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佐和田さんと私
佐和田さんと私 その1
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新座の観光名所はどこかと尋ねられた時に、真っ先に浮かぶのは平林寺であろう。というよりも、新座が市外に誇れる観光地といえばそこしかないと思われる。
――金鳳山平林禅寺。足利尊氏と後醍醐天皇の間に起きたいざこざのせいで、日本国内に朝廷がふたつあったという、なんとも混乱した時代に創建されたこの寺は、かの松平信綱公によって埼玉県の岩槻から野火止――つまるところは新座に移されて以来、元号が幾度と変わろうと、戦争や災害にさらされようと、そしてこの地が空に浮こうと、変わらずここにあり続けた。
派手ではないが荘厳な雰囲気を蓄えた本殿の裏手には、信綱公とその奥方、さらには松平家一族の廟所がある。さらに奥へと足を延ばせば、武蔵野の原風景を思わせる雑木林がどこまでも広がっており、春になると満開の桜が、秋になると色気づいた紅葉が拝観者を出迎える。新座市民は中学生に上がる前に必ず一度はこの地を訪れるという。
浮遊以前は新座市民のみならず、県外からも多くの人がここを訪れたというが、今となってはここへ来るのは熱心な参拝客だけか、暇を持て余した物好きばかりである。
言うまでもなく、私は後者だ。
〇
茂川先生から突然電話があったのは、十二月二十九日の午前十時過ぎのことであった。自室の大掃除をしているうちに、たまたま見つけた織田作之助の小説をつい読みふけっていると、それを咎めるように私の携帯電話が鳴りだした。
電話を取ると、茂川先生はやけに上機嫌な声で「今日会えないかな」と訊ねてきた。
「それはまた急な話ですね。どうしましたか?」
「お祭りの件でストックしていた例の〝お願い〟を使おうかと思ってさ。それで、どうかな?」
「構いませんよ。予定もありませんでしたし」
それから私達は三十分後に近所にあるレストランの駐車場で待ち合わせることになった。私は読みかけの小説を本棚に押し込めて、「大掃除完了!」と自分に言い聞かせ、家を出る準備を始めた。
支度を済ませて一階へ降りると、母が掃除機をかけていた。捕まると面倒なので何も言わずに出ようとすると、母はこちらを見ないまま「どこ行くの?」と訊ねてきた。
「ちょっとね。大学の先生から急な呼び出しがあったんだ」
「あら。なにか褒められるようなことでもやったの?」
「さあ」と私は誤魔化した。
「わからないけど、叱られるようなことは無いと思うから安心して」
「ならいいの」と言って、母はそれ以上引き留めようとしなかった。
クリスマスイブに降った雪が新座には未だ残っている。市内総出で行った雪かきによって、歩く分には問題ないように雪が脇にのけられているが、自転車を走らせるのはまだ怖い。恐らく、年明けまでは自転車を走らせることは出来ないだろう。
約束の時間より少しだけ早く待ち合わせ場所に到着すると、茂川先生は既にデロリアンを停めて待っていた。しかし、今日の先生の相方はデロリアンだけではなかった。彼の隣には、上下ゾウキリン柄のスウェットを着た女性がいる。いかにも怪しいその風体から、私はその人物をNNSのメンバーだろうと推理した。
「茂川先生、おはようございます」
挨拶をしながら近づくと、こちらに気が付いた先生は「やあ」と軽く手を挙げた。続けてゾウキリンスウェットの女性がこちらに歩み寄り、手を伸ばして握手を求めてきた。
「君が在原くんか。話は茂川からよく聞いているよ。佐和田だ」
「はあ」と私は握手に答える。
「在原です。私は、あなたのことを聞いた覚えはありませんが」
「だろうな。彼は口を開けば新座のことしか喋らないから。まあ、それは私もだがね」
佐和田さんは口元にキザっぽい笑みを浮かべる。男性のようなさっぱりとした喋り方と切れ長の目つきは、どこか宝塚の男役を思わせる。だというのに、あのファンシーな服装はなんだろうか。
コーディネーターをつけて貰った方がよいのではないだろうかと、私が真剣に考えていると、そんな私の考えを読んだのか佐和田さんは「この格好が気になるかい?」と訊ねてきた。
「気にならない人はいないと思います」
