未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の陽月4-

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<はい、これで良いですか?>

真っ暗闇の視界の向うから浦さんの声が聞こえてきました。恐る恐る少しだけ目を開いて、更には両手で覆い隠していた視界を指を少しだけ開いて確認します。

指の隙間から見えたのは乳白色の直径50cmはありそうな楕円形のクッション……のように見える貝柱でした。あの恐怖でしかない大量の目玉がついたヒモ部分は見当たりません。ほっと安堵して

<うん、ありがとう浦さん。
 浦さんが言っていた食べられる貝ってコレの事だよね?>

と、お礼と同時に疑問を投げかけます。

<えぇ、有害な物質を含まないという意味では食べられます。
 ですが私自身は食べた経験がありませんから、味については保障しませんよ?>

と、浦さん。そこは試行錯誤あるのみでしょう。
前世では食の試行錯誤に関しては定評のあった日本人です。毒魚のフグだって試行錯誤して食べていた民族です。毒の塊のようなフグの卵巣を糠漬けにしてから食べるなんて発想、なかなか出ないと思うなぁ。お祖父ちゃんたちと旅行した先で見かけた時は日本人の食に対する貪欲さにちょっと引いた覚えがあります。




ほんの数分前の事、私が貝ヒモにびっしりと並んだ目玉に思わず絶叫した声は、離れた場所にいた金さんや浦さんにも微かに届いたらしく、二人は作業を中断して大慌てで駆け付けてくれたのでした。

駆け付けた二人が見た光景は「もうやだ……やだ……」と蹲って三猿の見ざる状態でブツブツと呟き続ける私と、如何したら良いかわからずオロオロとしている桃さんの姿。

金さんに抱っこされ、浦さんにトントンと背中を叩いてあやされて、漸く貝の大量の目玉が嫌だという事が言えた私ではあったのですが、もうあの貝の中身を見るどころか思い出すのすら嫌で嫌で嫌で……。両手で目を覆って視界を完全ガードしてしまったのです。

そんな私の状態に仕方ないとばかりに浦さんが貝ヒモを取り除き、貝柱だけにしてくれたようです。この状態になると美味しそうに見えてしまうのが不思議なところです。




その後、実験小屋で三太郎さんたちと一緒に貝柱を焼いてみたり、貝殻を焼いてみたりと色々と試してみることになりました。

まずは貝柱を炙って、火を通して食べてみました。実はこの世界にも魚介類の生食文化は一応ですがあります。ですがそれは調理に薪(燃料)を使用する事すらできない貧民の食べ方という認識なのだそうです。私からすれば火を通さずとも食べられる鮮度の良い品を食べられる事のほうが贅沢だと思うんですが……。ちょっとした価値観の違いって意外とあちこちにあるものですね。まぁ今回は万が一を考えてちゃんと火を通してから食べてもらいます。

その貝柱の味は、甘味と旨味があり食感も良くて美味しい……らしいです。味付けをしない状態でもかなりの高評価が出る貝柱に思わず涎が口の中に溢れますが私はまだ食べられません。えぇ、乳歯すらありませんから。

最近、歯茎がムズムズする事が多いのでそろそろ生えてくるんじゃないかなとは思うんです。でも現時点では歯が無いので柔らかく煮崩した物じゃないと食べられなんです。無念……。

あと無念といえば、この世界にはお醤油が無いのがツライところです。もっともお味噌はあるのだから再現不可能って事はないはず。余裕ができたら挑戦したいところです。

そんな感じで余裕が出来たら挑戦したい事ばかりが増えていきますが、まぁ何事も優先順位はあります。美味しい事に越した事はありませんが、まずは食べられることが大事です。とりあえずこれで食料の確保のうちの何パーセントかはクリアできたんじゃないかなと思います。とはいえ、コレだけじゃだめだろうし、雪が降り積もる無の月の湖に潜って採るのは出来るなら避けたいので、他の食料も引き続き探す必要がありますが。




さて、貝柱のとても良い匂いと結果に満足して終わってしまいそうですが、むしろここからがメインとなる作業です。

<桃さん、この貝殻を思いっきり焼いちゃってください。
 真っ白い灰になるまで。>

そうお願いするのは例の巨大貝殻です。最初は桃さんの技能の炭化でどうにかならないかと思ったんですが、アレは主に植物を炭に変化させる技能らしく……。また変化させるだけなので熱を出さないんだそうです。だからどこでも簡単・安全に炭を作れる反面、別の事に流用できません。

