トム・チェイスの悩み

たける

文字の大きさ
6 / 20
2.

しおりを挟む
仕事を終えたトムは、早々に事務所を出ようとした。するとミカが向かいのカフェから駆けてくる。

「チェイス!彼女、1人で行くつもりなの」
「誰が、どこに?」

アンディも帰宅の準備を終え、トムの横に並んだ。

「ジュリアよ。さっき私が連れて来た子。1人でこの夜道を電気屋に行くんだって!」
「それは危険だよ。是非付き添ってあげないと。もう22時だしね」
「はぁ?成人してるだろ。子供じゃあるまいし。第一、何故俺を見るんだ」

不愉快だ。トムはリュックを背負い直すと、アンディを押し退けて帰ろうとした。その背中にミカの声がする。

「もしレイプされたら……可哀想に……あまつさえ、殺されちゃったりしたら!あぁ、私、すっごく心配だわぁ」

お前が行け、と言われている気分だ。何故自分が、と思いながらも、もしミカが言うような事になれば後味も悪い。

「くそっ!何で俺が!」

悪態を吐きながらも、トムは店を飛び出した。





街灯がほとんどない夜道を、ジュリアは1人歩いていた。彼女はこの街が安全だと信じていたし、暴漢に襲われても大丈夫だと思っていた。
ミカによると、電気屋はカフェから10分程行ったところにあるらしい。そこでプリンターを購入するつもりだった。
昨日からの迷子の為に、貼り紙をしようと決めていた。それには写真もいる。携帯でグレッグの写真を撮り、ノートパソコンに保存したまではいい。だが、肝心のプリンターが壊れてしまっていたのだ。痛い出費だが仕方がない。
ふと、背後からついてくる足音に気付いた。暴漢だろうか、と緊張を走らせる。もし掴まれたら、投げ飛ばしてやろう。そう考えていると、足音が早くなった。やられる前にやってやろうと、ジュリアは思いきって拳を握り、勢いよく振り返りながらパンチを繰り出した。

「うおっ!」

拳は大きな手に受け止められてしまった。だが、相手は暴漢などではなく、隣人のチェイスだった。

「あぁ、ビックリした!どうかしたんですか?」
「別に。俺もこっちに用があるんだ」

すっと手を放したチェイスは、相変わらずぶっすりしている。

「そうなんですか?」

並んで歩き出したのはいいが、会話がない。ジュリアはどうしたものかと思案していた。

「あの、本屋さんで働いてらしたんですね。本がお好きなんですか?」
「いや。あそこしか雇ってくれなかっただけだ」


──そうかしら……


こんなに体格がいいのだ、もっと他に働く場所はあっただろうに、と思う。だがすぐに、話したくない事情があるのだと思った。

「私は、今日から本屋さんの向かいにあるカフェでバイトを始めたんです」

手提げのバッグには、制服が入っている。白いブラウスの胸元に、ヒラヒラとしたレースがあり、スカートは赤いフワフワとしたやつだ。

「そうか」

返事はそれだけだったが、目的の電気屋に到着した為、ジュリアははにかんだ。

「それじゃあ、私、ここに用があるので……」

そう言って店に入ると、チェイスも入ってきた。彼も家電を買いにきたのだろうか、と考えている間に、チェイスはプリンターコーナーで、ジュリアと同じ様に足を止めた。

「プリンターがいるってミカに聞いた」
「えぇ、そうですけど……」

何故ついてくるのかは聞けなかった。

「何に使うんだ?」
「私用です。前まで使ってたやつが壊れてしまったので」

プリンターと言えど、色々な種類があり、値段もまちまちだ。取り敢えずプリントアウト出来ればいいのだが。

「それなら、これはどうだ?」

そう言ってチェイスが指で示したのは、値段も手頃な機種だった。ジュリアは頷いて、それを購入する事にした。
会計を済ませると、梱包されたプリンターをチェイスが担いでくれた。

「ありがとうございます。あの……聞いてもいいですか?」
「何だ」

再び夜道を並んで歩く。

「どうして私に付き合って下さるんですか?」

そう尋ねると、チェイスの耳が僅かに紅潮した。

「ミカに言われたからだ」

それきり、チェイスは黙ってしまった。


──何て言われたんだろう?


