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07. 赤い花の真実
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息を切らしてティールームの扉を開けたのは、メイドのジュディスだった。
「主、主! お怪我はされていらっしゃいませんか? ご尊顔は? お身体は? マリーヌレースもたじろぐ美しいお髪は? ご無事、ご無事でいらっしゃいます? あぁ、家で母と春苺のパイなんて摘まんでいる場合ではありませんでした。報せを受けていても立ってもいられず、こうして邸に戻って参りました」
シェルエンの前まで小走りで近づいた三つ編みのジュディスは、手を忙しなく空中で行ったり来たりさせながら銀白の人の様子を確かめている。
彼女は主人の身の回りの世話をするメイドだが、その身体に触れられるのは業務範囲内でのみである。
貴族相手であればもう少し許容範囲も広がるのだが、シェルエンは皇族だ。
不必要な接触は避けねばならない。
相変わらず声は荒げ気味だが、ジュディスは妄りに距離を詰めることはない。
「ジュディス、落ち着きましょうね。見ての通り、私は無事です。傷ひとつ負っていません。護衛騎士が初日からきっちりとその役目を果たしてくれたおかげです」
「感謝します、ブラッドリー様。私たちの大切な主をお護りくださり、ありがとうございます」
強火殿下担が増えた室内は、一気に騒がしくなった。
無数の星も別の夜空に逃げていくようだ。
「いえ、俺は自分の職務を全うしただけですから」
「見ていなかっただろうから、ジュディス、僕から説明しよう。ブラッドリーは主を左腕に抱いたまま、右手の剣と右足の蹴りだけで十名以上の侵入者を成敗してしまったよ」
「主を抱えたまま……? そんなことが可能なんですか?」
「ロンバウト様は槍で叩きのめす荒々しさが魅力だったけれど、ブラッドリーの戦い方はスマートで隙がなく、一撃で相手を床にひれ伏させていて見事だった。最後に飛んできた短刀の嵐にも勇敢に立ち向かって」
デーヨの状況説明に、ブラッドリーは両手で顔を覆いたくなるような気分だった。
それか今すぐにでもこの部屋から退室したい。
戦闘の最中は無我夢中だ。
がむしゃらな自分自身の姿を巻き戻しで実況されるのは、座り心地が悪すぎる。
「ブラッドリー様がお強くて助かりました。重ねて感謝申し上げます」
「過分な言葉は結構です。恥ずかしいので、その辺りで一刻も早く終了してもらえると有難いです」
「飛んできた短刀でお怪我をされたけれど、主のお力ですぐに治癒した」
願いは全く聞く耳を持ってもらえないようだ。
絶望の淵に佇むブラッドリーに気づいたシェルエンが、目を細める。
「主の命を救ったブラッドリー様のピンチを、主がお救いになる! なんて尊い相互関係でしょう! 眩しき主従関係!」
「ブラッドリーと私の間には、主従の関係性というのは当てはまらない気がするのですが。彼はあくまで騎士団員ですから」
「いえ、当てはまります。俺は近衛騎士団所属ですが、護衛騎士の職はその中でも特殊です。ただひとり、護るべき主君のために戦います。その敵がたとえ他の皇族であっても、主君を護るためならば躊躇いなく剣を向けます」
言い切ったブラッドリーに、シェルエンは紫シルバーの瞳をしばたたかせた。
「それは初耳です。では、ロンバウトや他の護衛騎士もそのような心構えで?」
「いいえ、主。護衛騎士においては法改正がされましたので、ブラッドリー様からの適応でございます」
「それも初耳です。ジャックバート、改正されたはいつですか?」
「一昨日です。ブラッドリー様が護衛騎士としての儀式を受けられたのと同日同時刻に、新法が施行されました。皇帝陛下の勅令により、即日施行でございました」
シェルエンは束の間、何かを考えるように視線を流した。
それを見つめながらブラッドリーは、場違いな感想を抱いていた。
麗しい、と。
優し気で切れ長の清廉な目元に、とても惹きつけられた。
剣を持つ生活をして久しく、粗忽な騎士などをやっているが、ブラッドリーにも美しいものを鑑賞する気持ちは人並みにある。
