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第4話 ウォーリー
ウォーリー その3
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気づくと俺は見知らぬ部屋で、クッションを枕代わりにして仰向けに寝ていた。窓際には木製のベッド。姿見鏡に、背の高い本棚がふたつ。横に広い棚と、その上に置かれたノートパソコン。目につくものはそれくらいしかない、整理の行き届いた清潔感のある部屋だ。
ここに誰かが住んでいることは間違いなく、そしてその〝誰か〟というのは、きっと――。
「伊瀬冬くんっ!」と心くすぐられる声がする。部屋の扉を開いて現れたのは待ち望んでいた姿、源尾だった。
今日の源尾は昨日と違い、夢の中の夢で見た高校生当時の制服を着ている。線の細かった身体もかなり大人びてきており、肌には重力と縁を切ったかのような無限のハリがある。大学生となった今では一緒に歩くのも憚られる、無敵の女子高生だ。
緊張をひた隠しにしつつ身体を起こした俺は、「おう」と気安く源尾を迎えてみた。
「今度は高校生か。また大きくなったな、源尾」
「言っとくけど、ほんとのわたしは伊瀬冬くんと同い年なんだからね。ただ、夢の中でちょっとだけ小さくなっちゃってるだけなんだから」
少し不貞腐れたようにツンとそっぽを向いた源尾は、口元に小さな笑みを浮かべる。あどけなさの中に大人びた一面の見えるその色っぽい笑い方を目の前にして、チョコレート製の弾丸で撃ち抜かれたような衝撃を受けた俺は、むせ返る甘さに堪らず目の前が白んだ。
「いや、冗談のつもりだったんだ」なんて面白くもないことを言った俺へ、「わかってるから大丈夫」と笑顔で返した源尾はさらに続けた。
「それにしても、夢の中で自分の部屋にいるのってヘンなカンジ」
「やっぱり。ここって源尾の部屋なんだな」
「うん。いつもここから大学まで行ってるんだ」
その答えを聞いて、俺は源尾の大学生活を勝手に想像した。
朝の日差しを受けながら清楚なワンピース姿で駅まで歩く源尾。電車に揺られながら静かに本を読む源尾。教室に入って友人の姿を見つけホッと息を吐く源尾。真剣な顔で教授の話に耳を傾ける源尾。友人たちと共に昼食をとる源尾。帰りの道中、電車を途中でふらりと降りて街に出る源尾。気ままに街を歩き、なんとなく横道に逸れてみたり小さな神社に参拝したりする源尾。そんな中でたまたまサークルの先輩と出くわし、デートまがいのことをする源尾……いや、要らぬ心配をした。このあたりはわざわざ考えなくともいいだろう。いいに違いない。いいに決まっている……のだが、一度気にしてしまうとどうにもならない。源尾にその気は無くとも、下心を持って近づく輩は数多いかもしれん。この世のほとんどの男は野蛮な狼である。俺は礼節を重んじるジェントル羊だが。
俺は源尾の学校生活を探るべく、あくまでそれとなく提案をした。
「なあ、源尾。もしよければ、源尾の大学まで行ってみないか?」
「わたしの?」と源尾は小首を傾げる。
「わたしは別にいいけど、伊瀬冬くんにとっては全然おもしろいこと無いと思うよ?」
「わからないだろ? 夢の中なんだから、もしかしたら大学の構内がテーマパークみたいになってるかもしれない」と俺は適当なことを言ってみる。純粋無垢の権化みたいな源尾はこれに、「そう言われると、ちょっと気になっちゃうかも」とこちらが申し訳なるくらい真面目な顔で呟いた。
「じゃあ、行ってみよっか。大学なら、わたしが案内してあげられるから」
源尾は俺の右手を軽く握った。その行動を「おう」とあっさり受け入れてしまったのは、互いの手を握るという行為にすっかり慣れてしまったせいだろう。
〇
部屋を出た俺は、源尾に連れられるまま横並びで道を歩いた。嬉しい反面、繋いだままの手のひらに手汗をかかないか不安になる。
左右には背の低い集合住宅だとか一軒家だとかが並び立っている。住宅街といえば住宅街だが、なんの変哲もないというわけでもなく、屋根がどぎついピンク色だったり、壁面が赤に塗られていたりして目が痛い。おまけに、すれ違う人が誰もいない。車や自転車はおろか、猫の子一匹道を通らない。まあ、世界に誰もいなくとも、隣に源尾さえいればいいのだが。
