7 / 85
本編
クロッシング・オーバー〈1〉
しおりを挟む
「出られねえってのはどういうわけだバカ野郎!」
荒れ狂う久我が座っていた席の机を蹴り倒しながら怒鳴る。
しかしその野蛮な行為は、ここへ集まっていた鬼島中学サッカー部員たちの心情の代弁でもあった。
「落ち着けクガっち。たしかにクソみたいな話だが、決まってしまったもんはどうにもならんだろうよ」
苦々しい思いを噛み殺し、いつもよりも低い声で暁平は吐き捨てた。
六月上旬、中学総体の市予選を三日後に控えていた鬼島中学サッカー部の全員が昼休みの特別教室へと集められていた。
全員といってもあくまで練習に参加しているメンバー、というただし書きがつく。暁平の上級生である二年生と三年生には幽霊部員しかいない。
鬼島中学は生徒全員が何らかの部活動に所属しなければならないのもあって、体育系の部のなかではサッカー部が腰掛けの集まりとして扱われていたのだ。だから鬼島少年少女蹴球団を巣立った有望な先輩たちは、姫ヶ瀬市にあるいくつかのクラブチーム、もしくは最近頭角を現してきた私立のバレンタイン学院に行くのが主なルートだった。
だが暁平たちはあえて鬼島中学でのサッカーを選んだ。お金の問題ももちろんあったが、それ以上に自信があった。
鬼島少年少女蹴球団史上、最強の世代。かつてプロ選手として活躍していたコーチのホセから、卒団の際にもらった称号だ。ひとつ下の松本要や五味裕之らの代も粒ぞろいだが、さすがに暁平たちほどではない。
そんな自分たちがサッカー部を変える。そう意気ごんで入部した暁平は早々に実権を掌握した。サッカーにおける圧倒的な実力、幽霊部員でも損はないことを証明する論理的な説得、部室を遊び場にしたいとごねる輩への強圧的な交渉。
加えて「あの榛名のところの」と認知されたことも大きかった。どうやら悠里は学校でも貴族的な態度で振る舞っていたらしい。
上級生たちにも不満はあったろうが、マフィアのごとき一枚岩の結束を誇る暁平たちと直接争うことはなく、こうして練習に邪魔な生徒を排除するのに成功したのだ。籍は残してあるのだから、暁平としてみれば落としどころには充分のはずだった。
「すまない。ぼくの力不足だ。君たちがどれほど真剣にサッカーに取り組んでいるかということを伝えきれなかった」
教卓の前で、この年から顧問になった貝原俊作が頭を深々と下げて謝罪する。
「何言ってんだ、先生は何も悪くねえって」
貝原のかなり広い富士額を真正面に見据えながら、暁平は率直な気持ちを述べた。外見とは裏腹にまだ三十前の貝原が、職員会議で孤立無援のなか自分たちの擁護をしてくれたであろうことは暁平にもわかっていた。
「あたし自ら奥さんをさがしてあげたいくらい、貝さんは誠実な教師だよ」
恋人のいない貝原を悠里はそう評していたが、後半部分は暁平も同感だった。
暁平にとってこの事態の責任が誰にあるのか、そこだけははっきりしている。
「これはおれの読み違いが招いた不手際だから」
歯ぎしりの音が聞こえそうなほど奥歯を噛み締めながら、暁平は自らの詰めの甘さを悔やんでいた。
鬼島中学サッカー部員による他校の生徒への恐喝、俗にいうカツアゲが発覚したのは昨日夕方のことだ。問題視した学校側によって今日の午前中に職員会議が開かれ、早くも昼前には中学校体育連盟に大会出場辞退の連絡が済まされたのだという。
この教室内に、その件に絡んだ者はいない。引き起こしたのは幽霊部員である二年生たち、中心人物の名前から通称衛田グループと呼ばれている一派だった。
衛田グループはこれまでにも似たような問題を何度か起こしていたが、今回ばかりは狙ってやったとしか思えないほど時期が悪すぎる。鬼島地区自体が姫ヶ瀬市内において冷遇されているうえ、その鬼島中学の中でもかつては素行不良の生徒たちの巣窟だったサッカー部は学校側の受けがよくなかった。出場辞退に至ったのは論理としては暁平にも理解できる。
だが頭で理解はできても、感情で納得できるわけではない。今、暁平たちが集まっている教室を支配していたのは怒りとやりきれなさだった。
たとえ一年生ばかりのチームでも、旋風を巻き起こせると信じていた。ホセのコネクションによって県外の強豪クラブとも試合を重ね、二ヶ月とちょっとの間とはいえきっちりと準備をしてきたつもりだ。
U―15のカテゴリーに所属するチームには、実力に応じてカテゴリー分けがなされたリーグ戦がある。最下位カテゴリーに所属している鬼島中学にとって、圧勝が目に見えているそんなリーグ戦はまるで眼中にない。トーナメントである総体予選を勝ち上がっていくことが当面の最大の目標だった。
目標をいともあっさりと失ってしまった部員たちが重苦しい空気に包まれているなか、立ったままだった久我が乾いた声をあげた。
「やってらんね。自分の教室に戻るわ、おれ」
そう投げやりに言い放ち、振り返りもせず久我はズボンのポケットに手を突っこんで出て行ってしまった。
彼の気分屋な性格を知っている一同は誰も止めようとはしない。「しょうがねえな」というのがみんなに共通した気分だっただろう。
このとき久我を無理やりにでも引き留めなかったのを、後々まで暁平は後悔することになる。
