世界の東の端っこのフットボール・チルドレン

遊佐東吾

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スピンオフ

extra9 フェノーメノ、笑う〈4〉

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「さて、と。いろいろ聞かせてもらおうか」

 学校からほど近い、時が止まったままのような古めかしい駄菓子屋の前で、腕組みをして潮見波瑠が一人立っていた。このお店は幼い頃から彼女がよくお世話になっているのだそうだ。ベンチに腰かけている真田礼乃、御子柴しおり、そして凜奈が彼女を見上げる。
 男子チームとの試合はボールが遠くまで転がっていったことで中断となり、そのままなし崩しに終わってしまった。ただ、凜奈にとってはあの短い時間で充分だった。
 やはり自分の人生はサッカーとともにあるのだ、と心と身体が揃って納得したのだから。

「片倉、あんたのことがちゃんと知りたい」

 真正面からストレートな言葉をぶつけてきた潮見に、思わず凜奈も背筋を伸ばす。だが聞きたいことがあるのは凜奈も同じだ。
 ほんのわずかに目を瞑り、軽く呼吸を整える。

「あたしも知りたいよ、潮見さんのこと。もちろん御子柴さんも真田さんも」

 そこまで言って彼女は他の三人の顔を順に見回した。

「だってこれから一緒のチームでやっていくんだから」

 でしょ、と同意を求める。
 最初に口を開いたのは御子柴だった。

「そうだねぇ。どうせ潮見の質問は大した意図もないし後回しで充分でしょ」

 これを聞いて潮見が軽く顔をしかめた。

「あのさ。今日のあんた、ちょっとあたしに対して当たりがきつくない?」

「そんなことないよぉ」

 にこにこしながら返事をする御子柴だが、その言葉にあまり説得力はない。さすがに自らを潰し役と名乗るだけのことはある。
 ここまで黙っていた真田が「私、何についてお答えすればよろしいですか」と話に加わってきた。凜奈が彼女に訊ねたいのは、なぜ女子サッカー部を作ろうと思い至ったのか。そこに尽きる。

「潮見さんを誘っているの、いつも見てたよ。失礼かもしれないけど真田さん、サッカー未経験者だよね。どうして女子サッカー部を作ることにあれだけ熱心になれるのか、そこがずっと気になってた」

「あ、そこはあたしも気になる」

「あたしもぉ」

 凜奈の質問に潮見と御子柴も同意する。やはりみんな考えることは同じらしい。
 もしかしたら家庭の事情などが絡んだ答えにくい類の質問かもしれない、と口に出した後で少し危惧した凜奈だったが、真田から返ってきたのは「サッカーが好きだから、だけでは駄目でしょうか」という困惑気味の言葉だった。

「私、これまでずっと勉強やお稽古事を頑張るのが自分の役目だと考えていたんです。そうすれば父や母も喜んでくれると信じていましたから。でも雨が降っていた夏の夜、両親にこう言われたんです。『自分が本当にやりたいと思えることを探しなさい。そして選びなさい。そんな礼乃の姿を見守ることが私たちの一番の喜びなのだから』と」

 その夜を境に私は変わりました、と真田が言った。

「タガが外れた、と形容すべきなのかもしれませんね。それまでにも私はこっそりとサッカー中継を観ていました。特に女子の日本代表であるなでしこジャパンの試合は欠かしたことがありません。憧れだったんです。その憧れが、もしかしたら自分の手にも届くかもしれないと考えたとき、もう止まれなくなってしまいました」

「だったらわざわざ学校に部を新設するより、そこらにある女子クラブに入ったほうが手っ取り早いだろ」

 潮見が疑問を口にする。それは話を聞きながら凜奈が感じたことでもあった。
 だがどういうわけか真田はこの質問に対する返事をためらっていた。いつでも率直な彼女にしては珍しい。
 そして助け舟は意外なところからやってきた。

「真田ちゃん、例のゲームを観てたんだってぇ」

「例のって、どれだよ」

「あれだよぉ、ビンタ事件のぉ」

 御子柴が言った「ビンタ」のフレーズを耳にした潮見は一瞬固まってしまった。まだ答えにくそうな真田ではあったが、しばらく逡巡したのちに再び話しだす。

「私、夏休みにお二人が所属していたクラブの練習試合を観に行ったんです。後で入団をお願いするつもりで。そうしましたら試合中に──」

「潮見がチームメイトの頬をビンタしちゃってさぁ」

 真田の言葉を引き取って御子柴が続けた。しかしゲームの最中のビンタとは穏やかではない。

「一応フォローを入れておくと、潮見はこんな性格だから結構周りと衝突しててねぇ」

「こんな性格って。それのどこがフォローだ」

 潮見からの抗議もまるで意に介さず、御子柴はそのまま続けた。

「その試合だって前半終了間際まで潮見にはまったくパスが通らなくて。マークがきついとかじゃなく単なる嫌がらせ。10番背負ってたチームのエースが仕組んで、あたし以外は結託して潮見を無視してたみたい。もうバカそのものよねぇ」

