初恋と、電気羊とジンギスカン

シラサキケージロウ

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第2話 マニアック

マニアック その5

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 味気ない夕食会がしばらく続き、テーブルの上に並べられた皿が空になってきたころ。誰かが手を叩いて大きな音を出し、部屋中の注目を引いた。何事かと思えば、カチョウがにこやかな表情で俺達を見回している。

「皆さん。舌を満足させた後は、耳を満足させるのはいかがでしょうか?」

 その提案を受け、部屋にいた面々が「あら」「待っておりました」などと合いの手を入れる。大げさな拍手をしている奴すらもいる。媚びを売っているのが見え見えだ。語尾が「でげす」じゃないのが不思議なくらいだ。当然、俺は両腕を組んで断固歓迎しない構えを取ったが、源尾は周囲の空気に圧されたのか小さく拍手をしていた。

 尻尾を振る子犬諸君を満足そうに眺めたカチョウは軽快に指を鳴らす。すると、奴の背後にあった壁の一部がせり出してきて、上へと続く階段を作り出した。

「さあ。それでは参りましょうか。私の楽団が準備してお待ちしております」

 カチョウが階段を昇っていき、その場にいた面々がそれに続く。それにしたって私設楽団とはまたやることが派手だ。しかしこの城に必要なのは楽団ではなく、しっかりと味のあるケーキを作れるパティシエだろう。

 源尾と共に一団の後に続くと、俺達の少し前を行くタカハシが心底ウンザリしたようにぼやいた。

「二週間に一度の演奏会だ。たいてい曲目は決まってる。みんな『楽しみ』なんて顔してるが、少なくとも僕はとっくの昔に飽きてる」
「悪いけど、耳栓は持ってねぇぞ」
「欲しいのは耳栓なんかより君達の助けだ。これから演奏会場に移動するから、演奏がはじまったら適当な理由をつけて、会場の外に出るといい」
「外に出て、それからどうすればいいのかアテはあるのか」
「会場から一番近いトイレから少し歩いたところに、上の階に続く階段がある。いつもあの執事が見張っているから迂闊には近寄れないが、だからこそ怪しい」

「……その階段の向こうに、ここから出るための鍵があるんじゃないか、ってことですね」と源尾が言うと、タカハシは「その通り」と満足げに微笑む。

「見張りは僕がなんとかする。だから君達はその隙に上へ」

 階段を昇り、幅広の廊下を歩いていくと、やがて分厚い赤の扉が現れた。開いた先には、正面の舞台に向かって緩い下り坂になったところに座席が備えられた、コンサートホールのような造りになった部屋が広がっており、舞台上にはすでに楽器を構えた吹奏楽団がいる。案の定、演奏者も全員女だった。俺は源尾達と共に最後尾端の席を選んで座った。

 取り巻き連中を引き連れて最前列中央の席に座ったカチョウは、その場の全員が席に着いたのを確認すると、軽く右手を挙げた。それを合図に楽団が演奏を始める。聞いたことのない軽快な曲で、俺の耳では演奏が上手いか下手かもわからないが、隣に座る源尾が存外楽しそうに目を細めているので良しとしよう。

 音楽に身を任せる源尾を横目に見ていると、一曲目の演奏が終了した。こちらの拍手を待たずに、落ち着いた曲調の二曲目がはじまったところで、タカハシが「おい」と俺の肩を小突いた。

「悪いが楽しんでる暇は無いぞ。手筈通りに」

 源尾のかわいらしい顔を見ていたせいで本懐をすっかり忘れていた。源尾と共に席を立った俺は、座席の間を抜けてカチョウの元に歩み寄る。薄い笑みを浮かべながら演奏を聴いていたカチョウは、近づいてきた俺達に気づくと、軽く右手を挙げた。同時に楽団の動きが映像を一時停止したかの如くぴたりと止まる。

「伊瀬冬さんに源尾さん。どうされました」
「食ったものが悪いせいか、ふたりして腹の調子が悪くてな。トイレに行かせて貰えないか」
「ええ、もちろん構いません」

 そこですかさずタカハシが、「お待ちを!」と声を張り上げながら立ち上がる。

「カチョウ様、彼らは逃亡を図っている恐れがあります。そこでどうでしょう。僕が彼らの見張りとして、共について行くというのは」
「あら、気が利くじゃない。感心よ」

 すると部屋中から「ここは私が」「いやいや私が」と声が上がる。連中、ずいぶん点数稼ぎに必死らしい。そんな奴らを「黙りなさい」と一蹴したカチョウは、部屋の入り口を指さした。赤い色をしていたはずの扉が黒に変わっていた。

