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佐和田さんと私
佐和田さんと私 その2
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新座市役所の駐車場にデロリアンを着陸させた茂川先生は、私に空のペットボトルと麻袋を持たせ、佐和田さんと共に「よろしく頼むよ」と敬礼した。渡されたものを肩に掛けた私は、背筋を伸ばして「行って参ります」と敬礼を返す。気分はさながら危険地帯へ赴く共産圏の諜報員である。
市役所の駐車場から正面を見れば、道路を挟んで平林寺の敷地を囲むフェンスが見える。市役所から左手に向かって野火止用水沿いの道路を五分ほど進むと表門があるので、そこから堂々と入山する。受付でこっくりこっくりとしているお婆さんに、「お邪魔します」とそっと声をかけた私は、拝観料の五百円玉を受付の台に置き、平林寺境内に足を踏み入れた。
雪が残っているのは平林寺も例外ではない。伸びる石畳の脇に雪がのけられており、歩けるようにはなっているが、歩く人は誰もいない。ただでさえここに訪れる人は少ない上に、雪が降った後なのだから、それも無理はないことである。
金剛力士像が見守る山門をくぐり、雪帽子を被った仏殿を眺めながら石畳の道を進んでいくと、茂川先生の言っていた放生池が見えてくる。池の周りに植えられた桜は、裸一貫で冬が終わるのをじっと待っている。ふわふわの苔を腹回りに蓄えたアカマツや冬焼けした葉を蓄えたヒノキと比べると、なんとも男らしく立派である。
私は池の周囲に置かれたベンチに腰掛けて、それとなく周りを見渡した。春から秋にかけての季節と違って葉を落とした木々が目立ち、なんとなく物寂しい。耳を澄ましてみても、誰かが雪を踏みしめるような音は聞こえてこない。
「今しかない」と考えた私は、麻袋からペットボトルを取り出し、池の周りの柵に前かがみになるよう身体を預け、素早く水面に手を突っ込んだ。痛いくらいに冷たくて、私はたまらず声を上げそうになったが、寸前のところでなんとか声を呑み込んだ。NNSのメンバーと同じように出禁になっては堪らない。
水の採取は一分とかからず終わった。私は急いでペットボトルにふたをして、濡れているのも構わずにそれを麻袋に突っ込んだ。水面を叩いて音を上げたせいで、餌と勘違いした鯉がこちらへ寄ってくる。「何もないよ」と言った私は、手の平に白い息を当てながら放生池を早足で後にした。
さて、次は松ぼっくりの番である。本殿の近くで採取していてはいつ寺の和尚に見つかるかわからないので、私は平家廟所の裏手にある松林まで向かうことにした。
ざっくざっくと雪を踏みしめながら散歩道を歩く。透き通った冷たい空気が大変心地よく、すれ違う人は誰もいないが、しかし油断は禁物である。私の目論見を感じ取った明哲な和尚が、いつ何時「止めておきなさい」と声をかけてくるかわからない。
背後を警戒しているうち、自分で思っていた以上に歩いてしまったらしい。気づけば私は、松林のかなり奥まったところまで来ていた。しかしここまで来てしまえば和尚に咎められるようなこともまずないだろう。
ホッと息を吐いた次の瞬間、私の視界に入ってきたのは奇妙な男性であった。顔の半分にひげを蓄え、バイク乗りのような黒革のジャンパーを羽織ったその出で立ちは、実にワイルドで実にダンディーである。
このように、見た目だけならおかしな点は何もないのだが、彼を近寄りがたい存在としているのはその行動である。彼は船着き場から沖を眺める孤高の船乗りの如く、立ち入り禁止の柵に囲まれた野火止塚という名の小高い塚の上に立ち、睨むような目つきでどこか遠くを見つめていた。