なので普通に燃やして作る事になりました。竹炭を焼き上げる温度は確か800度のはずで、そこで一緒に貝灰も作っていたので……たぶんそれぐらいの温度で燃やせばいけるはずです。

<そういう細かい調整は俺様向きじゃねぇんだがなぁ……>

とボヤく桃さんではありますが、竹炭はとても上手に出来ていたからいけるよ!と言ったらまんざらでもない表情でした。




結果として貝灰は楽々作れました。えぇ、貝灰は。
問題はその後にドーーーンと控えていましたが……。

<どうして固形化しないの……>

あれから数日。
何度も何度も灰汁や貝灰、油の配合の比率を変えてみたり、混ぜるタイミングを変えてみたり、最終的には灰汁の材料となる木材を変えたり、油の材料を変えたりもしてみたいのですが、どうしても固形化してくれません。小学校の頃の記憶では次の日には固形化していたのに……。

どんなに試しても、良くてポッテリとした8分立て生クリームぐらいの固さで、大抵は5~6分立て生クリームぐらいのとろみがある液体にしかなってくれないのです。貝灰や灰汁は手間はかかるものの何度でも作れますが、油は貴重なので極力失敗をしたくないのに……。

<何か間違った? 記憶違いしてる??>

記憶フレームを何度も見直したりもしましたが、原因が見つかりません。うんうん唸りながら悩んでいると

<根を詰めすぎですよ、少し休みなさい>

そう言って浦さんが持ってきてくれたのは赤い液体でした。先日見つけた林檎の果汁をお水で薄めたモノで、数日前に初めて飲んで以来の私のお気に入りです。小屋に持ち込んだ林檎を、毎日金さんが作ってくれたおろし金で磨り下ろしているのですが、その大部分はお酢を作る為に使用しています。ですが、極一部はこのジュースにもなっているのです。浦さんが少し冷やしてから渡してくれるので、喉も頭も気持ちもスッキリとするんですよね。金さんには甘味が強すぎるらしくちょっと苦手との事でしたが、浦さんと桃さんは好きな味のようで三人でよく飲んでいます。


お酢といえば、当初はガラス瓶でお酢を作る予定だったのですが、桃さんの持っている技能はあくまでも砂を「硝子化」させるだけで、瓶だったりコップだったりを作れる訳ではなかったようで……。金さんの「成形」と合わせたら出来ないかとも思ったのですが、これもちょっと無理でした。もっとも金さん曰く「我の技能がまだまだ拙い所為であろう。精進あるのみ」との事なので、金さんの「成形」や桃さんの「硝子化」の技能レベルが上がれば、もしかしたらできるようになるかもしれないという希望は残りました。

まぁ希望は残りましたが、現在進行形の問題も残ったままです。

なので妥協案として二人に頼んだが、まず金さんが鉄を「成形」して寸胴鍋を作り、それから桃さんが砂を「硝子化」させます。その「硝子化」してドロドロに溶けた砂を金さんが鉄鍋に「鍍金めっき」するという方法でした。えぇ琺瑯ホーロー鍋ですね。金さんの成形だけでは作れなくても、既に形ある鍋にガラスをコーティングするという方法なら……と試したところ、上手くいきました。

お酢もそうですが、部屋の隅に確保してある柚子モドキを使うにしても琺瑯鍋は必須です。何せ普通の鉄鍋では鍋が酸で痛んでしまいます。他にも保存用の塩をたくさん使った食材を保管するのにも琺瑯の容器がある方が良いですしね。


ふと気付いたんですが……。
私がこの世界に持ち込んだ前世知識の中で、形にできた初の道具ってこの琺瑯鍋になるんでしょうか?
炭やお酢は元々この世界にもありましたし、温泉は道具ではありません。期待の石鹸は形になってませんし、今作っている最中の拠点にも色々と仕込んではいますが、まだ完成はしていません。

という事はやはり、前世知識で作った初めての道具が琺瑯鍋……。
なかなか漫画やアニメのように格好良くはいかないなぁ。


気を取り直して、この金さんの「鍍金」技能なのですが、金さんが使える技能の中でも特に疲れる技能のようで……。技能のレベルは高めらしいのですが、天位の技能という事もあってかなり繊細な精霊力のコントロールや極度の集中力が求められるらしいのです。ただ幸いな事にコーティング剤となる硝子を今回は桃さんが横で用意できるため、ゼロから作るよりは楽だったの事でしたが、一日に何度も出来る事ではないと釘をさされました。


