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第一幕
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キャパが60も無い小さな劇場。その半分程度しか客も入っていない。
平日ど真ん中で大した知名度どころかさほど人気のない出演者だけの割には優秀じゃないだろうか。まぁ、大半が女芸人目当てのおっさんなのがまた悲しい現実を教えるんだが。
そんなアウェーな中でも、今日下したネタの感触は悪くなかった。自分で演ってみて改善点も見えてきたし、このネタは賞レースに掛けられるネタになりそうだ。
新しいコンビを組んで1年が経ったのだから、いい加減に新たな武器となる手堅いネタが欲しいところだ。
都心の賑わった街の中に劇場がひっそりあったりする。飲み屋街の中にある事もしばしばあるので、夜遅くの治安はあまり良くないこともある。
そんな中でもファンは平気で出待ちをしてくれるのだからありがたい。
コンビ歴は1年程度で、事務所に所属しているもののメディア露出が無い僕たちの人気なんてたかが知れている。しかし、個人の芸歴は5年程度あり、前コンビ時代から応援してくれるファンが少数ながらいてくれる。
今日のライブも取り置きをしてくれて集客ゼロと言う事態回避の協力をしてくれた。
「また、来月のライブも行きますね!」
「いつもありがとう。待ってるよ」
そう言って手を振ってファンの子を見送る。
初めて会った時は高校生だったけど、もう、来年は社会人になるんだってね。内定が出て良かったね、とも思うけれど、同時に時の流れを実感して複雑な気分になる。
「杜永さん」
不意に名前を呼ばれて振り返る。
「あぁ、水城くん。あの子帰っちゃったよ?」
相方の名前を呼んで僕がそう言うと、彼は苦笑を浮かべる。
「いいっすよ。あの子は杜永さんが目当てなんだから、俺がいなくても」
そんなことをサラッと言う。
居たらいたであの子も水城くんのことを気に入っているから、喜ぶとは思うんだけどね。そう思ったけど、僕はその言葉を口にはしなかった。
「じゃあ、帰ろうか」
代わりにそう言った。
「そっすね…なんか食っていきます?」
「んー」
水城くんの提案に僕は少し考えた。
家に帰っても特になにかあるわけでもないし、今日のライブはささやかながらもギャラは出るし、取り置きのバックもあるし。チェーン店で定食を食べるくらいなら懐も痛まない。
それに、ネタのブラッシュアップのために少し話もしたいところだ。ついでに、腹もしっかり減っている。
「そうだね、食べて行こうか」
そう答えると、さほどない選択肢の中からどこへ行こうかと話し合いながら夜の街をゆるゆると歩いていく。
安くて量と味がまあまあなチェーン店に入ると、入り口近くの席にさっきのライブで一緒にいた芸人が座っていた。それぞれ別のコンビの2人だった。
彼らは僕たちに気づくと声をかけてきた。
「あ、おつかれーっす」
さっき劇場で別れた時と同じテンションで声をかけてくる。
それに僕たちも返すと、彼らの1人がハイボールを片手に言ってきた。
「相変わらず2人は仲良いなぁ」
確かに、僕たちのコンビ仲はかなり良いと思っている。
ライブ後にコンビ揃ってこうやって飯を食べるどころか、ライブ前の時間に映画に誘ったりもするし、お互いのバイト先へちょっかいを出しに行くこともある。
そう考えるとレアな仲の良さだと自分でも思う。
「まぁ、仲は良いっすからね」
水城くんがなぜかドヤ顔で答えていた。
奥のテーブル席が空いていたので、そこを選んで座る。
「…あ、ここ、禁煙か」
出しかけたタバコを再びしまいながら水城くんが呟く。メニューのポスターに紛れて貼られた全席禁煙の文字が目に入った。
「分煙から変わったんだ。でも、喫煙ルームあるみたいだよ」