いったい彼は何者なのか。寺の関係者ではないだろうが、絡まれては面倒なことになるだろう。
そう直感した私は、忍び足でその場を去ろうとしたが、二歩とも歩かないうちに「待て、小僧」とその男性に引き留められてしまった。
「逃げるつもりか」
「滅相もありません」と私は即座に足を止めた。なぜだか彼には逆らえないような気がしたのである。
「ただ、お忙しいようでしたので、邪魔をしてはいけないと思いまして」
「こうやって景色を見ているのが、忙しいように見えるか」
「忙中閑あり。すなわち、閑中忙ありです。私にはとても忙しいように見えましたよ」
「物は言いようだな」
彼は雪に覆われた野火止塚を滑り降りると、私の元へと歩み寄ってきた。身長は2m以上あるだろうか。顔のしわからはだいぶ年齢を重ねていることが読み取れるが、それとは裏腹に身体つきは惚れ惚れするほどに逞しく、そして威圧感があった。
彼は私を見下ろしながら、「ちんちくりんだな」と言った。「それでも新座の人間か」
「私がちんちくりんなのではなく、貴方が大きすぎるのでしょう。そのひげもその身体つきも、大変男らしくて羨ましい。貴方のように歳を重ねたいものです」
「ツマラン世辞を使う奴だ」と彼はまんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。
「お前、名前はなんという?」
「生まれも育ちも新座の生粋の新座人、在原行人といいます」
すると彼は途端に顔を真っ赤にして、「在原だと!」と声を荒げ、私に詰め寄った。
「まさか、あの男の子孫かなにかではないだろうな!」
「お、落ち着いてください。あの男とは誰ですか」
「あのいけ好かない歌人……在原業平に決まってるだろう! そんなこともわからんのか!」
私は顔がカっと熱くなるのを感じた。いくら青前さんに〝にぶちん〟と罵られることのある私であろうと、あの女たらしの血を受け継いでいると言われて黙っていられるわけがなかった。
「苗字が一緒だからといって、あの男と一緒にするのは止めていただきたい」と私は彼を睨み返した。
「私は分別のある人間です。もしも愛を誓う時がくるのならひとりに対してだけだ。あっちこっちと様々な女性に目移りする、恋に恋する好色一代男の子孫なんて言われちゃ我慢出来ません」
早口でまくし立てられた彼は、不服そうに口を真一文字にした。睨み合いがしばらく続いた後、やがて彼は口元を緩めニッと笑った。
「なるほど。どうやらお前は俺と同じであの男が憎いらしい」
「憎いとは思っていませんが、しかし好きではないことは確かです」
「同じことだ。同士が増えて俺は嬉しいぞ」
彼は満足げにひげを摘まみながら言った。
「郡司長勝だ。知らん名ではないだろう」
「確かに。その名前はどこかで聞いたことがありますね。確か、在原業平に娘さんを――」
「その話をするな! 思い出したくもない!」
瞬間湯沸かし器のように瞬時に顔を真っ赤にした郡司氏は拳を振りかざす。私がすかさず「申し訳ありません」と平謝りすると、彼は拳をゆっくりと解いて、「一度目ならば許す」と慈悲深さを見せた。
「……まったく。お前は呆れる男だ、ユキヒト。人の逆鱗に容易く触れおって」
私は再度「申し訳ありません」と頭を下げながら、この人は何者なのだろうかと考えた。
少なくとも、本物の郡司長勝氏でないことは確かなのだが。もしかすると、病院か何かから逃げ出してきた、自分のことを郡司長勝と思い込んでいる危ない人なのかもしれない。
市に連絡した方がいいのではと本気で考え始めていると、郡司氏は勝手に在原業平という人物がいかにどうしようもない男であるかということを語り始めた。
夫のいる女に平気で手を出した話や、美人姉妹の両方にお手付きして修羅場になった話、全国各地に飛び回ってはウブな娘を手籠めにして家に連れ帰った話など、その力のこもった話っぷりといったら、まるで本当に彼の悪事を見てきたかのようであった。
