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第2章
(4)死神
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--そして、帳珈琲店。
カウンター席では、もう何度目になるのか分からない私の溜息が続いている。
「チケットを飛ばしただけなのに、若い男女が楽しげに話を始めて……」
「高校の同級生とは、興味深い再会ですね。彼らの会話に出てきた真田先生というのは、ホームで自殺二秒前だった彼ですか?」
「そうです」
「では、老婦人も彼らと関わりが?」
「そちらも、その後にしっかり出会います」
「フフッ。なんだか、また幸せの予感がしますね」
マスターが嬉しそうに微笑む。
「それは、私に対する嫌味でしょうか?」
「いいえ、状況に対する個人の感想です」
言葉のラリーで、このマスターには一生勝てそうにないと私は項垂れた。
カロンッ──。
扉のカウベルが軽快に響き、私から一番遠いカウンター席にビジネススーツの男性が腰を下ろした。
注文を聞いたマスターが手際よく用意を始める。
珈琲の他に蜂蜜バタートーストを頼んだようで、しばらくしてパンがこんがり焼ける香ばしい匂いも店内に漂ってきた。
少し厚めのトーストにバターが塗られ、その上に、とろりとした黄金色の蜂蜜がたっぷり掛けられている。
食べたい。
こっそりと思う。
私が人間に興味を持つ理由の大きな一つが、この多様な食事メニューだ。何よりこの国の人々の繊細な味覚は、他の国とは一線を画した味わいを作り出しているように思う。
ビジネスマンがそれにかじり付いた途端、カリッと美味しそうな音が響き、その断面からモチモチした内側が見えた。
外はカリッ、中はフワモチッ。
やはりどうしてもあれが食べたいと、そう思わずにはいられない。
しかし既に、珈琲一杯分の店内清掃と言う労働が私に義務付けられている。更にあれを食べるとなると、他にどんな労働をさせられるか分からないのだ。
「話の途中でお待たせしました」
蜂蜜バタートーストに見惚れていると、マスターが私の前に戻ってきた。
「一つ、お伺いしても?」
私が問う。
「なんでしょうか?」
マスターが答える。
「あの蜂蜜バタートーストは、お幾らなんでしょうか?」
「そうですね。死神さんの労働に換算すると、追加で、お店のトイレ掃除と、自宅の掃除くらいですかね」
「わざわざ労働に換算して頂き有り難うございます」
親切なのか、スパルタなのか。遂に、掃除の範囲が店を越えて自宅にまで及んでいる。
「ちなみに、ご自宅の広さは?」
「ご想像にお任せしますよ」
「そこは想像ではなく現実を教えて頂かないと!」
とんでもない豪邸だった場合、今より途方に暮れる事になる。
良い人オーラ全開のこのマスターが、実は案外そうではない事をもう学習しているのだ。
「それより、死神さんの興味深いお話の続きを伺いましょうか。話のお供にこの珈琲と、蜂蜜バタートーストは相性抜群ですよ」
最後にサラッと蜂蜜バタートーストまで進めてくるあたり、マスターは私に労働を課す気満々のようだ。
「ちなみに、バターは北海道から、蜂蜜も素晴らしい国産農園から取り寄せた、こだわりの一品になります」
そんな事を言われたら、ますます食べたくなる。誘惑に負けて蜂蜜バタートーストを注文してしまうのも時間の問題かもしれない。そうなると、また更に労働が追加される事になるのだ。
これもまたきっと時間の問題だと、私は溜息を吐いたのだった。
カウンター席では、もう何度目になるのか分からない私の溜息が続いている。
「チケットを飛ばしただけなのに、若い男女が楽しげに話を始めて……」
「高校の同級生とは、興味深い再会ですね。彼らの会話に出てきた真田先生というのは、ホームで自殺二秒前だった彼ですか?」
「そうです」
「では、老婦人も彼らと関わりが?」
「そちらも、その後にしっかり出会います」
「フフッ。なんだか、また幸せの予感がしますね」
マスターが嬉しそうに微笑む。
「それは、私に対する嫌味でしょうか?」
「いいえ、状況に対する個人の感想です」
言葉のラリーで、このマスターには一生勝てそうにないと私は項垂れた。
カロンッ──。
扉のカウベルが軽快に響き、私から一番遠いカウンター席にビジネススーツの男性が腰を下ろした。
注文を聞いたマスターが手際よく用意を始める。
珈琲の他に蜂蜜バタートーストを頼んだようで、しばらくしてパンがこんがり焼ける香ばしい匂いも店内に漂ってきた。
少し厚めのトーストにバターが塗られ、その上に、とろりとした黄金色の蜂蜜がたっぷり掛けられている。
食べたい。
こっそりと思う。
私が人間に興味を持つ理由の大きな一つが、この多様な食事メニューだ。何よりこの国の人々の繊細な味覚は、他の国とは一線を画した味わいを作り出しているように思う。
ビジネスマンがそれにかじり付いた途端、カリッと美味しそうな音が響き、その断面からモチモチした内側が見えた。
外はカリッ、中はフワモチッ。
やはりどうしてもあれが食べたいと、そう思わずにはいられない。
しかし既に、珈琲一杯分の店内清掃と言う労働が私に義務付けられている。更にあれを食べるとなると、他にどんな労働をさせられるか分からないのだ。
「話の途中でお待たせしました」
蜂蜜バタートーストに見惚れていると、マスターが私の前に戻ってきた。
「一つ、お伺いしても?」
私が問う。
「なんでしょうか?」
マスターが答える。
「あの蜂蜜バタートーストは、お幾らなんでしょうか?」
「そうですね。死神さんの労働に換算すると、追加で、お店のトイレ掃除と、自宅の掃除くらいですかね」
「わざわざ労働に換算して頂き有り難うございます」
親切なのか、スパルタなのか。遂に、掃除の範囲が店を越えて自宅にまで及んでいる。
「ちなみに、ご自宅の広さは?」
「ご想像にお任せしますよ」
「そこは想像ではなく現実を教えて頂かないと!」
とんでもない豪邸だった場合、今より途方に暮れる事になる。
良い人オーラ全開のこのマスターが、実は案外そうではない事をもう学習しているのだ。
「それより、死神さんの興味深いお話の続きを伺いましょうか。話のお供にこの珈琲と、蜂蜜バタートーストは相性抜群ですよ」
最後にサラッと蜂蜜バタートーストまで進めてくるあたり、マスターは私に労働を課す気満々のようだ。
「ちなみに、バターは北海道から、蜂蜜も素晴らしい国産農園から取り寄せた、こだわりの一品になります」
そんな事を言われたら、ますます食べたくなる。誘惑に負けて蜂蜜バタートーストを注文してしまうのも時間の問題かもしれない。そうなると、また更に労働が追加される事になるのだ。
これもまたきっと時間の問題だと、私は溜息を吐いたのだった。
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