帳(とばり)珈琲店 〜お気の毒ですがまた幸せな結末です〜

ナナセ

文字の大きさ
1 / 38
プロローグ

(0)死神

しおりを挟む
 
 それは偶然だった──。
 目を覆い隠す前髪の隙間から、たまたまその光が目に入ったのだ。

 もうずっと、途方に暮れて街を彷徨さまよっていた。

 時刻は夕暮れ。
 日が沈み、空が深い藍色に染まり始める頃。ふと、優しく灯る橙色のランプが目に入った。
 その光に引き寄せられるように足を運ぶと、そこには小さな珈琲店があった。

 店の中を覗こうと窓ガラスを見る。
 そのガラスに映る自身の姿は、二十代前半の男の姿をしている。夜闇に紛れてしまいそうな漆黒のスーツを着用し、髪の色もスーツと同じ黒色。短髪ではあるけれど、内面の自信の無さを隠したくて、瞳を前髪で覆っている。そんな前髪の隙間から、いつもこっそりと景色を眺めていた。

 その瞳に、珈琲店の不思議な貼り紙が映る。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
  あなたの話を聞きます。
  ただ聞くだけ、何も解決いたしません。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 紙の下の方には、『温かい珈琲をお出しします』と小さく追記されていた。
 何をやっても上手くいかない。焦燥とやるせなさでいっぱいだった私は、思わずその扉に手を伸ばす。


とばり珈琲店」


 店の名前を呟きながら中へと入った。


 カロンッ──。
 扉についたカウベルが軽快な音を響かせると、カウンターテーブルの向こうから秀麗な男性が笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

 言われた言葉に店内を見渡す。
 壁際に備え付けられた書棚に沢山の本とランプが並べられており、間接照明の優しい光が幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 座席は、L字のカウター席が五つと、テーブル席が二つ。今は女性が一人テーブル席にいるだけで、他の席は空いているようだった。

「あの……、外の貼り紙を見て」
 
 そこまで言って、私はハッと我に返った。
 いくら話を聞くと書いてあったとはいえ、『自分は死神なのだ』と話した所で誰が信じるというのか。信じてもらえず、笑われて終わるに決まっている。
 やはり引き返そうと、そう思った時……。

「ではお客様、カウンターの左端の席へどうぞ」

 その場所を、指先を綺麗に揃えた手のひらが示した。その所作しょさの美しさに、思わず席へ向かい腰を下ろしてしまう。

 座ったのはいいけれど、やはりどうしようかと悩んでいると、しばらくして珈琲がカウンターテーブルに置かれた。

「本日の珈琲は、マラウィ・ミスクという豆の深煎り珈琲になります」

 豆の知識は全く無いのでよく分からないけれど、私はこの闇色の飲み物が好きだった。

 一口、飲む。

「美味しい」

 この黒い液体を、一番最初に飲もうとした人間は誰なのか。こんなに暗黒な色の飲み物を、よく恐怖や不安なく口にできたなと思う。

 光を愛する人間が好むものとは到底思えなかったけれど、世界中にこれを愛する人がいる。この闇色の液体には、人を虜にする力があるらしい。そして自身もまた、虜にされた者の一人だった。

 そんな私は、ひどく落ちこぼれの死神だった。
 初歩の死神試験に合格できないまま、既に半年の月日が経過している。
 その試験とは、人間を五人、現状よりにすること。それをクリアできなければ、死神の世界には戻れない。

 他の死神たちは人間に大きな不幸を与え、続々と元の世界へ帰っていった。けれど私は人間のことが嫌いではなく、むしろその生き方の多様性や物事に対する感受性の強さにとても興味を持っている。

 だから人を不幸にする際は、いつもほんの少しだけ不幸になるように、そう心掛けて行動していたのだ。

 少しだけでいい。
 たくさん不幸になどならなくていいと。

 落ちこぼれの私は、猫に姿を変える事しか出来ない。金色の目をした黒猫だ。

 人を少し不幸にしようと色々なことを試してみたけれど、どれも裏目に出てしまい、関わる人々がみんな幸せになっていく。

 このまま永遠に初級試験に合格できないのではないか。そう思うと不安でたまらなかったのだ。


「誰かに話したいことがあるのなら、僕で宜しければ伺いますよ。ただ話を聞くだけで、何も解決いたしませんが」


 穏やかな低音で告げられた言葉は、私の心にすっと浸透してきた。秀麗な外見だけでなく、声まで品があるのだなと感心して彼を見つめる。

 歳は、三十代前半だろうか。
 恐らくバイトなどではなく、ここのマスターなのだろう。

 皺のない真っ白なシャツに、漆黒のエプロン。髪はエプロンより少し薄い黒で、目にかかる長さの前髪を左右に流している。そして何より印象的なのが、黒縁眼鏡の奥にある涼やかな瞳だった。

 また一口、珈琲を飲む。
 やはり、この人に話を聞いて欲しいと思った。

 幻想的なこの店と、深い味わいの珈琲。そして彼の落ち着いた雰囲気がそう思わせたのかもしれない。

「私は、人をほんの少し不幸にしたいのです」
「不幸に?」
「はい。でも関わった人々が、皆さん幸せになってしまって……」
「どうして、不幸に?」

 その問いに、しばし戸惑う。
 けれど打ち明けていた。


「それは私が、……死神だからです」


 そして私は、自身が関わった人々の、ひたむきで切ないえにしの話を語り始めた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...