未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の陽月5-

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今の気分は化学の授業で何度かやった実験発表でしょうか。

<蜘蛛糸を様々な溶液に漬けておいたところ、変化が見られました。
 サンプルを皆さんのテーブルに配りましたので、そちらをご覧ください>

って感じなんですが、学校かぁ……。
1年も経ってないのに何だかとても懐かしいです。

まぁ、感慨にふけるのは何時でもできるので、今は拠点作りの休憩時間に実験小屋まで来てくれた金さんと浦さんに蜘蛛の糸を見てもらいましょう。

<随分と色が変わりましたね>

そう言うのは浦さん。浦さんが持っているのは灰汁に一晩漬けた糸で、白さが更に増してほぼ白糸と言っても良い色になっています。それでも完全な白ではなく、ほんの少し残った透明感が良い感じです。またとても柔らかくなり、元がナイロン糸に似た固さとは思えない程の触り心地です。強度の確認をするため様々な事を試したのですが、強度も申し分ないうえに汚れが付着しづらいという思わぬ利点も。

<これで服を作れば良いかなって思う。
 ただ汚れにくい反面、染色が大変そうなのが難点かな>

試しに草の汁で染めてみようとしたのですが、まず糸に色が入りませんでした。

<ヒノモトの奴らが喜びそうな糸だな>

そう言うのは桃さん。ヒノモトの人たちは伝統的に白い服を身に纏います。汚れの一切ない真っ白い服は身分がそれなりに高くないと維持できないので、ある意味財力のバロメーターにもなっているんだそうです。だとしたら普段真っ白な服を着る事のできない層からは喜ばれるかもしれませんが、逆に白い服をステータスとして着ていた層からは嫌がられるでしょうね、この糸。

<喜ばれるとしても、外に出す予定はないけどね>

当初の約束通り、ここで作った様々な品は基本的には門外不出です。三太郎さんが「これなら大丈夫」と太鼓判を押すような物が出来上がったら、その時は改めて相談して決めようという事になっています。全てをここで自給自足できればそんな事を考えなくても良いのでしょうが、塩を始めとした幾つかの必需品がここでは作れないので、どうしても売買が必要になります。その為に叔父上や山吹が出稼ぎに行くのですが、その助けになるような物があれば良いなとも思うので。

<我のモノは前のモノと変わらぬようだが……。
 いや、まて。透明度がむしろ上がっていおるような?>

金さんが手にした糸を竈の火にかざして透明度を確認しています。

<うん、それは粘りをとった後の冷却する水に少しだけ工夫してみたら
 透明度があまり落ち無い事が解ったの。
 最初は使えないと思っていた透ける布の使い道を思いついたから>

この世界には板ガラスというものが存在しません。ガラスを材料とした工芸品なら一応あるのですが、それらは大抵小さくて透明度はほとんどありません。なので窓ガラスにできるような板状のガラスも透明度が高いガラスも無いんです。なのでこの世界の窓は木製の蔀戸しとみどという木の扉というか開閉できる壁みたいなものが大半です。

この蔀戸という単語が心話ですんなり伝わってきた事を不思議に思ったのですが、説明を聞いたところ前世の地元のお寺で散々見た事がある物でした。恐らく何かの際に名前を聞いた事があったものの、そのまま忘れてしまっていたんでしょうね。

その蔀戸。一般的には格子に板張りで、華族の中でも特に裕福な家は板張りではなく紙を使った障子のようなモノなのを窓として使っています。それって雨が降ったらどうするんだろう?と心配になってしまいます。また紙なら外から光が入りますが、木製では閉めてしまうと部屋の中が暗くて仕方がないはずです。

蔀戸の他にも御簾みすという和風ロールスクリーンや、几帳きちょうという衝立を使う場合もありまが、こちらの場合は雨どころか風すら心配しなくてはいけない気がします。

なんというか華族が住む寝殿造りモドキの住居に、壁が極端に少ない事がそもそもの問題な気がしてきました。なんで全部あけっぴろげなのよ……。確かに何かにつけて宴を開催するからその時には便利なのかもしれないけれど、お金があるんだから宴用の建物を別に作っとけば良いのに……。

平安時代生まれならば兎も角、現代っ子の私にはそんな住居での生活は無理です。なので窓の問題に気付いて以来、ずっと悩んでいたのです。そこにこの透明度の高い糸が完成し、その糸で織った布が窓ガラスの代用品になりそうな事に気づいて一気にテンションが上がりました。前世の窓ガラスと同じ透明度は無理でしょうが、すりガラスの窓に近い感じにはなってくれるのではないかと期待が膨らみます。流石に雨が降る度に風も光も入らない真っ暗な部屋になってしまうのは遠慮したいので、なんとか透明布の窓を完成させたいのです。

