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第11章
(28)夢なんか見ない女
しおりを挟む【 日比野 初音の場合】
公園で真島くんに告白された後、私は自宅の前まで彼に送ってもらった。その道中もずっと、真島くんは告白する前と変わらない態度で接してくれている。
「恋愛の好きとは別に、僕は先輩としての日比野さんもちゃんと尊敬してますけど」
「けど?」
「僕自身はイマイチ、後輩に尊敬されてないんですよね……」
「そんな事ないんじゃない」
「やー、そんな事ありますね。雨宮とか最近は、面と向かって『真島先輩は尊敬キャラではないっすね』とか言ってくるし」
「ふふっ。そうなんだ」
思わず笑ってしまうと「日比野さんが笑って良かった」と、真島くんが私以上に嬉しそうな顔をする。出会ってからの日々を振り返ると、いつもこんな風に気を配ってくれていた事に気付いた。
この人柄に、どれだけ救われただろう。
会社で初めて会った日もそうだ。
夢を諦めたと話す彼に、私は酷い言葉で相手の夢を否定した。定職についていないというだけで、勝手に父親と重ね合わせてしまい、言葉に棘を含んでしまった。
『諦めて正解ね』
その時も真島くんは『夢の引き継ぎを済ませてきた』と、笑って話をしてくれたのだ。
そこに至るまでにはきっと、様々な葛藤もあったはず。私の発言に、腹立たしい思いを飲み込んでくれたに違いない。
一緒にランチに行った日もそうだった。
肩についた糸くずを取ろうとして、真島くんは私の首元へ手を伸ばした。その手を、思い切り払いのけてしまったのだ。
心を病んだ母親に首を絞められた私のトラウマを知らない相手からすれば、あからさまな拒絶に気を悪くしたり、以後は萎縮して距離を置かれるのが普通だろう。
『僕、距離感バカってよく言われるんですよ! コンプライアンス的にアウトな時は、どんどん言って下さいね!』
あの瞬間でさえ、笑いかけてくれた。
どうしようもなくホッとして、たまらないほど嬉しかった事を思い出す。
『これは、日比野さんが持っていて下さい』
私のポケットには、公園で真島くんが持たせてくれた『ラッキーがたくさん詰まった五百円』が入っている。
「真島くん。あの、よかったら……うちでご飯、食べていかない?」
「え? い、いいんですか?」
自宅マンションの前でそう問い掛けると、真島くんがひどく驚いたように声を大きくした。
告白の返事を保留している相手を部屋に誘うなんて、確かに驚かれて当然だったと気付き私は焦る。少しでも何か真島くんにお礼がしたくなり、無意識のように口を出た言葉がそれだった。
「公園から、結局ご飯を食べずに戻ってきたから……。お腹空いてるかなって思って……それで……、でも告白してくれた人に対して、返事もせずに家に誘うとか失礼だよね。ごめんね」
私は頭を下げる。
「ありです!」
「え?」
顔を上げると、真島くんがキリッと胸を張った。
「犬にエサをあげるつもりで僕にご飯を与えてもらって大丈夫です! 告白に関しては、長期的にも『待て』ができる男なんで!」
胸を張るような、格好いい台詞ではなかったけれど……。
彼らしいなと、気付けばまた彼を見て笑っていた自分に気付いた。
そして思う。彼と出会ってからまだ数ヶ月しか経っていないというのに、これまで生きてきた日々以上に、自分は笑えているのではないかと……。
「ありがとう。真島くん」
「へ?」
「ううん!」
部屋の鍵を開け、「どうぞ」と、私はスリッパを勧めた。
昨年までは奨学金の返済があり、私は狭小ワンルームに住んでいた。今年になってようやく返済を終えて、1LDKに住めるようになったのだ。
リビングに真島くんを案内すると、チェストの上に置いてある写真立てに近づき、「子供の頃の日比野さんですか? 可愛いっすね」と眺めている。
「五歳の頃かな。隣にいるのが母なの」
二人で笑っている写真。
私の手元には、この一枚しかない。
母は相変わらず精神科の入退院を繰り返しているようで、幼いあの日の別れから、再会を果たす事は叶っていなかった。
「ご飯作ってくるから、楽にしててね」
真島くんに声を掛け、私はキッチンへ向かう。冷蔵庫の中を見つめて、何ができるだろうとメニューを考えた。鶏肉と玉ねぎと卵があり、親子丼を作ることにする。
「今からご飯を炊いたら時間が掛かるし、今はレンチンでいっか」
保存用で置いているレトルトの白米を二つ、引き出しから取り出した。再び冷蔵庫の中を見つめると、豆腐とエノキに目がいく。
「お味噌汁はこれを使って、あともう一品は……。あ、先に飲み物!」
お茶も出さずに待たせていた事に気付き、私は急いでグラスをトレーに乗せてリビングへ向かう。まだ写真を見ていたのか、真島くんはこちらに背を向けていた。
そして、微かに聞こえた彼の囁き声に、私はトレーを持ったまま動けなくなる。
「有り難う、幼い初音さん。君が頑張ってくれたお陰で、僕は今、大きくなった君に出会う事ができました」
その呟きに、息を飲む。
今もずっと私の心の最奥に、うずくまり膝を抱えて泣いている少女がいる。
凍てついた氷の棘に覆われた箱庭から出る術を知らない少女が、彼の声に導かれるように顔を上げたような気がした。
学生の頃に一度だけ、私は児童施設外の友人に自分の身の上を話した事がある。
『重過ぎて引く』
影でそう言われていた事を知り、それ以後は自分の過去を誰にも話せなくなった。
冷静に考えれば、確かに一般的な学生には引くような内容だったのだろう。それでも、その重過ぎて引くような日々が、私の生き抜いてきた証そのものだったのだ。
「有り難う、小さな初音さん」
繰り返されたその言葉で、箱庭の少女を縛る氷の鎖が、一つ、また一つと、連鎖するように解けていく。
少女が……あの頃の私が、照れくさそうに、けれどたまらないほど誇らしげに笑う顔が見えた。
真島くんはいつも、私が欲しいと願った言葉を簡単に見つけてしまう。
公園で、愛の言葉をくれた時もそうだった。
『あなたが嫌いなその名前を、僕が代わりに愛してもいいですか』
写真を覗き込む少し丸まったその背中に、たまらない程の愛しさが込み上げてくる。
私は持っていたトレーをテーブルに置き、思わずその背に抱き付いていた。
「うわっ……え? ひ、日比野さん?!」
「真島……く、……ありが、とう」
認めてくれて。
「ありがとう」
愛してくれて。
「ありがとう」
今の自分だけでは無い。あの頃の私にまで愛を届けてくれた。
公園では状況が落ち着くまで返事を待って欲しいと言ったけれど、愛しい想いが溢れ出して止まらなくなる。
「私もあなたが好き」
彼の心音が急激に大きくなったのが、抱き付いた背中越しに伝わってくる。ゆっくりと振り返りこちらを向いた真島くんに、正面から強く抱き締められた。
「本当ですか?」
「うん」
温かい両手に頬を包み込まれて、私は静かに瞳を伏せる。
重ねた唇から伝わる熱にまた愛しさが込み上げてきて、私は彼の服を握り締める手に力を込めたのだった。
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