「この寺には業平塚という名の塚がある。いつ潰そうかと考えてるんだが、どう思う?」
郡司氏はそんな物騒なことを大真面目な顔で言った。そんな彼の元を私が解放されたのは、小一時間ほど経ってからのことだった。
〇
郡司氏と別れた私は、彼から見えないところまで歩いてからそこで松ぼっくりを拾い、逃げるように平林寺を後にした。景色も見ずに早足で散歩道を歩く私の背中を見た和尚が、全てを見抜いて私を咎めるようなことは幸いにも起きなかった。
相変わらずこっくりこっくりしていた受付のお婆さんを横目に正門を出て、真っ直ぐ歩いて駐車場まで戻ると、先生達がそわそわしながら私の戻りを待っていた。
約束の物が入った麻袋を佐和田さんに手渡すと、彼女は「よくやった」と言って笑顔を見せた。「念のために聞くけど、寺の人間に見られなかっただろうね?」
「ご安心を。私はそんなうかつな人間ではありませんから」
「ならいいんだ」と言って、佐和田さんは麻袋を開ける。中に入っていた松ぼっくりをひとつ取り出した彼女は、目を潤ませて恍惚の笑みを浮かべると、あろうことかそれに軽い口づけをした。私はなにやらいけないものを見てしまった気分になった。
私が思わず目を伏せていると、茂川先生がこっそり耳打ちしてきた。
「今回は助かったよ。君のおかげで彼女も大喜びだ」
「構いません。しかし、佐和田さんはあんなものを何に使うつもりなのですか」
「わからない。けど、あまり褒められたことに使うわけじゃないことは間違いないよ。彼女は、NNSの中でも異端児で通ってるくらいだから」
強化変人集団ことNNSの中ですら鼻つまみ者扱いとは、いったい彼女はどのような傑物なのだろうか。知りたくもあったが、そんなくだらない興味よりも恐怖が勝り、私はそれ以上聞くのを止めておいた。
松ぼっくりを一通り眺め終えた佐和田さんは、私に改めて「ありがとう」と礼を述べて握手を求めた。私がそれに応じると、彼女は「おや」と声を上げ、私の胸元を凝視した。彼女が獲物を見つけたチーターの如くじっと見つめていたのは、私の首に掛けられている、アマメから貰ったゾウキリンのネックレスであった。
「なんだい。なんだというんだい、その素敵なものは。そんなもの、見たことないぞ」
「友人から貰ったのです。肌身離さず持っておくようにと言われたので、そのようにしています」
「なるほど。つまりそれは、形見のようなものなのかい」
「そういうわけではないのですが……大切なものではあります」
私はその言葉の裏に、「譲りませんよ」という意思を見え隠れさせた。そうでもしなければ、彼女はすぐさま財布を取り出して、値段の交渉に入っていただろう。
佐和田さんはしばらくの間、物欲しそうな視線で私とネックレスを交互に見ていたが、やがて私の意思を汲み取ったのか、心底悔しそうに唇を歪ませ、「わかった」という言葉を喉から絞り出した。
「私だって分別のあるオトナだ。無理にとは言わないさ」
「そうして頂けると助かります。大事なものなのです、それなりに」
その〝それなり〟という言葉がいけなかった。佐和田さんは「なら譲ってくれてもいいじゃないか!」と悲壮な声を上げながら、両肩を掴んで私の身体を揺らした。
「す、すいません。言葉のあやでした。本当はとても大事なものです」
「ウソだ! 実は大して大事でもないのに、私に見せびらかそうとしているだけなんだろう!」
「落ち着いてください。落ち着いて」
私を睨んでいた佐和田さんは、やがてその手をゆっくりと放して、「申し訳ない」とうつむいた。「つい熱くなりすぎた。悪い癖が出たようだ」
「いいんです。熱くなれるものを持っていた方が、人生きっと楽しいですよ」
