初恋と、電気羊とジンギスカン

シラサキケージロウ

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第3話 ずっと側にいて

ずっと側にいて その4

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 暗い道を歩いて、俺は狐面達と共に源尾のいる店へと戻った。俺を中心にして五角形を描くような配置で歩く奴らは、速度から歩幅に至るまで、まるで機械か何かのようにぴったりで気味が悪い。

 やがて店の前に着くと、狐面達は縦一列に整列して並び、それから近くにあった電柱の陰へ身を寄せた。「さあ、行きたまえ」という五つの声が重なる。

 得体の知れない奴らの言いなりになっていることに腹立たしさを覚えながら戸を引いて開けると、店内の様子がかなり荒れていることに気づいた。テーブルは軒並みひっくり返り、椅子は倒されている。割れた電灯と食器の破片が床に散らばっていて、まるで室内で小さな嵐でも起きたようだった。

 その光景に一瞬だけ思考が停止した後、すぐさま頭を支配した「源尾は無事なのか」という不安。店内に踏み入った俺は、源尾の名前を繰り返し叫んだ。

「源尾っ! 俺だ! いるか?!」

 すると、店の奥から足音がこちらに近づいて来るのが聞こえてきた。安堵したのも束の間、薄暗闇の中から現れたのは源尾ではなく、ダウンコートを着たあの男だった。

 男は歩いてきた勢いのまま、俺の襟元に両腕を伸ばして掴みかかってきた。

「おいコラ。よくも顔出せたもんだな、おたく」
「ふざけろ。なんだってんだ、急に」
「とぼけてんじゃねぇぞ。おたくがあの女を連れ戻したんだろ」
「知るかよ。そんなことできるなら最初からそうしてるっての。お前こそ、源尾を出せ」
「ああそうかい。いいぜ。おたくがその調子でいくなら、俺だってやることやるだけだ」

 壁に向かって俺を突き飛ばした男は、ポケットから携帯を取り出して構える。その瞬間、店の外で待ち構えていた狐面連中が一斉に店内へとなだれ込んできて、あっという間に男を取り押さえた。男は言葉にならない唸り声を上げながら必死に抵抗したが、狐面ひとりひとりに四肢をそれぞれ押さえつけられている状態ではなにもできず、ついには両手足に手錠を掛けられた。

 狐面のひとりが「協力感謝する」と言いながら、男の持っていた携帯を俺に手渡してきた。それを床に落とした俺は、踵で思い切り踏みつける。パキンという軽い音が響き、画面から真っ二つで割れた。

「あとはもう帰るだけだな。御達者で、伊瀬冬くん」

「まだだ。源尾が消えた。これから探しに行ってくる」

「そうか。なかなか楽じゃないな、君も」
「残念ながら我々は手伝えない」
「それは我々の役目ではないのだ」
「だが健闘は祈るよ。心から」

 狐面達は神輿のように男を担ぎ上げると、「さらばだ」と声を合わせて店から出て行った。





 一通り店内を見て回り、源尾がどこにも隠れていないことを確認した俺は、続けて店の外へと飛び出した。夜の街は一層暗さを増しており、月明かりと街灯だけでは心もとなさを感じるほどだ。

 まず向かったのは、俺達が目覚めたホテルだった。もし源尾が男の目を盗んで逃げ出したのなら、あそこに向かっている可能性が高いと考えてのことだった。しかしホテルに源尾の姿は見えず、また電車が停まっている屋上庭園にも居なかった。

 ホテルを出た後はもうがむしゃらだ。源尾の名前を呼びながら、とにかく街を駆け回った。目についた店の扉を乱暴に開いて中に入り、商品棚やカウンターの陰を覗いては出ていくという、なにも盗らない強盗みたいに不毛な行為をひたすら繰り返し……そして、今もそれを続けている。役立たずにも程がある自分に心底嫌気がさす。

 どれだけそんなことを続けたのかは自分でもわからない。ずいぶん時間は経ったはずなのに、空は相変わらず暗いままだ。いやむしろ、その黒をより深めているような気さえする。

 ただ源尾が元の世界に帰っただけならばそれでいい。だが、不思議とそうは思えない。まだこの世界のどこかにいるはずだと、ざわつく心が訴えている。

「……どこにいんだよ、源尾」

 思わず呟いたその時、前方遠くにふと光が灯ったことに気が付いた。光ったのはどうやら店の看板のようで、『十字茶屋』という文字がはっきりと見える。昼時に入った店と同じ名前だ。