 要は反りが合わないお山の大将と一匹狼が揉めて、つまらないオチがついたってだけ。辛辣な御子柴の物言いにさすがの潮見もバツが悪そうに肩を竦めた。

「結局追いだされたのはあたしだけだったし、たしかにつまらなくはあるな。それはともかく、別に御子柴まで辞める必要はなかっただろ。あんたならあのアホどもを適当にあしらえるだろうし」

「あたしはねぇ、勝つことより他の身勝手なことを優先させるような連中とは一緒にサッカーをしたくないの」

 きっぱりと言い切った御子柴に、思わず凜奈も大きく頷いた。

「そっか、真田さんは潮見さんや御子柴さんみたいな本当にサッカーが好きな人たちのための場所を作ろうとしてくれてたんだね」

 慌てて真田が両手を顔の前でぶんぶんと振る。

「そんな大層なものではありません。あくまで私個人の希望を優先しただけです。お二人のような実力のある方を、素人のわがままに巻きこもうとしていたのですから」

「でも、そのおかげで片倉ちゃんがまたサッカーに戻ってきた」

 先ほどとは一転して、柔らかく笑いながら御子柴は言った。
 薄々「そうではないか」と考えていたのが凜奈の中で確信に変わる。やはり御子柴は凜奈のことを以前から知っているのだ。だが、いったいどこで。
 彼女よりも早くその疑問を口にしたのは潮見だった。

「御子柴さあ、何で片倉がサッカーやってたって知ってたんだよ。そんな素振りはみせてなかったし、本人から聞けるほど親しくもなかっただろ」

 潮見の話を聞いている御子柴の横顔は、凜奈が初めて目にする真剣そのものの表情だった。

「いつかちゃんと話をしようと思ってた。そのときが来たから、言うね」

 彼女は体の向きを変え、真っ直ぐに凜奈の目を見つめてくる。

「小学校六年の夏、あたしはおばあちゃんの家に行ってだらだらしてた。ある日、あまりに暇だったから近くで開催されてた男子の全国大会を観に行くことにしたの。でも、その試合で誰よりも輝いていたのは一人の女の子だった。少なくともあたしの目にはそう映った。その子は先制点を見事にアシストし、なのに前半だけでいなくなってしまったのよ」

「それが……片倉だってのか」

 潮見の言葉に御子柴は無言で頷く。凜奈も何も言わない。

「あたしはその子に何が起こったのかを知ってる。どうしても気になって調べてしまったから。でも、ここから先は片倉ちゃんの判断に任せるべきだと思う。今、無理して話す必要はないよ。再び片倉ちゃんがサッカーに戻ってきた、あたしにとって大事なのはそれだけだから」

 すぐさま真田が賛同する。

「私もそれでかまいません。何やら相当の事情がおありのご様子ですし、話されるにしても心の整理ができてからでよろしいかと」

 そして二人は呼吸を合わせたかのように潮見を見やる。

「ちょっ、まるであたしだけが無理やり土足で踏みこもうとしてるみたいな目はやめろよ! あたしだってそんなつもりはねえから!」

 凜奈が最後に泣いたのは懐かしい姫ヶ瀬に帰ったこの夏、ひとつ年上の親友である榛名悠里と寝床をともにしていたときのことだ。
 あのとき凜奈はもう一度サッカーをやる覚悟を決めた。同時に、次に泣くのは嬉し涙を流すときだ、とも。
 御子柴しおり、真田礼乃、潮見波瑠。見えない糸に引き寄せられたような三人の新しい仲間たちからの優しい言葉に、思わず涙がこみあげてきそうになる。だがそこを彼女はぐっとこらえた。

「てことで片倉ちゃん。今後ともよろしくぅ」

 いつもの話し方に戻った御子柴が右手を差しだしてくる。
 目指せなでしこジャパンですね、と言いながら真田も同様に握手を求めてきた。

「なでしこの前に全国制覇が先だろ」

 意外なほど可愛らしいウインクをしながら潮見が親指を立てている。
 そんな三人の前で、凜奈は照れたような笑顔を浮かべた。
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