「いいことを言うじゃないか、在原くん」
佐和田さんは力なくウインクすると、よろめきながらデロリアンに乗り込んだ。視線だけでそれを追って息を吐いた茂川先生は、私に「悪かったね」と頭を下げた。
「彼女に悪気は無いんだ。許してやって欲しい」
市役所の駐車場から正面を見れば、道路を挟んで平林寺の敷地を囲むフェンスが見える。市役所から左手に向かって野火止用水沿いの道路を五分ほど進むと表門があるので、そこから堂々と入山する。受付でこっくりこっくりとしているお婆さんに、「お邪魔します」とそっと声をかけた私は、拝観料の五百円玉を受付の台に置き、平林寺境内に足を踏み入れた。
雪が残っているのは平林寺も例外ではない。伸びる石畳の脇に雪がのけられており、歩けるようにはなっているが、歩く人は誰もいない。ただでさえここに訪れる人は少ない上に、雪が降った後なのだから、それも無理はないことである。
金剛力士像が見守る山門をくぐり、雪帽子を被った仏殿を眺めながら石畳の道を進んでいくと、茂川先生の言っていた放生池が見えてくる。池の周りに植えられた桜は、裸一貫で冬が終わるのをじっと待っている。ふわふわの苔を腹回りに蓄えたアカマツや冬焼けした葉を蓄えたヒノキと比べると、なんとも男らしく立派である。
私は池の周囲に置かれたベンチに腰掛けて、それとなく周りを見渡した。春から秋にかけての季節と違って葉を落とした木々が目立ち、なんとなく物寂しい。耳を澄ましてみても、誰かが雪を踏みしめるような音は聞こえてこない。
「今しかない」と考えた私は、麻袋からペットボトルを取り出し、池の周りの柵に前かがみになるよう身体を預け、素早く水面に手を突っ込んだ。痛いくらいに冷たくて、私はたまらず声を上げそうになったが、寸前のところでなんとか声を呑み込んだ。NNSのメンバーと同じように出禁になっては堪らない。
水の採取は一分とかからず終わった。私は急いでペットボトルにふたをして、濡れているのも構わずにそれを麻袋に突っ込んだ。水面を叩いて音を上げたせいで、餌と勘違いした鯉がこちらへ寄ってくる。「何もないよ」と言った私は、手の平に白い息を当てながら放生池を早足で後にした。
さて、次は松ぼっくりの番である。本殿の近くで採取していてはいつ寺の和尚に見つかるかわからないので、私は平家廟所の裏手にある松林まで向かうことにした。
ざっくざっくと雪を踏みしめながら散歩道を歩く。透き通った冷たい空気が大変心地よく、すれ違う人は誰もいないが、しかし油断は禁物である。私の目論見を感じ取った明哲な和尚が、いつ何時「止めておきなさい」と声をかけてくるかわからない。
背後を警戒しているうち、自分で思っていた以上に歩いてしまったらしい。気づけば私は、松林のかなり奥まったところまで来ていた。しかしここまで来てしまえば和尚に咎められるようなこともまずないだろう。
ホッと息を吐いた次の瞬間、私の視界に入ってきたのは奇妙な男性であった。顔の半分にひげを蓄え、バイク乗りのような黒革のジャンパーを羽織ったその出で立ちは、実にワイルドで実にダンディーである。
このように、見た目だけならおかしな点は何もないのだが、彼を近寄りがたい存在としているのはその行動である。彼は船着き場から沖を眺める孤高の船乗りの如く、立ち入り禁止の柵に囲まれた野火止塚という名の小高い塚の上に立ち、睨むような目つきでどこか遠くを見つめていた。
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そう直感した私は、忍び足でその場を去ろうとしたが、二歩とも歩かないうちに「待て、小僧」とその男性に引き留められてしまった。
「逃げるつもりか」
「滅相もありません」と私は即座に足を止めた。なぜだか彼には逆らえないような気がしたのである。
