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1章
1歳 -水の陽月2-
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「ははうえ、おじうえは きょうかえってきますか?」
ここ数日、兄上は朝の挨拶後に必ずこう聞くようになりました。それに対し母上は少しだけ苦笑した後
「そうねぇ、後10回ぐらい朝が来たら帰ってくると思うわ」
と答えます。そんなやりとりが毎朝恒例の光景となりました。
この世界にも関所というモノがあります。交通の要所や大きな川などに作られている関所は、通る際に身分証明と通行料が必要になります。間道を使って関所を通らずに移動する事も可能といえば可能なのですが、当然の事ながら関所破りは大罪です。また大きな都市に入る際には、関所で発行される移動証明書を提示する必要があり、その証明書で移動ルートにおかしな点はないか厳しく審査されます。
ただ、それらの審査が緩和される期間があります。
それが無の月の始まる前の10日間、こちらの世界で言う1旬間と終わった後の1旬間です。流石に関所破りはアウトですが、多くの人が一度に移動するため審査が簡略化され、通行料が無料になります。
昔は通行料をとっていたのですが、某国が他国よりも少しでも多くの、そして優れた職人を呼び込みたくて通行料無料政策をしたところ、それが大当たりしたのだとか。当然、他の国が黙ってみている訳がなく……。最終的に朝廷が調停に入って、全ての国が無の月の前後1旬間のみ関所の通行料を無料にして公平性を保つと決まったのだそうです。
また国境を越える為の関所は別ですが、辺境地区は関所そのものが少なくて関所と関所の間隔が広く、反対に大きな町や首都近辺には関所が多くなります。他にも高速道路のような感じで広くて整備された安全な道には関所が多く、逆に狭くて整備があまりされていない道は関所が少ないという傾向もあります。関所には常駐する兵士がいるので関所のある道の方が安全なのは道理です。
で、それの何が叔父上たちの帰還に関係するのかといえば、叔父上たちは少しでもお金を稼ぎ、少しでも出費を抑えようとしている訳です。なのでギリギリまで働いてお金を稼ぎ、関所の通行料が無料になる期間を狙って移動します。
なのでこの辺境の山から出稼ぎに行く叔父上たちは、都市部の絶対に通らないといけない関所までにかかる日数を逆算して出発し、帰りは逆に絶対に通らないといけない関所を通行料無料期間最終日に通るようにしているようです。去年は私を拾って帰りが少し遅くなった叔父上でしたが、だいたい水の陽月の半ば頃に帰ってくる計算になります。
……その計算のはずでした。
それは朝食を終え、みんながそれぞれ好きな飲み物を飲みながら今日の予定を話し合っていた時でした。不意に顔を上げ窓の外を見た金さんが
「岩屋に誰かが入ったようだぞ」
と言いだしたのです。その言葉に意味が良く分かっていない兄上以外に緊張が走ります。
「金様、どういうことでしょうか」
母上は持っていたマグカップを一度キュッと握ってからテーブルに置いて、金さんに問いかけます。その背後では橡も息を飲んで金さんの言葉を待っているようです。
「そなたらを此処に連れてくる際、ちょっとした仕掛けを施しておいた。
そうでなくば、そなたらの息子や弟が帰ってきた時に困るであろう?」
そう言う金さんに私は心の中でうんうんと頷きました。母上たちに此処に来てもらうにあたり、三太郎さんたちとは叔父上や山吹が戻ってきた時にどうするかという事は話し合ってありました。岩屋に誰かが入った事が解るような技能や物がないかと尋ねた私に、金さんがある物を持ってきてくれたのです。
それは二つの小石が連結されたような石でした。片方が赤紫色、もう片方が青緑色をしたその石は、色や形や大きさが前世で食べた事のある、垣根によく使われているイヌマキの実とよく似ていました。
双子石……そう呼ばれているこの石は不思議な性質を持っていて、片方の石が割れたり欠けたりすると、もう片方にもその衝撃が伝わって同じように割れたり欠けたりしてしまうのだそうです。