メニュー票を片手に僕が言うと、水城くんは露骨に眉を潜める。芸人は表情でみせる事も必要なので、日頃から表情豊かになりやすい。水城くんはそれが顕著で、クセになっているのか、意識してやっているのかはわからないけれど、本当に表情がコロコロ良く変わる。
「いいや、腹減っているから先に食べよ」
そう言って彼は僕の手のメニュー票を要求する。
そんなことを言っていたものの、注文をした後に水城くんは喫煙ルームに入って行ったんだけれども。
僕はふと、眼鏡の汚れが気になって服の裾で拭いた。
僕らのコンビ名はトップラン。僕はそのボケ及びネタ作成担当の杜永保人(もりながやすひと)、相方はツッコミ担当の水城明良(みずきあきら)。そこそこの歴史と規模を持つ芸能事務所に所属しているお笑いコンビ。漫才が中心だけどコントをやることもある。活動はもっぱら今日のような小規模なライブで、月10本以上は立っている…いわゆる売れていない若手芸人だ。
身長は180ありながらも眼鏡で文系の雰囲気の僕と、中肉中背で黒髪なのにどこかチャラい雰囲気を持つ水城くんとではビジュアルの印象が今一つ足りない自覚はある。見た目の武器が無いのは今のお笑い情勢で認知度を上げるのはやや厳しいとは思っている。
でもまぁ、コンビを組んで1年だからまだまだこれからと言いたいけれど、先にも言ったように個人の芸歴は2人とも4年くらいあるからあんまり悠長なことは言っていられないかもしれない…。
でも、この業界は上を見たらきりがないのは当然として、下を見てもきりがないからスゴイ場所だと思う。
芸歴20年近くあって、結婚して子供がいて、売れていないのに辞めない先輩方は何を考えているんだろうと思うことがある。
社会人としてはどうしようもないと思われるかもしれないけれど、好きな事を続ける事が出来ているのは、尊敬に値する。
僕自身、一度はこの業界から去らなければならないことを考えていた時期がある。
前コンビ時代の3年目に入る前に体調を崩した。世間的には「体調」と言っていたが、実際は精神を病んだのだ。
正確にはすでに病んではいたけれど、活動できなくなるほど病んだ。
あの頃のことは思い出したくないわけではないけど、あまり思い出せない。なんでも、病んだ時と健康な時は脳の動きが変わるらしく、良くなると病んでいる時期の事を思い出せなくなるらしい。
つまり、今の僕は健康になれたんだと思う。
ただ、活動を休止している間に元相方は引退を決意していた。彼は彼で自分の才能に悩んでいたらしい。確かに、大物になれる素質があるかと言われるとなんとも言えない人だった。でも、それは僕自身にも言える事ではあったけど。
そこで僕が活動できなくなり、なにかのタイミングだと彼も思ったのだろう。
人生の方向を修正するのなら、早い方が良いのは確かだから…僕は引き止めず受け入れた。決して彼は僕を見捨てたわけではないことはわかっていたし、僕自身、再び活動できるようになるかわからなかったのだから仕方ない。
絶望するかもしれないと考えなかったわけではないけれど、相方を待たせている。相方に迷惑をかけているという自責の念が無くなったからか不思議と気持ちが軽くなったのは覚えている。
そんな頃から現相方の水城くんとは親しくなった。
所属事務所は違ったけれど、お互い前コンビ時代からライブで一緒になる事が多かったから挨拶や多少の会話はしていた。そして、ひょんなことから住んでいるところが近いとわかったので、それをきっかけに途中まで一緒に帰る事もあった。
前々からそれなりに縁はあったので、より親しくなったと言える。
僕が活動を休止したのと同じころに水城くんの前コンビは解散をしていた。仲は良くも悪くもないコンビだったけれど、前触れなく元相方に解散を切り出されて水城くんはそれを了承したらしい。なんでも、何を言っても無駄な状態だったそうで「捨てられたよ」って水城くんは自虐で笑っていた。
理由は違えどコンビでの活動が終わった2人と言う境遇が似ていたのも理由にあったのかもしれないけれど、水城くんは僕を構ってくれた。
