【完結】護衛騎士の忠誠は皇子への揺るぎない溺愛

卯藤ローレン

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12. ふたりの朝の始め方

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 ブラッドリーがシェルエンの護衛となって十日あまり。
 邸での生活リズムは徐々に整い始めていた。

 朝、目を覚ます場所はこの邸の主人の部屋だ。
 ひとつひとつに複雑な模様が刻まれたダークブラウンの組天井に同色の柱、モールディング装飾の施された壁に白を基調とした家具、暖炉。
 そして、青い瞳が見る先には天蓋付きの大きなベッド。

 春は朝陽が起き出すのもゆっくりだ。
 深い緑の重厚なドレープカーテンが掛かる窓辺から、仄かな光が差し込む中で身を起こしたブラッドリーは、準備体操を始めた。
 裸足で冷たい床を踏みしめて凝り固まった身体を解す。
 そしておもむろに倒立をすると、部屋の端から端を往復し始めた。

 無音だ。
 極めて無音。
 ブラッドリーの動作には、物音ひとつ伴わない。

 手で移動する音も呼吸の音も、別の筋トレをし始めるために体勢を変えても何の音もしない。
 段々と明るくなっていく部屋の中で、彼は黙々と身体を動かし続けた。

 朝のルーティンを終える頃、部屋の扉が三度ノックされた。
 家令による七時の合図だ。

「主、ご起床の時間にございます」
「…………」

 ブラッドリーはベッドを見遣る。
 そこに眠る人は未だ深い夢の中だ。
 苦笑いを零しながらダークブラウンの扉を開けた。

「おはようございます、ジャックバートさん」
「ブラッドリー様、ご機嫌麗しゅうございます。主はいつものように、穏やかな夢見心地でしょうか?」
「はい、まだお目覚めの兆しはありません」
「健康的で結構にございます。お手をお借りしてもよろしいですか?」
「もちろんです。あと十分もすれば支度に取りかかれるかと思います」
「よろしくお願い申し上げます」

 そこで一旦扉は閉まる。
 ブラッドリーはソファ横に置いておいた靴を履き、騎士服の上着を適当に羽織る。
 腰のベルト部分に剣を強引に差し込むと、ベッドへと近づいた。
 端に腰かけて見つめる先には、リボンで結んだ銀白の髪を少しだけ乱して眠る第四皇子の姿。

 長い睫毛に縁取られた瞳を閉じて、すやすやと眠っている。

 無防備だ。
 常に命を狙われているとは思えない。
 この世の激しい争い事や卑劣な思惑から最も遠い巣の中に囲われている雛鳥のよう。
 現状はその中心部にいると言っても間違いではないのに。

 そんなものとは一切無縁の世界で生きるような、清らかさのある人。

 麗しいと思う。

 外も内も。
 この十日で皇子の性格を知るにつれ、その慈愛と芯の強さを知るにつれ、醸し出す無防備さとのコントラストに僅かばかり目眩のするようなブラッドリーだった。

 シェルエンは気持ちよさそうに寝ている。
 上下する肩は一定のリズムで、それそのものが安心の象徴のようだ。
 白い頬にかかる艶やかな一房を、払いのけようとして手を伸ばした。
 触れる瞬間、それは止まる。
 そして慌てて引っ込められた。

 爽やかな朝の雰囲気に乗せられて、一体自分は何をしようとしていたのか。
 無意識の行動は、だからこそ大胆になりやすい。

 眠っている人の髪を触ること、それは恋人同士にしか許されない。
 ファンデミアでは、ベッドの上で髪を撫でる行為は愛情表現のひとつとされている。
 好き合う者同士でしか行われない。
 髪は身体のパーツの中でも一際特別だ。

 大罪を犯しそうになった指先に、罰として己の頭を殴らせた。
 自分自身を制御できなかった脳にも罰を与える。
 パチン、と結構な破裂音がしたが、それでも目の前の人は起きない。