「私的には大変気に入っているのだが、そんなに似合ってないだろうか」
「ええ。申し訳ありませんが、しまむらでなにか適当に見繕った方がよろしいかと」
「正直な子だな」と佐和田さんは大いに笑い、「だろう」と茂川先生がそれに続けてさらに笑った。何が面白いのかはさっぱりわからなかった。
「この洋服はね、私自らがデザインしたんだ。実のところ、私はゾウキリンが大好きでね。たとえ似合っていなくとも着続けるつもりさ。ファッションなんてものは、つまるところ自己満足でいいんだから」
佐和田さんの自信あふれる論説に、私は「なるほど」と頷いた。彼女の言葉には、こちらが納得せざるを得ない迫力が秘められていた。説得力というものは往々にして自信から生まれる。
詳しいことは車で説明してくれるということなので、私はデロリアンのラゲッジスペースに乗り込んだ。茂川先生の運転によりデロリアンが宙に浮いたところで、今日の目的が佐和田さんの口から説明された。
「今日、君には平林寺に行ってもらいたい。生粋の新座市民であれば、難なくあの場所へ入ることが出来るだろう?」
「たとえ生粋の新座市民でなくとも、平林寺には入れると思いますが」
「それが、私達NNSのメンバーの場合は例外でね。私達は会の規律で拝観を許されていないんだ」
「……あの中でなにをしたんですか」
「よほどのことさ」と佐和田さんは楽しげに笑った。
「しかし安心してくれ。在原くんにはその、〝よほどのこと〟をやらせるつもりは毛頭ない。ただ、採取してきて欲しいものがあるだけなんだ」
「あそこの自然は持ち帰ることは出来ないんですよ。自然は自然のまま楽しみましょうというのが平林寺の考えです」
「別に、樹齢五百年を超える高野槙や、〝さざれ石〟を持ってきてくれなんて言うつもりはない。松ぼっくりを三十個ほどと、あの寺にある放生池の水を汲んできて欲しいだけなんだ。それくらいなら構わないだろう?」
構うか構わないかは私が決めることではない。しかし、茂川先生には季節外れの夏祭りの礼がある。松ぼっくりと池の水であれを返せるのならば、安いものではなかろうか。
私は少し迷った後、「わかりました」と覚悟を決めた。「私だって男です。やってやろうじゃないですか」
「いいぞ。男は少しくらいアウトローの方がかっこいいものだ」
佐和田さんはバックミラー越しにグッと親指を立ててみせた。
――金鳳山平林禅寺。足利尊氏と後醍醐天皇の間に起きたいざこざのせいで、日本国内に朝廷がふたつあったという、なんとも混乱した時代に創建されたこの寺は、かの松平信綱公によって埼玉県の岩槻から野火止――つまるところは新座に移されて以来、元号が幾度と変わろうと、戦争や災害にさらされようと、そしてこの地が空に浮こうと、変わらずここにあり続けた。
派手ではないが荘厳な雰囲気を蓄えた本殿の裏手には、信綱公とその奥方、さらには松平家一族の廟所がある。さらに奥へと足を延ばせば、武蔵野の原風景を思わせる雑木林がどこまでも広がっており、春になると満開の桜が、秋になると色気づいた紅葉が拝観者を出迎える。新座市民は中学生に上がる前に必ず一度はこの地を訪れるという。
浮遊以前は新座市民のみならず、県外からも多くの人がここを訪れたというが、今となってはここへ来るのは熱心な参拝客だけか、暇を持て余した物好きばかりである。
言うまでもなく、私は後者だ。
〇
茂川先生から突然電話があったのは、十二月二十九日の午前十時過ぎのことであった。自室の大掃除をしているうちに、たまたま見つけた織田作之助の小説をつい読みふけっていると、それを咎めるように私の携帯電話が鳴りだした。
電話を取ると、茂川先生はやけに上機嫌な声で「今日会えないかな」と訊ねてきた。
「それはまた急な話ですね。どうしましたか?」
「お祭りの件でストックしていた例の〝お願い〟を使おうかと思ってさ。それで、どうかな?」
「構いませんよ。予定もありませんでしたし」
それから私達は三十分後に近所にあるレストランの駐車場で待ち合わせることになった。私は読みかけの小説を本棚に押し込めて、「大掃除完了!」と自分に言い聞かせ、家を出る準備を始めた。
支度を済ませて一階へ降りると、母が掃除機をかけていた。捕まると面倒なので何も言わずに出ようとすると、母はこちらを見ないまま「どこ行くの?」と訊ねてきた。
