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佐和田さんと私
佐和田さんと私 その4
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ゾウキリン出現のニュースは瞬く間に日本中に駆け巡った。というのも、彼が現れたのが神田明神だけの話ではなかったのである。北は北海道から南は沖縄まで。合わせて九匹のゾウキリンが日本各地で発見され、そしてどこかへ消えていった。
初めのうちは、それが〝天空のまち〟のマスコットキャラクターであると報道されることはなかった。その事実は、新座市民以外は知る由もなかったし、また事実を知っていた者の多くは、それを誰かに言う必要などどこにもないと考えていた。
新種の珍生物の出現は様々な憶測を呼んだ。天変地異の前触れだとか、地球上に降りてきた宇宙生物だとか、どこかの会社が遺伝子操作により無理やり生み出した合成獣だとか、超古代生物であるとか、生物ではなく精巧なロボットだとか、集団幻覚であるとか……正月のせいで報道することが無くて暇なマスコミが、ここぞとばかりにこのニュースを囃し立てた。
事実が報道されたのは、三が日の最終日のことだった。夕方のアンリでニュースを見ていたら、『新座研究家』として紹介された佐和田さんがゾウキリンと新座の関係性を訴えたので、私は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになるほど驚いた。
ゾウキリン柄の研究服を着た佐和田さんは、カメラ目線で自らの見解をすらすらと述べた。
「あれはゾウキリンといいます。新座のマスコットキャラクターだと思っていましたが、どうやらそれは間違いだったようです。彼は実際に生きている。そして、私達の前に姿を現した。私はこれを新座からのメッセージか何かなのだと考えています。それがどんなものであるのか私にはまだわかりませんが、いずれ解き明かされる時が来るでしょう」
あのような世迷言を恥ずかしげもなく素面で言ってのけるのだから、さすがNNSの異端児と呼ばれるだけあるというものである。
私が彼女へ心の内でこっそりと称賛を送っていると、青前さんがカウンターに肘を突きながら「メッセージか」と呟いた。
「もしかしたら、ゾウキリンが現れたのと新座の浮遊ってなにか関係があるのかもね」
「なんだ。忘れていなかったのですね。てっきり、もう浮遊については興味を無くしたものだとばかり」
「なに言ってんのさ!」と青前さんは私の肩をばしばし叩いた。
「ということでナリヒラくん、明後日は予定空けといてよ。早速調べに行くんだから」
「即断即決の青前さんにしては珍しい。今日や明日ではないのですね」
「今日はもう遅いし、明日は予定があるから」
青前さんは後頭部と腰に手をやって、マリリンモンローのようなお色気ポーズを取ってみせた。
「明日は成人式の衣装の試着に行くの」
〇
翌々日のことだった。青前さんとの約束通り、昼の一時を過ぎたころにアンリへ向かおうとしたその直前、彼女からメールで連絡が入った。見ると、「きょうだめ」とだけ書いてある。慌てて文字を打ったような文面に緊急事態の予感を覚えた私は、居ても立っても居られずに家を出てアンリへ向かった。
家を出て通りまで出た私は、町の様子がおかしいことに気が付いた。というのも、人の数があまりに多すぎたのである。いつもはほとんど無人の通りには、五、六人の小さな団体や老夫婦、若い家族やカップルなどが、未だ残る雪に足を取られながらも新座の町並みを眺めて歩いている姿がある。およそ二十年に及ぶ新座での生活で、初めて目にする光景であった。
「なんだというんだ、いったい」
この町に起きた異常事態の正体はわからない。しかし、そのことと青前さんが約束を違えることの間には、何か関係があるはずである。
私はアンリまでの道を急いだ。3kmもない道のりを歩く中で、十や二十はくだらない人数とすれ違うという得体の知れない現象は、私の中に渦巻く焦燥感をますます強くしていった。
やがてアンリまで辿り着いた私は、待っていた景色に驚愕した。閑古鳥が店を占拠することも珍しくないあのアンリに、あろうことか十人ばかりの行列が出来ていたのである。いったい何が起きたのか。まさかとは思うが、私が先ほどすれ違った人たちは、全員アンリ目当てで新座まで来ていたのだろうか?
