【完結】護衛騎士の忠誠は皇子への揺るぎない溺愛

卯藤ローレン

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27. 襲撃の後の口づけ

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 その日、ブラッドリーは眉間に皺を寄せて扉の外で待っていた。
 ここは一階にある応接室の前だ。
 腕組をして踵の先も動かさず、扉を睨んでいる。
 眉間に寄った皺は、泣いていない大人も黙るほどにゴリゴリだ。

「ブラッドリー様、今なら海賊百人相手でも難なく一刀両断できそうですね」
「第一騎士団時代は神業の剣技で、蒼焔獄っていう異名を持っていたそうだよ」
「そうえんごく、ですか?」
「炎って高温になればなるほど青くなるだろう? 冷静に見えるけどその切っ先は誰よりも容赦ないっていう例えらしい。あの青い瞳に睨まれたら、もう命は保証されないって」
「怖い……すごく怖い」

 ジュディスとデーヨのひそひそ話も全部聞こえているが、ブラッドリーにはそれに構っている余裕はなかった。
 握り締めすぎた拳で、己の骨も砕いてしまいそう。
 それでも握り締めていないと、今にも扉を蹴破ってしまいそうになる。

 邪魔をしては駄目だ。

 その一心で、扉を凝視している。

「終わったぞー」

 部屋の中から庭師のフィリパが現れた。
 腕には大きな木箱を抱えている。
 その中には咲いたばかりの瑞々しい花の香り、赤い花が大量に載せられていた。
 それを受け取ったデーヨが去り、フィリパがもうひとつ抱えてきた木箱はジュディスと手分けして運ばれていく。

 次に部屋から出て来たのは家令のジャックバートだった。
 こちらも花の積まれた箱と、湯の入った小さめの盥を持っていた。
 その湯は透明ではない。

「終了いたしました」
「殿下は?」
「ソファでお休みになられています」

 ブラッドリーはいても立ってもいられずに部屋へと入った。
 独特な匂いがする。
 第一騎士団にいた頃は嗅ぎ慣れた匂いだった。
 戦闘でも訓練でも、騎士ならば怪我を負うことは日常で、それが大怪我でもない限り誰も騒ぎ立てることさえしなかった。
 身体も心も感覚が麻痺していて、痛そうだな、とさえ思わなくなっていた。

「殿下」

 けれど今は、あまりの悲痛に心を切り裂かれている。
 その対象が己の主人になった途端、たとえそれが些少なかすり傷であっても、ブラッドリーの脳内では大怪我の部類にカテゴライズされてしまう。
 ――しまうようになった。

「お疲れ様でした。お水を持ってきましょうか?」

 シェルエンはソファに身を横たえていた。
 元々色白な肌は血の気が失せて、青い血管が目立つほどに透けている。
 あんなにも花を咲かせたのだ、体調は頗る悪いだろう。
 週に二度行うこの作業は、見れば見るほどにシェルエンの負担でしかないと思うのに、彼は義務だからと絶対にやめない。
 量も少なくしない。
 いつも必ず一定量の結晶を生み出し、国中へと配っている。

 皇子が背負う宿命に、護衛騎士が口を挟める領域はない。
 果たして怒りなのか悲しみなのか、自分でもよく分からない感情に押しつぶされそうになるのを黙って耐えながら、シェルエンの傷が早く癒えるようにと願うしかない。

「……ブラッドリー?」
「はい、殿下。つらいところはありませんか?」

 閉じていた瞼がゆっくりと開いていく。
 ゆっくりと焦点があっていくのを、じっと待つ。

「殿下?」
「つらいところはありません」
「痛いところはありませんか?」
「それもありません。血は止まっているでしょう?」

 そうして持ち上げられた腕。
 左右をくまなく検分した。
 湯で洗った肌は汚れもなく綺麗で、傷も塞がっている。

 大丈夫だ、大丈夫。

 そう思うのに、ブラッドリーの表情はあまりにも歪んでいたようだ。
 シェルエンの指が伸びて、頬をすっと撫でられた。

「どうしてあなたが痛そうな顔をしているんです?」
「殿下が怪我をすれば、俺の心が痛みます」
「護衛騎士の鑑ですね。強いだけでなく、主人を喜ばせる心意気も手にしましたか」
「はぐらかさないでください」

 ブラッドリーは白い腕を掬うと、その手首に唇を寄せた。
 未だ冷たさが残ったままの皮膚に温もりを渡すように、吐いた息であたためる。

「ブラッドリー、やめなさい。常々言おうと思っていましたが、スキンシップが過剰ですよ。他人の肌を舐めるのは異常行動です」
「傷は舐めて治せ、と教えられましたから」
「治っています……っ、やめなさい。もう、傷口は閉じていますから」