ぼぅっとした感覚のまま住宅街らしき通りをしばらく行くと、間もなく駅まで辿り着いた。改札を抜けてホームまで向かったが、電車を待つ乗客はおろか車掌さえもいない。まったくもって雑である。さすが夢の世界だ。
数分と待たないうちに黄色い車体がホームにやって来て、俺達はそれに乗り込んだ。するとそれはアナウンスも無いままに走り出し、カタンカタンと一定間隔で小気味よい音を上げながら、窓の外の景色を急速に変えていく。昨夜までは空を飛んでいたこの乗り物も、今では行儀よく線路の上を進んでいる。それは極々当然のことなのだが、却って不思議に感じられた。
やがて景色の変わるスピードがゆっくりと落ちて、電車は静かに停車した。開いた乗車口からホームへ出ると、白いペンキで塗りつぶされた駅名表札が目についた。
「伊瀬冬くん。どうかしたの?」
「いや、なんでも」と俺が答えたのは、「ここはなんて名前の駅なんだろうな」と訊ねるのが、源尾の住所を探っているようで躊躇われたからだ。常に紳士でなくちゃならん。たとえ夢の中だとしても。
駅を出ると、どうしたことか無人の構内が嘘だったかのように大勢の人がいた。歩道はもちろん車道までもが通行人で溢れていて、歩くのにもやや苦労しそうなほどだ。半ばイモ洗い状態である。
数多くの人がいる光景を前にした源尾は目を丸くしながら呟いた。
「すごい人だね。この駅がこんなにぶわーってなってるの、はじめて見たかも」
「なんだってんだろうな、こりゃ。有名人でも来てんのか?」
その時、背後から急に大きな影が俺達の頭上に落ちてきた。何事かと振り返ると、全長3メートルはあろうかというほどのピエロメイクをした男が俺達を見下ろしていた。脚だけが異様に長く、ダボついたズボンを履いているところを見るに、竹馬か何かで身長をかさ増ししているのだろう。
突然のことに驚きながらも、源尾をしっかりと背に隠して「なんの用だ」とピエロに訊ねると、奴は懐からチラシを黙って取り出し、マジックハンドを器用に使ってそれをこちらに寄越してきた。受け取って眺めてみれば、『大学祭 〝ゆめ祭り〟開催中』と踊るような字体で書かれている。なるほど、この人混みは大学祭の影響によるものらしい。
「コイツのせいらしいな」
「みたいだね」
俺の背後からチラシを覗き見ていた源尾は、ふいに俺の腕を強く引くと、人混みに向かって歩き出した。
「行ってみよっ、伊瀬冬くん。わたし、大学の文化祭ってはじめて!」
ここに誰かが住んでいることは間違いなく、そしてその〝誰か〟というのは、きっと――。
「伊瀬冬くんっ!」と心くすぐられる声がする。部屋の扉を開いて現れたのは待ち望んでいた姿、源尾だった。
今日の源尾は昨日と違い、夢の中の夢で見た高校生当時の制服を着ている。線の細かった身体もかなり大人びてきており、肌には重力と縁を切ったかのような無限のハリがある。大学生となった今では一緒に歩くのも憚られる、無敵の女子高生だ。
緊張をひた隠しにしつつ身体を起こした俺は、「おう」と気安く源尾を迎えてみた。
「今度は高校生か。また大きくなったな、源尾」
「言っとくけど、ほんとのわたしは伊瀬冬くんと同い年なんだからね。ただ、夢の中でちょっとだけ小さくなっちゃってるだけなんだから」
少し不貞腐れたようにツンとそっぽを向いた源尾は、口元に小さな笑みを浮かべる。あどけなさの中に大人びた一面の見えるその色っぽい笑い方を目の前にして、チョコレート製の弾丸で撃ち抜かれたような衝撃を受けた俺は、むせ返る甘さに堪らず目の前が白んだ。
「いや、冗談のつもりだったんだ」なんて面白くもないことを言った俺へ、「わかってるから大丈夫」と笑顔で返した源尾はさらに続けた。
「それにしても、夢の中で自分の部屋にいるのってヘンなカンジ」
「やっぱり。ここって源尾の部屋なんだな」
「うん。いつもここから大学まで行ってるんだ」
その答えを聞いて、俺は源尾の大学生活を勝手に想像した。
朝の日差しを受けながら清楚なワンピース姿で駅まで歩く源尾。電車に揺られながら静かに本を読む源尾。教室に入って友人の姿を見つけホッと息を吐く源尾。真剣な顔で教授の話に耳を傾ける源尾。友人たちと共に昼食をとる源尾。帰りの道中、電車を途中でふらりと降りて街に出る源尾。気ままに街を歩き、なんとなく横道に逸れてみたり小さな神社に参拝したりする源尾。そんな中でたまたまサークルの先輩と出くわし、デートまがいのことをする源尾……いや、要らぬ心配をした。このあたりはわざわざ考えなくともいいだろう。いいに違いない。いいに決まっている……のだが、一度気にしてしまうとどうにもならない。源尾にその気は無くとも、下心を持って近づく輩は数多いかもしれん。この世のほとんどの男は野蛮な狼である。俺は礼節を重んじるジェントル羊だが。