店の窓からはマスターと青前さんが忙しそうに接客に追われているのが見える。手刀を斬って行列を割って店内に入った私は、青前さんに「どうしたのですか、これは」と声を掛けた。
「ナリヒラくんじゃないっ! なんで来ちゃったの?!」
「すいません、どうしても心配になりまして。よろしければお手伝いしますが」
青前さんは少し迷ったようであったが、「背に腹は代えられないっ」と言ってキッチンに引っ掛けてあったエプロンを私に放り投げた。こうして私は訳も分からぬうちにアンリの臨時店員となった。
それからはまるで嵐のように時間が過ぎ去った。私は時にフロアで注文を聞いて周ったり、時にレジを打ったり、時に食器を洗ったり、時に料理を運んだりして、我ながら八面六臂の活躍を見せた。常連客として積み重ねた日々がなせる技である。
店が落ち着いてきたのは午後の三時を過ぎたころのことだった。ふと店内を見回してみれば、客の中に見知った顔はひとつとして存在しない。物珍しそうに窓の外を見ている客が多いことから、彼らが新座の外から来た観光客であることを推測するのは容易いが、いったいどうして今さらになって〝天空のまち〟に観光客が増えたのだろうか。それがわからない。
積み重なった汚れた食器を洗いながらそのようなことを考えていると、クタクタの表情になったマスターが私に声を掛けた。
「本当に助かったよ。君がいなかったらどうなってたことか……考えるだけで恐ろしい」
「いいんです。困った時はお互い様ですから」
私は食器洗いの手を止めて言った。
「しかし、これはいったいどういうことなんでしょうか。外にも人が多いですし」
「それが、僕にも私にもさっぱりでね。お客さんが多くなるのはいいことだけど、毎日これだとまいっちゃうなあ」
「ふたりとも、そんなこともわからないの?」
私達の間に割って入ったのは青前さんだった。彼女は使用済みの食器を流しに積み重ねながら言った。
「この前現れたゾウキリン。みんなアレ目当てで来たに決まってるじゃない」
「確かにゾウキリンは新座のマスコットではありますが、しかしあれが新座に生息していると決まったわけではないでしょう」
「でも、例のゾウキリン学者さんが言ってたよ。ゾウキリンが生息してるのは、間違いなく新座だって」
〇
私がアンリを後にしたのは午後の五時を過ぎたころだった。まだ客はちらほらと来ていたが、「この程度なら問題ないよ」とマスターが言ったので、お言葉に甘えて私は帰らせてもらうことにした。明日以降は大学から帰ってきたら手伝おうかと申し出ると、彼は「助かるよ」と言って力なく微笑んだ。アンリ始まって以来の大盛況に疲労困憊の様子である。
家に帰る前に、私はアンリの近所にある法台寺という寺に寄った。疲れた身体を癒すには、風呂に入ってじっくり身体を温めるだけで十分だが、疲れた心を癒すには、多少寒くとも静かな場所へ行ってゆったりと流れる時間に身を任せるに限る。
左右に細い木々が並ぶ長い参道を抜けると、やがて山門が見えてくる。私以外の参拝客は誰もいない。新座まで来た観光客は平林寺まで向かっているのか、それとも既に下へと帰ってしまったのか。どちらにせよ、ここばかりはいつもの新座における静寂が支配していることには変わりない。
山門を抜けた私は、手近なベンチに腰掛けて境内の静けさに浸った。そこで私は、自分の生まれ育った土地にようやく帰ってきたような気がした。
しばらくのんびりしていると、カッポカッポと馬の蹄のような音が参道の方から響いてきた。まさか新座に馬がいるはずもないだろうと視線を向けてみると本当に馬がいた。黄金色の毛を持つ大きな馬であった。
それだけでも面食らうというのに、馬に乗っていたのがいつぞやのダンディーで危険な伊達男・郡司氏であったので、意味がわからなくて笑うしかない状況であった。
私に気づいた郡司氏は、馬に乗ったまま山門をくぐりこちらへ近づいてきた。
「誰かと思えばユキヒトでないか。こんなところにひとりで何をしていたんだ?」
「それはこちらの台詞です。郡司さんはどうしてそのような馬に乗っているのですか」
「お前達が自転車に乗って移動するのと同じように、俺も馬に乗って移動するだけの話だ。何かおかしなことでもあるか?」
自信たっぷりにそう断言されてしまっては、「たしかにそうですな」と納得せざるを得ない。