「殿下、朝です」
「…………」
「殿下、もう起きられませんと」
「…………」

 シェルエンは朝に弱い。
 一度起きてしまえばぐずることもないのだが、夢の泉から這い上がって来るまでに時間を要するタイプだ。
 それを知ったのは、襲撃を受けた日、同じ部屋で過ごした初日の夜だった。
 受け答えの感じや自分を律するような態度から、寝起きの良い人かもと勝手に想像していたが、それは解釈違いだった。

 朝になっても全く目を開けないシェルエンに、最終手段としてジャックバートがシンバルをド派手に鳴らしたのは、まさしく悪夢のようだった。
 それに対して飛び起きるでもなく、実に優雅な仕草で身を起こしたシェルエンには驚き以上の笑いが誘われてしまい、久しぶりに腹の底から笑ったブラッドリーだった。
 「おはようございます」と儚さを残した微笑みで挨拶をする麗人が、シンバルでないと起きないという事実が込み上げるたびに、その日一日は思い出し笑いの止まらない地獄を見た。

「殿下」

 強く呼んでも駄目だ。
 それはそうだ、皇子はシンバルほどに強力なものでしか起きないのだから。
 外へ出てジャックバートに借りてくるか?
 いいや、そんなことはしない。

 護衛騎士には秘策があった。

「仕方ありません……強行突破で失礼します」

 ブラッドリーはシェルエンの身体を横抱きで持ち上げると、ベッドの上でジャンプをし始めた。
 古傷のある足に配慮してか、この寝室にあるベッドは低めに作られている。
 そのおかげで百九十の大男が飛んでも天井に頭をぶつけることはない。

 先ほど準備体操をきちんと行ったので、ブラッドリーの屈伸運動も動きが滑らかだ。
 一部の富裕層しか入手していない、内部にスプリングが搭載された最高級マットレスはふたり分の体重をいとも簡単に受け止め、そして跳ね返した。

 そんなことをされれば、まどろみを漂っていた人も意識を取り戻す。

「ぁ……ブラッドリー、おはようございます」
「殿下、おはようございます」
「何だかとっても世界が上下に揺れている気がします」
「気のせいではありません、殿下」
「あぁ……またこの奇抜な起こし方なんですね……」
「シンバルよりは心臓に優しいですよね?」

 ブラッドリーは跳ぶのをやめた。
 そして人ひとりを持っているとは思えないほど身軽にベッドから降りる。
 歩いてそのまま、続き部屋となっている隣の間へと向かう。
 そこは大きなドレッサーが置かれた円形の衣裳部屋となっていて、ブラッドリーは中央のソファにシェルエンを座らせた。

「何だか小さい頃に戻った気分です」
「それは昨日も一昨日も仰ってました。運ばれるのが嫌なら、ジャックバートさんの呼びかけにすんなり起きてくださらないと」
「無理です。扉の外からの挨拶に反応できる神経など持ち合わせていません」
「殿下はもう少し神経を研ぎ澄まされた方がよろしいのでは? 常々お命を狙われているんですから」
「だからロンバウトがいたし、あなたがいるんでしょう? しかもあなたはこの部屋で寝ているんですから、私が一体何を心配する必要が?」

 無防備だ。
 護衛騎士を心底信用してすやすやと眠る皇族など聞いたことがない。
 厳重管理されている宮殿でさえも、そこに空間があるのならば、侵入者は闇に紛れて入り込む。
 人通りの多い場所には、人に紛れて入り込む。

 安全な場所などない。
 だからこそ皆、胸に蔓延る不安を少しでも払拭するために何十人と護衛騎士を侍らせるし、警備体制を万全以上に整えさせる。

 この邸も安全ではないと一番に知っているのはシェルエンであるはずなのに、当事者意識は薄いらしい。
 怖がる調子の全くない肝の太さはそれとも、生来の性質なのだろうか。
 何にせよ、いつもゆったりとしている。