俺は源尾の学校生活を探るべく、あくまでそれとなく提案をした。
「なあ、源尾。もしよければ、源尾の大学まで行ってみないか?」
「わたしの?」と源尾は小首を傾げる。
「わたしは別にいいけど、伊瀬冬くんにとっては全然おもしろいこと無いと思うよ?」
「わからないだろ? 夢の中なんだから、もしかしたら大学の構内がテーマパークみたいになってるかもしれない」と俺は適当なことを言ってみる。純粋無垢の権化みたいな源尾はこれに、「そう言われると、ちょっと気になっちゃうかも」とこちらが申し訳なるくらい真面目な顔で呟いた。
「じゃあ、行ってみよっか。大学なら、わたしが案内してあげられるから」
源尾は俺の右手を軽く握った。その行動を「おう」とあっさり受け入れてしまったのは、互いの手を握るという行為にすっかり慣れてしまったせいだろう。
〇
部屋を出た俺は、源尾に連れられるまま横並びで道を歩いた。嬉しい反面、繋いだままの手のひらに手汗をかかないか不安になる。
左右には背の低い集合住宅だとか一軒家だとかが並び立っている。住宅街といえば住宅街だが、なんの変哲もないというわけでもなく、屋根がどぎついピンク色だったり、壁面が赤に塗られていたりして目が痛い。おまけに、すれ違う人が誰もいない。車や自転車はおろか、猫の子一匹道を通らない。まあ、世界に誰もいなくとも、隣に源尾さえいればいいのだが。
ぼぅっとした感覚のまま住宅街らしき通りをしばらく行くと、間もなく駅まで辿り着いた。改札を抜けてホームまで向かったが、電車を待つ乗客はおろか車掌さえもいない。まったくもって雑である。さすが夢の世界だ。
数分と待たないうちに黄色い車体がホームにやって来て、俺達はそれに乗り込んだ。するとそれはアナウンスも無いままに走り出し、カタンカタンと一定間隔で小気味よい音を上げながら、窓の外の景色を急速に変えていく。昨夜までは空を飛んでいたこの乗り物も、今では行儀よく線路の上を進んでいる。それは極々当然のことなのだが、却って不思議に感じられた。
やがて景色の変わるスピードがゆっくりと落ちて、電車は静かに停車した。開いた乗車口からホームへ出ると、白いペンキで塗りつぶされた駅名表札が目についた。
「伊瀬冬くん。どうかしたの?」
「いや、なんでも」と俺が答えたのは、「ここはなんて名前の駅なんだろうな」と訊ねるのが、源尾の住所を探っているようで躊躇われたからだ。常に紳士でなくちゃならん。たとえ夢の中だとしても。
駅を出ると、どうしたことか無人の構内が嘘だったかのように大勢の人がいた。歩道はもちろん車道までもが通行人で溢れていて、歩くのにもやや苦労しそうなほどだ。半ばイモ洗い状態である。
数多くの人がいる光景を前にした源尾は目を丸くしながら呟いた。
「すごい人だね。この駅がこんなにぶわーってなってるの、はじめて見たかも」
「なんだってんだろうな、こりゃ。有名人でも来てんのか?」
その時、背後から急に大きな影が俺達の頭上に落ちてきた。何事かと振り返ると、全長3メートルはあろうかというほどのピエロメイクをした男が俺達を見下ろしていた。脚だけが異様に長く、ダボついたズボンを履いているところを見るに、竹馬か何かで身長をかさ増ししているのだろう。
突然のことに驚きながらも、源尾をしっかりと背に隠して「なんの用だ」とピエロに訊ねると、奴は懐からチラシを黙って取り出し、マジックハンドを器用に使ってそれをこちらに寄越してきた。受け取って眺めてみれば、『大学祭 〝ゆめ祭り〟開催中』と踊るような字体で書かれている。なるほど、この人混みは大学祭の影響によるものらしい。
「コイツのせいらしいな」
「みたいだね」
俺の背後からチラシを覗き見ていた源尾は、ふいに俺の腕を強く引くと、人混みに向かって歩き出した。
「行ってみよっ、伊瀬冬くん。わたし、大学の文化祭ってはじめて!」
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