昼間はほとんど寝ていた僕を夜に連れ出して、外の風を浴びながら僕の弱音に適度な相槌を入れながら聞いてくれたのだった。無理に励ますことをしないし、居心地が良かったのは確かで。
水城くんはネタを作らない人だから、新たなコンビを組もうと僕を口説いてくるかと思ったけどそれは無かった。
僕が休業している間、水城くんは他のピン芸人やコンビとユニットを組んで芸人としての活動を続けていた。水城くんがそれなら、僕は復帰したらピンでやって行こうとぼんやり考えていた。
休業してから1年程経って、ようやく僕の症状は安定した。そろそろ復帰しても問題ないと自他ともに判断できるようになっていた。
その頃、水城くんはいくつかのコンビを組んだものの、相変わらず相方を決められずにいた。
例年より、暖かい夜だったのは覚えている。
水城くんに誘われて、夜の散策をしていた時の事だった。公園のベンチで一息ついていた。そろそろ復帰できそうだと僕が伝えると水城くんは「おめでと」と言ってくれた。そして、彼は「俺も安定して活動が出来るようにしないと」と続けた。
「次のあてはあるのかい?」そう僕が問いかけると水城くんの返事は「無い」と短かった。水城くんはタバコを咥えて大きく息を吸い、深いため息とともに白い煙を吐く。
それが夜気に溶けて消えるころ、僕がポツリと言った。
「僕は…ピンでやって行こうかと思ってる」
その言葉に水城くんは無言でうなずいた。
「でも、コンビの方がやりたいことが出来ると思ってる」
次の言葉に水城くんがゆっくりと僕に顔を向けた。表情豊かな彼の表情がこの時はハッキリしていなかったことを覚えている。
「組まない?」
「…良いんじゃない?」
僅かな沈黙の後、水城くんは悪戯っぽい笑みを見せた。
後から考えると、もしかしたら僕は言わされたのかもしれないけど…結果として後悔が全くないので良かったと思っている。
やると決めたのなら後は早かった。
ぼんやりと考えていたネタを台本の形に仕上げて、すぐに水城くんに送った。彼は「早っ」と驚いたもののそれ以上に笑ってた。
僕がネタを考えている間に彼はコンビ名を考えていた。いくつかの候補の中から「トップラン」にした。ぶっちゃけダサいことは否めないけれど、そのダサさが格好つかなくて自分たちに似合っていると思った。一応、休業を挟んだ自分たちが売れるには、トップを走るくらいがんばらなければいけないだろうという気持ちが入っている。しかし、それを素直に言うのは恥ずかしすぎるので、コンビ名の由来を聞かれたら「決める時にたまたま来ていたTシャツに書いてあった」で通すことにした。
そう言うところを決めるのもダサいかとも思ったけど、まぁ、深く考える事でもない。
基本的に水城くんは行動的で、台本が出来てコンビ名が決まったのならと適当なエントリーライブに申し込んで、さくっと初舞台の日を決めていた。僕も早く舞台に復帰したかったので、話が早くて助かった。
ネタ合わせの日々に入って、自分の感覚が鈍っていることを痛感もしたけれど楽しさがある日々を送れるようになった事も自覚出来た。
そして、コンビとしての初舞台は成功と言えるレベルで終わった。
ネタを終え、袖に戻った時に僕は水城くんに自然と「ありがとう」と言葉を伝えていた。その言葉に一瞬、水城くんはきょとんとしていたがすぐにニッといつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なに言ってんすか。礼を言うのは俺の方ですよ」
そして、真剣な目をした。
「これから一緒にがんばりましょ」
薄暗い袖で見た水城くんの目はまっすぐに僕を見ていた。
「…うん。これからよろしくね」
そう返した瞬間が1年振りに立つ舞台より緊張していたと思う。
胸の中に沸き起こる感情を自分で理解してしまった事も、緊張の原因の1つだろう。