「ただ、お忙しいようでしたので、邪魔をしてはいけないと思いまして」
「こうやって景色を見ているのが、忙しいように見えるか」
「忙中閑あり。すなわち、閑中忙ありです。私にはとても忙しいように見えましたよ」
「物は言いようだな」
彼は雪に覆われた野火止塚を滑り降りると、私の元へと歩み寄ってきた。身長は2m以上あるだろうか。顔のしわからはだいぶ年齢を重ねていることが読み取れるが、それとは裏腹に身体つきは惚れ惚れするほどに逞しく、そして威圧感があった。
彼は私を見下ろしながら、「ちんちくりんだな」と言った。「それでも新座の人間か」
「私がちんちくりんなのではなく、貴方が大きすぎるのでしょう。そのひげもその身体つきも、大変男らしくて羨ましい。貴方のように歳を重ねたいものです」
「ツマラン世辞を使う奴だ」と彼はまんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。
「お前、名前はなんという?」
「生まれも育ちも新座の生粋の新座人、在原行人といいます」
すると彼は途端に顔を真っ赤にして、「在原だと!」と声を荒げ、私に詰め寄った。
「まさか、あの男の子孫かなにかではないだろうな!」
「お、落ち着いてください。あの男とは誰ですか」
「あのいけ好かない歌人……在原業平に決まってるだろう! そんなこともわからんのか!」
私は顔がカっと熱くなるのを感じた。いくら青前さんに〝にぶちん〟と罵られることのある私であろうと、あの女たらしの血を受け継いでいると言われて黙っていられるわけがなかった。
「苗字が一緒だからといって、あの男と一緒にするのは止めていただきたい」と私は彼を睨み返した。
「私は分別のある人間です。もしも愛を誓う時がくるのならひとりに対してだけだ。あっちこっちと様々な女性に目移りする、恋に恋する好色一代男の子孫なんて言われちゃ我慢出来ません」
早口でまくし立てられた彼は、不服そうに口を真一文字にした。睨み合いがしばらく続いた後、やがて彼は口元を緩めニッと笑った。
「なるほど。どうやらお前は俺と同じであの男が憎いらしい」
「憎いとは思っていませんが、しかし好きではないことは確かです」
「同じことだ。同士が増えて俺は嬉しいぞ」
彼は満足げにひげを摘まみながら言った。
「郡司長勝だ。知らん名ではないだろう」
「確かに。その名前はどこかで聞いたことがありますね。確か、在原業平に娘さんを――」
「その話をするな! 思い出したくもない!」
瞬間湯沸かし器のように瞬時に顔を真っ赤にした郡司氏は拳を振りかざす。私がすかさず「申し訳ありません」と平謝りすると、彼は拳をゆっくりと解いて、「一度目ならば許す」と慈悲深さを見せた。
「……まったく。お前は呆れる男だ、ユキヒト。人の逆鱗に容易く触れおって」
私は再度「申し訳ありません」と頭を下げながら、この人は何者なのだろうかと考えた。
少なくとも、本物の郡司長勝氏でないことは確かなのだが。もしかすると、病院か何かから逃げ出してきた、自分のことを郡司長勝と思い込んでいる危ない人なのかもしれない。
市に連絡した方がいいのではと本気で考え始めていると、郡司氏は勝手に在原業平という人物がいかにどうしようもない男であるかということを語り始めた。
夫のいる女に平気で手を出した話や、美人姉妹の両方にお手付きして修羅場になった話、全国各地に飛び回ってはウブな娘を手籠めにして家に連れ帰った話など、その力のこもった話っぷりといったら、まるで本当に彼の悪事を見てきたかのようであった。
「この寺には業平塚という名の塚がある。いつ潰そうかと考えてるんだが、どう思う?」
郡司氏はそんな物騒なことを大真面目な顔で言った。そんな彼の元を私が解放されたのは、小一時間ほど経ってからのことだった。