他人よりも欠けているのは、そこから一歩進んだ欲に繋がらないことだ。
それをどうしたいとか、そこからどうしたいなどという欲求は芽生えない。
美しいと思うけれど、そこで全ては止まってしまう。
終わってしまう。
シェルエンの彷徨っていた瞳は思考の旅から帰還したようで、収まり際にブラッドリーと重なり合った。
「相手がどんな皇族でも、ですか……それはつまり――」
「つまり。不敬を承知で申し上げますが、たとえそれが皇帝陛下でも、殿下のご命令とあらば俺は立ち向かいます。まぁ、陛下の護衛騎士は精鋭揃いで数も多いので、総大将まで到達して首を取れるかどうかは不明ですが」
「ブラッドリー、際どい発言はやめなさい。陛下には十分すぎるほどにお心を砕いていただいています。私が反旗を翻すことは万が一にも起きないので、想定するだけ徒労です。皆も忘れるように」
命じられた家令以下の使用人たちは、頭に両手を被せて揺らし、衝撃で記憶を飛ばそうとしている。
扉のそばにいるメイドも然りだ。
彼らを見るに限り、邸のモブ使用人も同等に主人に忠実な集団なのだろう。
「あ、そういえばブラッドリー様、治癒を経験されたと言っていましたよね? 着任初日であの奇跡を目の当たりにされるなんて、驚かれたんじゃないですか?」
赤い花の効用は、誰もが知るところのようだ。
その話が出たのを機に、ブラッドリーの胸には先ほど抱いた疑問が蘇った。
「もしかしてジュディスさんは――」
「ジュディスとお呼びになってください。私は平民ですから」
「では、ジュディスは殿下の赤い花が何から作られているかご存じですか?」
「はい、存じております。あの赤い花は、殿下の血によって咲くものです」
すぱり、と言い切った。
戸惑いも躊躇いもなく、自然な口調で。
そんな発言者の傍らには、不都合そうな表情で顔を背ける三名と。
驚愕に瞠目した一名の姿があった。
「え、あれ、まさか私、余計なことを言いましたか? 赤い花の存在を知っているなら、もうどなたかがご説明されてるかと思ったんですが」
「……血、と言いましたか?」
「えーっと、えーっと……」
「ジュディス?」
「えーっと……そうです、言いました。あの花は、主の身体から流れた血が花の形になったものです……って、ブラッドリー様!? 何を!」
ブラッドリーはその言葉を聞くなり、シェルエンの左腕を掴んだ。
一瞬の出来事に誰もが唖然とし、行動できない。
シェルエンにおいては、されるがままだ。
手首を隅々まで調べ、皇子の着ている白いシャツの釦を外して肘辺りまで捲り上げた。
「傷は……ないですね。傷跡もない……こっちの腕ではないですか? それとも腕ではないですか?」
「ブラッドリー、この行動の意図を尋ねても?」
「どれだけの量の血液が一輪咲くには必要なのか分かりませんが、指先を切ったくらいでは足りないでしょう。血が出やすい場所で最も自分で切りやすいのは、腕です」
「だから、確認したと? どうして私が自ら腕を切っていると思うのです?」
「騎士団やその他の要所に送り、さらには城で保管するに見合う量となると、偶発的な傷では賄いきれません」
シェルエンの腕を掴む手に力が入る。
それは、ブラッドリーの意識的な行動ではなかった。
眩しいほどに白い肌は、生まれて一度もかすり傷ひとつ負ったことのないような、無垢なやわらかさだ。
自傷行為など、この人には似合わない。
今日初めて会ったのにそう思うのは、シェルエンの醸し出す雰囲気が気高いせいだろう。
「ご名答です。私の護衛騎士は推理力も抜群ですね」
けれどその口から紡がれたのは、正解しても何も嬉しくない、むしろ怒りしか込み上げない正誤判定だった。
「あなたは先ほど、私の咲かせる花は麗しいと言ってくださいましたね。奇病と称するのは違う気がする、と。薄紅や青の花はいわばおまけなのです。私の奇病を奇病たらしめているのは、即ち――」
そう言うなりシェルエンは、フォークで手首を引っ掻いた。
「殿下!」
止めに入るも一歩及ばず、白い肌にはひと筋の血が線を描き流れていく。
それは肘までたどり着くと、小さな雫となりテーブルへと落ちた。