 まるで夜の虫のようにその光に吸い寄せられた俺は、わずかな望みをかけてその店の扉を開く。店の敷居を境界線にして、広がっていたのは夜の世界とは無縁の空間だった。

 かわいらしい丸テーブルが点々と並ぶ小さな店内は、大きな窓から差し込む暖かな陽光で包まれている。どこを見ても空席は無く、ふたりの店員がキッチンとフロアを行ったり来たりして忙しない様子だ。振り返って店の外を見れば、先ほどまでの夜の景色は昼間の繁華街へと切り替わっている。驚いて声も出せないでいると、背後から近づいてきた客が俺の身体を文字通り〝通り抜けて〟店から出ていった。昨夜と同じく、俺はまた透明人間になっているらしい。

 こうなったのには何か理由があるはずだ。そしてその理由というのは、きっと――。

 その時、店員のひとりが「いらっしゃいませー!」と元気よく声を上げた。店に入ってきたのは、制服を着た女子高生らしき三人組。楽しそうに会話するふたりの一歩後ろから遠慮がちにちょこちょこと着いてきたのは、間違いなく源尾だ。

 開いている席に通された源尾達は、それぞれ店員に何かを注文した。それから他愛もないお喋りが始まって、やれ学校が面倒だとか、数学教師の教え方が悪いだとか、家族についての愚痴だとか、様々な内容が無軌道に駆け巡る。源尾のぎこちない笑い方にはやや緊張が見えたものの、それでも一応は楽しんでいるようで、俺は父親の気分になってホッとした。

 目の前にあるのは、どこにでもある平穏な日常。それでも、昨日のことを思えばここから何が起きるかわからない。俺は源尾の友人達の発言内容から一挙手一投足に至るまでかなりの注意を払ったが、敵意のある行動は一切見られなかった。

 間も無くして運ばれてきた生クリームの乗ったパンケーキとアイスティーを、これまた他愛ない会話と共に楽しんだ三人は、会計を済ませて店を出て行く。その後をぴったり追いかけていくと、店の扉を抜けたその瞬間に、今いる場所がゲームセンターへと変わったから驚いた。様々なゲームの筐体が左右に並び狭い通路を作っており、多くの人が肩を狭めてすれ違っていく。ガチャガチャと様々な音楽が鳴り響いてやかましい。

 通路の突き当たったところに幅広のUFOキャッチャーがあって、その前には源尾を含めた制服三人組がいた。近づいてみれば、三人は景品である大きなピンクの象のぬいぐるみを取ろうとしているようで、困ったような笑みを浮かべながらアレコレ相談している。アームがどうだとか確率機ならどうだとか、色々と専門的なことを言っているようだが、意味はわからない。

 三人の挑戦はしばらく続く。やがて百円玉が尽きたのか、源尾以外のふたりがUFOキャッチャーから離れていく。ひとり残された源尾が難しい顔でピンクの象とガラス越しににらめっこしていると、先ほどのふたりとは異なるまた別の誰かが源尾のそばに近づいてきた。

 「あいちゃんじゃん」と源尾に話しかけた女は、源尾と同じ制服を着ており、同じ高校に通う生徒であることがすぐに理解できた。化粧は濃くて、髪色は金。太ももの上の方まであらわになるほどスカートを短く履いているのが、まさに『若さは無敵』を看板に掲げるギャル女子高生といった感じである――が、その顔の造りにどこか見覚えがある。いったい、どこだったか。

「佐藤さん」と源尾がそいつを見ながら微笑みを浮かべた時、正体を思い出した。恰好や化粧、喋り方すらもだいぶ変わってはいるが、こいつは昨夜の〝カチョウ様〟で間違いない。

 しかし源尾は、佐藤の登場に「偶然だね。よく来るの?」と気にしていない様子である。過去のことを水に流したとは思えないから、他人の空似と考えるしかないのだろうか。

「いやぁ。ちょっと待ち合わせってだけ。バイトなんだ、これから」と佐藤は言う。
「バイトやってるんだ。ここの近くのお店?」
「うーん。お店っていうか……ある意味ではコジンジギョーヌシ、みたいな」
「……個人事業主?」
「そ。てか、そろそろ時間だ。行くわ」