また2色の石のうち赤紫色の方は特に壊れやすく、ちょっとした衝撃で砕けてしまうのだとか。その為に加工には向かず、また色も血液を彷彿とさせるため嫌われており価値はほとんどありません。
その赤紫色をした小石を岩屋の入口、粗末な木戸を開けた先にある敷石の下に仕込んでもらいました。勿論そのままでは敷石の重さで割れてしまうので、ちょっとした細工は必要でしたが。
戻ってきた叔父上たちが木戸を開けて敷居をまたぎ敷石を踏む。するとその下にある双子石が割れて、もう片方を持つ金さんに異変を伝えるという仕組みです。
2つの石がどれだけ距離が離れていても割れるのかは不明なのですが、岩屋とこの拠点は崖などで行き来は難しいものの直線距離にすれば衝撃が伝わる範囲内なのは事前に実験済みです。
「若様が戻られたにしては早すぎませんか?」
橡が居間にある暦を見ながら言います。この山からなら山吹が向かった天都よりも、叔父上が向かったヤマト国の首都の方が少しだけ近いのです。ですが、その叔父上ですら帰ってくるには10日程早く、予想できない来訪者の存在に母上たちの顔色が一気に悪くなるのが解ります。
<誰が入ったかまでは解らないんだよね?>
心話で金さんに確認してみますが答えは予想通りで、あくまでも双子石の片割れが割れたとしか解りません。なので大き目の動物が入り込んでしまったのかもしれませんし、道に迷った人の可能性も母上たちの追手の可能性もあります。
「とにかく、一度様子を見てまいりましょう」
そう言って立ち上がってくれたのは浦さんでした。大型動物や追手の場合、母上たちが向かうには危険すぎます。それに浦さんなら姿を隠せるうえに、川のすぐ横のあの場所なら水の精霊が居てもおかしくないので一番良い人選です。
……いや、人選じゃなくて精霊選?
程なくして浦さんから金さんへ心話が届きました。流石に距離がありすぎて人間の私には浦さんの心話は聞こえません。
ちなみに精霊同士ならどれ程距離が離れていても聞こえるのかといえばそんな事はないらしく……。金さん曰く、精霊同士でもこんなにも離れていると聞き取りづらいし、これ以上離れたら聞こえなくなるだろうとの事でした。
その時にポツリと呟かれた「1年前なら間違いなく聞こえなかったであろうな」という金さんの言葉から察するに、気心が知れている相手とそうじゃない相手とで、聞こえる距離が変わってくるのかもしれません。
「浦が申すには、岩屋の中に入ったのは山吹のようだ。
橡、そなたの息子だな」
そう言うと、明らかに母上と橡がホッと安堵した表情になりました。
「あの子ったら……。こんなに早く戻ってくるなんて何かあったのかしら。
皆様、息子がお騒がせして申し訳ありません」
と橡は金さんや桃さん、それに母上に頭を下げます。
「どうやら、そなたらが直接出向いて姿を見せた方が良さそうだ。
狼狽し岩屋を壊しそうな勢いで姿を探しているらしい」
うわぁ……目に浮かぶようです。
本来なら叔父上たちが帰還する日を計算して、念の為に余裕を見て二日前ぐらいから日中は岩屋の近くで山菜摘みでもしながら待とうと思っていたんです。暗くなってからの移動は危ないので、叔父上たちが岩屋に戻るのは必ず明るくなってからだろうし、標高の違いからこの辺りはまだまだ雪が残っていますが、あの辺りの日当たりが良い場所なら雪はかなり溶けているようなので。三太郎さん経由で母上たちに提案して、母上たちもそのつもりで準備を進めていたのですが……。
「まぁ、大変! 急がなくては……。
金様申し訳ありませんが、どうか私と橡を連れて行ってくださいませんか?」
そう母上が慌てて立ち上がったところで、兄上が
「ははうえ! ぼくも いっしょにいきたいです!」
と、今までいつも一緒だった母上が自分を置いてどこかに行ってしまうと思った兄上が、慌てて立ち上がって母上にしがみつきました。
「みんなで一緒に行けば良いんじゃねーの?
おまえら4人ぐらいなら金と俺様とで運べるぜ?」
そう言う桃さんの言葉に、兄上は母上の足にしがみついたままうんうんと頷いています。置いてけぼりは何が何でも阻止したいようです。
「我はそれで構わぬが……。どうする? 抱きかかえて良いのか?