テーブルクロスを汚すかと思われたそれは、空中で一瞬の間に花へと姿を変える。
花びらの数は七枚の、赤い花だ。
白い大地に、三輪の咲く。
「何をなさってるんですか、殿下。早く止血を――!」
「大丈夫です。小さめの傷口ならば、すぐに塞がります……ね?」
「は?」
何でもいいから拭くものを、とブラッドリーが膝の上のナプキンで押さえようとしていた傷口を、シェルエンは滲む血に構わず擦った。
戦闘に慣れている騎士ならばいざ知らず、温室育ちの皇子にはそれさえも顔を顰める痛さだろう、となぜかブラッドリーが顔を顰めた。
片やシェルエンはあっけらかんとしている。
「ね、傷はどこにもないでしょう?」
そしてアクアブルーの瞳の前に差し出される手首。
そこはあんなにも長くフォークで傷を作ったにも関わらず、まっさらだった。
血で汚れてはいるけれど、穴が開いている様子はどこにもない。
ブラッドリーはシェルエンの腕を上に横に斜めに下にして、隈なく観察した。
「治りが早くないですか?」
「この花は自己治癒力を猛烈に高めると説明しましたね? 他人の怪我が治るならば、所有者自身の怪我が治らないわけはありません。肉を骨まで割かない限りは、すぐに塞がります」
血に塗れた腕をシェルエンは、ジャックバートに差し出されたハンカチで無造作に拭いた。
そこには花は咲かないようだ。
そんなことを考えながら、頭の中では様々な場面と台詞が駆け巡る。
「殿下、全くもって理解が追いついていないんですが、気づいたことがあるので質問をしてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「血一滴で三輪の花が咲きました。そして本来、傷を治すには花びら一枚でいいと仰ってましたよね? 殿下の血一滴で合計二十一名が命を助けられるという計算になります。言い換えれば、二十一名の負傷した兵士を死の淵から生還させて、再び戦えるようにしてしまえるということです」
ブラッドリーの言葉に静かに耳を傾けていたシェルエンは、今日初めて出会う顔で笑った。
それは核心を突く護衛騎士の言葉に、感心と吃驚と、そして少しの葛藤が入り混じった表情だった。
「だからこそ、私は命を狙われているんです」
「主、主! お怪我はされていらっしゃいませんか? ご尊顔は? お身体は? マリーヌレースもたじろぐ美しいお髪は? ご無事、ご無事でいらっしゃいます? あぁ、家で母と春苺のパイなんて摘まんでいる場合ではありませんでした。報せを受けていても立ってもいられず、こうして邸に戻って参りました」
シェルエンの前まで小走りで近づいた三つ編みのジュディスは、手を忙しなく空中で行ったり来たりさせながら銀白の人の様子を確かめている。
彼女は主人の身の回りの世話をするメイドだが、その身体に触れられるのは業務範囲内でのみである。
貴族相手であればもう少し許容範囲も広がるのだが、シェルエンは皇族だ。
不必要な接触は避けねばならない。
相変わらず声は荒げ気味だが、ジュディスは妄りに距離を詰めることはない。
「ジュディス、落ち着きましょうね。見ての通り、私は無事です。傷ひとつ負っていません。護衛騎士が初日からきっちりとその役目を果たしてくれたおかげです」
「感謝します、ブラッドリー様。私たちの大切な主をお護りくださり、ありがとうございます」
強火殿下担が増えた室内は、一気に騒がしくなった。
無数の星も別の夜空に逃げていくようだ。
「いえ、俺は自分の職務を全うしただけですから」
「見ていなかっただろうから、ジュディス、僕から説明しよう。ブラッドリーは主を左腕に抱いたまま、右手の剣と右足の蹴りだけで十名以上の侵入者を成敗してしまったよ」
「主を抱えたまま……? そんなことが可能なんですか?」
「ロンバウト様は槍で叩きのめす荒々しさが魅力だったけれど、ブラッドリーの戦い方はスマートで隙がなく、一撃で相手を床にひれ伏させていて見事だった。最後に飛んできた短刀の嵐にも勇敢に立ち向かって」
デーヨの状況説明に、ブラッドリーは両手で顔を覆いたくなるような気分だった。
それか今すぐにでもこの部屋から退室したい。
戦闘の最中は無我夢中だ。