「すぐに帰ってきてね。次の曲は私の大好きな『剣の舞』なの」





 源尾達と共に部屋を出て廊下へ出ると、歩いてすぐ右手のところにトイレへと通じる支路があった。用を足すわけでもないのでそこを素通りしてさらに進むと、やけに天井の高いホールのような空間までやって来た。埃の被ったピアノだとか、空の本棚だとか、天板の割れた机だとか、錆びたサッカーゴールだとか潰れたボールだとか、とにかく雑多に色々置いてある。一見したところ学校の残骸が捨て置かれた物置だが、がらくたの山の向こうには、昇るにつれて幅が狭くなる「ハ」の字状の階段が上階へと続いているのが見える。そこへの侵入を阻むように立つ女はカチョウの執事である。

 俺達はピアノの影へと一旦身を寄せ、執事の様子を伺う。存外にも奴の勤務態度はさほどよろしくなく、大きなあくびをするなどわりと気を抜いた様子だ。

 タカハシは声を潜めて言った。

「さて、これからは作戦通りだ。僕は彼女の気を引いてくる。君達はその間に上の階の探索を頼む」
「俺達が鍵を見つけた後はどこで合流するつもりだ?」
「安心したまえ。その時はその時で策がある」

 ピアノの影から躍り出たタカハシは、がらくたを騒がしく蹴り飛ばしながら執事に駆け寄った。

「執事くん、ちょっとばかり大変なことになった。今日からこの城にやって来たあのふたりをトイレに連れてきたんだが、ちょっと目を離した隙に姿が消えていたんだ」
「な、なにやってんの?! カチョウ様に知られたらどうなるか……」
「だから君にも協力を仰ごうというんだ。ふたりをこっそり探すために手を貸してくれたまえ!」

「勘弁してよ」と思わず本音を漏らした執事は、「こっちだ!」と叫ぶタカハシと共に俺達が元来た通路を走っていく。利口そうなのは顔だけらしい。このまぬけめ。

 鬼の居ぬ間になんとやらだ。源尾と共にがらくたを飛び越え、勢いそのまま階段を昇っていくと、妙な通路に繋がっていた。

 通路全体が秋の日暮れ時のような、寂しさを覚える赤い光に照らされた通路。視界はハッキリとしているのに、光源となるものがどこにも見当たらない。歩くぶんには問題なさそうだが、軽く飛べばたんこぶ必至なほど天井が低く、大の大人がふたり並べば壁に肩がぶつかるほど横幅も無い。床に敷かれたカーペットは左右対称の幾何学模様だ。

 なんとなく寒気を覚えたが、ここまで来て引き返せるはずもなく、緊張しながら歩きはじめると、すぐのところで二方向に道が分かれていた。迷う時間も惜しかったため、左を選んで進んでみると、今度は四方向への分かれ道が現れた。まるで迷宮だ。とりあえず真っ直ぐ進んでみたが、当然ながらこの道で合っているのかは知る由もない。

 隣を歩く源尾へ目が行く。不安そうに眉尻を下げる横顔が視界に映り、俺はどうしようもないくらい申し訳なくなった。

「……源尾、ごめん」
「どうしたの、急に?」
「俺が学校に行こうなんて言ったせいで、こんなわけのわからんことになったんだ。だから――」
「伊瀬冬くんが謝ることじゃないよ。カチョウさんがイジワルするのがいけないだけだもん」

 源尾は口角をきゅっと上げて柔らかい笑みを浮かべる。俺を元気づけるためだけに作られた、指で突けば崩れそうな弱々しい微笑みだった。

「それに、ここを出た後はきっと、今日のことは全部いい思い出に変わってるよ。だから、一緒にがんばろ?」

 その優しい言葉に、その優しい笑顔に、俺はただただ「ありがとう」と言う他なく、それと同時に、「絶対に源尾と一緒にこの世界から出てやるんだ」という使命を固く誓った。

「よっしゃ」と気合を入れる俺へ、「あんまり無茶しないでね」と笑った源尾は、ふと振り返って背後に伸びる通路を見る。

「……それにしてもここ、下の階とはちょっと雰囲気が違うよね。明るいのに、なんだか暗いカンジがする」
「たしかに。幽霊の一匹や二匹出てきてもおかしくないな」
「ちょ、ちょっと、伊瀬冬くん! そういうこと、あんまり考えないようにしてたんだよ!」と源尾は顔を赤くする。

「悪い悪い」と謝ったその時、後方遠くから扉を開けようとするようなガチャガチャという音が微かに耳に届いた。思わず歩みを止めて息を潜めると同時に、通路に響き始めた運動会めいたやかましい音楽。「『剣の舞』だ」と怯えた声で源尾が言ったその矢先、館内放送めいた割れた声が通路に響いた。

「早く帰ってきてねと、そう伝えたはずでしょう。伊瀬冬さんに源尾さん、オシオキが必要かしら」

 カチョウの声だ。理解と同時に、俺はとっさに源尾の腕を掴んで走り出す。そのまま肩越しに振り向き、先ほどの音の正体を確認した俺は、「見なけりゃよかった」と後悔した。

 俺達を追って来ていたそれが、短距離走の選手の如く全力で両腕を振りながら走る人体模型だったからである。
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