それとも以前のように何か運ぶための入れ物を用意するか??」
ここに連れてこられた時には巨大な貝殻に乗せられて運ばれた訳ですが、アレはちょっと怖かったんですよね。安定感が無さ過ぎて……。なので
「らっこれ!!」
と強硬主張&手を伸ばして問答無用で目の前の桃さんに抱っこしてもらいます。母上と橡は迷っていたようですが、時間がない事が最大の理由となって金さんと浦さんにそれぞれ別れて運んでもらう事になりました。
精霊様に抱きかかえられるなんて……と青くなっている二人ではありますが、たぶん男性の姿なのも戸惑う理由の大きな一つなんだろうなぁ……なんて推察してみたりもする私なのでした。
「姫様!! 姫様!!!!」
大きな声ではないものの、低く力強い声が岩屋が見えてきた辺りで私の耳にも聞こえてきました。今はもう岩屋の中には居ないようで、その周辺を山吹は捜索しているようです。私と橡を抱えた桃さんは、私達を岩屋の前に下ろすと
「うわぁ……こいつはすげぇな」
と呆れたように言いました。その視線の先には崖の岩壁から垂れ下がった蔓、そしてその奥には開け放たれたままの扉、更にその奥には剥がされた床板が転がっていました。
どこを探しているのか……。
「あの子ったら!」
横で同じように岩屋の中の惨状を見た橡が顔を真っ青にして、慌てて踵を返して山吹を探しに行きました。誰かが岩屋に入ったらしいという報を聞いてから、私の体内時計で30分強しか経っていないのですがこの惨状です。この世界の人のパワフルっぷりが恐ろしい……。
「山吹には申し訳ない事をしましたね……」
岩屋の惨状に驚きながらも、母上はそうせざるを得なかった山吹の心情を思っているようです。
「槐、櫻。私達も一緒に山吹を探しましょう」
そう言って母上は兄上や私と手を繋ぐと、山吹の姿を探して歩きだしました。
ちなみに母上も橡も兄上も、そして私も岩屋には決して入ろうとしませんでした。
……臭いがね……。
崖下の川を少し下り、川辺にある岩と岩の間の人一人が通れるような隙間を通り抜け、小さな崖というよりは土手を幾つか上ると少し開けた場所に出ました。半年程前まではこの先にある雑木林や野原で山菜や木の実や木苺を採ったりしたものですが、それらが随分と遠い昔のような気がします。
と、そんなのんびりした事を思えたのはここまででした。
「貴様は誰だ! 妖か!!」
「何を言っているのです、山吹。
あなた、熱でもあるのですか!」
山吹と橡が言い争っているような声が私達の所まで聞こえてきます。その声は何時もの二人とは全く違い、吃驚した母上が慌てて私を抱え上げると兄上の手を取って走りだしました。
「何事です!」
そう言って母上が駆け付けると、山吹は一瞬安堵の表情を浮かべた後に
「姫様、ご無事で!! どうか此方に!」
と切迫した声で自分の方へ来るようにと促しました。その山吹を見れば長旅の所為でかなり汚れていて、無精髭が伸び放題なうえに目だけがギラギラとしています。正直それだけでちょっと引くレベルで怖いのに、剣まで抜いて橡に突きつけていました。
「妖め! 例え母の姿を取ろうとも惑わされはしない!」
そう言いながらも山吹は母上と兄上を守るためなのか橡を威嚇します。何がどうなってるんだか……。しかもあろうことか
「姫……さま? おまえも姫様ではないな!!」
と母上にまで敵意を向ける始末。ちょっと山吹落ち着いて!!
「残念だったな、妖どもめ!!
確かに特徴は良く真似ているようだが、母はもっと歳をとっている!
それにお前も一般的には綺麗なのだろうが、姫様のお綺麗さは別格だ!!」
と自信満々に言いながら此方を睨みつけてくる山吹に、ようやく現状が理解できました。
毎日入る温泉では定期的にオイルマッサージに泥パック。
石鹸でしっかり汚れを落とした肌に化粧水で潤いばっちり!