荒れ狂う久我が座っていた席の机を蹴り倒しながら怒鳴る。
しかしその野蛮な行為は、ここへ集まっていた鬼島中学サッカー部員たちの心情の代弁でもあった。
「落ち着けクガっち。たしかにクソみたいな話だが、決まってしまったもんはどうにもならんだろうよ」
苦々しい思いを噛み殺し、いつもよりも低い声で暁平は吐き捨てた。
六月上旬、中学総体の市予選を三日後に控えていた鬼島中学サッカー部の全員が昼休みの特別教室へと集められていた。
全員といってもあくまで練習に参加しているメンバー、というただし書きがつく。暁平の上級生である二年生と三年生には幽霊部員しかいない。
鬼島中学は生徒全員が何らかの部活動に所属しなければならないのもあって、体育系の部のなかではサッカー部が腰掛けの集まりとして扱われていたのだ。だから鬼島少年少女蹴球団を巣立った有望な先輩たちは、姫ヶ瀬市にあるいくつかのクラブチーム、もしくは最近頭角を現してきた私立のバレンタイン学院に行くのが主なルートだった。
だが暁平たちはあえて鬼島中学でのサッカーを選んだ。お金の問題ももちろんあったが、それ以上に自信があった。
鬼島少年少女蹴球団史上、最強の世代。かつてプロ選手として活躍していたコーチのホセから、卒団の際にもらった称号だ。ひとつ下の松本要や五味裕之らの代も粒ぞろいだが、さすがに暁平たちほどではない。
そんな自分たちがサッカー部を変える。そう意気ごんで入部した暁平は早々に実権を掌握した。サッカーにおける圧倒的な実力、幽霊部員でも損はないことを証明する論理的な説得、部室を遊び場にしたいとごねる輩への強圧的な交渉。
加えて「あの榛名のところの」と認知されたことも大きかった。どうやら悠里は学校でも貴族的な態度で振る舞っていたらしい。
上級生たちにも不満はあったろうが、マフィアのごとき一枚岩の結束を誇る暁平たちと直接争うことはなく、こうして練習に邪魔な生徒を排除するのに成功したのだ。籍は残してあるのだから、暁平としてみれば落としどころには充分のはずだった。
「すまない。ぼくの力不足だ。君たちがどれほど真剣にサッカーに取り組んでいるかということを伝えきれなかった」
教卓の前で、この年から顧問になった貝原俊作が頭を深々と下げて謝罪する。
「何言ってんだ、先生は何も悪くねえって」
貝原のかなり広い富士額を真正面に見据えながら、暁平は率直な気持ちを述べた。外見とは裏腹にまだ三十前の貝原が、職員会議で孤立無援のなか自分たちの擁護をしてくれたであろうことは暁平にもわかっていた。
「あたし自ら奥さんをさがしてあげたいくらい、貝さんは誠実な教師だよ」
恋人のいない貝原を悠里はそう評していたが、後半部分は暁平も同感だった。
暁平にとってこの事態の責任が誰にあるのか、そこだけははっきりしている。
「これはおれの読み違いが招いた不手際だから」
歯ぎしりの音が聞こえそうなほど奥歯を噛み締めながら、暁平は自らの詰めの甘さを悔やんでいた。
鬼島中学サッカー部員による他校の生徒への恐喝、俗にいうカツアゲが発覚したのは昨日夕方のことだ。問題視した学校側によって今日の午前中に職員会議が開かれ、早くも昼前には中学校体育連盟に大会出場辞退の連絡が済まされたのだという。
この教室内に、その件に絡んだ者はいない。引き起こしたのは幽霊部員である二年生たち、中心人物の名前から通称衛田グループと呼ばれている一派だった。
衛田グループはこれまでにも似たような問題を何度か起こしていたが、今回ばかりは狙ってやったとしか思えないほど時期が悪すぎる。鬼島地区自体が姫ヶ瀬市内において冷遇されているうえ、その鬼島中学の中でもかつては素行不良の生徒たちの巣窟だったサッカー部は学校側の受けがよくなかった。出場辞退に至ったのは論理としては暁平にも理解できる。
だが頭で理解はできても、感情で納得できるわけではない。今、暁平たちが集まっている教室を支配していたのは怒りとやりきれなさだった。
たとえ一年生ばかりのチームでも、旋風を巻き起こせると信じていた。ホセのコネクションによって県外の強豪クラブとも試合を重ね、二ヶ月とちょっとの間とはいえきっちりと準備をしてきたつもりだ。
U―15のカテゴリーに所属するチームには、実力に応じてカテゴリー分けがなされたリーグ戦がある。最下位カテゴリーに所属している鬼島中学にとって、圧勝が目に見えているそんなリーグ戦はまるで眼中にない。トーナメントである総体予選を勝ち上がっていくことが当面の最大の目標だった。
目標をいともあっさりと失ってしまった部員たちが重苦しい空気に包まれているなか、立ったままだった久我が乾いた声をあげた。
「やってらんね。自分の教室に戻るわ、おれ」
そう投げやりに言い放ち、振り返りもせず久我はズボンのポケットに手を突っこんで出て行ってしまった。
彼の気分屋な性格を知っている一同は誰も止めようとはしない。「しょうがねえな」というのがみんなに共通した気分だっただろう。
このとき久我を無理やりにでも引き留めなかったのを、後々まで暁平は後悔することになる。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる