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4巻
4-1
しおりを挟む第一章 女神への要請
人族の国から遠く離れた場所に、魔族の国がある。その国の王は夜も更けた時分、一人執務室で報告書を前に考え込んでいた。
艶やかな髪は長く、頭の後ろで高く結われている。薄暗い室内では黒にしか見えないが、実際は黒に近い紫だ。その色は魔族の中でも王家に連なる者にしか現れない。瞳にもこの色が出ているのは、王家の血が濃い証だった。
「どうしたものか……」
気だるげに呟く王の美貌には、誰もが感嘆の溜め息をつくだろう。
そんな王が今、直面している問題は、本来ならばそう重要な事ではない。むしろ、この国では些事として片付けられるものでしかなかった。しかし、今回ばかりは何かが引っかかる。
それは、ただの直感だった。報告書を何度も読み、部下を呼んで確認する。そうして現状を理解する事で、ようやく直感が確信に変わった。
――何者かが作為した、間接的な国への攻撃。
「特定は……難しいか。だが……」
犯人の特定は現段階では難しい。今はまだ心配するほどの影響はないが、だからといってこのままひと月も放置すれば、取り返しのつかない問題に発展するのは目に見えていた。
「昔より落ち着いたとはいえ、彼らも好戦的な種族だからな……攻める口実を与えるのは避けたいが……」
王が心配しているのは、人族との関係だ。国交を断って数百年。寿命の長い魔族にとってはそれほど昔の事でもないが、人族にとっては伝説となっていてもおかしくない。魔族とはどんな種族なのか。それも正しく伝わっているとは思えなかった。
問題が起きているのは、人族の国が密集する辺り。そこにある渓谷は、この国から遠く離れていても魔族の管理下にある。しかし、今魔族が近付けば、何も知らない人族は警戒するだろう。それどころか、国防を理由に攻めてくるかもしれない。
「面倒だな……」
その時、まるで天啓のように、かつての友人の顔が頭に浮かんだ。らしくないと苦笑しながらも、王は筆を取る。
「まったく、アレに頼るなんて何百年ぶりだろうな」
こうと決めたら迷わない。サラサラと筆を動かし、手紙を書き上げていく。その友人がどんな顔をするのか想像して、思わず笑みがこぼれた。彼がいるのは人族の国であり、問題の場所までそう遠くないはずだ。きっと協力してくれるだろう。
書き上げた手紙を使い魔に託すと、王は中天を過ぎた月を見上げる。思い出すのはもう随分昔――まだ国に束縛される前の楽しい日々。
予感がするのだ。それがいい事なのか悪い事なのかも分からないが、何かが起こる予感がする。
◆ ◆ ◆
その日、天気は快晴で、絶好のピクニック日和だった。
ヒュースリー伯爵領の領都サルバ。その街の外、街道から少し外れたところに、森に囲まれた草原がある。ピクニックにはもってこいの場所で、ここを遊び場にしている者達もいた。
今日もこの草原で遊んでいるのは、少々癖のある茶色の髪を後ろで結った、七歳の少女。名をティアラール・ヒュースリーという。ヒュースリー伯爵家の令嬢であり、巷では神から祝福を受けた聖女とも呼ばれている。
しかしその実態は、凄腕の冒険者。伯爵令嬢である事を巧みに誤魔化し、ティアと名乗って自由に動き回っていた。知的な輝きと好奇心で彩られた、濃い茶色の瞳が印象的だ。
つい先日、数十年ぶりにサルバで行われた武闘大会。それに優勝した彼女は、その強さを世間に知らしめたのと同時に、両親にも冒険者としての高い能力を知られる事となった。
そんなティアが、元気な声で遊びの開始を告げる。
「ほぉら、マティ。取ってこぉい」
《わぁい》