〇
郡司氏と別れた私は、彼から見えないところまで歩いてからそこで松ぼっくりを拾い、逃げるように平林寺を後にした。景色も見ずに早足で散歩道を歩く私の背中を見た和尚が、全てを見抜いて私を咎めるようなことは幸いにも起きなかった。
相変わらずこっくりこっくりしていた受付のお婆さんを横目に正門を出て、真っ直ぐ歩いて駐車場まで戻ると、先生達がそわそわしながら私の戻りを待っていた。
約束の物が入った麻袋を佐和田さんに手渡すと、彼女は「よくやった」と言って笑顔を見せた。「念のために聞くけど、寺の人間に見られなかっただろうね?」
「ご安心を。私はそんなうかつな人間ではありませんから」
「ならいいんだ」と言って、佐和田さんは麻袋を開ける。中に入っていた松ぼっくりをひとつ取り出した彼女は、目を潤ませて恍惚の笑みを浮かべると、あろうことかそれに軽い口づけをした。私はなにやらいけないものを見てしまった気分になった。
私が思わず目を伏せていると、茂川先生がこっそり耳打ちしてきた。
「今回は助かったよ。君のおかげで彼女も大喜びだ」
「構いません。しかし、佐和田さんはあんなものを何に使うつもりなのですか」
「わからない。けど、あまり褒められたことに使うわけじゃないことは間違いないよ。彼女は、NNSの中でも異端児で通ってるくらいだから」
強化変人集団ことNNSの中ですら鼻つまみ者扱いとは、いったい彼女はどのような傑物なのだろうか。知りたくもあったが、そんなくだらない興味よりも恐怖が勝り、私はそれ以上聞くのを止めておいた。
松ぼっくりを一通り眺め終えた佐和田さんは、私に改めて「ありがとう」と礼を述べて握手を求めた。私がそれに応じると、彼女は「おや」と声を上げ、私の胸元を凝視した。彼女が獲物を見つけたチーターの如くじっと見つめていたのは、私の首に掛けられている、アマメから貰ったゾウキリンのネックレスであった。
「なんだい。なんだというんだい、その素敵なものは。そんなもの、見たことないぞ」
「友人から貰ったのです。肌身離さず持っておくようにと言われたので、そのようにしています」
「なるほど。つまりそれは、形見のようなものなのかい」
「そういうわけではないのですが……大切なものではあります」
私はその言葉の裏に、「譲りませんよ」という意思を見え隠れさせた。そうでもしなければ、彼女はすぐさま財布を取り出して、値段の交渉に入っていただろう。
佐和田さんはしばらくの間、物欲しそうな視線で私とネックレスを交互に見ていたが、やがて私の意思を汲み取ったのか、心底悔しそうに唇を歪ませ、「わかった」という言葉を喉から絞り出した。
「私だって分別のあるオトナだ。無理にとは言わないさ」
「そうして頂けると助かります。大事なものなのです、それなりに」
その〝それなり〟という言葉がいけなかった。佐和田さんは「なら譲ってくれてもいいじゃないか!」と悲壮な声を上げながら、両肩を掴んで私の身体を揺らした。
「す、すいません。言葉のあやでした。本当はとても大事なものです」
「ウソだ! 実は大して大事でもないのに、私に見せびらかそうとしているだけなんだろう!」
「落ち着いてください。落ち着いて」
私を睨んでいた佐和田さんは、やがてその手をゆっくりと放して、「申し訳ない」とうつむいた。「つい熱くなりすぎた。悪い癖が出たようだ」
「いいんです。熱くなれるものを持っていた方が、人生きっと楽しいですよ」
「いいことを言うじゃないか、在原くん」
佐和田さんは力なくウインクすると、よろめきながらデロリアンに乗り込んだ。視線だけでそれを追って息を吐いた茂川先生は、私に「悪かったね」と頭を下げた。
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