あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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アマメと私

アマメと私 その3

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〝黄色いワンピースの怪〟から一週間経ったその日。私は市内の妙音沢という場所にいた。

 新座第三中学校の裏手にあるその沢は、1000m超の宙空にあってなおこんこんと水が湧き続けていることから、浮遊当初には大変な注目を浴びた土地である。しかし、今となってはここを訪れる者はよほどの物好きか、近道目的の中学生くらいしかいないのだから寂しいものだ。

 もちろん私は学校帰りの中学生などではないので、よほどの物好きに分類されることになる。確かに、私は妙音沢へしばしば散歩へ出かける物好きではあるのだが、私のその日の目的は純粋な散歩、あるいは健康的な森林浴というわけではなかった。

 私はとあるバイトのためにこの地にいた。内容は、妙音沢の湧水と土の採取。賃金は日当で二万円。雇い主はもちろんというべきか茂川先生である。単位は頂くわけにいかないが、賃金という形で頂く労働に対する正当な対価であるのならば問題はないだろう。

 何故先生はこのようなことを私にやらせるのか。曰く、これもまた新座浮遊の謎を探るためらしいが、詳しいことはよく知らない。ただ、どう考えても先生が提唱していた〝宇宙人観察説〟とは合わない内容のバイトである。

 新座上空にカモメを飛ばしたあの日を過ぎてから依頼されたバイトであることを考えると、あまりに荒唐無稽――もとい、革新的な茂川先生の新説は、NNSには受け入れられなかったのだろう。

 私がスコップを使ってそこら中の土を掘り返し、新座市民的勘を用いて「これだ」と思った色合いをした土をガラス管に詰める作業をしていると、ふいに誰かが背後に立つ気配がした。振り返ると、そこにいたのはなんと例のワンピース少女であった。

 私は「わひゃあ」と情けない悲鳴を上げ、その場に尻もちをついた。

「お助けっ!」
「落ち着いてよ。呪い殺したりしないから大丈夫だよ」

 やけに落ち着き払った声色で女の子はそう言った。私は恐る恐る彼女の顔を見て、「本当かい?」と訊ねた。

「本当だよ。幽霊じゃないんだから」
「ならよかった。安心したよ」

 私は尻に付いた泥を掃うと、「オバケなんて無いさ」を鼻歌で歌いながら土いじりを再開した。女の子はそんな私の隣にしゃがみ込み、「何してるの?」と聞いてきた。

「仕事だよ、仕事」

「ふうん」と女の子は興味なさそうに鼻を鳴らす。

「楽しい?」
「楽しくはないなぁ。なんというか、充足感がない」
「でも、機嫌良さそうに歌ってた」
「君が幽霊でないとわかったからね。気分がいい」

 私は土をガラス管に詰めながら、「君こそ、あの時なにをしてたんだい」と訊ねた。

「あの時って?」
「この前、大和田の氷川神社で会ったじゃないか」
「そういえば、そんなこともあったね。いま思い出した」
「のんびり屋さんだなぁ」

 その時、冷たい風が私達の間を通り抜けた。もしやまた女の子が消えてしまうのかとほんの一瞬だけ危惧した私であったが、それは全くの杞憂であった。女の子はそこにあり続けたままに、「くちゅん」と小さなくしゃみをして鼻をすすった。

「いくら子どもは風の子といえど、そんな格好で寒くないのかい」
「寒くなかったらくしゃみなんてしないよ」

「それもそうだ」と言った私は、上着を脱いで彼女の肩に掛けた。

「この前もお姉さんに同じことしてたね。趣味なの?」
「趣味ではないかな。ただ、おばあちゃんから、女の子は助けるようにって教えられてね」
「いいおばあちゃんだね」

 そう言って女の子は私の手からスコップを奪うと、私がやっていたように土いじりを始めた。「手伝ってくれるのかい?」と私が訊ねると、彼女は長い髪をほとんど揺らさず小さく頷いた。上着のお礼のつもりなのだろうか。愛想はあまり良くはないが、可愛げのある面も持ち合わせているらしい。

 この場を女の子に任せることにした私は、沢の傾斜の下流にある小さな池のところまで行って、そこで淀みのない水を汲んでガラス管に詰める作業を始めた。五分ほどして元の位置まで戻ってくると、女の子の方もまた作業を終えたところであった。