がむしゃらな自分自身の姿を巻き戻しで実況されるのは、座り心地が悪すぎる。
「ブラッドリー様がお強くて助かりました。重ねて感謝申し上げます」
「過分な言葉は結構です。恥ずかしいので、その辺りで一刻も早く終了してもらえると有難いです」
「飛んできた短刀でお怪我をされたけれど、主のお力ですぐに治癒した」
願いは全く聞く耳を持ってもらえないようだ。
絶望の淵に佇むブラッドリーに気づいたシェルエンが、目を細める。
「主の命を救ったブラッドリー様のピンチを、主がお救いになる! なんて尊い相互関係でしょう! 眩しき主従関係!」
「ブラッドリーと私の間には、主従の関係性というのは当てはまらない気がするのですが。彼はあくまで騎士団員ですから」
「いえ、当てはまります。俺は近衛騎士団所属ですが、護衛騎士の職はその中でも特殊です。ただひとり、護るべき主君のために戦います。その敵がたとえ他の皇族であっても、主君を護るためならば躊躇いなく剣を向けます」
言い切ったブラッドリーに、シェルエンは紫シルバーの瞳をしばたたかせた。
「それは初耳です。では、ロンバウトや他の護衛騎士もそのような心構えで?」
「いいえ、主。護衛騎士においては法改正がされましたので、ブラッドリー様からの適応でございます」
「それも初耳です。ジャックバート、改正されたはいつですか?」
「一昨日です。ブラッドリー様が護衛騎士としての儀式を受けられたのと同日同時刻に、新法が施行されました。皇帝陛下の勅令により、即日施行でございました」
シェルエンは束の間、何かを考えるように視線を流した。
それを見つめながらブラッドリーは、場違いな感想を抱いていた。
麗しい、と。
優し気で切れ長の清廉な目元に、とても惹きつけられた。
剣を持つ生活をして久しく、粗忽な騎士などをやっているが、ブラッドリーにも美しいものを鑑賞する気持ちは人並みにある。
他人よりも欠けているのは、そこから一歩進んだ欲に繋がらないことだ。
それをどうしたいとか、そこからどうしたいなどという欲求は芽生えない。
美しいと思うけれど、そこで全ては止まってしまう。
終わってしまう。
シェルエンの彷徨っていた瞳は思考の旅から帰還したようで、収まり際にブラッドリーと重なり合った。
「相手がどんな皇族でも、ですか……それはつまり――」
「つまり。不敬を承知で申し上げますが、たとえそれが皇帝陛下でも、殿下のご命令とあらば俺は立ち向かいます。まぁ、陛下の護衛騎士は精鋭揃いで数も多いので、総大将まで到達して首を取れるかどうかは不明ですが」
「ブラッドリー、際どい発言はやめなさい。陛下には十分すぎるほどにお心を砕いていただいています。私が反旗を翻すことは万が一にも起きないので、想定するだけ徒労です。皆も忘れるように」
命じられた家令以下の使用人たちは、頭に両手を被せて揺らし、衝撃で記憶を飛ばそうとしている。
扉のそばにいるメイドも然りだ。
彼らを見るに限り、邸のモブ使用人も同等に主人に忠実な集団なのだろう。
「あ、そういえばブラッドリー様、治癒を経験されたと言っていましたよね? 着任初日であの奇跡を目の当たりにされるなんて、驚かれたんじゃないですか?」
赤い花の効用は、誰もが知るところのようだ。
その話が出たのを機に、ブラッドリーの胸には先ほど抱いた疑問が蘇った。
「もしかしてジュディスさんは――」
「ジュディスとお呼びになってください。私は平民ですから」
「では、ジュディスは殿下の赤い花が何から作られているかご存じですか?」
「はい、存じております。あの赤い花は、殿下の血によって咲くものです」
すぱり、と言い切った。
戸惑いも躊躇いもなく、自然な口調で。
そんな発言者の傍らには、不都合そうな表情で顔を背ける三名と。
驚愕に瞠目した一名の姿があった。
「え、あれ、まさか私、余計なことを言いましたか? 赤い花の存在を知っているなら、もうどなたかがご説明されてるかと思ったんですが」
「……血、と言いましたか?」
「えーっと、えーっと……」
「ジュディス?」
「えーっと……そうです、言いました。あの花は、主の身体から流れた血が花の形になったものです……って、ブラッドリー様!? 何を!」
