帳(とばり)珈琲店 〜お気の毒ですがまた幸せな結末です〜

ナナセ

文字の大きさ
19 / 38
第7章

(18)死神

しおりを挟む
 ーーそして、帳の自宅リビングルーム。


 カーテンの隙間から差し込む陽の光で、私は目を覚ました。
 猫に変身したお陰で、昨夜はフワフワの毛布に包まれリビングのソファーで最高な眠りについた。その肌触りのよさに、今もゴロゴロと毛布の上で体を転がしている。

 ただ、猫でいるのも良い事ばかりではなく、猫を前にすると冷静でいられなくなる帳さんに捕まり散々モフられる羽目になる。昨夜も寝落ち寸前の意識の片隅に、しつこくモフられ続けた記憶があった。

 夜型だと宣言していた帳さんは、昨夜何時まで起きていたのだろう。今はまだ寝室で眠っているようだ。

 私は猫の体でしなやかに伸びをしてから、その変身を解いた。

 床に散らかった書籍や衣服を踏まないように歩き、リビングのカーテンを開ける。外は快晴の青空が広がっており、バルコニーへの扉を開けると気持ちの良い風が入ってくる。

「よし」

 リビングを見渡し、どこから掃除を始めようかと考える。このままでは物が多過ぎて掃除ができない。
 だからと言って勝手に捨てる訳にもいかず、考え込んでいた。

 しばらく散らかった物を眺めていると、それらは大きく分けて、書籍・衣類・その他雑貨の三つにグループ分けできる事に気付いた。
 私は同じグループの物を一つの場所に移動させる事から始めていく。

 まずは本棚に入りきらない書籍を壁際へ積む。珈琲に関するものや、私にはよく分からない「株式投資」や「デイトレーダー」などと書かれた書籍が沢山あった。

「次は……」

 散らかった衣服をソファーの上に集めて畳み、帳さんから昨夜教えてもらった洗濯機の使い方のメモを開く。
 脱衣スペースまで移動すると、洗面台の横に洗濯機があり、その横がバスルームになっていた。洗濯機の近くにあるカゴの中には、タオルを含めた衣服が山盛りになっている。

 メモを見ながら洗濯機を操作する。

「洗剤……これと、柔軟剤……これを入れる」

 洗い・すすぎ・脱水・乾燥。
 猫に変身する事しかできない自分に比べ、この機械は何役にも姿を変える。洗濯機の有能さに驚きと敬意を覚えた。

「よ、宜しくお願いいたします!」

 有能な洗濯機様に土下座してから、私はリビングまで戻ってきた。散らかった書籍を積み重ね、衣類を畳むだけでも部屋の中が随分と整って見える。

 部屋が整うにつれて、気持ちまで整っていくような気がして、やはり自分は綺麗にする事が好きなのだと改めて実感した。

「さて、次は!」

 その他雑貨をいったん書籍の横に集める作業に取り掛かる。リビングのあちらこちらに、電化製品の空箱がたくさん転がっていた。

「これは……スチーム・アイロン? 説明は……ここに書いてるのか。服をハンガーに掛けたまま手軽に皺を伸ばせ、高温スチームにより服に着いた臭いも消せる」

 空箱の説明を読むだけで、この電化製品も洗濯機同様に有能である事が分かった。落ちこぼれの自分と違い、電化製品たちのスペックの高さに嫉妬を覚える。

「これを使って衣服の皺を伸ばせるのか」

 珈琲店での帳さんの皺の無い美しいシャツやエプロンを思い浮かべて納得した。それにしても、この本体はどこにいったのだろう。

 まだまだ色んな物が沢山リビングに溢れており、その度にこれはどんな物なのだろうと興味を惹かれ片付けの手がとまってしまう。

「ダメだ。まずは無心で物を集めよう!」

 私は集中して書籍・衣類・その他雑貨を、それぞれ一つの場所に集める作業を完了させた。
 そのタイミングを見計らったかのように、洗濯機が完了の合図を告げる。

 洗濯乾燥後の爽やかな香りがする衣類を、ソファーの前のローテーブルの上に畳んで並べていく。
 そして、片付けの最中に見つけたスチームアイロンの本体で、アイロンをかけてみる事にした。

 箱の中の説明書通りに水を入れ、しばらく待ちボタンを押すと、一気に熱い蒸気が噴射される。白いシャツの皺が綺麗に伸び、ウキウキしながらエプロンやジャケット、ハンカチ、色んなものにアイロンをかけた。

 ピンと張った美しさを見ていると、心まで爽やかになるような気がする。

 ふとリビングの壁掛け時計を見ると、針が正午を指していた。

「もう、こんな時間だ」

 帳さんはまだ眠っているのだろうかと気になり、アイロンの電源をオフにして彼の寝室の扉をノックしてみた。

「帳さん……おはようござ……もう早くないか。こんにちは、お昼になりましたよ」

 しばらくして部屋の扉が開き、ぼんやりと眠そうに欠伸をした帳さんが出てくる。
 珈琲店にいる時のスタイリッシュな姿からは想像もできないほど、髪はボサボサで薄っすらと髭も生えていた。

「おは……う……ご……僕は……シャ…………」

 まだ夢うつつなのか、声も小さく、後半は特に何を言っているのか分からない。
 フラフラと足を進めバスルームへ向かって行ったので、恐らくシャワーを浴びてくると言っていたのだろう。