僕自身が気づかないふりをしていた感情を実感してしまったから。
僕、杜永保人は、相方、水城明良を愛していると。
無視できないほどにその感情は高まっていた。
平日ど真ん中で大した知名度どころかさほど人気のない出演者だけの割には優秀じゃないだろうか。まぁ、大半が女芸人目当てのおっさんなのがまた悲しい現実を教えるんだが。
そんなアウェーな中でも、今日下したネタの感触は悪くなかった。自分で演ってみて改善点も見えてきたし、このネタは賞レースに掛けられるネタになりそうだ。
新しいコンビを組んで1年が経ったのだから、いい加減に新たな武器となる手堅いネタが欲しいところだ。
都心の賑わった街の中に劇場がひっそりあったりする。飲み屋街の中にある事もしばしばあるので、夜遅くの治安はあまり良くないこともある。
そんな中でもファンは平気で出待ちをしてくれるのだからありがたい。
コンビ歴は1年程度で、事務所に所属しているもののメディア露出が無い僕たちの人気なんてたかが知れている。しかし、個人の芸歴は5年程度あり、前コンビ時代から応援してくれるファンが少数ながらいてくれる。
今日のライブも取り置きをしてくれて集客ゼロと言う事態回避の協力をしてくれた。
「また、来月のライブも行きますね!」
「いつもありがとう。待ってるよ」
そう言って手を振ってファンの子を見送る。
初めて会った時は高校生だったけど、もう、来年は社会人になるんだってね。内定が出て良かったね、とも思うけれど、同時に時の流れを実感して複雑な気分になる。
「杜永さん」
不意に名前を呼ばれて振り返る。
「あぁ、水城くん。あの子帰っちゃったよ?」
相方の名前を呼んで僕がそう言うと、彼は苦笑を浮かべる。
「いいっすよ。あの子は杜永さんが目当てなんだから、俺がいなくても」
そんなことをサラッと言う。
居たらいたであの子も水城くんのことを気に入っているから、喜ぶとは思うんだけどね。そう思ったけど、僕はその言葉を口にはしなかった。
「じゃあ、帰ろうか」
代わりにそう言った。
「そっすね…なんか食っていきます?」
「んー」
水城くんの提案に僕は少し考えた。
家に帰っても特になにかあるわけでもないし、今日のライブはささやかながらもギャラは出るし、取り置きのバックもあるし。チェーン店で定食を食べるくらいなら懐も痛まない。
それに、ネタのブラッシュアップのために少し話もしたいところだ。ついでに、腹もしっかり減っている。
「そうだね、食べて行こうか」
そう答えると、さほどない選択肢の中からどこへ行こうかと話し合いながら夜の街をゆるゆると歩いていく。
安くて量と味がまあまあなチェーン店に入ると、入り口近くの席にさっきのライブで一緒にいた芸人が座っていた。それぞれ別のコンビの2人だった。
彼らは僕たちに気づくと声をかけてきた。
「あ、おつかれーっす」
さっき劇場で別れた時と同じテンションで声をかけてくる。
それに僕たちも返すと、彼らの1人がハイボールを片手に言ってきた。
「相変わらず2人は仲良いなぁ」
確かに、僕たちのコンビ仲はかなり良いと思っている。
ライブ後にコンビ揃ってこうやって飯を食べるどころか、ライブ前の時間に映画に誘ったりもするし、お互いのバイト先へちょっかいを出しに行くこともある。
そう考えるとレアな仲の良さだと自分でも思う。
「まぁ、仲は良いっすからね」
水城くんがなぜかドヤ顔で答えていた。
奥のテーブル席が空いていたので、そこを選んで座る。
「…あ、ここ、禁煙か」
出しかけたタバコを再びしまいながら水城くんが呟く。メニューのポスターに紛れて貼られた全席禁煙の文字が目に入った。
「分煙から変わったんだ。でも、喫煙ルームあるみたいだよ」
メニュー票を片手に僕が言うと、水城くんは露骨に眉を潜める。芸人は表情でみせる事も必要なので、日頃から表情豊かになりやすい。水城くんはそれが顕著で、クセになっているのか、意識してやっているのかはわからないけれど、本当に表情がコロコロ良く変わる。
