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第二章
041 何が楽しいんだか
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2018. 12. 10
**********
「主領ご報告がございます」
そう断ってから執務室に入った朶輝は、室内に充満する食べ物の臭いに一瞬顔をしかめた。不快感を隠し、常の冷静な顔でこの葉月領主の前へと進み出る。
「なんだ。食事中だ。話しならば珀に言え」
そう脂ぎった顔で、肥満した身体を揺すりながら無い顎をしゃくる。その先には、小さな塔の様に書類が林立する机があった。
そこを覗けば、真剣な面持ちで猛然と執務をこなす珀楽の姿が見えた。
「珀楽様にではなく、主領に報告せねばならぬ事です」
表情を変える事なく、朶輝は領主を睨むように見据えた。
「私には用はない。報告も必要ない。珀に任せておる」
「ですが、珀楽様の指示によって行われたものではなく、主領のご判断によって挙がってきた報告ですので」
ここにきて、まだ珀楽の手を煩わせようとする領主に苛立ちが募る。
「……なら、後日書面にて受け取る。下がれ」
「書面にして、主領は必ず読まれるのですか」
「勿論。書面ならば受け取ろう」
「では、どうぞお読みください」
そう言って懐から出した紙を領主の机に置いた朶輝は、読めと言わんばかりの目で挑んだ。
「っ、私を馬鹿にしおってッ。下がれッ。この私を誰だと思っておるっ。華月院那螺だぞっ」
怒鳴り声に呼ばれるように、別室から一人の男が出てきて口を出してくる。
「那螺様のおっしゃる通りにしろっ。下っ端の分際で、側近の私を無視するなっ。珀楽に通した後で、私が案件を最終的に那螺様に回すのかを判断する。何度言ったらわかるのだっ」
鬱陶しいことこの上ない。主人が贅肉たっぷりの巨漢なら、側近は針のような神経質な男だ。朶輝はどうしても好きになれない。
この二人が揃うと平行線を辿るしかない。今は引く時と大人しく引き下がることにした。
「……では、また後日」
これ以上は無駄と判断した朶輝は、あっさりと見切りを付けると、一礼して室を出た。
「クソブタがっ……」
扉を閉め、初めて発した言葉は、ひどく下品で冷徹な一言だった。
「……朶輝様……」
不幸にも、その一言を聞いてしまったのは、朶輝を心配して迎えに来た部下の一人だった。静かに燃える怒りを抱いたような目で一睨みされた部下は、呪いを受けたように、青い顔で硬直してしまう。
それを気にする事もなく、朶輝はさっさと自分の執務室に向かって歩き出した。
「何が華月院だ。あんな権力だけの一族。滅んでしまえば良い」
毒舌と共に、朶輝の周りには静かに風が舞っていた。まるで怒りを表すように、渦を巻いて静かに舞うのだ。
◆ ◆ ◆
「この支出は何だっ…」
「はっ……主領の……飲食……代で……」
「ふざけるなっ。こんなもの許可できるかッ」
そう言って書類を床に叩き付け、朶輝は頭を抱えた。そして、ふと目に入った報告書の数字を見て、キレた。
「あのクソブタっ。領の備蓄まで食う気かッッッ。お前達っ、今すぐに備蓄庫の在庫を確認してこいっ」
「「「はいっっ」」」
室内には、朶輝から発せられた風が、嵐の様に舞っていた。
そんな中、鈴の音のような高い声が響いた。
「書類が吹っ飛ぶぞ。気を沈めろ」
声のした方へと目を向ければ、高い高欄に腰掛けた少女が、楽しそうにこちらを見ていた。
「また、入り込んで……何が楽しいんです……」
「ふふっ。楽しいよ。それに、こうも風霊に愛された者は珍しい」
少女はコロコロと笑って朶輝を見つめる。否、朶輝の周りを見ていた。
「これですか……余り気にした事もなかったのですが」
纏わり付く風を撫でるように手を差し出す。
「大事にしろよ。風霊は、良いものをたくさん運んでくると言われている。人には勿体ないが、お前ならまぁ良い」
欄干から飛び降り、朶輝に歩み寄った少女は、十二、三歳くらいに見え、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
長身の朶輝の胸辺までも届かない身長で、ある程度の距離をおいて止まった。
「暇が出来たら、風霊の使い方を教えてやろう。このままだと危ない」
漂う風の中に手を泳がせ、まるで風霊が見えているように楽しそうに目で追う少女を、朶輝は不思議に思う。
「お茶でも……」
「頂くよ。朶輝のお茶は、好きだ」
「嫌いなお茶があるんですか」
好きだと言われて悪い気はしない。例え、これで仕事の手が止まることになったとしても、彼女と過ごす時間ならば惜しいとは思わない。それが不思議だった。
「うん。普段飲むお茶は、色々とおかしな物が入っていたりするから」
そう応えながら、当然のように卓の椅子の一つに腰掛けた。
「入ってるって、滋養の薬草か何かですか……良いお宅ですね」
少女の身なりはとても上品で、間違いなく裕福な家のものだと分かる。
「ん……滋養の薬草を入れてくれるのは、父や兄達だけど……別居してるから、あまりそういう身体に良いお茶は出ないよ。普段入ってるのは、致死量に達しないくらいの嫌がらせ程度の毒物かな」
「は……っ?」
一瞬の硬直の後、冗談かと力を抜いたが、嘘をつかない子だったと思い出し、血の気が引いた。
(いったい何処の家の子なんだっ……ッ)
疑問は会う毎に増えていくのだった。
**********
読んでくださりありがとうございます◎
次回、20日の予定です。
よろしくお願いします◎