栄養バランスの良い食事は三食しっかりと食べ、質も時間も充分な睡眠。
そんな生活を続けて約150日。
母上と橡の髪は風に軽やかに揺れてはその度に陽の光に輝き、肌は透き通るように美しく。そして表情までもが以前に比べてずっと穏やかになり、山吹からは別人のように見えているのだという事を。
ここ数日、兄上は朝の挨拶後に必ずこう聞くようになりました。それに対し母上は少しだけ苦笑した後
「そうねぇ、後10回ぐらい朝が来たら帰ってくると思うわ」
と答えます。そんなやりとりが毎朝恒例の光景となりました。
この世界にも関所というモノがあります。交通の要所や大きな川などに作られている関所は、通る際に身分証明と通行料が必要になります。間道を使って関所を通らずに移動する事も可能といえば可能なのですが、当然の事ながら関所破りは大罪です。また大きな都市に入る際には、関所で発行される移動証明書を提示する必要があり、その証明書で移動ルートにおかしな点はないか厳しく審査されます。
ただ、それらの審査が緩和される期間があります。
それが無の月の始まる前の10日間、こちらの世界で言う1旬間と終わった後の1旬間です。流石に関所破りはアウトですが、多くの人が一度に移動するため審査が簡略化され、通行料が無料になります。
昔は通行料をとっていたのですが、某国が他国よりも少しでも多くの、そして優れた職人を呼び込みたくて通行料無料政策をしたところ、それが大当たりしたのだとか。当然、他の国が黙ってみている訳がなく……。最終的に朝廷が調停に入って、全ての国が無の月の前後1旬間のみ関所の通行料を無料にして公平性を保つと決まったのだそうです。
また国境を越える為の関所は別ですが、辺境地区は関所そのものが少なくて関所と関所の間隔が広く、反対に大きな町や首都近辺には関所が多くなります。他にも高速道路のような感じで広くて整備された安全な道には関所が多く、逆に狭くて整備があまりされていない道は関所が少ないという傾向もあります。関所には常駐する兵士がいるので関所のある道の方が安全なのは道理です。
で、それの何が叔父上たちの帰還に関係するのかといえば、叔父上たちは少しでもお金を稼ぎ、少しでも出費を抑えようとしている訳です。なのでギリギリまで働いてお金を稼ぎ、関所の通行料が無料になる期間を狙って移動します。
なのでこの辺境の山から出稼ぎに行く叔父上たちは、都市部の絶対に通らないといけない関所までにかかる日数を逆算して出発し、帰りは逆に絶対に通らないといけない関所を通行料無料期間最終日に通るようにしているようです。去年は私を拾って帰りが少し遅くなった叔父上でしたが、だいたい水の陽月の半ば頃に帰ってくる計算になります。
……その計算のはずでした。
それは朝食を終え、みんながそれぞれ好きな飲み物を飲みながら今日の予定を話し合っていた時でした。不意に顔を上げ窓の外を見た金さんが
「岩屋に誰かが入ったようだぞ」
と言いだしたのです。その言葉に意味が良く分かっていない兄上以外に緊張が走ります。
「金様、どういうことでしょうか」
母上は持っていたマグカップを一度キュッと握ってからテーブルに置いて、金さんに問いかけます。その背後では橡も息を飲んで金さんの言葉を待っているようです。
「そなたらを此処に連れてくる際、ちょっとした仕掛けを施しておいた。
そうでなくば、そなたらの息子や弟が帰ってきた時に困るであろう?」
そう言う金さんに私は心の中でうんうんと頷きました。母上たちに此処に来てもらうにあたり、三太郎さんたちとは叔父上や山吹が戻ってきた時にどうするかという事は話し合ってありました。岩屋に誰かが入った事が解るような技能や物がないかと尋ねた私に、金さんがある物を持ってきてくれたのです。
それは二つの小石が連結されたような石でした。片方が赤紫色、もう片方が青緑色をしたその石は、色や形や大きさが前世で食べた事のある、垣根によく使われているイヌマキの実とよく似ていました。
双子石……そう呼ばれているこの石は不思議な性質を持っていて、片方の石が割れたり欠けたりすると、もう片方にもその衝撃が伝わって同じように割れたり欠けたりしてしまうのだそうです。
また2色の石のうち赤紫色の方は特に壊れやすく、ちょっとした衝撃で砕けてしまうのだとか。その為に加工には向かず、また色も血液を彷彿とさせるため嫌われており価値はほとんどありません。