<なるほど、そなたの意図は理解した。
 だが布が雨に濡れた場合の面倒は紙と大差ないのではないか?
 いや、紙が高価であることは理解しておるが……>

そこなんだよね。結局、単なる布だったら雨水が染みて部屋の内部に入ってきてしまいます。勿論雨戸も設置して雨が降ったら雨戸を閉めれば良いのですが、急な雨に対応できない事だってあるはず。

ただ、一つ……ちょっと気になるものがあるんです。

<その事でちょっと浦さんに確認してほしいものがあるの。
 何かに使えるかもって拾ってきてもらったべとべとさんの殻だけど、
 アレをね、水に漬けて置いたらちょっと吃驚する変化が……>

そういって三太郎さんには実験小屋から隣の物置へと移動してもらいました。実験小屋を作った当初に想定していたよりも大量の素材が集まった結果、棚に収まりきらなくなってしまって……。何より素材の一つ一つのサイズが大きすぎて小屋とは別に物置が必要になってしまったんです。

まぁ、おかげで竹炭も一々遠くの保管用の洞穴まで取りに行ってもらわなくても、数日使う分だけを此処に置いておくという方式がとれるようになったので便利ではあるのですが。

そこで三太郎さんたちに見せたのは、直径1m弱もある木桶の中にたっぷりと作られた牛乳寒天……のように見える何かです。

<まさか、これがあの水の妖の殻なのですか?>

少し驚いたように目を丸くする浦さんに頷き返してから、更に横の小さめの桶を見せます。そこには半分ぐらいまで小さくなったべとべとさんの殻が入っていました。

<順を追って説明するとね、
 まずべとべとさんの殻を綺麗に洗おうと思って水につけたら
 少しずつ周りの水を吸い上げはじめて膨らみだしたの。
 どれぐらい水を吸い上げるか観察したら、桶一杯分は余裕で吸収したんだけど、
 それと同時に形が維持できなくてデロデロに崩れ落ちて……。
 だけど中心部の所だけはどれだけ水につけても溶けないの>

そういって小さいほうの桶を指さします。

<で、小さくなった殻をよく見たら、水をはじいちゃってるっぽくて……>

前世で使っていた傘などに施された撥水加工。まるでアレのような感じなんです。それどころか水から取り出したら周囲の水分が水玉になって流れ落ちて、濡れてすらいないという超が付くレベルの撥水っぷりです。

<コレをどうにか使えないかなぁと思って。
 水をはじいちゃうから、このままでは水に溶かす事はできないけど、
 割ってから使うとか煮てみたりだとか、色々と試せる事はあるだろうし>

液状にしてから布に塗り付ければ、そしてその状態でも撥水効果があれば窓に十分使えるようになります。

<おもしろいものだな……。
 一つの殻の中に性質がこうも違うものが組み合わさっておるとは>

<恐らくですが……。火の精霊力が強い時期を乗り切る為に、
 少しでも多くの水分を吸収して殻に溜め込むようになっているのでしょう。
 同時にその殻が自身の水分は吸収しないように
 自身に触れる部分は水を通さない仕組みになっているのかもしれません>

あぁ、なるほど。
殻に水分を溜める事で乾燥と高温から身を守っているのに、その殻が自分からも水分を吸っちゃったら意味ないものね。

<ひとつ、私に試してみたい事があります>

そう浦さんは言うと、私から小さくなったべとべとさんの殻を受け取りました。そうしてから小さい桶の中の水を捨てて空っぽにすると、そこに再び殻を入れ

<成功するかどうかは解りませんが……>

と、じっと中を見詰めながら言うと目を閉じました。次の瞬間浦さんの長い髪がふわりと浮いて、領巾ひれと一緒に波打ちだしました。明らかに何かしらの精霊力……つまり技能を使っているのが解ります。

私は思わず小さく息を飲んで浦さんを凝視し続けました。金さんも桃さんも何も言わない時間が刻々と過ぎていきます。実際にはほんの2~3分という時間なのでしょうが、私にはもっともっと長く感じられました。

