鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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一章

19. 飲茶アフタヌーンティー

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 空腹だった二人は、早速小ぶりの器に手を伸ばした。
 『想像以上の量が出てくるかも』との月落の予想通り、一般的なアフタヌーンティーよりも品数多めの圧倒的豪華バージョン。
 それがどれも皆、非常にお行儀の良いサイズ感で盛られている。
 そのため、胃の容量が至って普通と自称している鳴成も、美味しいままで食べ終えられそうで安心した。

 細部まで見ると、鳴成側はデザートの量が多めで月落側はセイボリーの量が多めの構成になっているが、二人が気づく由もない。

「さっき東雲さんが仰ってましたが、普段ここはアフタヌーンティーはやっていないんですか?」

 先の宣言通り、セイボリーとデザートの間で手を往復させながら鳴成が問う。

「実は、今日の店選びには一悶着ありまして」
「それは物騒ですね?」

 主に蒸篭と小鉢中心で咀嚼していた月落が、綺麗に飲み込んだ後にそう答えた。

「先生のお誕生日のお祝いをどこにするかを弓子伯母さんに相談していたところ、ちょうどそこに叔父も居合わせまして……父の弟なんですが。その人が、ホテルのレストランなら個室を開けられるから静かに食事できていいだろう、と提案してくれたんです」
「叔父上はホテル関係者でいらっしゃる?」
「そうです。元漁師で、現ホテル部門の総責任者です」
「経歴の捻じれ方に月落家を感じますね」
「はい、変わり者集団の中でも特に変わっていると評判です」

 話の合間、苺の山から何個かをトングで皿に取り分けた月落は、それを鳴成の前へと差し出す。

「ありがとうございます……うん、とっても甘いです。きみも食べてね」
「後で頂きます……たぶん」
「あはは。それで、何が一悶着だったんです?」
「先生は甘いものもお好きだから食事と一緒に楽しめるアフタヌーンティーにしたら喜ばれるんじゃないか、と弓子伯母さんが助言をくれて。最初は叔父もアフタヌーンティーを提供してるレストランやラウンジに範囲を絞ってピックアップしてくれたんですが、それは不公平だと声が上がりまして」
「不公平……?」

 烏龍茶を飲んでいた鳴成が、茶杯から口を離す。

「曰く、今現在アフタヌーンティーをやってるか否かで決められては困る、と。メニューになくてもその日限りの特別提供はできる、と碧酔楼や他のレストランが抗議した結果、コンペで勝負となりました」
「コンペ?それはまた大事になりましたね」
「準備期間3日、プレゼン7分の真剣勝負。審査員は叔父と僕と、『暇だったから立ち寄った』と一様に同じ言い訳で顔を出した親戚計10名。参加した16のレストランやラウンジからここが選ばれました」
「本物のコンペ顔負けですね、それは……ありがとうございます」

 空になった茶杯におかわりが注がれるのへ、鳴成は礼を言う。
 ついでに月落は自分の杯も満たした。

「はい。どこも熱量は凄かったんですが、飲茶アフタヌーンティーの珍しさに票が多く集まったようです。ちなみに、僕もここに一票を投じたので選ばれて嬉しかったです」
「確かに、アフタヌーンティーは私も母に連行されて時々行きますが、飲茶は中々ないですね。話をしたら母も驚いていました。このレストランのアフタヌーンティーは、検索しても出てきたことがないと」
「今日は先生のためのスペシャルです」

 最後の一言は、囁き声で伝えられる。

 ホテルの格式高いレストランが、本来縁もゆかりもない人間の誕生日を祝うためだけに大がかりなコンペを行うのは実に異様だ。
 たった数時間の想い出作り。
 そのためだけに、手間を惜しまず何日間もかけて準備しようとする意気込みの強さが些か奇妙に思えて、鳴成は首を傾げた。

 食べる手を止めて考える。

 そして、きっとこれは自分を喜ばせるという目的以外にも、月落を喜ばせたいという想いに起因しているのだろうと思い至る。
 むしろそちらの方が意図としては大きいのではないか。
 このあまりにも脈略のない大盤振る舞いのもてなしは、自分を介して月落へと贈られたプレゼントなのだ。
 それならばとても納得がいく。

「きみは周りの方々にとても愛されているんですね」
「えーと、先生?思考の着地点が遥か彼方で辻褄が合わなさすぎるんですが。皆、先生のお誕生日をお祝いするために張り切ったのであって、僕のためではないですよ?」
「私のためも少なからずあるとは思いますが、皆さんが一生懸命になったのは、私がきみの連れだからでしょう?」
「連れ……連れ、か。素敵な響きだ……先生は俺の連れ……」