「終わった?」と女の子は私に尋ねた。

「うん。おかげで仕事が早く終わった。助かったよ」
「そか、よかった。じゃ、行こうか」
「行こうってどこへ?」

 女の子は私の手を掴むと、無機質な表情で言った。

「知らないの? 労働には、正当な対価が与えられるんだよ」





 女の子に連れられるまま妙音沢を出た私は、彼女と共に近所の飲食店に入った。看板も出ていないその店は、この界隈では〝でんや〟と呼ばれて親しまれているおでん屋である。黒はんぺんと牛すじが名物で、私の父も中学生のころには学校帰りによく通っていたとのことだ。

 店の引き戸をがらがらと開けると、暖気と共にかつおだしの匂いが私達を包み込んだ。それだけでどうしようもないくらいにお腹が空いて、表情が綻んでくる。
店内にはレトロゲームの筐体がふたつと、三人掛けの木製ベンチが二台、向かい合うようにして置いてある。硝子窓で仕切られた向こうで作業している女将に、「お任せふたつに温かいお茶を」と注文した私は、対面の女の子と改めて向き合った。

「それにしても、君はここらじゃ見ない顔だね」
「そう? 昔からずっとここにいるけど。お兄さんのことも知ってるよ。ナリヒラくん、でしょ?」
「誰から聞いたんだい、それ」と、呆れた私はため息を吐く。

「僕の名前は在原行人。きちんと覚えて貰わなくちゃ」
「ナリヒラくんって呼ばれるのが嫌いなの?」
「そういうわけじゃないよ。でも、その呼び方は少し特別なんだ」

 おでんに先駆けて温かいお茶が運ばれてきて、それを受け取った私はそのうちのひとつを女の子に手渡した。

「そういう君はなんて名前なんだい。僕ばっかり名乗るのも不公平だろう」

 女の子はお茶を一口すすると、白い息を吐きながら、「アマメ」と詰まらなさそうに呟いた。

「いい名前だ。苗字は?」

「知らない。もう忘れちゃった」とアマメはとんでもないすっとぼけ方をした。

 やがておでんが乗せられた白い器が私達の元に運ばれてきた。ちくわ、大根、もち巾着とウインナー、それに名物の黒はんぺんと牛すじ。どれから食べようか思案する私をよそに、アマメは黒はんぺんに手を付けた。

「美味しいかい」と私が訊ねると、アマメは「慣れた味」とだけ言った。なんとも今風で、かわいげのない答えであろうか。

 迷った挙句、私は大根にたっぷり練りからしを付けて食べた。一口噛むだけでジュワっとだし汁があふれ出てきて、身体の芯から熱くなる。

「それにしても、アマメはなんで妙音沢になんか居たんだい」
「やることもないから。じゃないと、お兄さんの仕事なんて手伝ったりしないよ」

 アマメはウインナーをもごもごとかじった。

「よかったらもっと手伝うよ。暇だし、お兄さんは簡単にご飯奢ってくれるし」
「君の善意はありがたいけど、もうこの仕事は終わりだからね。次の機会があるのかもわからないよ」
「なーんだ。つまんないの」

 その時、店の外から聞き覚えのある「クークー」という鳴き声が聞こえてきた。まさかと思い外に出ると、そこにはおすまし顔の憎いヤツ――レプリカモメがいた。彼の首には小さな鞄が掛けられており、開けてみればそこには、ミミズがジャズダンスでも踊った跡のような汚い文字で走り書きされたメモと、諭吉先生が二名鎮座していた。

『採取したサンプルはこちらによろしく。もがわ』

 よろしくと言われても、土と水のサンプルを合わせればガラス管は二十本もある。鞄にはなんとか入りきるだろうが、このカモメがそんな重いものを持って飛べるのだろうか?

 心配する私がレプリカモメを見ると、彼は「オイオイ。俺を誰だと思ってるんだい?」とでも言いたげに「クー」と鳴いた。その間の抜けた鳴き声が、なんだか無性に頼もしく私の心に響いた。

 大きく頷いた私は鞄から報酬である諭吉先生を取り出し、その代わりにサンプルを詰めた。レプリカモメは見せびらかすようにバサッと翼を広げ、2,3歩助走をつけた後、新座の空へとさも重そうに羽ばたいていった。

「落ちるんじゃないぞ!」

 レプリカモメに手を振って、見送りを済ませてから店に戻ると、どうしたことかアマメの姿がどこにも無かった。女将に彼女がどこへ行ったのかを訊ねたが、「さあねえ」と答えるばかりだった。

「一緒に外へ出たんじゃないのかい?」

 女将の言葉を聞いた時、私の背中に冷たいものが走った。私は女将と共に店の中を隅々まで探したが、彼女の姿は影も形も見当たらなかった。彼女の存在が夢や幻や集団幻覚ではないことは、彼女が食べ残したおでんと、私の上着が消えたことが証明していた。
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