【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の陽月6-

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土の陽月はあっという間に駆け抜けていって、あと数日もすれば土の極日になります。この土の陽月の間、私は夜中は拠点予定地で色々と試行錯誤し、朝が来る前に岩屋に戻ってこっそり寝床に入るという生活を繰り返していました。

こんな生活が可能だったのは、同室で寝ている母上やつるばみが、一度眠ったら朝まで起きない……というよりは起きられない程に疲れ果てていたから。

無の月の間に食べる食料と燃料の確保や保存作業、叔父上たちが出稼ぎに行く際に持っていく物の準備などなど。母上や叔父上、それに橡や山吹も本当に忙しく働き続けていました。暗くなる頃にはぐったりと疲れきってしまう程なのに、板の間に布を敷いただけの寝具とすら呼べない物の上で寝たって体力が回復しきる訳がありません。

それに最近は朝方はぐっと冷え込むようになりました。そうなってからは晩御飯の準備の際に竈の中で石を焼いて温石おんじゃくという物を作り、夜寝る前にそれを布に包んで暖をとりながら寝るようにはなったですが、布団が無いからか温もりが一晩もたず、朝方には手足が冷え切ってしまっています。その所為で兄上は眠る頃には私と並んで寝ているのに、明け方になると冷えた身体を温めようと無意識に横で眠る私をぎゅっっと抱きしめてくるのです。

なので私は毎晩、兄上の温石が冷えてしまう前には寝床に戻るようにしています。そうすれば明け方、私の体はまだポカポカなので兄上も暖かく眠れます。

えぇ、明け方の私はまだポカポカなんです。なにせ毎晩温泉につかって温まって、実験小屋でも常に竹炭を燃やしているので部屋もそれなりに暖かく。皆には申し訳ないぐらいに良い環境にいます。

なんというか罪悪感が酷いです……。

早く母上たちにも良い環境で生活してもらいたい、今すぐにでも母上たちと一緒に拠点で暮らしたほうが良いのではないかという考えが何度も頭を過ります。ですが同時に、まだ完成していないから……と言い訳をしてしまう自分がいるのです。

そう言い訳です。
母上たちから見れば私のような存在は気持ち悪いんじゃないかと思ったら、ちょっと言い出し辛く。何より山吹が絶対に私を排除しようとするだろうなぁと思うと、とっても気が重く……。せめて眼前に迫る無の月を母上たちも私も良い環境で過ごす為に山吹が居なくなってから案内したいなぁなんていう、ちょっと逃げというか打算的な考えが浮かんでしまうのです。

山吹が出稼ぎから戻ってきて、私を排除しようとしたらその時はその時。拠点には母上たちにそのまま住んでもらって、私は三太郎さんたちと何処か別の所に行こうと思います。拠点は岩屋よりずっと過ごしやすいから、母上も橡も10年後の流行病を乗り越えられるだろうし。

そして私は別の場所で二度目の拠点作りを三太郎さんたちと楽しめば良いのです。
その時は前回の経験を活かしてもっともっと良いモノが作れるだろうし、うん。

そんな感じで、自分が傷つかないように予防線を張ってしまうのです。




それにしても、こんな環境で前回の無の月はよく過ごしきれたなぁと呆れ半分感心半分です。確かに大人たちの中でも一際よく食べる叔父上と山吹が居らず、二人が出稼ぎや買い出しに行く際に使う馬二頭も当然いません。それに兄上も今より更に小さかったので食料に関してはどうにかなったのかもしれませんが、寒さがありえない。

現に橡が母上を気遣っている言葉から察するに、前の無の月の時は何度か体調を崩していたようですし。やっぱり暖かく快適な住環境は必要です。



その住居ですが、金さんと浦さんの尽力のおかげでだいぶ出来上がってきました。清潔に暖かく暮らせることを最優先にしてもらったので、後回しにしたモノが幾つもありますが、それは追々作れば良いのです。


私の方も頭を悩ませ続けていた石鹸の問題が片付きました。

「失敗だけど、目標達成」

これに尽きます。

どうやっても、何をやっても固形になってくれない石鹸に、もうこれは世界が違うから同じ反応が起こらないのだという結論にたどり着き、途方に暮れていた私に

<そなたは何を作りたいのだ?>

と私を目の前に座らせ、対面に同じように座った金さんが問いかけてきました。その言葉に何をいまさら!と一瞬ムッとしてしまった私に金さんは更に続けます。

<そなたは何が欲しいのか?>

と。当然それに

<石鹸だよ。ずっと石鹸を作りたくて頑張ってるの!>

少しイラッとした気持ちを隠すように視線を逸らしながら応えました。この程度の事で苛ついてしまうなんて、今までの自分ならありえなくて……。良くない事だとは思うのですが、気持ちのコントロールができません。それだけ切羽詰まっていたのかも……。

