あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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郡司さんと私

郡司さんと私 その1

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 かつて新座には、二本の川が流れていた。

 ひとつが柳瀬川。新座を人間の顔と見た時、頭を掠めるように流れていた川である。柳瀬の名前を冠した高校もあり、また新座の花見スポットであることから地元民には馴染み深い川であった。

 もうひとつが黒目川。名前のせいでしばしば目黒川と勘違いされるがそうではない。こちらは新座の顎から後頭部の辺りにかけて流れていた川で、かの妙音沢の水はこの川に流れ込んでいた。最終的にはいずれの川も隅田川へと合流するが、共通する点はそれだけではない。

 新座に流れる二本の川には共通する古い言い伝えが残っている。それは、ひとりで川岸を散歩していると、巨大な蛇に食われてしまうといった具合の話である。今だからこそ一笑に付すことの出来る話であるが、昔の人はこの蛇の存在を大変怖がったそうだ。

 水害の象徴であるだろうと思われるこの蛇の名前は、〝かしらなし〟という。頭がどこにあるのかわからないほど巨大な蛇であることから、この名前を付けられたらしい。自分の娘をあの小憎らしい在原業平に取られてしまった例のお侍さん――郡司長勝が退治して以来、新座に姿を現さなくなったとのことである。





 あれほどまでに日本全国を席巻したゾウキリンブームは、既に下火になりつつあった。それは新座が積極的にムーブメントに乗ろうとしなかったせいでもあるのだが、一番の原因は、ほとんど毎日のように日本各地で目撃されていたゾウキリンが、ある日を境にぱったり姿を消してしまったからである。

 消えたものを追い求めるのは人間のロマンだ。

 徳川埋蔵金、ツチノコ、アトランティス大陸にバミューダトライアングルなどなど。人々を大いなる冒険へと駆り立てた存在を挙げていけば枚挙に暇がない。だがしかし、この世にさんざんはびこる〝不思議〟になるには、ゾウキリンには歴史、スケール、射幸心、その他諸々足りないものが多すぎた。ゆえに、人々から忘れられるのも早かったのである。

 ゾウキリン消失について、新座市内には様々な憶測が飛び交った。その中でもとりわけ有力とされたのが、〝かしらなし説〟であった。

 遥か昔に退治されたはずのかしらなしが、新座への復讐のために日本各地のゾウキリンを食べて周っているというのがその説の内容であるが、このような話をいったい誰が最初に言い始めたのだろうか。
それは誰にもわからないが、〝楽しさ欠乏症〟を拗らせた新座市民が犯人であることは間違いない。





 二月も終盤に差し掛かった。長すぎる春休みも残りひと月余り。私は毎日のように自転車を走らせ、新座を奔走している。その理由は一週間前――世界中の男性を浮つかせるバレンタインデーの当日までさかのぼる。

 その日、私はアンリで昼食を取っていた。メニューは少し気分を変えてナポリタン、それにアメリカンコーヒー。休みのせいで曜日感覚が鈍っていた私は、その日がバレンタインであることなどすっかり失念していた。

 ゾウキリンブームが去ってから、アンリはいつも通りの風景を取り戻していた。客はまばらで、注文の数もさほど多くない。代わりに静けさだけは売るほどある。良いか悪いかともかくとして、私の慣れ親しんだ景色である。

 青前さんが私の席へやってきたのは、私が食後のコーヒーをすすっている時のことであった。

「これ、食べてみてよ、ナリヒラくん」

 そう言って彼女は見たことが無い料理の置かれた皿をテーブルに置いた。見たところ、半分融けたチョコレートと生クリームめいた白い何かを、クラッカーで挟んだお菓子のようである。「なんでしょうかこれは」と尋ねると、青前さんは「スモアだよ」と答えた。

「少し温めたチョコレートと軽く炙ったマシュマロをクラッカーで挟んだお菓子なんだ。美味しいよ」
「そうでしたか。では、遠慮なく」

 私はそのスモアとやらを口に運んでみた。掴んだ瞬間にマシュマロとチョコが溶け出して、とろけるような甘みが口の中いっぱいに広がり美味である。ブラックコーヒーとの相性は抜群で、両者の出会いはまさに運命であると感じられた。

「どうかな。美味しい?」
「ええ。美味しいです。これ、青前さんが?」

「当たり前でしょ」と青前さんは胸を張った。

「じゃあ、来月のホワイトデーは期待してるね。あたし、〝かしらなし〟の噂についての真相が知りたいな」

 渡されたお菓子をバレンタインの贈り物だと私がようやく気づいたのは、いたずらな笑顔を浮かべた青前さんにそう言われた時のことだった。かしらなしについての真相なぞ、持ってこられるわけがないとは思ったが、男として生まれた以上、やる前から〝出来るわけがない〟は通らない。

 残りのスモアをむしゃむしゃと食べ、気合とカロリーを満タンにした私は「やるぞ」と意気込んだ。

 そうして私の新座奔走が始まったのである。
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