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第3章
(7)死神
しおりを挟むーーそして、帳珈琲店。
「老婦人の小町さんは、教師の真田さんにホームで助けられた方で、就活惨敗女子の美空さんと家がお隣同士だったんですね」
「はい。とても仲の良いお友達のようです」
「ところで死神さん。触れていいのか迷いますが……」
彼のそんな前置きに、嫌な予感がした。
「触れないでいるのも、不自然な気がするので言いますね」
そう話す帳さんの顔が、既に笑っている。
「都市伝説となったラッキーキャットとお呼びしましょうか?」
「やめて下さい!」
やはり、これだった。
むしろ真っ先に突っ込まれるのではないかと身構えていたのだ。
すさまじい早さで拒否した私が可笑しかったのか、「フハッ」と帳さんが吹き出している。このマスターは、一度笑い出すと長いのだ。
「いつまで笑ってるんですか」
「いつまでだって笑いますよ」
死神さんがお気の毒で。
そう付け足し、また笑う。
「帳さん。気の毒な相手に対する態度が、間違っていると思うのですが……」
本来、心配や気遣いを見せるのが、人としての正しい姿なのではないだろうかと思う。
そんな私の一言に、先程までとは違う真摯な目で帳さんがこちらを見た。
「……あなたは、本当に人の良い死神ですね」
「え?」
「少しの会話だけでも、死神さんが善人だということが充分に伝わります」
真っ直ぐに目を見つめながらそんな事を言われて、私は驚いて視線を逸らした。
もし私が人間であったなら、それは賛辞に値することなのだろう。
けれどこの性格が災いして、私はずっと落ちこぼれだと見下されてきた。母親は優秀な兄弟にしか興味がなく、父親に至っては、すでに自分の存在を無かったものにしている。
半年以上も初級試験に合格できず、元の世界に戻れずにいる私の事を、もはや家族の誰も気にかけてなどいなかった。
「死神さんのそばにいる人は、やはり幸せ者ですね。あなたがそんな風に、思いやりのある人だから」
その言葉に、胸の奥がギュッとなった。
「そんなこと……無いんです。私の周りは誰も、そんな風に思ってなんかいません。それでも私は、誰かと話をして、もしもその誰かが私との会話を楽しいと思ってくれたなら……。それはすごく、すごく嬉しい事だと思います」
小さく笑うと、帳さんが空になった私の珈琲カップを下げ、ホットココアを前に置いた。
「楽しいですよ」
「え?」
「僕は、とても楽しいです」
生まれて初めて、自分との会話を楽しいと言われた。
なんだか胸の奥がポカポカするような、温かく不思議な感覚に戸惑う。
「有り難うございます。私も、私も帳さんと話しをするのが楽し…………」
感動で胸がいっぱいになった私の視線の先で、彼がしれっと伝票にココアと追記している。
「まさか! この会話の流れでまさか! こちらのココアもお代金に含まれるのですか?」
「どうして、含まれないと?」
「だって……帳さんが! 勝手に出して下さいましたよ?」
「確かにそうですね。では、こちらはお下げしますか?」
帳さんがココアのソーサーに手を掛ける。
ホットココアから広がる独特の甘い薫りが、私の鼻腔をそっとくすぐった。
美味しい。
匂いだけでこんなに美味しい。
飲めばもっと美味しいことが、飲む前から約束されている。私がココアを見つめていると、帳さんがそれをテーブルから引いた。
「あ」
思わず、声が出る。
「あれ? いります?」
「せ、せっかくのココアが勿体ないので! 頂いても……いいかなと」
「でしたらお気遣いなく、僕が自分で飲みますので」
「や、あの。そうではなく」
「そうではなく?」
「わ、私が……」
「私が?」
ここまで来ると、もう抗う事などできない。
「私が飲みたいので下さいっ!」
最後まで言ってしまった。
きっとこのマスターは、こうなる事が分かっていてこの会話を楽しんでいる。むしろ、会話の着地点がここに降り立つように誘導されていたような、そんな気さえしてきた。
「ご注文ありがとうございます!」
彼が美しい微笑みを浮かべる。
先程は思わず帳さんの言葉に感動してしまったけれど、彼の言った『楽しいですよ』と、私の言う『楽しいと思ってもらえたら』の『楽しい』には若干のズレがあるような気もする。
「帳さん。意地悪だって言われませんか?」
私も、もはや帳さんの前で遠慮というものがなくなってきた。
「一度もありませんが……」
「絶対、嘘だ」
帳さんは、心外です。と言いたげに傷ついたような目でこちらを見てくる。きっと、たいして傷ついてなどいないくせにと思った。
しかし、不意に何か思い出したように、帳さんが言葉を付け足す。
「ここのマスターをしていてそう言われたことは、本当に一度もありませんが……。昔、弟に同じことを言われたことがありました」
「弟さんに?」
「ええ。不器用で人の良い性格が、あなたと良く似た弟です」
ひどく寂しげに細められた瞳を見て、私はそれ以上、弟のことを質問することが出来なかった。
このマスターと出会ってから、私は自分が経験した出来事をたくさん語り、話をする楽しさを知った。そして今、誰かの話を聞いてみたいと、そう思っている。
誰かを見ているだけではなく、相手のことを『知りたい』と、そんな風に思い始めていた。
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