ブラッドリーはその言葉を聞くなり、シェルエンの左腕を掴んだ。
一瞬の出来事に誰もが唖然とし、行動できない。
シェルエンにおいては、されるがままだ。
手首を隅々まで調べ、皇子の着ている白いシャツの釦を外して肘辺りまで捲り上げた。
「傷は……ないですね。傷跡もない……こっちの腕ではないですか? それとも腕ではないですか?」
「ブラッドリー、この行動の意図を尋ねても?」
「どれだけの量の血液が一輪咲くには必要なのか分かりませんが、指先を切ったくらいでは足りないでしょう。血が出やすい場所で最も自分で切りやすいのは、腕です」
「だから、確認したと? どうして私が自ら腕を切っていると思うのです?」
「騎士団やその他の要所に送り、さらには城で保管するに見合う量となると、偶発的な傷では賄いきれません」
シェルエンの腕を掴む手に力が入る。
それは、ブラッドリーの意識的な行動ではなかった。
眩しいほどに白い肌は、生まれて一度もかすり傷ひとつ負ったことのないような、無垢なやわらかさだ。
自傷行為など、この人には似合わない。
今日初めて会ったのにそう思うのは、シェルエンの醸し出す雰囲気が気高いせいだろう。
「ご名答です。私の護衛騎士は推理力も抜群ですね」
けれどその口から紡がれたのは、正解しても何も嬉しくない、むしろ怒りしか込み上げない正誤判定だった。
「あなたは先ほど、私の咲かせる花は麗しいと言ってくださいましたね。奇病と称するのは違う気がする、と。薄紅や青の花はいわばおまけなのです。私の奇病を奇病たらしめているのは、即ち――」
そう言うなりシェルエンは、フォークで手首を引っ掻いた。
「殿下!」
止めに入るも一歩及ばず、白い肌にはひと筋の血が線を描き流れていく。
それは肘までたどり着くと、小さな雫となりテーブルへと落ちた。
テーブルクロスを汚すかと思われたそれは、空中で一瞬の間に花へと姿を変える。
花びらの数は七枚の、赤い花だ。
白い大地に、三輪の咲く。
「何をなさってるんですか、殿下。早く止血を――!」
「大丈夫です。小さめの傷口ならば、すぐに塞がります……ね?」
「は?」
何でもいいから拭くものを、とブラッドリーが膝の上のナプキンで押さえようとしていた傷口を、シェルエンは滲む血に構わず擦った。
戦闘に慣れている騎士ならばいざ知らず、温室育ちの皇子にはそれさえも顔を顰める痛さだろう、となぜかブラッドリーが顔を顰めた。
片やシェルエンはあっけらかんとしている。
「ね、傷はどこにもないでしょう?」
そしてアクアブルーの瞳の前に差し出される手首。
そこはあんなにも長くフォークで傷を作ったにも関わらず、まっさらだった。
血で汚れてはいるけれど、穴が開いている様子はどこにもない。
ブラッドリーはシェルエンの腕を上に横に斜めに下にして、隈なく観察した。
「治りが早くないですか?」
「この花は自己治癒力を猛烈に高めると説明しましたね? 他人の怪我が治るならば、所有者自身の怪我が治らないわけはありません。肉を骨まで割かない限りは、すぐに塞がります」
血に塗れた腕をシェルエンは、ジャックバートに差し出されたハンカチで無造作に拭いた。
そこには花は咲かないようだ。
そんなことを考えながら、頭の中では様々な場面と台詞が駆け巡る。
「殿下、全くもって理解が追いついていないんですが、気づいたことがあるので質問をしてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「血一滴で三輪の花が咲きました。そして本来、傷を治すには花びら一枚でいいと仰ってましたよね? 殿下の血一滴で合計二十一名が命を助けられるという計算になります。言い換えれば、二十一名の負傷した兵士を死の淵から生還させて、再び戦えるようにしてしまえるということです」
ブラッドリーの言葉に静かに耳を傾けていたシェルエンは、今日初めて出会う顔で笑った。
それは核心を突く護衛騎士の言葉に、感心と吃驚と、そして少しの葛藤が入り混じった表情だった。
「だからこそ、私は命を狙われているんです」
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