<……出来ましたね>

ゆっくりと目を開いた浦さんが、桶の中を確認してからにっこりと微笑んでこちらを向きました。

<出来た……って何が??>

そういう私に浦さんは私にも見えるようにとそっと桶を下げてくれました。そんな浦さんの顔を見てから桶の中を覗き込むと、そこには白い液体がたぷんと揺蕩っていました。

<えぇぇ??
 だって、さっき入れたのべとべとさんの殻だったよね?>

なのに中にあるのは固形物じゃなくて液体です。
僅か数分で完全に液体化してます。

<先日、ミズホ国へ行った際に少々例の水の妖……べとべとさんでしたか?
 アレを倒す機会がありまして。えぇ、勿論技能の為ではありませんよ?
 今年のミズホ国は少々水の精霊力が強かったのか、
 それとも火の精霊力が弱かったのか、かなり増えておりまして……>

浦さんの説明によると……。
つい先日、建築中の拠点の水回りでどうしても対処に困った部分があり、参考になるものを探そうとミズホに向かったのだそうです。そうしたら普段ならば主に山にいるはずのべとべとさんが、なぜか人里の農地の方にまで大量に出没していて人々が困っていたのだとか。

ミズホはアマツ大陸における重要な穀倉地帯なので、作物を荒らされるとミズホ国だけでなく大陸中の人の命に関わります。なので、目についたモノだけでも排除しておこうと退治していたら技能を覚えた……と。

<どの程度使える技能なのか確認してから報告しようと思っていたのですが、
 思わぬところで試すことができましたね>

とにこやかな浦さんですが、出来れば覚えた時に教えてほしかった。

<して? 覚えた技能は何で、どの程度使えそうなのだ?>

<覚えた技能は無位の「沈殿」と地位の「溶解」ですね。
 「沈殿」は通常よりも早く、綺麗に沈殿させることができるようでした。
 「溶解」に関してはまだ試行回数が少ないので何とも言えませんが、
 私の技能の習熟度では金属を溶かしたりはできないようです。
 元から水に溶けやすい物や、この殻のように水の精霊力の影響が及び易い物なら
 溶かすことができるようですね>

うん、流石は浦さん。
桃さんの技能が増えた時よりも、かなり解りやすい説明でした。
確かにある程度把握してから報告してもらった方が、理解しやすいかもしれません。

まぁ、ちょっとだけ……
皆と一緒にあーでもないこーでもないと試行錯誤するのも楽しいのになぁとは思いましたが。

<それから、これはまだ確証は得ていないのですが……。
 このべとべとさんの殻の特性から鑑みるに、
 恐らく水をはじく、或は防ぐ技能も倒せば手に入るやもしれません>

<もうちっと解りやすく言ってくれ>

桃さんと一緒に説明プリーズという視線を浦さんに向けます。

<どう説明すれば良いのか……。
 妖の持つ技能を習得するという事は妖の特性を奪っているのと全く同じ……
 とまでは言いませんが、かなり近い行為なのです。
 この妖の殻を見れば、特性の一つに水をはじくものがある事は確実で、
 それを技能として習得することができる可能性があるという事なのですが
 この説明で大丈夫です?>

なるほど。今までは積極的に妖退治をする気はさらさらなかったのですが、特性などから欲しい技能を持つ妖の目処がついて、更にそれが今回のべとべとさんのように退治やむなしの状況なら積極的に倒しに行くのもありかもしれません。

勿論「安全第一」「いのちだいじに」が大前提ではありますが。




何にしても、今はべとべとさんの殻を「溶解」したものを使っても撥水効果を得られるかを試すのが先かな。上手くいけば良いなぁ。

なのでべとべとさんから撥水だか防水だかの技能が覚えられるかどうかは、また後日に考えるなり試すなりすれば良いかなと思います。なにせ途中で頓挫している石鹸の事もあるから、もうほんと色々と手いっぱいなんです。金さんや浦さんだって拠点建築が最優先事項としてありますしね。

新しい技能の習得は余裕がもう少し出来てからでも遅くないですし。

<我も土蜘蛛の縄張り糸を採取する際、拠点の安全の為に念には念を入れ
 追加でもう2体程倒しておいたのだが、既にもっておる技能の習得度も
 上がるようで、我の地位の技能「成形」が上がったようだ。
 あとはヤマト国に行った際に少々やっかいな妖がおってな。
 周囲に被害が出始めておったゆえ倒したところ地位の技能「分解」を覚えた>

余裕ができてから……

余裕……

だからーーー、余裕をくださいいぃぃぃぃーーーーー。
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