きっと、夜道は危ないからとか言われたのだろう。それだけでこうして付き合ってくれるなんて、チェイスはぶっきらぼうだが優しい人なんだと感じた。
やがて家の前までくると、チェイスは荷物を下ろした。部屋の中まで運ぶと言われたが、ジュリアはそれを丁寧に断った。

「ありがとうございます、本当に……」
「いいんだ」

言葉少なにそう言うと、チェイスはさっさと自室に入って行ってしまった。ジュリアは明かりの灯った隣室を見遣りながら、まだ胸がドキドキしていた。





鍵を棚の上に置き、ふっと息をつく。
女は何かと聞きたがる連中だと思っていたが、どうやらバートンは違うようだ。
いや、まだ親しくないからそうなだけかも知れない。
トムは、過去の苦い体験を思い出した。
恋は何度かした事がある。付き合いもあった。だが、どれも深い関係になろうとすると、どうにも相手が面倒な事ばかり要求してくるのだ。
まず過去を知りたがる。次いで職業に口を出してくる。あまつさえ、性格にまで難色を示し出し、結果、顔や見た目が暑苦しいと言われ、破局する。
一体、何がいけなかったのか分からずじまいだ。
他人を変えようとする、それがトムには耐えられない。


──今の自分で何が悪い?そんな自分を好いてくれていたのではなかったろうか?


いや、もういい。過去は済んだ事なのだから。
冷凍パスタを冷蔵庫から取り出して、レンジに放り込む。そしてパソコンを起動させると、隣の部屋から何か重い物が落ちる音がした。


──何を暴れているんだ?


そう思ったが、次の瞬間には食器の割れる音と短い悲鳴が聞こえ、バートンが何かに対して暴れているのだと感じた。急いで引き出しから銃を取り出し、そっと部屋を出る。バートンの部屋は、帰宅しているにも関わらず真っ暗だ。
壁に背をあてながら、少し扉を押してみる。僅かに開いたのを確認し、足音と気配を殺して忍び込んだ。すると影が2つフラフラとしていて、あと1つは床に倒れていた。
部屋の配置は自分の部屋と同じ筈だ、と思い、トムは指を伸ばして明かりのスッチをまさぐる。そして部屋が照らされるなり、銃を構えた。

「何をしている!」

1人の黒ずくめの人間が、倒れているバートンに掴みかかっている。もう1人は部屋を荒らしていた。だが部屋の明かりが灯ったのと、トムが現れたのと同時に、黒ずくめの2人は窓を突き破って逃げて行った。慌てて後を追おうとしたが、体を起こしたバートンがしがみついてきて、出来なくなった。
小さな体が震えている。

「アイツらは何だ?」

銃を尻ポケットに仕舞うと、背中に感じる震えと温もりに体が緊張していた。

「知らない!部屋に入ったら、いきなり飛びかかられたの!」

声まで震えている。トムは暫く荒れた部屋を見回した。
とくに目を惹く金品はない。だが不意に、トムの足元で何かが動いた。視線を落とすと、背中にハートの柄が入ったハムスターがモゾモゾとしていた。


──このハムスターは!


睨むように見据えると、ハムスターはチョコチョコとバートンの方へ歩み寄り、その手の中におさまった。

「そのハムスター……」

漸くバートンの腕が放れ、トムは彼女に向き直った。黒ずくめに殴られたのだろう、唇ら血が出ている。

「グレッグって言います。昨日迷子になってたのを拾って……預かってますって、貼り紙を作ろうかと……」

バートンが狙われた理由が分かった。だがこのハムスターに、どれだけの価値があると言うのだろうか?




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

なほ
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...