子どもらしく無邪気にはしゃぐのは、馬ほどの大きな体をした赤い狼だ。最強の神獣と言われ、恐れられる伝説の獣ディストレアの子ども。ティアからマティという名を与えられ、今や彼女のよき相棒となっている。
そんなマティがティアの命によって走り出す。取ってこいと指示されたものは、前方の森へと猛ダッシュしていく数人の少年少女だ。
「ま、ま、待ってくださいティア様っ。私、体力はっ……!」
「「ラキア!! そんな事より早く森へ!!」」
双子の兄達からラキアと呼ばれたのは、ティアよりも五つ年上の少女だ。ひょんな事からヒュースリー家のメイドになった彼女は、今もメイドの服を着たまま爆走している。彼女にとっては、メイド服こそが戦闘服。幼い頃から、戦えるメイドになる事を夢見てきたのだ。
その横を走るのは、ラキアの双子の兄ユメルとカヤル。彼らも仕事着である執事服で走っていた。
「お前達、口より足を動かせッ!」
「「「はい!!」」」
三兄妹の前を走るのは、ベリアローズ・ヒュースリー。ヒュースリー伯爵家の継嗣だ。妹のティアによって鍛えられ、魔術も使えるようになった。まるでおとぎ話の王子様のような見た目をしているが、少し前まで他人嫌いで卑屈な性格だった。その性格もティアに矯正され、今や立派な跡取りとして周囲に期待されている。
「【火弾】!」
ベリアローズの放った大きな火の球が、マティの足元に着弾する。それを見届ける前にベリアローズは加速した。足止めに成功したかどうかを、振り向いて確認している暇はない。
彼に続いて、ラキアとユメル、カヤルも全力で森へと突っ込んでいく。
そんな四人とは違い、必死さなど全く感じさせないマティは、爆煙をフルフルと首を振って消し、大声で呑気に尋ねた。
《マティも魔術使っていい?》
「「「「よくない!!」」」」
森の中へ入った四人が、空に向かって吼える。
それを微笑みながら見物しているのは、ティアの両親――シアンとフィスタークだった。
「ねぇ、フィスターク。あれは隠れんぼなのかしら?」
「いや、追いかけっこのはずだけどね。……あぁ、『もういいかい』『まあだだよ』っていう感じのやり取りだったからかな?」
「ええ。隠れんぼってあんな感じなのよね? ふふっ、楽しそう」
「う、うん。そうだね……」
子どもの時には体が弱くて、そんな遊びもできなかったシアン。天然な彼女は、今にも『私も混ざりたいわ』と言い出しそうだ。
その隣に座るフィスタークも、愛する妻の願いを叶えてやりたいとは思っている。だが、ティアによって色々と仕込まれているシアンは加減というものを知らない。
フィスタークは、近くに座る父のゼノスバートに目配せする。いざという時は一緒に止めてくれと目で訴えたのだ。
その意味を正しく受け取ったゼノスバートは、無言で重い頷きを返した。
これら全てを離れたところで見守っていたのは、ゼノスバートの護衛兼、親友のゲイル・カランだ。彼は、同じく見守っていた息子のルクスにしみじみと言う。
「なんていうか……今までの日常が夢みたいに思えてくるよな……もう別世界……」
不思議だなと唸るゲイルに、ようやく自分の苦労を分かってもらえたかと、ルクスは涙を滲ませた。
ティアが五歳の時から護衛兼、保護者として傍についているルクス。二十代の若者としては苦労性な性格で、いつもティアに振り回されていた。
しかし、父のゲイルはこの国に数人しかいないAランク冒険者で、考え方も少し変わっている。
「今の方が、めちゃくちゃ楽しいなっ」
「……」
ゲイルは現状を嘆くのではなく、喜んでいたのだ。そのゲイルが今、目を輝かせながら見つめる先では、『球突き遊び』なるものが行われていた。
「嬢ちゃんは、マジで天才だなっ」
「……一体、なんの『才』だ……?」
