帳(とばり)珈琲店 〜お気の毒ですがまた幸せな結末です〜

ナナセ

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第9章

(25)死神

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「僕の父は、自分が一から築き上げた不動産関連のコンサルティング会社で社長をしています。自分自身にも、そして周りの人間にも、厳しい人でした」

 珈琲店に帳さんの柔らかな低音の声が響く。
 私は静かに、その声に耳を傾けていた。

「幼い頃から僕と弟は厳しく教育され、学力が成績表として数値化される歳頃になると、父は僕を跡取りとして育て上げる事……僕一人にしか興味を示さなくなり、その頃から弟は少しずつ僕と距離をとるようになりました」

 帳さんは大学を卒業し、父親の会社へ就職。入社後すぐに、国家資格であるマンション管理士と司法書士の資格試験に合格したという。

「その時父は、個人財産であるマンションを一棟僕に与えます」
「帳さんの自宅の?」
「はい。でも当時あのマンションは、一人暮らし用のワンルームマンションで、陽当たりも立地も悪く、借り手のいない空室だらけの赤字物件だったんです」
「え? 今と、全く違いますね」

 帳さんが頷く。

「維持費や管理で赤がでるこの物件を、自分で収益のでる財産に変える事。その手段にかかる費用は父に借り、益を出せなければ父への借金と税金ばかりが増えていく。会社で働く事とは別に、父は僕にそんな課題を出しました」

 私は驚く。
 社会人になったばかりの息子に、かなりスパルタではないだろうか。

「父はそういった物件を安く買い。知識とアイデアで益の出る物に変えて財を築いてきました。だから僕も、試されていたんだと思います」
 
 それに対して帳さんが出した案は、取り壊して新たなマンションに作り替える事だった。

「もちろん相当な額の工事費が掛かるので、このプランで費用の回収とその後の益が見込めるという稟議りんぎの為のプレゼンを父にしました」

 その内容を、帳さんが分かりやすく説明してくれる。

「細いビルにワンルームの部屋を詰め込むのではなく、一つのフロアにつき部屋数は二室のみとし、フロアの中央にエレベーターを設置する事で全室を角部屋とする。そして、充分に採光のとれる大きな窓とバルコニーを作る事で、まずは陽当たりの問題を解消したいと考えました」

 隣と壁が隣接していないという点は、マンションに住む上で非常に大きなメリットらしい。
 騒音による住人同士のトラブルを防げる事は、住人にとっても、また管理する側にとっても、双方の利点なのだと教えてくれた。

「立地に関しては、駅までの距離は少しあるものの、近くに大きな公園があるため『ペット可』に変更する事で、犬の散歩に最適な立地である事をアピールしました」

 そして広告戦略として、トリミングを行うペットサロンや、リードや洋服を扱うショップのホームページに入居者募集の広告を打つ事で、そこから一気に問い合わせの数が増えたそうだ。

 不景気ではあるけれど、良い物にはちゃんとお金を出す。若干お金に余裕があり、その使い方にも自由のきくキャリア独身者層をターゲットに絞り外観や内装はシンプルに徹底した。そうして家族向けの物件や、安さが売りの狭小物件との違いを明確にしたと言う。

「しっかり益を出せるように、家賃に関しては強気な値段を設定しました。狙ったターゲット層の人達にとっては、その賃料に見合う利点のある物件だと判断して」

 その結果は、今のTOBARIマンションを見れば聞かずとも分かった。帳さんは、見事に父親の課題をクリアし、財となる土地建物、そして月々の家賃収入を手に入れたのだ。

「弟も、五年後に父の会社に入社しました。恐らく父は、同じように個人財産を与え課題を出したと思います」
「弟さんもクリアできたのですか?」

 帳さんは首を横に振った。

「入社後しばらくしてから、弟は睡眠を削って考え込むようになりました」

 帳さんは何度も相談に乗ると声を掛けたけれど、弟さんは帳さんを頼ってはくれなかったという。

「心配のあまり、何度も弟と言い合いになって……」

 思い返す帳さんの目に、涙が滲む。
 帳さんが弟さんが飛び出して行く瞬間の会話を、私に語ってくれた。


『どうして僕を頼らないんだ!』
『自分で考える決まりだろ。それに兄貴には……兄貴にだけは、頼れる訳ないだろ』
『塞ぎ込んで、そんな顔してる奴を放っておけないだろ。僕が何か口を出したなんて誰にも言わない。それじゃ駄目なのか』
『本当に、何も分かってないんだな。俺が学生の時からずっと……。俺がどんなに、どんなに卑屈で情け無い思いをしてきたか。何もわかってないんだなっ!』
『そんな風に思う必要なんか……』
『思うに決まってんだろっ! 二人いて! 駄目な方だって言われる気持ち考えた事あんのかよ! 兄貴に、俺の気持ちなんか分かる訳ないっ!』