 舌で、ぞろりと撫でた。
 なぜか甘い味がするようで、確かめたくて、唇を動かした。
 離れていこうとする手を許さず、絡めて逆に引き寄せる。

「ブラッドリー……っ、ブラッドリー!」
「あいてっ!」

 一瞬何が起きたのか分からなかった。
 じんわりと熱くなる右肩。
 殴られたのだと自覚したのは、目をしばたたかせた後だった。

 衝撃が走る。

 そうしている内に、逃げる腕を取り逃した。

「え……殴りましたね、殿下?」
「ええ、殴りました。言うことを聞かない騎士には、こうして天罰が下るということを教えようと思って」
「結構いいパンチでした。どこにそんな筋肉が? いえ、今はそんなことを気にしている場合ではありません。殿下、ちょっとこっちに……」
「あ、ちょ、ブラッドリー! どこを触って……!」
「仕返しをします」
「あはははははっ」

 シェルエンの脇腹をくすぐる。
 殴られたお返しは三倍返しと決まっている。
 寝転がっているために自由に身動きの取れないシェルエンの上に乗ったブラッドリーは、飽きるまで皇子の身体に触れて反応を楽しんだ。

 薄紅とホワイトオパールの花が、幾つもソファの下に落ちていた。




∞∞∞∞∞∞∞




 夜、久しぶりの侵入者が寝室の窓を突破してきた。

「赤い花を咲かせる回数を減らせないんですか? 辺境伯家の名を使うのは癪ですが、それで進言できるのであれば俺はいくらでも使います」
「心配をありがとうございます。ですが、お断りします。ブラッドリー、このやり取りは今夜で何回目ですか?」

 ベッドの上、対面で座りながら、最近お決まりになった話し合いをしていた。
 承諾されないと知っていながら駄々をこねる護衛騎士、を宥める皇子。
 年下の大きな番犬はそれでも諦めきれずに、言い募ろうとした。

 次の瞬間。
 ブラッドリーは全身で覆いかぶさるようにしながら、シェルエンの壁になった。

 たちまち、窓ガラスの割れる派手な音が響く。
 複数の人間が着地する靴音も次いで響いた。

 瞬時に身を翻したブラッドリーは背中側にシェルエンを隠すと、侵入者と相対する。
 数は三名、見慣れない柄の黒装束だ。
 ベランダもない、下に大きな木も生えていない二階までどうやってたどり着いたのだろうか、と考えていると、三名それぞれからナイフが飛んで来た。

「あ、そっち系か」

 ひとりごちたブラッドリーはベッドの上に立ち上がり、掛け布団を引っ張り上げて切っ先を逸らした。
 続けざまに二度三度と、その銀の刃は命を狩りにくる。
 振り返ってこう言った。

「殿下、しばらくその体勢でいてください」
「というよりも、この体勢から動けそうにありません」

 蹲るシェルエンは膝を抱えて縮こまっている。
 その間にも布団には無数の衝撃が当たり続ける。
 どうやら飛び道具専門の殺し屋らしい。

 一瞬訪れた静寂に、脇に落ちていたナイフを投げ返してみたが、助走なしの宙返りで避けられた。
 身のこなしが人間離れしている。
 超人技を持っているなら、足場のない外壁も容易に登ってこられただろう。

「もしかしたら、東の国の者たちかもしれません」

 聞いたことがある。
 遥か彼方にある東方の国に、雑技に秀でた集団がいると。
 それらは国家事業で生み出され、暗殺者集団として育てられた後に外国に売られると。

 そうであるならば、体術では敵わないだろう。

「どうしようか……」

 三名から繰り出される銀の雨は止まない。
 ベッドの両側で色々なものが衝撃を受けて壊れ、倒れていく。
 シェルエンを背後に残したまま侵入者へと向かうわけにはいかないし、かといって背中に密着させて向かうわけにもいかない。
 絶え間ない攻撃が終わるとも思えない。

 思案していたブラッドリーが隙間から顔を出すと、ちょうど切り裂かれたベッドの天蓋がはらりと眼前に垂れてきていた。

「殿下、絶対にここから出ないでください」

 掛け布団の鎧をシェルエンに被せたブラッドリーは、枕元に置いてあった剣を取って素早くベルトに差した。
 天蓋を力の限りにぶち取ると、それを肩に掛けながらくるくると旋回する。
 巨大な布を頭上で回しながら、暗殺者へと近づいていく。

 飛んでくるナイフは、予測不能な動きで翻る天蓋に悉く威力を削がれ跳ね変えされた。
 床に落ちる刃に構うことなくブラッドリーは進む。
 布についているタッセルが絶妙な動きで侵入者の顔を掠め、その者はバランスを崩した。

「ぎゃぁぁぁぁ!」

 その瞬間を逃さず、布を他の黒装束へと投げつけている隙に右側のひとりを斬った。
 振り返りざまにもうひとりの脚も斬る。
 左端に視線を合わせると、眼球すれすれを飛んでくる銀の塊。
 紙一枚分誤差で目の下を抉ったそれを、皮膚の痛みで感じたが見向きもしなかった。

 飛び跳ねながらブラッドリーの剣を躱していく敵を、壁際へと追いつめた。
 剣のグリップを両手で握り直し、間合いをはかる。
 武器が底をついたと思われたその敵は、両腕を背中へと差し込んだ。
 両指の間に差し込まれて出て来たのは、八本の太く長い針。
 自身の顔の前で見せびらかしたそいつは、布で隠れている口元を歪ませたように見えた。