ゲイルの視線の先で繰り広げられているのは、先日の武闘大会の際、ティアがゲイルとの決勝戦で見せた魔術だ。空中に出現させた球を、玉突きのように連鎖的にぶつけて弾くもの。大会では石を使っていたが、今は全て風の球を使用している。
殺到する球の中心にいるのはクロノスだ。ラキア、ユメル、カヤルの兄で、今も語り継がれる最強の女騎士アリア・マクレートの子孫。彼はヒュースリー伯爵家に護衛として雇われて以来、時折こうしてティアに鍛えてもらっていた。
クロノスは向かってくる球を剣で割り、次々と消していく。複数同時に向かってくる球は、『金環舞』という技で一気に消す。
しかし、減った分の球はすぐにティアが補充しているので、エンドレスで続いていた。
「クロの奴、タフだなぁ……俺が戦った時よか球の速度は遅ぇが、よく続くぜ……やっぱ、若さか? 羨ましい……」
羨ましいのは果たして若さなのか、この状況なのか。ゲイルの表情を見ても、ルクスには判断できなかった。
その時、ティアが唐突にゲイルを呼んだ。
「あ、ゲイルパパ。なんか結界の外にサラちゃんがいるんだけど」
「何? ザランが?」
ティアが魔導具によって結界を張っているので、この辺り一帯には誰も侵入できない。結界の外に冒険者仲間であるザランの気配を感じたティアは、精霊の力を借りて彼に用件を尋ねた。
精霊達がザランの言葉をティアに伝える。
《ますたーがよんでる》
《げいるといっしょに》
《きて~》
「ギルドに来いってさ。ゲイルパパ、どうする?」
ティアにパパと呼ばれたゲイルは、顎をさすりながら答える。
「どうするってもなぁ……行くしかねぇだろ」
こうして、ティアとゲイルはみんなより一足先に街へと戻る事になった。
◆ ◆ ◆
サルバ冒険者ギルドにある、ギルドマスターの執務室。そこには部屋の主であるシェリス・フィスマと、彼に呼び出されたティアとゲイル、そして王都から来た魔術師と騎士がいた。
シェリスはハイエルフと呼ばれる種族の者で、もう五百年近くこのサルバでギルドマスターを務めている。それはなぜかといえば、昔、結婚を誓った相手が生まれ変わってくるのを、この地で待っていたのだ。
その相手とは、サティア・ミュア・バトラール。ティアの前世での名前だ。五百五十年と少し前、とある事情で国を亡ぼし、自身も命を絶った彼女。その行いによって人々から『断罪の女神』と崇められ、絶大な力と前世の記憶を持って転生したのだ。
そうして、シェリスとこの地で再会を果たした。他人嫌いで気難しいシェリスだが、ティアには異常なまでの執着を見せ、隙あらば求婚してくるのが少々問題だった。
「呼び立ててすみませんね」
「いいけど、なんでソレで呼ばなかったの?」
申し訳なさそうなシェリスにティアが示したのは、彼の胸元に付けられている葉っぱの形のブローチだ。これはティアが【伝話信具】と命名した魔導具である。対となるブローチはティアが持っており、これによって離れていても互いの言葉を届ける事ができる。
「それはもちろん……分かりますよね?」
「……うん……」
シェリスの微笑みは語っていた。こんな奴らのために、貴重な通信の一回を使えるわけありませんよねと。
朝も夜も関係なく、時間があれば声が聞きたいと言って通信してきたシェリス。困ったティアは一日三回までと彼に約束させたのだ。
気を取り直し、ティアは顔見知りの騎士に問いかける。
「それで、どうしたの? ビアンさん」
「あぁ、国からの依頼をゲイルさんと、武闘大会の優勝者に伝えに来たんだけど……君だったんだね……」
第二王子の近衛であるビアンとは、数ヶ月前に出会った。ルクスとも気が合う頼れるお兄さんだ。
「なんか不満? あっ、なんなら戦って試す?」
「そんな生き生きと……遠慮させてもらうよ……」
引きつった笑みで辞退するビアンに、ティアは心底残念だと肩を落とす。