「ジャックバートさんを呼んで参ります」
「お願いします。あぁ、ブラッドリー。先に朝食を摂らないでください。私も一緒に食べますから」
「殿下、いつも申し上げていますが、下々の者とテーブルを共にしてはなりません。皇族と同席できる身分にある者は、この邸にはおりません」

 皇族が食事の席に同席者を伴うとすれば、それは家族や賓客、友人の場合が基本である。
 友人の身分においては許容されている範囲が広いが、暗黙の了解として、大概が高位貴族のみに制限されている。
 ブラッドリーの出自は高位だが、現在の己の仕事は護衛騎士だ。
 使用人とは違うにしても、相伴にあずかれる立場にはない。

 どこの世界に護衛騎士と食事を共にする皇子がいるのか。

 そういう理由でブラッドリーは毎回断っている。
 毎回というのは、毎食ということだ。

「あなたが使用人たちと同席してしまっては、逆に使用人たちの安寧が崩れてしまうでしょう? 南の辺境伯家嫡男という立場は、あなたが思うよりもずっと高嶺です。震えながらスープを飲んで、誰かが火傷しては可哀想でしょう?」
「ならば俺は隙を見て、ひとりで食事をしますから」
「大勢の者が働く中でひとり食事をする悲しさは、私が一番よく分かっています。私の護衛騎士に味気ない食事などさせられません。皇子命令です、共に食事を」

 毎回断っている。
 けれど毎回それは承諾されない。
 最強カードを優雅に投げつけられ、無理やり従わされる。

 第四皇子は穏やかだが、その中身はやはり皇族だ。
 欲しいものを手に入れるために手段を選ばない節がある。

 欲しいものが護衛騎士との食事、という点においては、皇族らしい傲慢さは皆無だけれど。

「……かしこまりました」
「ふふふ、嫌々返事しているのが整った顔に全て現れてしまっていますね。ブラッドリー、駄々をこねるのはやめなさい」
「え……まさか、俺の方が窘められる側なんですか? 皇族の圧力で上から伸されたのに?」
「ええ、あなたは私の護衛騎士ですから。私が是と言えば是、否と言えば否。この邸での一般常識や善悪の判断基準は全て、私にあります」

 紫シルバーの左目を細めて微笑む。
 その目尻に悪戯っ子の片鱗を滲ませて。

 ブラッドリーはため息を吐いた。
 致し方ない、どう足掻いても皇族には逆らえない。
 とはいえ実は元々、さほど逆らうつもりもない。

 一応苦言を呈しているだけだ。
 シェルエンと食事をすることに、本気の拒絶はない。
 皇子と、配膳を担当するフットマン、そして壁際で見守る家令と言葉を交わしながらの料理を楽しむことは、ブラッドリーの癒しとなっている。

 もちろん職務を忘れることはない。
 窓の外や屋敷内の異変を察知する糸は緩めず、警戒は怠らない。
 そうしながらも健全に栄養を摂る。

 それは、叔父の家で育てられた日々を思い出させる。
 母を亡くして心も失くした自分を救ってくれた叔父一家。
 思春期の多感な時期を荒れずにやり過ごせたのは間違いなく、優しい疑似家族に囲まれたからだ。

 それと同じ匂いがする。
 懐かしさが胸に広がる。

 だから、ブラッドリーはシェルエンとの食事の場面を気に入っていた。
 それは、自分で気づいている以上に、ずっと。

「ジャックバートを呼んでください」
「かしこまりました、横暴皇子」

 それを認めたくなくて誤魔化すような口ぶりになるけれど、足取りは軽い。
 雑に羽織っていたジャケットの釦を締めてソードホルスターを腰に巻き、鞘を納めた。

「ブラッドリー、戻りなさい。あなたの暴言に関して訴えたいことがあります。ブラッドリー……ブラッドリー!」

 大男はダークブラウンの扉を開けた。
 その顔には、『してやったり』の表情が浮かんでいた。
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