そんな訳で部屋の隅に毎日1個ずつ、琺瑯の寸胴鍋が作られては林檎のすりおろしを溜め込むという作業が続けられ、初日に作った容器の中は既にプクプクと泡が出始めています。発酵が進んでいる証拠ですね。このままいけばリンゴ酒を経由してリンゴ酢になる……はずです。たぶん。

リンゴ酢はお祖母ちゃんが友人から大量のリンゴを頂いた時に、一度だけ作った事がありましたが、あくまでも私はお手伝いぐらいしかしていません。なので不安極まりなく、ついついこまめに中を覗いてしまいます。

とはいえ覗いたところで、今は酢酸菌(のようなもの)の働きを信じて見守る事ぐらいしかできる事はありません。前世の感覚での2~3ヶ月、つまり土の陰月の終わり頃か無の月に入った頃にはお酢が出来上がるはずなので、あとは成功を祈るのみです。




<そうだね、ちょっと気分転換も兼ねて別の事をやってみる>

林檎ジュースを飲んで少し落ち着きました。それに別の事をやっていたら不意に解決策を思いつくなんてこともあるかもしれません。なのでちょっと別の事をやってみましょう。そう思って手をだしたのは土蜘蛛の糸でした。

表面の糊状のベトベトを取り除く方法は既に見つけてあり、処理済みです。
以前、自分の足に巻き付いた糸を取り除く際に温泉を使いましたが、長時間お湯につけると糸が脆くなる事が解っています。でもサッとくぐらせた程度ではベトベトはとれません。なので温泉の浴槽の湯温よりもかなり高温のお湯を使って、極短時間で濯いでから冷たい水で一気に冷却するとベトベトが綺麗に取れ、熱の加わる時間も短時間なので糸の強度が変わらないという結果が得られました。

ですが、確かに強度はそのままなのですが、糸が硬くなってしまうのです。触った感じビーズアクセサリーで使うナイロン糸や釣り糸が近い固さかもしれません。この固さの糸で機織りができるかどうか私は経験がないので解りませんが、普通の糸に比べれば明らかに硬いので、もう一工夫入れたいのです。

柔らかく……柔らかく……とぐるぐると考えていたら、前世でも同じように柔らかくすることに拘ったモノがありました。もしこれが糸ではなくお肉だったら……と考えて、お肉を柔らかくする方法を思い出してみます。一番簡単なのは叩く事。でも糸は叩いても特に変わりはありませんでした。

次は何かに漬け込む事。ヨーグルトや摩り下ろした玉ねぎなんかに漬け込むと柔らかくなると言われています。ですが、今は少しでもたくさんの食料を溜め込みたい時期なので、糸の試行錯誤に使いたくはありません。そもそも玉ねぎもヨーグルトも手元にありませんし……。

そうなると手持ちの中で使えそうな材料はアルカリ性の灰汁や貝灰を水に入れた貝灰水。それに酸性の柚子モドキの果汁でしょうか。酸度やpH的にはリンゴ酢が使えれば良かったのですが、完成には時間が必要なので仕方がありません。

<桃さん、林檎ジュース飲み終わったら手伝ってください>

<ん? 次は何をやらかすんだ?>

やらかすって失礼な!

<やらかしませんっ! ちょっと試したい事があるだけ。
 蜘蛛の糸を柚子果汁、灰汁、貝灰水、灰汁と貝灰水を混ぜたものに
 それぞれ漬け込みたいの。柚子果汁は私がするので後をお願いします>

柚子果汁なら手についたり、最悪ひっくり返しても被害は大したことはないでしょうが、強アルカリが皮膚に着いたら大変な事になってしまいます。なので赤ん坊からようやく脱却できるかな?という月齢の私は近づかない事にしています。三太郎さんたちからも厳重に注意されていますし。

<そんなのに糸を漬け込んだって、糸は染まらねぇだろ?>

<染色……その問題もあったかぁ>

桃さんの返答に思わず遠い目をしてしまいます。現状の蜘蛛の糸の色は少し白く濁った半透明です。元々がほぼ透明の糸で、お湯で粘りをとった際に少し不透明度が増して白くなってしまった感じ。この糸で布を織ればうっすら透けてしまう可能性があります。そんな布で服なんて絶対に作れません。

白熊の体毛と同じで、糸そのものは透明でも白く見える可能性はありますが、最初から染めてしまう方が良いに決まっています。

あぁぁぁぁ、どんどん、どんどん問題が積みあがっていくぅぅぅ。
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