 この人は午前中使い物にならない人だと思った。

 暗くなり夕闇が降りる事を『夜の帳が降りる』と表現する事があるけれど、夕暮れ以降から本格的にエンジンの掛かる彼には、この苗字がぴったりだなと私はクスリッと笑った。

 扉が開いたままの寝室をそっと覗くと、リビング同様にかなり散らかっている。
 思わず掃除をしたい衝動にかられたけれど、許可なく寝室に入るのは失礼だと思い私は扉を閉めてリビングに戻った。

 しばらくして、寝起きよりも随分整った帳さんが濡れた髪を拭きながらこちらへ歩いて来る。それでもまだ眠いのか、大きな欠伸をしていた。

「帳さん、まだ眠いのですか」
「今日は死神さんがいるので、頑張って早起きしたので」
「え? 普段は何時まで?」
「だいたい午前六時頃に寝て、午後二時頃に起きます」

 確かに、普段より二時間も早起きだ。

 ミネラルウォーターを飲んで一息ついた帳さんは、リビングに目を向け驚きの声を上げた。

「え? いつの間に?」
「今朝、頑張りました」
「すごいですね。大変だったでしょう」
「大変でしたが、とても楽しかったです」
「は? たの? 楽しい?」

 帳さんは私の言葉が理解できないと言いたげな目で、こちらを見ている。

「はい、楽しかったですよ。後で、本当に必要な物と不必要な物をチェックして下さいね」

 そう言葉を付け足すと、帳さんが分かりやすく面倒臭そうな顔になり、私から視線を逸らした。

「あ……。えーっと、とりあえず、全部いるので置いておいて下さい」
「誤魔化しましたね! 絶対、何年も使っていない物があるはずです。チェックして下さい」

 逸らされた視線を合わせるように、私は帳さんの正面に移動する。

「いや、そもそも僕がお願いしたのは掃除なので……」
「これは掃除の前段階です! 物を減らして下さい!」
「や、でも……。確かに散らかってましたけど、どこに何があるかは把握していたんですよ」
「片付けられない人は恐らくみんなそう言います!」
「あーー。えっとぉ……。と、とりあえず! 今は朝昼兼用のブランチにしませんか? ふわふわのフレンチトーストを作りますよ!」
「フ、フレンチトースト?」
「ええ。食べたくないですか?」

 食べたい。
 どんな感じのトーストなのか知らなかったけれど、帳さんが作るものなら美味しいに決まっている。

「それから、薄切りにしたトマトとモッツァレラチーズに特製ドレッシングをかけたサラダ。カリカリのベーコンと目玉焼き、そしてコクのある深煎りの豆を使ったアイスコーヒーにしましょう。もちろん無料です!」

 頭の中が美味しいもので埋め尽くされていく。
 しかも無料だ。


「後で絶対に荷物のチェックをして下さいね。で、ですがとりあえず! 今はブランチにしましょう!」

 美味しいモノの誘惑には勝てなかった。

「ブランチを食べながら、また死神さんのお話を伺いましょうか。続きがありますよね?」

 問われて私は笑顔で頷く。

「劇団員の雨宮さん。彼の歌を聞いたのですが、とても素晴らしかったんです。本当は、夜の公園で茂みから急に飛び出して驚かせる悪戯をしようと思い身を潜めていたのですが。あまりに素敵な歌声だったので、聞き惚れてしまいました~」

「それは僕も聞いてみたいですね」

 キッチンに立ち手際良く動きながら帳さんが返事をする。調理を始めた途端に、スイッチが切り替わったように彼の雰囲気が凛としたものに変わったような気がした。

「雨宮さんのミュージカルの日に、私が関わったうち五人の人々が顔を合わせる事になるんです」

 私のお喋りに合わせ、サラダがカウンターに置かれ、続いて目玉焼きとベーコンが並ぶ。そして、初めてのフレンチトーストがやっきた。

「うわぁ~!」

 しっとりと柔らかそうなクリーム色の生地に、こんがりと焼けた表面。その全体に、雪のような白いパウダーが散りばめられている。

「卵とミルクを混ぜたものに浸してから焼いているので、こんな風にフワフワになるんです。そこに粉砂糖をまぶし、それから……最後にこれを乗せて、完成です」

 帳さんがその真ん中に、バニラアイスをトッピングした。

 その瞬間、熱々のフレンチトーストの上で、冷たいアイスがじゅわっと溶けだす。

「うわぁ、うわぁー。うわ~!」

 ついに、私の語彙力がゼロになってしまった。
 フレンチトーストとは、なんて魔性な食べ物なのだろう。見た目だけで、こんなにも心を幸せにする。きっと、食べればもっと幸せになる。
 私がフレンチトーストに夢中になっていると、帳さんが最後にグラスを差し出した。

「特製アイスコーヒーです」

 見ると、透明な氷ではなく、コーヒーと同じ闇色の氷が浮かんでいる。

「コーヒーを凍らせた氷なので、溶けても味が薄くならないですよ。一口目から最後まで、じっくり同じ美味しさを味わって下さいね」

 私はグラスを受け取り、帳さんの気遣いが詰まった闇色の氷を見つめる。

「さあ。食べながらお話の続きを伺いましょう」

「はい!」

 笑顔で頷くと、グラスの中で氷がぶつかり、まるで私の心に呼応するように、カランッと、とびきり軽快な音を響かせたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...