 剣よりも飛び道具の方が早い。
 さらに、それで命は奪えなくとも、人体の急所に刺して動きを封じられれば簡単に仕留められる。
 騎士は劣勢だろう。

 そう思ったのは、きっと黒尽くめの者たちだけだった。

 腕は振られ、放たれた針は一直線にブラッドリーへと向かう。
 身を翻した彼は、あろうことか背中でその全て受け止めた。

「はぁぁぁぁ?」

 予想外の行動に出たブラッドリーに隙を突かれた敵は、一瞬動きを止めた。
 その隙を見逃さず、距離を詰める。
 剣を突き刺す間際、蒼焔獄の異名を持つ男は不気味に笑った。

「知らないか? 一対一のどんな場面でも眼球さえ無事であれば、この国の騎士は必ず相手を討ち取る」
「――――――――!」

 肩を貫通した剣で、黒装束は床に縫い止められた。
 深く刺さった剣身はどんなにもがいても外れず、もがけばもがくほどに傷を深くする。
 他二名も与えられた深手によって、その場を動くことはなかった。

 ブラッドリーはベッドへと向かう途中で、部屋の扉を開けた。
 そこにはジャックバートの他、使用人たちの姿があった。
 そのさらに後ろには、連絡が行ったのであろう、邸周辺を特別警備している近衛騎士団の顔ぶれも見える。

 速やかに片づけられていく部屋の中を振り返りもせず、ベッドへと急いだ。
 そこにはドーム型になった布団の塊があった。
 ちゃんと息が出来ているだろうか、となぜかそこが気になってしまった。

「殿下、終わりました。苦しくないですか?」
「ブラッドリー、大丈夫ですか? 怪我は?」

 ひょこりと顔を出した麗人は、すぐさま騎士の元へと身を寄せる。
 ベッドの上で向かい合うその人の顔は、心配からか曇っていた。

「大した怪我はしていません。それよりも殿下はご無事ですか?」
「私は全く。それよりも所々で血が出ています。顔も身体も、背中も……え、ブラッドリー、太い針が、針がめちゃくちゃ刺さっているんですが?! あなた、全然怪我をしていますね?!」
「あぁ、そうですね。痛いと言えば痛いですが、大丈夫と言えば大丈夫です」
「何をおかしなことを……こういうのは毒が仕込まれていることもあると聞きます。すぐに花を、ジャックバー……!」

 家令を呼んだ皇子の口を、ブラッドリーは大きな手の平で塞いだ。
 振り返り、何でもないことを伝えると、部屋からは誰もが立ち去った。

「花はいりません。自力で治せます」
「でも、毒が」
「ジェスフォード家は代々辺境を護ってきた家です。生まれた男子は全員三歳を過ぎた頃から、あらゆる毒への耐性をつけるために日常生活において訓練が始まります。内も外も慣れています。この程度では死にませんし、熱も出ません」
「ですが、自分で気づいていないだけですごく刺さっていて……」
「殿下、状況説明はご遠慮ください。それは知りたくない事実です」

 止める護衛騎士に、神妙な顔をした皇子は細かく頷いた。

「背中は見ないようにします」
「お気遣いをありがとうございます」
「あぁ、でも背中だけではなく色々と傷ついていますね……痛みは?」

 抉れた目の下に、そっと指が添えられる。
 間近で見つめる紫シルバーの瞳は潤んで揺れている。
 その宝石を眺めているだけで、傷なんて跡も残らず消えてしまいそうだ、とブラッドリーは思う。

「後で殿下が薬を塗ってくださったら、早く治る気がします」
「誰が塗るかで治癒速度は変化したりはしないんですが……私が必ず薬を塗ります。とりあえず今はこれで……」

 麗しい人が近づいてくる。
 それはパーソナルスペースを越えて、さらに、息がかかる距離を越えて。

 掠める鼻先。
 顔がぼやける。
 世界が優しい銀色でいっぱいになる。

 思わず目を閉じた。
 騎士ならば何が起こるかを見極めるために、対象から目を離してはいけない。
 そう分かっていても、本能がそうさせなかった。

 頬に当たる指先の優しさ。
 目の下に当たるやわらかい感触。
 それが押し当てられて、鼓動が跳ねた。

「え……え、殿下?」

 口づけをされた、傷口に。
 シェルエンらしからぬ行動に、ブラッドリーは速やかに目を開けた。

「あなたがいつも私の傷口に唇を寄せるから、仕返しです。こうされることがどんなに恥ずかしいか分かったで――」

 ぶわりと溢れ出た何か。
 胸から爆発した切なくて甘い何か。
 またたく間にそれは首から上に昇りつめて、脳を支配した。

「んんんっ」

 シェルエンの後頭部を支えて口づけた。
 正真正銘、唇に。
 想い余って取り乱した感情をぶつけるように、角度を変えて何度も擦り合わせる。
 薄く開いた唇の隙間に舌を差し込んで、逃げる舌を捕らえて貪った。

 何度も何度も。

「なにを、ブラッド……んんっ」

 何も聞こえなかった。
 何の抑制も出来なかった。

 ただひたすらに、シェルエンへの熱い気持ちで溢れていた。
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