 話をする帳さんの声が小さく震える。

「そして、家を飛び出した弟は事故にあい、三年が過ぎた今も……眠ったままです」

 その言葉に、私も息を飲んだ。
 弟さんはまだ、意識不明のままだったのだ。

「僕にとって弟の存在は、殺伐とした家の中で癒しでした」

 帳さんの父親には複数の愛人がいて、母親も対抗するように外に恋人を作っていたという。

「それでも、母は父の経済力に、父はやりたい放題に過ごせるこの環境に……」

 互いの浮気を知りつつ、互いのメリットの為に帳の両親は別れを選ばなかった。

「そんな家の中で、学生の頃は特に、五つ下の弟が『和にぃ。和にぃ』と僕の後を追いかけてくるのが嬉しかった。素直で、一生懸命で……。少しだけ不器用なところがある弟のことを、僕は絶対に、父の経営なんかに巻き込みたくなかった。弟が笑って過ごせる別の道を歩んで欲しくて、僕は父の望む息子としてあの会社に入ったのに……。なのに……結局僕が! 僕の言葉が、弟の時間を止めてしまった!」

「それは違います!」

 私は咄嗟に叫んでいた。

「その日、帳さんと言い合いにならなくても、彼は事故にあったかもしれない。弟さんが課題をクリアしていても、彼は事故にあったかもしれない。その不確定要素の原因は、帳さん一人のものではありません」

 優秀な兄へのコンプレックス。親に自分の方を見てもらえない寂しさ。
 その気持ちは、私には痛いほどよく分かる。帳さんの弟さんの置かれた立場は、あまりにも自分とよく似ていた。

 けれど一つだけ、大きく異なる点がある。
 帳さんの弟にはあって、私には無かったもの……。
 自分を大切に思ってくれる、兄の存在。

「きっと弟さんは、帳さんがお父さんの会社に入る事が本意ではないと、気付いていたと思います」

 兄を羨んで、時に八つ当たりのように憎んでみても、結局一番許せないのは、何もできない自分自身だったはず。

「あなたがずっと盾になっていた事を、弟さんは分かっていたと思います」

 きっと、それを思い知る度に自己嫌悪を繰り返した。
 止められない妬み嫉みと同じ分だけ、兄の存在が、自分にとって大切なものだったから……。

「弟さんだって本当は、帳さんが笑顔でいられる道を選んで欲しかったんじゃないでしょうか。それでも、自分には盾になる力すら無い事がもどかしくて……、悔しくて、仕方なかったんじゃないでしょうか。嫉妬の大きさと同じだけ、弟さんの中ではずっと『和にぃ』は、憧れだったと思います」

 驚いたように帳さんが目を見開いた。

「そんなこと」
「そんなことあります! だって、彼と私は似ているから……。きっと、そう思う」

 百パーセント嫌いになる方がずっと楽だと知っている。卑屈な感情と同じだけ、大好きを消せない方がツライことを知っていた。それは私の、家族への感情と同じだったから。

 けれど帳さんの弟とは違い。
 私の場合は、家族の中で誰も、私の事を大切になど思っていない。


「私にも、そんなおにーちゃんがいればよかったな」


 うつむいて小さく呟いた言葉に、穏やかな低音の声が返ってくる。

「兄ではないですが、そんな友人なら側にいるので、あなたもそれを、忘れないで下さいね」

 伏せていた顔を反射的に上げると、涙のにじむ瞳で微笑んでいる帳さんと目があった。

「今日は、僕の話を聞いてくれて有り難うございました。いつか、あなたの話を聞かせて下さい」
「え? 私はいつも、帳さんに話を聞いてもらって……」
「死神さんが関わった人達の話なら、たくさん聞かせて頂きましたが」

 私の家族への思いを、まだ一度も帳さんに話した事が無かった事に気付く。


「あなたのような、僕は、この珈琲店を先代のマスターから譲り受けたのだから」


 突然の帳さんの一言に、私は驚きで言葉を失った。
 帳さんは私と出会う前から、死神の存在を知っていたという事になる。

 それに、先代マスターとは誰のことなのだろう。
 帳さんが最初に弟の話をした相手というのが、その人物なのだろうか。

 頭の中に突然湧いた疑問が多過ぎて、何から聞いていいのか分からなくなる。
 私が戸惑っていると、帳さんが壁掛け時計を見つめて、「もうすぐ今日が終わりますね」とつぶやいた。

「閉店後の掃除を始めます」
「え? あ、はい」

 私も釣られるように、席から立ち上がったけれど……。
 今日が終わることよりも、閉店後の掃除をしなければいけない事よりもずっと、私は先程の帳さんの言葉が気になって仕方なかった。
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