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「主領ご報告がございます」
そう断ってから執務室に入った朶輝は、室内に充満する食べ物の臭いに一瞬顔をしかめた。不快感を隠し、常の冷静な顔でこの葉月領主の前へと進み出る。
「なんだ。食事中だ。話しならば珀に言え」
そう脂ぎった顔で、肥満した身体を揺すりながら無い顎をしゃくる。その先には、小さな塔の様に書類が林立する机があった。
そこを覗けば、真剣な面持ちで猛然と執務をこなす珀楽の姿が見えた。
「珀楽様にではなく、主領に報告せねばならぬ事です」
表情を変える事なく、朶輝は領主を睨むように見据えた。
「私には用はない。報告も必要ない。珀に任せておる」
「ですが、珀楽様の指示によって行われたものではなく、主領のご判断によって挙がってきた報告ですので」
ここにきて、まだ珀楽の手を煩わせようとする領主に苛立ちが募る。
「……なら、後日書面にて受け取る。下がれ」
「書面にして、主領は必ず読まれるのですか」
「勿論。書面ならば受け取ろう」
「では、どうぞお読みください」
そう言って懐から出した紙を領主の机に置いた朶輝は、読めと言わんばかりの目で挑んだ。
「っ、私を馬鹿にしおってッ。下がれッ。この私を誰だと思っておるっ。華月院那螺だぞっ」
怒鳴り声に呼ばれるように、別室から一人の男が出てきて口を出してくる。
「那螺様のおっしゃる通りにしろっ。下っ端の分際で、側近の私を無視するなっ。珀楽に通した後で、私が案件を最終的に那螺様に回すのかを判断する。何度言ったらわかるのだっ」
鬱陶しいことこの上ない。主人が贅肉たっぷりの巨漢なら、側近は針のような神経質な男だ。朶輝はどうしても好きになれない。
この二人が揃うと平行線を辿るしかない。今は引く時と大人しく引き下がることにした。
「……では、また後日」
これ以上は無駄と判断した朶輝は、あっさりと見切りを付けると、一礼して室を出た。
「クソブタがっ……」
扉を閉め、初めて発した言葉は、ひどく下品で冷徹な一言だった。
「……朶輝様……」
不幸にも、その一言を聞いてしまったのは、朶輝を心配して迎えに来た部下の一人だった。静かに燃える怒りを抱いたような目で一睨みされた部下は、呪いを受けたように、青い顔で硬直してしまう。
それを気にする事もなく、朶輝はさっさと自分の執務室に向かって歩き出した。
「何が華月院だ。あんな権力だけの一族。滅んでしまえば良い」
毒舌と共に、朶輝の周りには静かに風が舞っていた。まるで怒りを表すように、渦を巻いて静かに舞うのだ。
◆ ◆ ◆
「この支出は何だっ…」
「はっ……主領の……飲食……代で……」
「ふざけるなっ。こんなもの許可できるかッ」
そう言って書類を床に叩き付け、朶輝は頭を抱えた。そして、ふと目に入った報告書の数字を見て、キレた。
「あのクソブタっ。領の備蓄まで食う気かッッッ。お前達っ、今すぐに備蓄庫の在庫を確認してこいっ」
「「「はいっっ」」」
室内には、朶輝から発せられた風が、嵐の様に舞っていた。
そんな中、鈴の音のような高い声が響いた。
「書類が吹っ飛ぶぞ。気を沈めろ」
声のした方へと目を向ければ、高い高欄に腰掛けた少女が、楽しそうにこちらを見ていた。
「また、入り込んで……何が楽しいんです……」
「ふふっ。楽しいよ。それに、こうも風霊に愛された者は珍しい」
少女はコロコロと笑って朶輝を見つめる。否、朶輝の周りを見ていた。
「これですか……余り気にした事もなかったのですが」
纏わり付く風を撫でるように手を差し出す。
「大事にしろよ。風霊は、良いものをたくさん運んでくると言われている。人には勿体ないが、お前ならまぁ良い」
欄干から飛び降り、朶輝に歩み寄った少女は、十二、三歳くらいに見え、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
長身の朶輝の胸辺までも届かない身長で、ある程度の距離をおいて止まった。
「暇が出来たら、風霊の使い方を教えてやろう。このままだと危ない」
漂う風の中に手を泳がせ、まるで風霊が見えているように楽しそうに目で追う少女を、朶輝は不思議に思う。
「お茶でも……」
「頂くよ。朶輝のお茶は、好きだ」
「嫌いなお茶があるんですか」
好きだと言われて悪い気はしない。例え、これで仕事の手が止まることになったとしても、彼女と過ごす時間ならば惜しいとは思わない。それが不思議だった。
「うん。普段飲むお茶は、色々とおかしな物が入っていたりするから」
そう応えながら、当然のように卓の椅子の一つに腰掛けた。
「入ってるって、滋養の薬草か何かですか……良いお宅ですね」
少女の身なりはとても上品で、間違いなく裕福な家のものだと分かる。
「ん……滋養の薬草を入れてくれるのは、父や兄達だけど……別居してるから、あまりそういう身体に良いお茶は出ないよ。普段入ってるのは、致死量に達しないくらいの嫌がらせ程度の毒物かな」
「は……っ?」
一瞬の硬直の後、冗談かと力を抜いたが、嘘をつかない子だったと思い出し、血の気が引いた。
(いったい何処の家の子なんだっ……ッ)
疑問は会う毎に増えていくのだった。
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読んでくださりありがとうございます◎
次回、20日の予定です。
よろしくお願いします◎
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