<なぜ、石鹸とやらが欲しいのか?>

<綺麗にするため。今のままじゃ嫌なの。髪も体も服も綺麗にしたいの>

私がそう言うと金さんは、固まらない出来損ないの石鹸を指さして

<なぜ、それでは駄目なのだ?
 そなたはそれで試したのか? 汚れが落ちるかどうかを>

と言うのです。私はその言葉に目を見開いて呆然としてしまいました。私の記憶の中、前世で石鹸班の子が作っていた石鹸は固形でした。カッチカチに固まった固形石鹸が完成形でした。だからそうならないイコール失敗という図式が私の中に刷り込まれていました。

<そなたの目標を掲げ、それをやり遂げようとする所は美点であろう。
 また諦めずに様々な事を試し、努力を惜しまぬところも美点であろう。
 だが、視野が狭すぎる。その所為で美点が欠点となっておる>

大声を出されている訳でもないのに、言葉の一つ一つが楔となって心に深く深く打ち込まれてきます。今の私を視野狭窄だと言われても一つも反論できません。なにせ固まらないドロドロの状態だけを見て失敗だと判断し、効果を試しもしなかったのだから。

俯く私に金さんはそっと頭を撫でてきました。

<そなたは最初から完璧なものを求め過ぎなのだ。
 間違いも失敗も無い、確かにそれは素晴らしい事やもしれぬが
 間違っても失敗しても、そこに立ち止まらずやり直せば良いのだ>

その金さんの言葉に改めてドロドロ石鹸を使ってみたら、泡立ちも汚れ落ちも申し分のないものでした。石鹸を作れば固形になるとう思い込みを捨ててしまえば、目標達成はすぐそこにあったのです。

確かに固形の方が持ち運びや保管の面においては便利だけど、液体を保管する方法が無い訳ではないですし、シャンプーやボディソープを思えば使う分にも全く困りません。

そうなれば後は粘度の問題です。生クリーム5分立てか、或は8分立てか……。

サラサラ過ぎると容器を倒した時が大変ですが、モッタリしすぎるのも使い辛そうです。何せこの世界にポンプボトルはないですから。自作しようにも水栓と同じで散々使ってきたのにアレの仕組みが今一つ解りません。

ですがこの辺りの問題は後で……それこそ無の月に入ってからでだって構わないのです。

何だか肩の荷が下りた気がして、とっても気が楽になりました。




そうやって日々を過ごしているうちに、明日にはもう土の極日です。

明日にはもう叔父上たちは出稼ぎに出発することになります。流石に今日は体を休める為に大人たちもゆっくりとしています。せいぜいやる事といえば今日食べる分の食料の調達や明日の荷物の最終確認ぐらいで、それらも全て終わったようです。

「槐、お土産は何が良い?」

叔父上が胡坐をかいた左膝の上に私を座らせ、更には右膝に兄上を座らせながら尋ねます。母上や橡は厨で晩御飯の準備中で、辺りには炊飯時の独特な匂いが立ち込めています。ここで良い匂いがと言えないのがツライところです。まぁ暑かった頃に比べれば随分とマシではあるのですが……。

「おじうえ、どこかにいかれるのですか?」

3歳半になる兄上は、ちょっとだけ舌っ足らずながらも十分お話が出来る感じです。

「あぁ、買い出しに行かなくてはいけないんだ。
 それも何時もよりずっと沢山のね。だから暫く戻れないんだよ」

「えんじゅもいっしょにいきたいです!」

叔父上と兄上の会話を聞きながら、タイミングを見計らいます。三太郎さんのお蔭で聞き取りはほぼできるようになりました。流石に早口だったり難しい言い回しなどはまだ無理ですが、叔父上たちが私や兄上に話しかける時は子供にも分かるような言葉を選んでゆっくり話してくれるので私でも理解できます。

「槐には母上や櫻を守ってほしかったんだがなぁ。
 山吹も居なくなるから槐にしか頼めないんだが、駄目かい?」

「えんじゅがははうえやさくらをまもるのですか?
 ……はいっ! えんじゅがははうえたちをまもります!」

兄上が可愛い!
自分が皆を守るのだと理解した途端、ビシッと手を挙げて胸を張る姿がたまらなく可愛らしいです。さすが(私にとって)世界唯一の癒し!

そんな兄上の頭を撫でる叔父上も私と同じ心境なんだろうなぁ。可愛くて仕方がないといった感じの笑顔を浮かべています。

「あぁ、頼むよ。
 もちろん櫻にも何かお土産をかってくるからね、良い子にしてるんだよ」

私にもその笑顔を向けてくれる叔父上。


さて、そろそろ……。

「あい、おいうえおじうえ

そう私が言った途端に叔父上の動きが止まりました。

あれ、時間停止してる? 
三太郎さんが変な技能を覚えて使ったのかな?