「そうだろう」と却って不思議そうに言った郡司氏は、馬から降りて私の隣に腰掛けた。
「しかし、今日の新座はやけに騒がしい。平林寺にもしばらくぶりに大勢の人間が来ていたぞ」
「どうやら、下からたくさんの観光客が来ているようですよ」
「いいことだ」と郡司氏は嬉しそうに口角を上げる。
「新座の魅力がわかる人間がようやく増えてきた、ということだな」
「残念ながらそうではないようです。なんでもみんな、ゾウキリンを見に来たんだとか」
郡司氏は途端に不機嫌な表情になる。昔ながらの新座を愛するあまり、〝ゆるキャラ〟という軟弱なものが許せないのだろうか。
「なんだその〝ゾウキリン〟というのは」と郡司氏は吐き捨てた。
「ご存知ありませんか? 二足歩行のゾウがキリンのカラーで着色された、新座のマスコットキャラクターですよ」
「知らん。そもそも、なぜゾウが二足歩行をする必要がある。なぜゾウがキリンの色に塗られる必要がある」
「そこに理由などありません。そういうものなのです」
言いながら、首に掛けていたゾウキリンのネックレスを外した私は、それを郡司氏の前でぶら下げた。「コイツがゾウキリンです。見慣れるとなかなかにかわいいものですよ」
郡司氏はネックレスを一瞥した後、心底つまらなさそうに「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。やはり、ご老人にとってこの珍妙な生物は気味が悪いだけなのだろう。
ジェネレーションギャップをひしひしと感じながら私がネックレスを引っ込めようとすると、どうしたことか、彼は急に私の手からネックレスをひったくり、それを手のひらの上に乗せてまじまじと見つめ始めた。彼の瞳は驚きと興奮に満ちていた。
「郡司さん、どうしましたか」
「……いや、これがゾウキリンかと、改めて思ってな」
「そうです。お気に召しましたか?」
「当たり前だ」と郡司氏は偉そうに言った。言葉尻と裏腹に表情は優しげであった。
「なにせ俺は、この世界で最初にソイツを気に入った男だからな」
「ですが、先ほどは知らないと切り捨てていたではないですか」
「そんな昔のことを混ぜっ返すな。男らしくもない」
郡司氏は私にネックレスを突き返すと、まるで置物のように彼の隣に静かに佇んでいた馬の頭をそっと撫でた。
「歳は取りたくないものだな。忘れなくてもいいことまで忘れちまう」
初めのうちは、それが〝天空のまち〟のマスコットキャラクターであると報道されることはなかった。その事実は、新座市民以外は知る由もなかったし、また事実を知っていた者の多くは、それを誰かに言う必要などどこにもないと考えていた。
新種の珍生物の出現は様々な憶測を呼んだ。天変地異の前触れだとか、地球上に降りてきた宇宙生物だとか、どこかの会社が遺伝子操作により無理やり生み出した合成獣だとか、超古代生物であるとか、生物ではなく精巧なロボットだとか、集団幻覚であるとか……正月のせいで報道することが無くて暇なマスコミが、ここぞとばかりにこのニュースを囃し立てた。
事実が報道されたのは、三が日の最終日のことだった。夕方のアンリでニュースを見ていたら、『新座研究家』として紹介された佐和田さんがゾウキリンと新座の関係性を訴えたので、私は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになるほど驚いた。
ゾウキリン柄の研究服を着た佐和田さんは、カメラ目線で自らの見解をすらすらと述べた。
「あれはゾウキリンといいます。新座のマスコットキャラクターだと思っていましたが、どうやらそれは間違いだったようです。彼は実際に生きている。そして、私達の前に姿を現した。私はこれを新座からのメッセージか何かなのだと考えています。それがどんなものであるのか私にはまだわかりませんが、いずれ解き明かされる時が来るでしょう」
あのような世迷言を恥ずかしげもなく素面で言ってのけるのだから、さすがNNSの異端児と呼ばれるだけあるというものである。
私が彼女へ心の内でこっそりと称賛を送っていると、青前さんがカウンターに肘を突きながら「メッセージか」と呟いた。
「もしかしたら、ゾウキリンが現れたのと新座の浮遊ってなにか関係があるのかもね」
「なんだ。忘れていなかったのですね。てっきり、もう浮遊については興味を無くしたものだとばかり」
