ホワイト・ルシアン

たける

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第25章.変動

2.

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監督をリビングに通し、ローテーブルを挟んで向かい合っていた。俺は──どんな話か分からず──緊張していたが、監督はコーヒーを飲み、リラックスしているように見える。

「我孫子監督、お話と言うのは……?」

早く終わらせて帰って欲しくて、俺から口を開いた。

「あれだけ忠告したのに、朋樹と付き合ってるんだな。しかも同棲まで……」

咎める口調ではなく、笑っている。俺は、はい、と認めた。

「その事はまぁ、仕方ない。若いうちってのは、止められれば止められる程、反発したくなるものだ」
「そう言うのじゃありません……」

若いと言ったって、俺はもう35だし、朋樹だってもうすぐ29になる。分別の付かない歳ではない。

「そうか?じゃあ、その話はそのぐらいにして……沢村の話をしようか」

いよいよ本題だと──居住いを正し──唇を濡らすようにコーヒーを含んだ。

「先日は悪かったな。オレも、魔が差した、と言うべきか……その……君に、嫉妬してたんだ」
「嫉妬……?僕に?」

意味が分からない、と言うより、それってむしろ、我孫子監督が康介さんを……

「オレはずっと……沢村が好きだったんだ」

やはり、そうだったのか──って、さっき気付いたばかりなんだけど──と思う。監督は微笑し、当時を思い返すような眼差しを、窓の外へ投げ掛けた。

「出会ったのは、全日本柔道学生優勝大会でだったんだけど……アイツは大学1年で、オレは4年だった。一目惚れ、って言うのかな……うん。きっとそうだ」
「と言うと……」
「もう30年……片想いだった」

見かけによらず、随分と一途な人だったんだと驚く。感嘆の息を漏らすと、監督は顎髭を擦った。

「別に、どうこうなりたい訳じゃないんだ。ただアイツが……君をまだ好きみたいでね」
「そ、そんな……」

そんな事を言われても困る。俺は朋樹と……

「正直、君は沢村の事をどう思ってるんだ?朋樹の事は抜きにして」
「どうして貴方に教えないといけないんですか?」
「アイツから、何か言われなかったか?カクテルをプレゼントしてもらったとか……」

ふーっと息を吐き──落ち着きを取り戻してから──2人で飲んだカクテルを思い出す。

「再会してすぐ、アフィニティとオリンピックをいただきました」

監督はカクテルの名前を言う度、携帯で意味を調べているようで、俯いている。
それぞれ、触れ合いたい、と言う意味と、待ち焦がれた再会、と言う意味だ。

「それだけか?」
「いえ……別れ際にライラを……その時は、何のカクテルか教えてくれなくて、分かったら連絡してと言われました」

今、君を想うと言う意味だと知ったけど、最後はまた、別のカクテルだった。

「最後にいただいたのは、プリンセス・メアリーでした」

そう伝えると、ふ、と顔を上げて俺を見つめてきた。

「どうして?」
「そんなの、僕に分かる筈ないじゃないですか!」

あの時俺は、康介さんに突き放された。
確かに朋樹の事は好きだったし、恋をしている自覚もあった。


──だけど俺は、康介さんを……!


気持ちを伝える事も許されなくて、ただ、受け入れるしかなかった。
涙が流れていた。

「……その涙だけで十分だよ」

それは、康介さんと同じ台詞だった。

「朋樹を……愛していない訳じゃないんです……」
「あぁ、分かてる」
「伝えたかった……」

顔を覆う。涙が止まらない。

「伝えなきゃ駄目だ。ちゃんと終わらせないと」

監督はそう言い、俺の前に携帯を差し出した。

「アイツは終わらせる事を怠った。君にそんな辛いしこりだけ残すなんて……!」

涙を拭い、差し出された携帯を見遣る。するとその画面には、ホワイト・ルシアンと言うカクテルが表示されていた。

「これをプレゼントして、ちゃんと終わらせるんだ」


──ホワイト・ルシアン……愛しさ……


「なぁ剣崎君。以前も言ったけど、沢村はオレの任期が終わったら、オリンピック日本代表の監督になる男だ」
「そう……なんですか……?」
「あぁそうさ。オレが委員会に推してる。それに、来月から強化合宿も行う予定なんだが、それにも特別コーチとして帯同してもらおうと思ってる」

何が言いたいのか分からず、首を捻る。

「きっとアイツにも、痼となって残ってる筈だ。そんなの、お互いに苦しいだけだろう。だから、例え結ばれなくとも、気持ちは伝えておくべきだと、オレは思う」

力強い眼差しに、そうなのかも知れないと思った。


──最後だからこそ、正直な気持ちを……


「考えてみます」
「あぁ、そうしてくれ」




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