世界の東の端っこのフットボール・チルドレン

遊佐東吾

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extra5 君みたいになりたかった〈2〉

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 南が衛田と初めて会話をしたのは一年の春、部活動参加のため体験入部が解禁された初日の出来事だった。クラスメートではあったが、鬼島中学に入学して二週間ほどは言葉を交わす機会に恵まれなかったためだ。
 その日の授業が終わってすぐに教室を出ていこうとする衛田を、意を決した南が呼び止めた。

「ねえ、その手提げ袋ってサッカーのスパイクでしょ? ほら、これ」

 そう言って南は同じメーカーロゴのついた自分のスパイク袋を見せる。
 サッカー部に入るためにスパイクを買ったばかりだった南にとって、よくあるただの偶然の一致でも、まるで仲よくなれるためのお膳立てのような気がしたのだ。

 衛田令司は他の同級生とは少し雰囲気が異なっていた。都会的、とでもいうのだろうか。まだガキっぽさから抜けきれていない他の連中とは違った彼の佇まいは、これから本格化する中学生活に期待を抱く南の目にはとても魅力的に映っていた。
 とっつきにくそうなその外見に反し、衛田は柔らかく笑いながら「一緒に行こうか」と誘ってくれた。

「南、だったよな。同じクラスにサッカー部への入部希望者がいてよかったよ。おれはこっちの小学校じゃないから、校内に知った顔なんてほんの一人だけなんだ」

 連れだって歩きながら話を聞けば、彼は姫ヶ瀬市の中心部にある学校からやってきたという。どうりで、とすんなり南は納得がいった。
 これから彼と友達になっていくのだ、と思うとうれしいはずなのにどこかこそばゆい気持ちになるのが不思議だったが、それはきっと衛田が南にはないものを持っているからなのだろう。

 二人がグラウンドに出てみれば、どの部も通常の活動をしがてら、新入部員を確保するため熱のこもった勧誘を行っている。
 だが、なぜかそこにサッカー部員の姿はない。
 南は衛田とともに、校庭の隅に置かれている古びたサッカーゴールのそばで、しばらくの間待ちぼうけのようにして立っているしかなかった。

「もしかして今日の部活はお休みなのかな」

「そんなはずはないと思うが」

 さすがに衛田も首をひねっている。
 ややあって、辛抱しきれなくなった彼が「らちが明かない」と言いだした。

「ここでこうしていても時間の無駄だ。部室へ行ってみよう」

「ええ、部室に? 先輩たちばっかりなのに?」

 上級生たちがずらりと揃っている部屋を想像した南は怖気づいてしまうが、衛田の捉え方はまるで違うらしい。

「そりゃそうだろ。というか誰もいなけりゃ事情がわからん」

 そう口にしながらすでに衛田の足は部室棟へと向かっていた。
 気乗りはしない南も「待ってよ衛田くんー」と彼の背中を追いかけていく。
 お世辞にもきれいとはいえない木造二階建ての部室棟、サッカー部の部室は一階のいちばん端っこにあるらしい。ちなみに二階が女子部の割り当てなのだそうだ。

「二つ手前が野球部、隣がバドミントン部、で最後がサッカー部だ」

「ほえー、よく覚えてるねえ」

 素直に南は感心する。たしか入学初日に部室棟の詳細まで書かれた校内マップのプリントが配布されたが、そんなものはとっくにどこかへといってしまった。
 けれども前を歩く衛田はきちんと地図を頭に叩きこんでいるのだ。南にとっては頼もしいかぎりだった。

 とうとう二人はサッカー部部室の扉の前までやってきた。
 南の心臓は緊張で鼓動が速くなっているにもかかわらず、衛田ときたら平気な顔でノックをし、「失礼します」と言うが早いか建てつけの悪いドアを手前に開く。
 中にいた四人は全員がまだ学ラン姿のままだった。おまけにそれぞれの手には携帯ゲーム機がしっかりと握られている。そのうちの一人が小声で、しかしきつい調子で南たちに言葉を投げつけてきた。

「おい、誰だか知らねえけど見つかるだろうが。さっさと閉めろ!」

 慌てて南は扉をそっと閉じる。そのせいで窓のない部室内は一気に薄暗くなってしまった。
 雑然としていて、言われてもサッカー部の部室だとはわからないような部屋だった。参考書、ファッション雑誌、少年マンガ、テニスラケット、ジーンズ、などなど。あげくにはコンドームの箱まで散乱している。
 着替えのための棚には所狭しと落書きがなされ、うち南の目についたひとつは「全国制覇(笑)」と書き殴られていた。

「つかほんと、おまえら誰」

 さも迷惑そうに質問を投げかけてこられても、すっかり場の空気に飲まれてしまっている南にはとっさに返事が出てこない。
 前に立つ衛田に向かってすがるような視線を送る。