 そう言って手を振った佐藤は、「じゃ」と残してスマホの画面を見つつ去っていった。その背中に源尾が「じゃあね」と言ったその瞬間、いつの間にか俺は、どこぞの喫茶店の窓際の席に座っていた。

 さっきからいったい何が起きているのか。理解するよりも先に、背後の席から先の女子生徒と源尾が会話する声が聞こえて、反射的に俺は振り返った。

 丸テーブルの席で源尾と向かい合って座る佐藤は、「あいちゃん。ごめんね、今日は。急に呼んじゃってさ」とヘラヘラ笑いつつ言う。申し訳なく感じているとは思えない態度だ。そんな無礼に「ううん、全然いいよ」と笑顔で答えた源尾は、ココアを熱そうにすすってから続けた。

「それで、どうしたの? なにか相談事?」
「この前さ、あたし、バイトしてるって言ったじゃん。で、その関係で、あいちゃんにちょーっと作って欲しいモンがあるんだよね。ほら、パソコンとか得意なんでしょ?」
「苦手じゃないけど……でも、わたしにできるかな?」
「ダイジョーブだって、あいちゃんなら。できるできるっ!」

「そうかな?」と困ったように微笑んだ源尾は、「あのね」と何かを言いかけた後にその言葉を呑み込み、それから小さく頷いた。

「……わかった。やってみるよ」
「ホント?! ホントにいいの?!」
「うん。でも、作るものによっては、もしかしたら少し時間かかっちゃうかもしれないけど大丈夫?」
「ヘーキヘーキ! いやー、頼んでみるものだなーっ。持つべきものは友達だぁ。じゃ、詳細はあとで送るから、ヨロシク!」

 佐藤は源尾の手を取り固く握手する。ぎこちない笑顔でそれに応じた源尾が、「友達だもんね」とどこか寂しく呟いた時――三度、周囲の景色が変わる。

 俺は電車の中にいた。向かって正面、出入り口の扉に近い最端の席にはどこか表情を暗くした源尾がひとりで座っている。昼間という時間のせいもあるのだろうか、さほど混んでいない車内には女子高生が多く目立つ。

 やがて電車はある駅で停まり、入ってきた女子高生のふたり組が源尾と同列、反対側の最端の席に並んで腰かけた。互いの顔ではなく、自分のスマホに視線を落としながら会話するふたりの声がこちらまで聞こえてくる。

「そういや最近、四組の佐藤が学校来てないらしいじゃん。どうしたんかな」
「うわ、そうだ。あんた風邪ひいてたから知らんじゃん。アイツ、売春で捕まったんよ」
「うわ。マジ? てか、ウリだけで捕まるんだ」
「マジのマジ。なんか、付き合ってた男と仲間集めて、組織的にやってたって」
「うわー、よくやる。ツルむの止めて正解だわ」
「しかも佐藤のヤツ、証拠を残さないようにって、特製アプリで客とやり取りしてたらしいんだけど、それ作ったのウチの生徒だって」
「なにソレ。どんなんよ」
「ちょっと経ったら会話の履歴とかが全部消える仕組みだって。あと、警察の巡回ルートが載ってたりとか? とにかくヤバい」
「エグ。てか、そんなの作れる子いんの?」
「いるんじゃね? ウチの学校、特進クラスのヤツらはヤバいし」
「佐藤、そういう陰系の人らとも繋がりあったしなー」
「誰にでもグイグイいける系だったしね。惜しい人を亡くしたわぁー」
「てか、死んでねぇから。勝手に殺したらあかん」
「ま、死んだみたいなモンしょ。退学だろうし」

 そこでふたりは声を揃えてげらげらと笑う。源尾は肩身を狭そうに席を立ち、出入り口の扉にそっと身を寄せる。一秒でも早くこの場から逃げ出そうとしているように見えた。

 電車がトンネルに差し掛かり、車内がほんの一瞬だけ暗くなる。やがて視界に光が戻ると、俺はこの世界で目覚めた時と同じホテルの一室にいた。

 ベッドの端に腰掛けていた源尾が、こちらへ涙目を向けながら「ごめん」と呟いた。
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