咎の園

山本ハイジ

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恋の罪(1)

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 今回の語りのなかに出てきた遊戯を、今実行できそうなものはすべて実行された。拭いきれぬほど汚れて、大浴場へ向かう。噴水の隅では初老の客と少女の奴隷が睦まやかに寄り添い、あたたまっている。洗い場では、瑞樹が頭に剃刀を当てている。
 ……永久脱毛せずに、わざわざ手で剃るのは剃髪で奴隷という名の娼婦を束縛するあの客に対する、愛の証。会うたびになめらかな頭を確認させて、私はあなたのものだということを示すのだ。
 そんな彼女のそばに寄り、シャワーのコックをひねると金色のヘッドから注がれる湯で、肌に擦りつけられた汚穢を洗い流す。悪臭が漂ってきているかも知れないが、瑞樹は表情一つ変えずに頭の手入れをつづけている。洗いながら、なんとはなしに彼女へ話しかけた。失礼は承知で近づいたのも、次回から語りは恋の話になることから、無意識的に彼女と接したくなったのかも知れない。
「……瑞樹さんは、エデンに来て長いですよね」
「そうね、ここがただの黒線だったころからいるわ」
 とくに言いたいことのないおしゃべりに彼女を巻き込む。彼女は刃で肌を撫でるのをやめてシャワーを出すと、頭を湯に打たせて剃ったごく短い毛を流す。
「あのお客さまとの付き合いも長いですよね」
「そうね、長いわ」
 あのお客さま、で通じた。瑞樹を指名する客はもう、あの客以外にほとんどいないのだろうか?
 シャワーをとめて、頭の水滴を手で払いつつ指の腹で頭皮の感触を確かめるような動作をしながら、目の前の鏡に映っているであろう頭のつややかさを見て、彼女は言った。
「もしもあの人から捨てられたら、私も影次くんと同じ方法で引退ね」
 この一言で確信した。瑞樹はあの客を愛している。幸いにも永久脱毛を要求されてはいないのだから、髪は生やせばいい。ほかの客からも鬱陶しがられているあの嫉妬深い客と手を切れば、彼女はそこそこ栄えるだろう。と、いう問題ではないのだ。
 剃刀を持って、彼女は浴場から出ていく。シャワーを一旦とめて、柑橘系の香りがするソープを手の平に出し、泡立てながら――相思相愛だろうし、あの客、瑞樹を身請けして結婚でもすればいい。と、一瞬思ったが、いや愚考だなとすぐに改めた。
 入浴をおえて髪を乾かすと、身に着けていたものはどろどろに汚れていたために裸のまま脱衣場を出て、階段をのぼる。向かうのは旦那さまの部屋。ドアをそっと開けると、穏やかな寝息が響いていた。ベッドに近づき、布団の中へ静かに入る。
 旦那さまは背中を向けていた。そのあたたかな背中に額をつけて、突如襲ってくる喪失感に耐える。

 気分で、朱色の地に牡丹を主として様々な花が咲いたチャイナ風のコルセットを締めて、頭にも牡丹の造花を飾った。今はもう相手をしていない、脚以外は愛してくれぬ客からもらった金糸で編まれた網のガータータイツをまとい、赤いハイヒールを履いて広間へおりる。すると偶然にも、今宵は広間もオリエンタルな雰囲気を演出していた。
 しっとりと雅楽が流れているなか、二卓のテーブルの上には棺桶くらいの大きさがある木の船が置かれ、船の中には結った髪にかんざしを何本も挿した裸の花魁が寝ている。両名の花魁の体は刺身で飾られ、股間には陰毛のように海藻が盛られてある。
 そして舞台では、絢爛な着物を着崩した白塗りの女形が吊され、宙を舞っていた。女形の体を浮かせているのは情緒溢れる麻縄などではなく、ワイヤーとフックというところがエデンらしく最高に趣味が悪い。フックは女形の背中に刺さり、ワイヤーは舞台にあるポールにつながっている。ポールの両隣には明らかに花が人工的で安っぽい、作り物の桜の木が設置されていた。
 オリエンタル、と言ってもこちらはエセ中華、向こうはエセ和風か。小皿に刺身を盛り、つまみながらやや興味のわいた前座をよく観賞してみた。女形は紅で縁取った目を夢でも見ているようにとろんとさせ、真っ赤な唇は薄ら笑みまで浮かべて、広げた扇子を片手に持ち悠々と空中で踊っている。着物は大きく開けていて、ほとんど晒している上半身の、首から下の白粉を塗っていない肌は、興奮して体がほてっているのか紅潮して見えた。頬も赤く染まっているのかも知れない。
 全体重を、皮膚を貫いているフックが支えているのだ。演技で消せるレベルの苦痛ではない。しかし、女形から苦悶の色はいっさい見えない。いや、表情は幸せそうにすら見える。どうやらこの前座は女形の趣味らしい。ふと昔、こんなふうに体を吊りあげる、ボディサスペンション趣味の客がいたことを思い出す。
 俺は体験したことがないからわからないが――被虐の快楽とはまた違うものだよ。吊られた瞬間、精神に翼が生えて、ニルヴァーナへ飛んでいく。と、言っていたっけ。懐かしいな。……ふと、その客は破産してエデン通いが不可能になってしまったから俺との関係が切れたが、現在付き合いのある客全員、もうそろそろで完全にお別れか。と、少し感傷的になる。
 女形は一時間以上、吊られていただろうか。ようやく使用人の手でおろされ、背中に滲む血を拭われると、着物を直してから女形は観客たちに深々と頭をさげた。
「いつもはお客さまとクラブで吊っているのですが、こうしてみなさまの前で舞ったのは初めてです。ありがとうございました」
 まばらな拍手が響きおわってから、女形はしずしずと舞台からおりる。俺と目が合うと会釈をして、そのまま紋付羽織袴姿の上品な中年男性客のもとへ行き、仲良さそうに手をつないで広間を出ていった。
 突然、客たちに呼ばれる。客たちは満腹すると、まだわずかに花魁の肌に残っていた刺身を船の中に叩き落とし、二人の花魁を乱暴に抱え床へ倒して、輪姦をはじめていたのだ。……客たちはにこにこ笑って、すっかり結い髪の乱れた花魁、いや女奴隷を一人俺に差し出し、輪姦に加わるようすすめる。笑顔で応じ、生臭い肌に舌を這わせ、繊細な花の模様が刺繍された自らのショーツをおろし、抱く。カメラの用意をしていた使用人が、さっとレンズを向けた。
 射精を済ませれば、舞台の片づけとセッティングはおわっている。ショーツは脱いだまま、使用人に預けていた原稿を受け取って舞台にあがった。まだ何人かは輪姦に夢中な観客たちに頭をさげ、椅子に座る。
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