 ひとりで勝手にうんうんと頷きながら顔を綻ばせる月落を、鳴成は不思議そうに眺める。
 また地球の裏側に行ってるのかなと思いながら、ココナッツミルクシャーベットを手に取った。
 食事の始まりに食べようとしたそれだが、くり抜かれた容器の下部にドライアイスが仕込まれていて、簡単には溶けそうになかったため今まで取っておいたのだ。
 ひんやりと口の中が潤されて、リフレッシュにちょうど良い。

「美味しいですか?」
「あ、帰ってきました?」
「はい。木星辺りまで行きかけましたが、無事に戻ってこられました」

 今回は裏側ではなく上側だったらしい。

 月落にシャーベットを勧めると、美味しそうに二口で完食していた。
 好みの甘さだったようだ。

 彼はときどき雛壇にも手を伸ばしているようだったが、見ると下段はすっかりなくなっているのに対して上段は形状記憶のまま残されている。
 苦手そうならば後で譲り受けよう、と鳴成は心の片隅で思う。

「お茶がなくなりそうですね。先生、次は何を飲みますか?」

 渡されたメニューを見ながら考える。

「ジャスミン茶が飲みたいです。茉莉銀針モーリーインジェン?」
「いいですね、それにしましょう」

 個室であるここはどのようにしてスタッフを呼ぶのだろうか。
 鳴成が小さな疑問抱いた瞬間、静かに扉が開き東雲が現れた。
 そのタイミングの完璧さに驚愕を隠し切れない鳴成の様子を見て、月落は目を輝かせる。

 TOGグループの全レストランに共通することだが、ホスト側のテーブルの下にはボタンが設置されていて、手軽にスタッフを呼べる仕組みになっているのだ。
 簡単なことなのだが、魔法……?と呟く声を聞くと声に出して笑ってしまいそうになる。

「新しいお茶をお持ちしますか?」
「茉莉銀針をください」
「かしこまりました。鳴成様、デザートで足りないものはありますでしょうか」
「えーと……そうですね……」

 言い出しづらそうに視線を彷徨わせた後に、鳴成はそっと隣の席に身体を寄せた。
 月落も同じように身を傾けながら小声の相談会が急遽開催される。

「先生、どうしました?」
「あの……きみのあの上段なんですが、私の土地に引っ越してくる可能性はありますか?」
「え、よくご存じで。どうですか、と声を掛けるつもりでした」
「分かりました、頂きます。代わりに小鉢を移しても?」
「是非どうぞ。まだ腹6分目辺りなので」

 相談会終了。
 顔を上げた鳴成はこう答えた。

「足りないものはありません。どれも本当に美味しくて、楽しく頂いています」
「嬉しいお言葉をありがとうございます。調理スタッフにお伝えいたしますね。渉様はもっと何か召し上がる?あの炒飯もハーフサイズで作れるわよ」
「あ、本当に?じゃあお願いしようかな。先生も一緒にどうですか?」
「きみのを一口だけ分けてもらえれば」
「かしこまりました。お茶もすぐご用意しますね」

 空の茶器を持って東雲が退室する。
 鳴成と月落は皿の残りをそれぞれのペースで平らげていく。

「炒飯というのは、先ほど話題に出てきたものと一緒ですか?」
「そうです。高校生の頃、空腹で家まで帰るのがつらくて、ここに寄り道しておやつ代わりに食べさせてもらってたんです」
「だからこのレストランの方々と親しいんですね」
「はい。いつでも食べにおいでという言葉に最大限甘えて、本当にほぼ毎日通いました」

 コンペでも一票を入れたと言っていたので思い入れがあるのだなと感じていたが、この話を聴いて納得する。
 付き合いの長さが違うのだろう。
 月落と接する東雲からはどこか肉親に近いあたたかさが滲んでいたが、案外間違った推測ではないのかも知れない。

「きみが沢山食べるようになったのは、高校生の頃からですか?」
「中学2年から3年の間に身長が30センチ伸びたんですが、その頃からですね。よく食べよく寝てを地で行っていたらこうなりました」

 両手を伸ばして身体を大きく見せる。
 広い肩幅、長い腕、タートルネックを押し上げる逞しい胸、すっきりとした腹部。
 均整の取れすぎた肉体には安易な嫉妬心すら湧かない。
 この顔にこの身体をカスタマイズした神はきっと、傑作を生み出した陶酔と、生み出してしまった苦悩を同時に味わったに違いない。