「いいや、腹減っているから先に食べよ」
そう言って彼は僕の手のメニュー票を要求する。
そんなことを言っていたものの、注文をした後に水城くんは喫煙ルームに入って行ったんだけれども。
僕はふと、眼鏡の汚れが気になって服の裾で拭いた。
僕らのコンビ名はトップラン。僕はそのボケ及びネタ作成担当の杜永保人(もりながやすひと)、相方はツッコミ担当の水城明良(みずきあきら)。そこそこの歴史と規模を持つ芸能事務所に所属しているお笑いコンビ。漫才が中心だけどコントをやることもある。活動はもっぱら今日のような小規模なライブで、月10本以上は立っている…いわゆる売れていない若手芸人だ。
身長は180ありながらも眼鏡で文系の雰囲気の僕と、中肉中背で黒髪なのにどこかチャラい雰囲気を持つ水城くんとではビジュアルの印象が今一つ足りない自覚はある。見た目の武器が無いのは今のお笑い情勢で認知度を上げるのはやや厳しいとは思っている。
でもまぁ、コンビを組んで1年だからまだまだこれからと言いたいけれど、先にも言ったように個人の芸歴は2人とも4年くらいあるからあんまり悠長なことは言っていられないかもしれない…。
でも、この業界は上を見たらきりがないのは当然として、下を見てもきりがないからスゴイ場所だと思う。
芸歴20年近くあって、結婚して子供がいて、売れていないのに辞めない先輩方は何を考えているんだろうと思うことがある。
社会人としてはどうしようもないと思われるかもしれないけれど、好きな事を続ける事が出来ているのは、尊敬に値する。
僕自身、一度はこの業界から去らなければならないことを考えていた時期がある。
前コンビ時代の3年目に入る前に体調を崩した。世間的には「体調」と言っていたが、実際は精神を病んだのだ。
正確にはすでに病んではいたけれど、活動できなくなるほど病んだ。
あの頃のことは思い出したくないわけではないけど、あまり思い出せない。なんでも、病んだ時と健康な時は脳の動きが変わるらしく、良くなると病んでいる時期の事を思い出せなくなるらしい。
つまり、今の僕は健康になれたんだと思う。
ただ、活動を休止している間に元相方は引退を決意していた。彼は彼で自分の才能に悩んでいたらしい。確かに、大物になれる素質があるかと言われるとなんとも言えない人だった。でも、それは僕自身にも言える事ではあったけど。
そこで僕が活動できなくなり、なにかのタイミングだと彼も思ったのだろう。
人生の方向を修正するのなら、早い方が良いのは確かだから…僕は引き止めず受け入れた。決して彼は僕を見捨てたわけではないことはわかっていたし、僕自身、再び活動できるようになるかわからなかったのだから仕方ない。
絶望するかもしれないと考えなかったわけではないけれど、相方を待たせている。相方に迷惑をかけているという自責の念が無くなったからか不思議と気持ちが軽くなったのは覚えている。
そんな頃から現相方の水城くんとは親しくなった。
所属事務所は違ったけれど、お互い前コンビ時代からライブで一緒になる事が多かったから挨拶や多少の会話はしていた。そして、ひょんなことから住んでいるところが近いとわかったので、それをきっかけに途中まで一緒に帰る事もあった。
前々からそれなりに縁はあったので、より親しくなったと言える。
僕が活動を休止したのと同じころに水城くんの前コンビは解散をしていた。仲は良くも悪くもないコンビだったけれど、前触れなく元相方に解散を切り出されて水城くんはそれを了承したらしい。なんでも、何を言っても無駄な状態だったそうで「捨てられたよ」って水城くんは自虐で笑っていた。
理由は違えどコンビでの活動が終わった2人と言う境遇が似ていたのも理由にあったのかもしれないけれど、水城くんは僕を構ってくれた。
昼間はほとんど寝ていた僕を夜に連れ出して、外の風を浴びながら僕の弱音に適度な相槌を入れながら聞いてくれたのだった。無理に励ますことをしないし、居心地が良かったのは確かで。