「自分は一年生、衛田令司です。サッカー部へ入部するために来ました」

 南の位置からでは衛田の表情は見えないが、その声には間違いなくとげとげしい響きがあった。幸いなことに、たむろしている上級生たちは彼の苛立ちに気づいていないようだ。

「入部ぅ? 勝手に届けをだしときゃいいじゃねえか。何でわざわざ部室に来る必要があるんだよ」

 だが衛田はその問いには答えない。

「練習は、しないんですか」

 生真面目なことを口にした衛田が笑われるのではないか、と南は心配するが、上級生たちの間に広がったのはむしろ苦笑いまじりの困惑だった。

「練習って……おれたちが?」

「その単語、久しぶりに聞いたわ」

「そもそもおれたちって何部だっけ」

 口々にサッカー部であることを否定するような発言が続くなか、ゲーム機を投げだすように床に置いた一人が他の三人に向かって呼びかける。

「おし、じゃあこうしよう。明日はちゃんとグラウンドに出ようぜ。んで、おれたちもさんざんやられてきたアレを、体験入部しにきた可愛い後輩たちにも楽しんでもらおうや」

 彼の口元にいやな感じの笑みが浮かんでいたのを南は見逃さなかった。

       ◇

 翌日の放課後、サッカー部に割り当てられているグラウンドにはざっと数えて十五、六人ほどの生徒が集まっていた。学校側から何かしらのアナウンスがあったのだろう、昨日にはいなかった他の一年生たちも姿を見せている。
 上級生と一年生、二つのグループを見分けるのは南にとって簡単だった。体操服をだらしなく着崩しているのが先輩たち、きっちり着ているのが自分たち新入生だ。ボールがたくさん入った籠を囲んでやけににやついている上級生連中の姿に、南としてはもやもやとした不安が消えてくれない。彼らはいったい何をどうするつもりなのか。

 けれども傍らにいる衛田は疑うことなく「ようやく練習ができるんだな」と気分を高揚させていた。初めて南が目にする、年相応に楽しそうな彼の表情だ。できればそんな衛田の期待を裏切ってほしくない。南としてはそう願うばかりだ。

「一、二、三、……七、八。八人か。よしおまえら、とりあえずビブスつけろ」

 上級生の一人がゴールポストのあたりへと顎をしゃくる。そこには体操服の上から着ることができる、数字がプリントされた赤色のビブスが無造作に積み上げられていた。
 これから何が始まるかも聞かされぬまま、新入生たちは言われた通りにそれぞれビブスを手にとって着用していく。ほとんど最後になって南が自分の分をとろうとしたとき、突然鋭い声が飛んできた。

「おい、そこのチビ」

 びくっとした南は周囲を見回す。他の生徒たちの視線は一斉に南へと集まっていた。おそるおそる、自分を指差した南に対し発言主である先輩が続ける。

「そう、おまえだよ。おまえの番号はいちばん大きい数字のやつな。たぶん14番だ」

 なぜそんな指定をされたのか、南にはさっぱり見当もつかない。
 けれども口答えなどできるはずがない以上、おとなしく従うより他になかった。

「ようし、全員つけたな。そしたら──」

 先ほど南を「チビ」と呼ばわった先輩がゴールマウスを指差す。

「あそこのライン上に一列に並べ。間隔はできるだけ均等にしろよ」

 彼に言われた通り、八人の一年生はぞろぞろとゴールに向かって歩いていく。
 さすがに衛田もどのような練習をするのか読めないらしく、眉を寄せながらわずかに首をひねっていた。そんな衛田と隣り合わせて南はゴールライン上に立つ。同じように一年生たちは正面の上級生たちと相対するようにきれいな列を作って並び終えた。
 だが「おいおい、そうじゃねーって」と鼻で笑うような声が聞こえてくる。

「逆だ逆。ゴールネットに向かって立つんだよ!」

 いったいどういう意図なのか、わけがわかっていない一年生たちは互いに目配せしあいながら、それでも表立っては誰も疑問を口にしない。
 南をはじめ、ほとんどの一年生はすんなりと指示通りに回れ右をする。

 どうにも納得がいっていない、不審そうな表情を見せていた衛田がどの一年生よりも遅く後ろを向いた瞬間だった。
 何の予告もなく蹴られたシュートが彼の後頭部を直撃したのだ。
 不意を突かれた衛田はしかし、意地でも倒れまいとばかりに左足を大きく前に出してどうにか踏みとどまる。
「大丈夫?」と彼を心配しながらも、南はボールが飛んできた方向を肩越しに盗み見た。

「うわっ、たったの3点かよ!」

「はっは、14点を取り損ねたな」

「いつも通り、最下位は罰ゲームありありだぜ」

 次のボールを用意しながら、上級生たちはまるでレクリエーション・ゲームに興じているかのような賑やかさだ。
 ようやく南も、自分が最も大きい数字のビブス着用を強制された理由に思い至った。そりゃ高得点の的がいちばん小さいに決まっている。
 そう、自分たちはただの的なのだ。

 次の順番らしき先輩が足元でボールを弄びながら、一年生に対し「おう、一応説明しといてやるけどよ」と呼びかけてきた。

「いじめだ何だと変に誤解すんじゃねえぞ、これもちゃんとした練習なんだからな。こうやって人間相手にコントロールを磨くのが鬼島サッカー部の伝統なんだよ」

「そうそう。ま、おまえらも来年になったら可愛い後輩ちゃんたち目掛けて存分に励めばいいさ。来年になったら」

 今しがた衛田にボールをぶつけたばかりの先輩も、歯を剥きだしにして笑いながらつまらないことを口にする。
 これがこの学校のサッカー部なのか。昨日まではこれからの中学生活に希望ばかりをみていた南も、さすがに暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

 再度、南は隣の衛田に「ねえ、大丈夫なの?」と訊ねた。
 だが、返ってきた答えは「構うな」だった。
 続けて彼がぞっとするほど低い声色で呟いた。

「こんなやつらがサッカー部だなんて、おれは絶対に認めない」
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