そしてビアンの口から、依頼内容が告げられた。
「黒晶山へ行く騎士や魔術師達の護衛をしてほしいんだ」
「黒晶山? そんな山あったっけ?」
「あぁ、嬢ちゃんは知らねぇか? 『晶腐石』の採れる山だ」
ゲイルの言葉にティアはきょとんとした。
「へ? この辺りで『晶腐石』が採れるところって、死の山じゃないの?」
『晶腐石』とは、精霊除けに使われる特殊な石の事だ。重要な会議が行われる部屋には、必ずと言っていいほど置かれている。精霊の口から情報が外に漏れるのを防いだり、精霊の力で発動する魔術が使えないようにしているのだ。
ティアがサティアという名で生きていた頃、その『晶腐石』が採れる場所といえば、死の山と呼ばれる山だった。近くにもう一ヶ所あったとは初耳だと、ティアはシェリスに視線を送る。すると、シェリスは苦笑しながら答えた。
「死の山ですよ。今は呼び方が変わって、黒晶山と呼ばれています」
「誰よ。そんなオシャレな感じに改名した奴……」
名前だけ聞けば、何か珍しい水晶が採れる山だと思ってしまいそうだ。
「年間百人ほどが名前につられて山に入り、魔獣の犠牲となっています」
「それで、俺らを指名したってわけか。だが、なんでわざわざサルバまで来たんだ? 王都にもランクの高い冒険者はいるだろ」
ゲイルの問いに、ビアンが弱った顔をする。
「それが……」
「全員失敗したのです」
魔術師の男が、ここでようやく口を開いた。歳はビアンよりも下だろうか。
彼は憮然とした表情で今までの失敗を挙げ連ねた。
「――というわけで、護衛対象である騎士や魔術師達にも被害が及び、最後にこちらのゲイル様を頼って参りました。ですが……」
そう言って視線をティアに向けた男。その目が語っていた。こんな子どもに何ができるのかと。
(そういう目、大好きです!)
ときめきで頬を紅潮させるティア。ゲイルが呆れながら男に忠告する。
「おいおい。そんな目で嬢ちゃんを見んな。死にたいのか?」
「今すぐ訓練場を空けさせましょう」
淡々と言うシェリスだが、その瞳は冷たい怒りを感じさせた。
「いや、マスター……俺もこういう世間知らずのバカは嫌いだが、もうちょい時間をやっても罰は当たらんかと……」
「このバカの事は知りません。私はティアが望む事を叶えたいだけです」
「ねぇねぇ。ヤっていいの?」
「「よくない!!」」
やる気充分なティアを、ゲイルとビアンが揃って止める。今止めなくては大変な事になると必死だった。
《ティア様。よろしければ、わたくしがこの者を調教いたします》
不意に姿を現したのは、風を司る精霊王――風王だった。水、火、地の精霊王達も、女神であるティアの役に立とうと、幼い頃から傍にいてくれている。
精霊の姿は、精霊視力という特殊な力を持つ者にしか見えない。しかし、精霊王達はその気になれば、力のない者にも姿を見せる事ができるのだ。
「そっか。なら、ここは風王に譲るよ。見るからに弱っちそうだしね」
《お任せください。ティア様のお手を煩わせるほどの相手ではございません》
「ひ……っ!」
魔術師の男は、風王の威圧を受けて固まる。
《さぁ、参りますよ》
そう言った風王は、男をドアごと吹き飛ばした。
「ぐふっ……」
部屋から叩き出された男は、廊下の壁に当たってあっさりと気絶する。
ティアは残念な気持ちでそれを眺めた。
「あら~……」
「お~い。生きてるか~?」
ゲイルの呼びかけに、男がようやく目を開ける。
「うぅ……はっ……」
「これで分かったろ? とりあえず素直に謝っとけ」
「……も……申し訳ありませんでした……」
男はヨタヨタと起き上がり、床に膝をついたまま、真っ青な顔で頭を下げた。
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