水城くんはネタを作らない人だから、新たなコンビを組もうと僕を口説いてくるかと思ったけどそれは無かった。
僕が休業している間、水城くんは他のピン芸人やコンビとユニットを組んで芸人としての活動を続けていた。水城くんがそれなら、僕は復帰したらピンでやって行こうとぼんやり考えていた。
休業してから1年程経って、ようやく僕の症状は安定した。そろそろ復帰しても問題ないと自他ともに判断できるようになっていた。
その頃、水城くんはいくつかのコンビを組んだものの、相変わらず相方を決められずにいた。
例年より、暖かい夜だったのは覚えている。
水城くんに誘われて、夜の散策をしていた時の事だった。公園のベンチで一息ついていた。そろそろ復帰できそうだと僕が伝えると水城くんは「おめでと」と言ってくれた。そして、彼は「俺も安定して活動が出来るようにしないと」と続けた。
「次のあてはあるのかい?」そう僕が問いかけると水城くんの返事は「無い」と短かった。水城くんはタバコを咥えて大きく息を吸い、深いため息とともに白い煙を吐く。
それが夜気に溶けて消えるころ、僕がポツリと言った。
「僕は…ピンでやって行こうかと思ってる」
その言葉に水城くんは無言でうなずいた。
「でも、コンビの方がやりたいことが出来ると思ってる」
次の言葉に水城くんがゆっくりと僕に顔を向けた。表情豊かな彼の表情がこの時はハッキリしていなかったことを覚えている。
「組まない?」
「…良いんじゃない?」
僅かな沈黙の後、水城くんは悪戯っぽい笑みを見せた。
後から考えると、もしかしたら僕は言わされたのかもしれないけど…結果として後悔が全くないので良かったと思っている。
やると決めたのなら後は早かった。
ぼんやりと考えていたネタを台本の形に仕上げて、すぐに水城くんに送った。彼は「早っ」と驚いたもののそれ以上に笑ってた。
僕がネタを考えている間に彼はコンビ名を考えていた。いくつかの候補の中から「トップラン」にした。ぶっちゃけダサいことは否めないけれど、そのダサさが格好つかなくて自分たちに似合っていると思った。一応、休業を挟んだ自分たちが売れるには、トップを走るくらいがんばらなければいけないだろうという気持ちが入っている。しかし、それを素直に言うのは恥ずかしすぎるので、コンビ名の由来を聞かれたら「決める時にたまたま来ていたTシャツに書いてあった」で通すことにした。
そう言うところを決めるのもダサいかとも思ったけど、まぁ、深く考える事でもない。
基本的に水城くんは行動的で、台本が出来てコンビ名が決まったのならと適当なエントリーライブに申し込んで、さくっと初舞台の日を決めていた。僕も早く舞台に復帰したかったので、話が早くて助かった。
ネタ合わせの日々に入って、自分の感覚が鈍っていることを痛感もしたけれど楽しさがある日々を送れるようになった事も自覚出来た。
そして、コンビとしての初舞台は成功と言えるレベルで終わった。
ネタを終え、袖に戻った時に僕は水城くんに自然と「ありがとう」と言葉を伝えていた。その言葉に一瞬、水城くんはきょとんとしていたがすぐにニッといつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なに言ってんすか。礼を言うのは俺の方ですよ」
そして、真剣な目をした。
「これから一緒にがんばりましょ」
薄暗い袖で見た水城くんの目はまっすぐに僕を見ていた。
「…うん。これからよろしくね」
そう返した瞬間が1年振りに立つ舞台より緊張していたと思う。
胸の中に沸き起こる感情を自分で理解してしまった事も、緊張の原因の1つだろう。
僕自身が気づかないふりをしていた感情を実感してしまったから。
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