<そんな訳あるかっ!>

と私の中から桃さんのツッコミが入ります。
そのツッコミとほぼ同時に叔父上が私と兄上をガッ!と両脇に抱えたかと思うと、急に立ち上がり

「あねっ グッ うえっ! 姉上っっっ! 」

すごい勢いで厨へと駆けだし、途中で舌を噛んだのか言葉に詰まりながらも姉である母上に大声で呼びかけます。

「何事です!」

叔父上の余りの剣幕に吃驚した母上が振り替えると同時に

「櫻が喋った!!!」

と叔父上が言葉少なに状況を伝えます。あの時間停止は驚いていたんですね。ちょっと驚きすぎな気します。

そんな叔父上の左脇に抱えられた私に目をやった母上は

「何を言っているのです、櫻だって喋りますよ」

「そうですが、そうじゃないんです姉上。
 ほら、櫻。もう一度私の事を呼んでくれないかい?」

母上が言うように私だって今までちゃんと喋っていましたよ。喃語だった所為で意味が今一つ理解されていなかっただけで。

ここのところ毎晩のように実験小屋でおしゃべりの練習をした甲斐があって、最近はだいぶ発音が明瞭になってきたので、そろそろ理解してもらえるんじゃないかと思って挑戦してみたのです。あんなに慌てられるとは思いませんでしたが……。

はーうえははうえー」

そういって母上に手を伸ばします。小脇に抱えられた状態が苦しかったので、ちょうど良いので母上の方に避難したいと思っていたところです。

「まぁ、まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ……」

母上の言語機能が壊れました。目を真ん丸にしながらも私を抱き上げてくれます。これで叔父上も兄上をちゃんと抱っこできるはず。

と振り替えれば兄上はまだ小脇に抱きかかえられたままです。

「おいうえ、めっ!
 あいうえ、らっこっ!!」

何で……、何でところどころでちゃんと発音できないのかなぁ!
叔父と甥じゃ大違いだし、兄上に至ってはまるで「あいうえお」と五十音を言っているかのようになってるし。失敗とまでは言わないけれど、もう少し上手に喋れると思ったんだけどなぁ。

「ぁ、あぁすまない。槐大丈夫か?」

ようやく兄上を脇に抱きかかえたままだった事を思い出した叔父上は、謝りながら兄上をちゃんと抱き上げてくれました。あれ意外と胴体が圧迫されて苦しいんですよね。

「さくら。えんじゅ……じゃなくてあにうえだよ」

兄上が叔父上に抱きかかえられながら、私に手を伸ばして頭を撫でてくれます。自分がお兄ちゃんだよって言いながら。あぁ、もう兄上可愛いっっっっ。

そしてこれ以降、兄上は自分の事を「えんじゅ」とは呼ばなくなり、私の前では「あにうえ」、母上たちの前では「ぼく」と言うようになりました。

自分の事を名前で呼ぶのも可愛かったけれど、こうやって兄上も少しずつ成長していくのだなぁと、しみじみと思ってしまうのでした。


そうして母上や叔父上、兄上と呼びかけを披露した私は次いで

うーばみつるばみ!」

と橡にも呼びかけます。
この世界に来たばかりの頃、自分よりもずっと年上の橡を呼び捨てにすることに抵抗を感じてしまい、別の呼び方が出来ないものかと考えていたのですが、結局は呼び捨てにすることにしました。橡の息子である山吹を除いたみんなが名前を呼び捨てにしているのに、私だけが別の呼び方をするのは余りにも不自然です。私が慣れるしかない事柄もこの世界にはたくさんあり、これもその一つなのだと……そう思ったのです。

「お嬢ちゃま、私の名前も覚えてくださったのですね」

そう嬉しそうに橡も笑ってくれます。そうそう橡は私の事を「お嬢ちゃま」と呼んでくれます。母上を「姫様」、叔父上を「若様」、兄上を「お坊ちゃま」と呼んでいたようなので、その流れなんでしょうね。

さて、残すは最大の難関……と、くるりと周囲を見回すとこちらに背を向けて岩屋を出ていく後ろ姿が目に入りました。

山吹です。

「あ……」

私は名前を呼ぶことすらさせてもらえませんでした。
母上や兄上、叔父上や橡が嬉しそうに私を撫でてくれるなか、山吹だけ……。

「本当に仕方のない息子で……。お嬢ちゃま、ごめんなさいね」

そう少し困ったように笑う橡に、私はなんて答えるのが正解なのか解らないまま母上にぎゅっっとしがみついたのでした。




その日の夜遅く。

私は何時ものように一度兄上の横で眠りにつき、頃合いを見て実験小屋に行くつもりで真夜中に目を覚ましました。ただ今日は何時も兄上の向う側で眠っているはずの母上の姿がありません。私達三人とは少し離れて、部屋の隅で寝ているはずの橡の姿もありません。

<おい、今日はもう良いから寝とけ!>

私の中から桃さんが慌てたように声をかけてきました。面白い事や未知の事が大好きな桃さんが実験小屋に行く事を止めるような発言をするのは珍しく、どうしたのかと思った時に叔父上たちの部屋から声が聞こえてきました。

「姫様、あの娘は施薬院に入れるべきです。
 ここに置いておくべきではありません!
 どうかお聞き入れください!」

と。
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