「なに言ってんのさ!」と青前さんは私の肩をばしばし叩いた。
「ということでナリヒラくん、明後日は予定空けといてよ。早速調べに行くんだから」
「即断即決の青前さんにしては珍しい。今日や明日ではないのですね」
「今日はもう遅いし、明日は予定があるから」
青前さんは後頭部と腰に手をやって、マリリンモンローのようなお色気ポーズを取ってみせた。
「明日は成人式の衣装の試着に行くの」
〇
翌々日のことだった。青前さんとの約束通り、昼の一時を過ぎたころにアンリへ向かおうとしたその直前、彼女からメールで連絡が入った。見ると、「きょうだめ」とだけ書いてある。慌てて文字を打ったような文面に緊急事態の予感を覚えた私は、居ても立っても居られずに家を出てアンリへ向かった。
家を出て通りまで出た私は、町の様子がおかしいことに気が付いた。というのも、人の数があまりに多すぎたのである。いつもはほとんど無人の通りには、五、六人の小さな団体や老夫婦、若い家族やカップルなどが、未だ残る雪に足を取られながらも新座の町並みを眺めて歩いている姿がある。およそ二十年に及ぶ新座での生活で、初めて目にする光景であった。
「なんだというんだ、いったい」
この町に起きた異常事態の正体はわからない。しかし、そのことと青前さんが約束を違えることの間には、何か関係があるはずである。
私はアンリまでの道を急いだ。3kmもない道のりを歩く中で、十や二十はくだらない人数とすれ違うという得体の知れない現象は、私の中に渦巻く焦燥感をますます強くしていった。
やがてアンリまで辿り着いた私は、待っていた景色に驚愕した。閑古鳥が店を占拠することも珍しくないあのアンリに、あろうことか十人ばかりの行列が出来ていたのである。いったい何が起きたのか。まさかとは思うが、私が先ほどすれ違った人たちは、全員アンリ目当てで新座まで来ていたのだろうか?
店の窓からはマスターと青前さんが忙しそうに接客に追われているのが見える。手刀を斬って行列を割って店内に入った私は、青前さんに「どうしたのですか、これは」と声を掛けた。
「ナリヒラくんじゃないっ! なんで来ちゃったの?!」
「すいません、どうしても心配になりまして。よろしければお手伝いしますが」
青前さんは少し迷ったようであったが、「背に腹は代えられないっ」と言ってキッチンに引っ掛けてあったエプロンを私に放り投げた。こうして私は訳も分からぬうちにアンリの臨時店員となった。
それからはまるで嵐のように時間が過ぎ去った。私は時にフロアで注文を聞いて周ったり、時にレジを打ったり、時に食器を洗ったり、時に料理を運んだりして、我ながら八面六臂の活躍を見せた。常連客として積み重ねた日々がなせる技である。
店が落ち着いてきたのは午後の三時を過ぎたころのことだった。ふと店内を見回してみれば、客の中に見知った顔はひとつとして存在しない。物珍しそうに窓の外を見ている客が多いことから、彼らが新座の外から来た観光客であることを推測するのは容易いが、いったいどうして今さらになって〝天空のまち〟に観光客が増えたのだろうか。それがわからない。
積み重なった汚れた食器を洗いながらそのようなことを考えていると、クタクタの表情になったマスターが私に声を掛けた。
「本当に助かったよ。君がいなかったらどうなってたことか……考えるだけで恐ろしい」
「いいんです。困った時はお互い様ですから」
私は食器洗いの手を止めて言った。
「しかし、これはいったいどういうことなんでしょうか。外にも人が多いですし」
「それが、僕にも私にもさっぱりでね。お客さんが多くなるのはいいことだけど、毎日これだとまいっちゃうなあ」
「ふたりとも、そんなこともわからないの?」
私達の間に割って入ったのは青前さんだった。彼女は使用済みの食器を流しに積み重ねながら言った。
「この前現れたゾウキリン。みんなアレ目当てで来たに決まってるじゃない」
「確かにゾウキリンは新座のマスコットではありますが、しかしあれが新座に生息していると決まったわけではないでしょう」
「でも、例のゾウキリン学者さんが言ってたよ。ゾウキリンが生息してるのは、間違いなく新座だって」
〇