「ちょっとね。大学の先生から急な呼び出しがあったんだ」
「あら。なにか褒められるようなことでもやったの?」
「さあ」と私は誤魔化した。
「わからないけど、叱られるようなことは無いと思うから安心して」
「ならいいの」と言って、母はそれ以上引き留めようとしなかった。
クリスマスイブに降った雪が新座には未だ残っている。市内総出で行った雪かきによって、歩く分には問題ないように雪が脇にのけられているが、自転車を走らせるのはまだ怖い。恐らく、年明けまでは自転車を走らせることは出来ないだろう。
約束の時間より少しだけ早く待ち合わせ場所に到着すると、茂川先生は既にデロリアンを停めて待っていた。しかし、今日の先生の相方はデロリアンだけではなかった。彼の隣には、上下ゾウキリン柄のスウェットを着た女性がいる。いかにも怪しいその風体から、私はその人物をNNSのメンバーだろうと推理した。
「茂川先生、おはようございます」
挨拶をしながら近づくと、こちらに気が付いた先生は「やあ」と軽く手を挙げた。続けてゾウキリンスウェットの女性がこちらに歩み寄り、手を伸ばして握手を求めてきた。
「君が在原くんか。話は茂川からよく聞いているよ。佐和田だ」
「はあ」と私は握手に答える。
「在原です。私は、あなたのことを聞いた覚えはありませんが」
「だろうな。彼は口を開けば新座のことしか喋らないから。まあ、それは私もだがね」
佐和田さんは口元にキザっぽい笑みを浮かべる。男性のようなさっぱりとした喋り方と切れ長の目つきは、どこか宝塚の男役を思わせる。だというのに、あのファンシーな服装はなんだろうか。
コーディネーターをつけて貰った方がよいのではないだろうかと、私が真剣に考えていると、そんな私の考えを読んだのか佐和田さんは「この格好が気になるかい?」と訊ねてきた。
「気にならない人はいないと思います」
「私的には大変気に入っているのだが、そんなに似合ってないだろうか」
「ええ。申し訳ありませんが、しまむらでなにか適当に見繕った方がよろしいかと」
「正直な子だな」と佐和田さんは大いに笑い、「だろう」と茂川先生がそれに続けてさらに笑った。何が面白いのかはさっぱりわからなかった。
「この洋服はね、私自らがデザインしたんだ。実のところ、私はゾウキリンが大好きでね。たとえ似合っていなくとも着続けるつもりさ。ファッションなんてものは、つまるところ自己満足でいいんだから」
佐和田さんの自信あふれる論説に、私は「なるほど」と頷いた。彼女の言葉には、こちらが納得せざるを得ない迫力が秘められていた。説得力というものは往々にして自信から生まれる。
詳しいことは車で説明してくれるということなので、私はデロリアンのラゲッジスペースに乗り込んだ。茂川先生の運転によりデロリアンが宙に浮いたところで、今日の目的が佐和田さんの口から説明された。
「今日、君には平林寺に行ってもらいたい。生粋の新座市民であれば、難なくあの場所へ入ることが出来るだろう?」
「たとえ生粋の新座市民でなくとも、平林寺には入れると思いますが」
「それが、私達NNSのメンバーの場合は例外でね。私達は会の規律で拝観を許されていないんだ」
「……あの中でなにをしたんですか」
「よほどのことさ」と佐和田さんは楽しげに笑った。
「しかし安心してくれ。在原くんにはその、〝よほどのこと〟をやらせるつもりは毛頭ない。ただ、採取してきて欲しいものがあるだけなんだ」
「あそこの自然は持ち帰ることは出来ないんですよ。自然は自然のまま楽しみましょうというのが平林寺の考えです」
「別に、樹齢五百年を超える高野槙や、〝さざれ石〟を持ってきてくれなんて言うつもりはない。松ぼっくりを三十個ほどと、あの寺にある放生池の水を汲んできて欲しいだけなんだ。それくらいなら構わないだろう?」
構うか構わないかは私が決めることではない。しかし、茂川先生には季節外れの夏祭りの礼がある。松ぼっくりと池の水であれを返せるのならば、安いものではなかろうか。
私は少し迷った後、「わかりました」と覚悟を決めた。「私だって男です。やってやろうじゃないですか」
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