を思わせる温かな少女の声が俺の耳たぶを打った。そーま、……そうだ、俺の名前はソーマだ。思い出すことが出来たのはほんのわずかではあるが、記憶にかかった靄が少しずつ晴れていくのが分かった。そして俺の正面でカサカサと草を分ける音が聞こえたかと思えばふわりと両の頬を確かな熱が包み込む。頬を触れられた途端に自身の輪郭が戻ってきた。
「また無茶なことして……、相変わらずですね」
優しげな表情で呆れたように笑って見つめてくる少女はまるで俺をよく知っているかのような口調で語りかけてくる。どこか懐かしささえ感じる声に、いつの間にか俺の頬には涙が伝っていた。
「ふぇ、る……てる……」
かすかによみがえった記憶が俺の目の前の少女の名前を訴えかける。俺の口から零れた名前に少女は柔らかく微笑むと俺の頭を自身の胸に抱きよせた。温かな暗闇が視界に広がる。
「私にしてくれたように、あともう少しだけみんなを守ってあげて──」
少女の言葉が熱となって俺の体を絶え間なく巡っていき、それと同時に再びの浮遊感が俺を襲った。視界が急速に白い光で染まっていく中でも、俺の顔に触れる温かさだけは消えることがなかった。
「が、はあッ!!」
水面から浮上するかように俺は記憶の中の草原から解放された。どうやら心喰いの呪いによって自我すらも一時的に失っていたらしい。
目の前に迫るのはドラゴンの巨大な真紅の口。俺が瓦礫にもたれて寝転がっているのは堅い石畳なので、どうやら俺が意識を失っているうちに奴の攻撃によって集会所の外まで吹き飛ばされたのだろう。どこからどう見ても絶対絶命という状況だが、俺に諦めるという選択は一ミリもない。俺の中の闘志が息を吹き返すと同時に再び呪いが発現し、体のあちこちから黒い粒子をまき散らしながら俺の体を突き動かし始めた。しかしもはや全身を動かせるほどの力が残っていないのか、腕一本ほどしか動かすことが出来ない。だが──。
「俺は……、俺はぁッ! 負けるわけにはいかねえんだよッ!!」
雄たけびとともに俺はドラゴンの口に向かって左腕を突き出した。もはや竜の口の中にまで腕が伸びているので間違いなく竜は俺の左腕を噛むことが出来る。しかし、それは同時に俺の攻撃も必中であることを意味しているのだ。
「テネロ……」
限界を超えた集中の影響で何倍にも加速された視界の中でドラゴンの顎が締まり始める。このままではすぐにでもその鋭い歯が俺の左腕に達するが、俺は詠唱をやめず次の式句を叫ぶ。
「エメルゲ……」
第二の式句を唱えた直後、ドラゴンの刃物然とした歯が左腕に食い込む。今は何とか籠手のおかげで引きちぎられてはいないものの、これ以上の時間がかかれば俺の腕はあっけなく俺の体から離れていくだろう。恐怖で強張りそうになる体を意志の力のみで御して最後の式句を言い放った。
「ルーンッ!!!」
最後の詠唱が完了した瞬間、俺の左腕の先に生じた魔法陣から植物を思わせるねじくれた漆黒のスパイクを迸らせた。本来の魔法であれば既存の物体を押しのけて物を生成することは不可能であるはずだが、呪いの恩恵を受けた魔法の棘はそんなことはお構いなしに竜の体を穿たんと生き物のように伸びていき、乱暴に肉を引き裂きながら竜の体内を進んでいく。
「グルラアアアアッ!!」
どれだけの攻撃を受け体を切り刻まれようともさすがは竜、口端から絶叫を漏らしながら最後の抵抗とばかりに俺の左腕を噛みちぎろうとさらに顎に力を込める。そしてついに奴のナイフのような歯が俺の左腕を守る籠手を突き破った。そのまま俺の肉を容易く切り裂き、激痛とともにゴキリ! という不吉な音を俺に伝える。あまりの痛みに視界がちらつきまたもや意識が体を離れていきそうになる。
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自らの誓いの叫びとともに残りの力全てを魔法陣に注ぎ込んだ。魔法陣に俺の最後のエネルギーが充填されていき、臨界に達した瞬間、一気にそのエネルギーは俺の思いを乗せて姿を変えた。
「いっっっけえええええッ!!」
俺の全身全霊の思いに応じた魔法陣はすさまじい勢いで黒い槍を炸裂させ、内部から四方八方にドラゴンを刺し貫いた。勝敗が決まった瞬間に流れる静寂の後、黒竜の体はゆっくりと脱力していった。それと同時に俺の魔法も解除され、体のあちこちから飛び出したスパイクが粉々に砕け散っていく。
終わったのだ。何とか集会所の人たちを守り抜くことが出来たのだ。ふと目を向けた道の先に一人の少女の面影が見えた。霞んだ俺の視界にはもはや少女の表情を読み取ることは不可能だが、それでも彼女は俺に向かって微笑んでいるように感じた。
「フェルテル……、俺、頑張ったよ……」
そんな届くはずのない言葉が俺の口から零れ、俺の意識は段々とフェードアウトしていく。全身の感覚が薄れ、目の前が真っ暗になろうというその時、突如として耳を打った声に俺の意識は強引に引っ張り起こされた。
「よくぞ今まで持ち堪えてくれた。貴殿の気高き行いに感謝と称賛を。あとは我々、聖火隊に任せろ」
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