私がアンリを後にしたのは午後の五時を過ぎたころだった。まだ客はちらほらと来ていたが、「この程度なら問題ないよ」とマスターが言ったので、お言葉に甘えて私は帰らせてもらうことにした。明日以降は大学から帰ってきたら手伝おうかと申し出ると、彼は「助かるよ」と言って力なく微笑んだ。アンリ始まって以来の大盛況に疲労困憊の様子である。
家に帰る前に、私はアンリの近所にある法台寺という寺に寄った。疲れた身体を癒すには、風呂に入ってじっくり身体を温めるだけで十分だが、疲れた心を癒すには、多少寒くとも静かな場所へ行ってゆったりと流れる時間に身を任せるに限る。
左右に細い木々が並ぶ長い参道を抜けると、やがて山門が見えてくる。私以外の参拝客は誰もいない。新座まで来た観光客は平林寺まで向かっているのか、それとも既に下へと帰ってしまったのか。どちらにせよ、ここばかりはいつもの新座における静寂が支配していることには変わりない。
山門を抜けた私は、手近なベンチに腰掛けて境内の静けさに浸った。そこで私は、自分の生まれ育った土地にようやく帰ってきたような気がした。
しばらくのんびりしていると、カッポカッポと馬の蹄のような音が参道の方から響いてきた。まさか新座に馬がいるはずもないだろうと視線を向けてみると本当に馬がいた。黄金色の毛を持つ大きな馬であった。
それだけでも面食らうというのに、馬に乗っていたのがいつぞやのダンディーで危険な伊達男・郡司氏であったので、意味がわからなくて笑うしかない状況であった。
私に気づいた郡司氏は、馬に乗ったまま山門をくぐりこちらへ近づいてきた。
「誰かと思えばユキヒトでないか。こんなところにひとりで何をしていたんだ?」
「それはこちらの台詞です。郡司さんはどうしてそのような馬に乗っているのですか」
「お前達が自転車に乗って移動するのと同じように、俺も馬に乗って移動するだけの話だ。何かおかしなことでもあるか?」
自信たっぷりにそう断言されてしまっては、「たしかにそうですな」と納得せざるを得ない。
「そうだろう」と却って不思議そうに言った郡司氏は、馬から降りて私の隣に腰掛けた。
「しかし、今日の新座はやけに騒がしい。平林寺にもしばらくぶりに大勢の人間が来ていたぞ」
「どうやら、下からたくさんの観光客が来ているようですよ」
「いいことだ」と郡司氏は嬉しそうに口角を上げる。
「新座の魅力がわかる人間がようやく増えてきた、ということだな」
「残念ながらそうではないようです。なんでもみんな、ゾウキリンを見に来たんだとか」
郡司氏は途端に不機嫌な表情になる。昔ながらの新座を愛するあまり、〝ゆるキャラ〟という軟弱なものが許せないのだろうか。
「なんだその〝ゾウキリン〟というのは」と郡司氏は吐き捨てた。
「ご存知ありませんか? 二足歩行のゾウがキリンのカラーで着色された、新座のマスコットキャラクターですよ」
「知らん。そもそも、なぜゾウが二足歩行をする必要がある。なぜゾウがキリンの色に塗られる必要がある」
「そこに理由などありません。そういうものなのです」
言いながら、首に掛けていたゾウキリンのネックレスを外した私は、それを郡司氏の前でぶら下げた。「コイツがゾウキリンです。見慣れるとなかなかにかわいいものですよ」
郡司氏はネックレスを一瞥した後、心底つまらなさそうに「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。やはり、ご老人にとってこの珍妙な生物は気味が悪いだけなのだろう。
ジェネレーションギャップをひしひしと感じながら私がネックレスを引っ込めようとすると、どうしたことか、彼は急に私の手からネックレスをひったくり、それを手のひらの上に乗せてまじまじと見つめ始めた。彼の瞳は驚きと興奮に満ちていた。
「郡司さん、どうしましたか」
「……いや、これがゾウキリンかと、改めて思ってな」
「そうです。お気に召しましたか?」
「当たり前だ」と郡司氏は偉そうに言った。言葉尻と裏腹に表情は優しげであった。
「なにせ俺は、この世界で最初にソイツを気に入った男だからな」
「ですが、先ほどは知らないと切り捨てていたではないですか」
「そんな昔のことを混ぜっ返すな。男らしくもない」
郡司氏は私にネックレスを突き返すと、まるで置物のように彼の隣に静かに佇んでいた馬の頭をそっと撫でた。
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