「失礼いたします」

 扉が三度ノックされて、新しい茶器と共に東雲が入ってくる。
 その後ろに数名を従えている。

「茉莉銀針でございます。白茶ベースのジャスミン茶で、清らかさと深みをご堪能いただけます」

 ガラスの茶杯を受け取って味わう。
 すっきりとした薫りで中華料理の重厚感を洗い流していた鳴成の前に、正方形にカットされた正統派なショートケーキの乗った皿が置かれた。
 卵をそのまま溶かし固めたような鮮やかな黄色のスポンジと、クリームの真っ白なコントラストが眩しい。
 シンプルだからこそ存在感があるケーキだ。

「系列のフレンチレストランからお誕生日ケーキが届きました。お邪魔でなければ、是非ご賞味ください」
「ありがとうございます。遠慮なく頂きます」
「フレンチレストランって『Le Chateauル・シャトー』?」
「当たり。うちの職人でも十分美味しいケーキは作れるけど、ここは専門のパティシエにお願いした方が喜んでいただけるからって、ホクちゃんが頼んだの」
「先生、シャトーはコンペで2位だった店です」

 こっそりと耳打ちされる。

「作ってくださったパティシエの方にお礼をお伝え願えますか?これほど上品で整ったショートケーキは、今まで出会ったことがありません」
「ありがとうございます。必ずお伝えします」

 鳴成とケーキを眺めていた月落の前にも白い皿が置かれた。
 こちらも黄色が眩しく、僅かな衝撃でもほろりと形が崩れてしまうだろうと容易に想像できるほどにパラパラな炒飯だ。
 山の上に大きめの海老が3尾乗っている。

「渉様にはご所望の炒飯ね。久しぶりでしょう?」
「うん、本当に久しぶり。相変わらず美味しそう」
「味は一切変わってないから、きっと懐かしさで泣くと思うわ」
「これからはもう少し頻繁に来るようにするから。いじけないで、東雲さん」
「いじけてないわよ。ちょっと寂しいって思ってるだけで」
「一緒じゃない?」

 もはや親子だ。
 二人のやりとりを見守っている鳴成は、そう感想を抱く。
 仲睦まじくて微笑ましい。

「鳴成様も渉様も、沢山お召し上がりくださいね。それでは、ごゆるりと」

 閉まる扉を見送った月落は、熱いうちにと炒飯を口に運び始めた。
 鳴成も正方形にフォークを刺して角から食べ進めていく。

「凄く美味しいです。ふんわりと練乳風味のクリームが濃厚なのに、後味は意外なほどにさっぱりで」
「気に入りました?」
「はい、とても。これならきっと、きみも食べられそうです」

 鳴成はそう言うと、綺麗に切り出した白い塊を月落の口元へと持っていく。
 突然のことに固まる月落を見て何を勘違いしたのか、

「フォークがひとつだけなので私が使ったもので申し訳ないです。お行儀の悪さには目を瞑ってください」

 と、些か的外れなことを言いながらも、指の位置は変わらない。

「食べて……ね?美味しいから」

 鳴成にしては大胆な行動と何気ないのに破壊力抜群の言葉に煽られて、普段なら数手先までをきっちり計算して行動できる月落の優秀な脳は、その機能を緊急停止した。

 警告を発する音が響く。

 今まで差し出す側にいた男だ。
 するのには慣れているのに、されるのには滅法慣れていない。

 おずおずとぎこちなく口を開くと、すぐさまケーキが差し入れられる。
 ヘーゼルの瞳にじっと見つめられて、きちんと咀嚼できているかさえも怪しくなってくる。

「美味しいでしょう?」

 同意しか返ってこないと信じて疑わない純粋無垢な問いかけに、月落が返せたのは首を上下させる機械的な頷きだけだった。

「良かったです」

 満足げに微笑んで、それから鳴成は自分が食べることに集中し始めた。
 身体の奥から地響きと共にこみ上げる暴力的な愛しさに、月落が悶絶しているとも知らずに。



 可愛すぎる……
 41歳になっても可愛さに衰えがなくて本当にどうしてくれよう……
 ホワイトデーのお返しはホテルまで運転してもらうだけで十分なんて言ったけど、今からでも変更可能かな……
 やっぱり今すぐ先生が欲しい……!
 可愛いがすぎる……!
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