その赤紫色をした小石を岩屋の入口、粗末な木戸を開けた先にある敷石の下に仕込んでもらいました。勿論そのままでは敷石の重さで割れてしまうので、ちょっとした細工は必要でしたが。
戻ってきた叔父上たちが木戸を開けて敷居をまたぎ敷石を踏む。するとその下にある双子石が割れて、もう片方を持つ金さんに異変を伝えるという仕組みです。
2つの石がどれだけ距離が離れていても割れるのかは不明なのですが、岩屋とこの拠点は崖などで行き来は難しいものの直線距離にすれば衝撃が伝わる範囲内なのは事前に実験済みです。
「若様が戻られたにしては早すぎませんか?」
橡が居間にある暦を見ながら言います。この山からなら山吹が向かった天都よりも、叔父上が向かったヤマト国の首都の方が少しだけ近いのです。ですが、その叔父上ですら帰ってくるには10日程早く、予想できない来訪者の存在に母上たちの顔色が一気に悪くなるのが解ります。
<誰が入ったかまでは解らないんだよね?>
心話で金さんに確認してみますが答えは予想通りで、あくまでも双子石の片割れが割れたとしか解りません。なので大き目の動物が入り込んでしまったのかもしれませんし、道に迷った人の可能性も母上たちの追手の可能性もあります。
「とにかく、一度様子を見てまいりましょう」
そう言って立ち上がってくれたのは浦さんでした。大型動物や追手の場合、母上たちが向かうには危険すぎます。それに浦さんなら姿を隠せるうえに、川のすぐ横のあの場所なら水の精霊が居てもおかしくないので一番良い人選です。
……いや、人選じゃなくて精霊選?
程なくして浦さんから金さんへ心話が届きました。流石に距離がありすぎて人間の私には浦さんの心話は聞こえません。
ちなみに精霊同士ならどれ程距離が離れていても聞こえるのかといえばそんな事はないらしく……。金さん曰く、精霊同士でもこんなにも離れていると聞き取りづらいし、これ以上離れたら聞こえなくなるだろうとの事でした。
その時にポツリと呟かれた「1年前なら間違いなく聞こえなかったであろうな」という金さんの言葉から察するに、気心が知れている相手とそうじゃない相手とで、聞こえる距離が変わってくるのかもしれません。
「浦が申すには、岩屋の中に入ったのは山吹のようだ。
橡、そなたの息子だな」
そう言うと、明らかに母上と橡がホッと安堵した表情になりました。
「あの子ったら……。こんなに早く戻ってくるなんて何かあったのかしら。
皆様、息子がお騒がせして申し訳ありません」
と橡は金さんや桃さん、それに母上に頭を下げます。
「どうやら、そなたらが直接出向いて姿を見せた方が良さそうだ。
狼狽し岩屋を壊しそうな勢いで姿を探しているらしい」
うわぁ……目に浮かぶようです。
本来なら叔父上たちが帰還する日を計算して、念の為に余裕を見て二日前ぐらいから日中は岩屋の近くで山菜摘みでもしながら待とうと思っていたんです。暗くなってからの移動は危ないので、叔父上たちが岩屋に戻るのは必ず明るくなってからだろうし、標高の違いからこの辺りはまだまだ雪が残っていますが、あの辺りの日当たりが良い場所なら雪はかなり溶けているようなので。三太郎さん経由で母上たちに提案して、母上たちもそのつもりで準備を進めていたのですが……。
「まぁ、大変! 急がなくては……。
金様申し訳ありませんが、どうか私と橡を連れて行ってくださいませんか?」
そう母上が慌てて立ち上がったところで、兄上が
「ははうえ! ぼくも いっしょにいきたいです!」
と、今までいつも一緒だった母上が自分を置いてどこかに行ってしまうと思った兄上が、慌てて立ち上がって母上にしがみつきました。
「みんなで一緒に行けば良いんじゃねーの?
おまえら4人ぐらいなら金と俺様とで運べるぜ?」
そう言う桃さんの言葉に、兄上は母上の足にしがみついたままうんうんと頷いています。置いてけぼりは何が何でも阻止したいようです。
「我はそれで構わぬが……。どうする? 抱きかかえて良いのか?
それとも以前のように何か運ぶための入れ物を用意するか??」
ここに連れてこられた時には巨大な貝殻に乗せられて運ばれた訳ですが、アレはちょっと怖かったんですよね。安定感が無さ過ぎて……。なので
「らっこれ!!」
と強硬主張&手を伸ばして問答無用で目の前の桃さんに抱っこしてもらいます。母上と橡は迷っていたようですが、時間がない事が最大の理由となって金さんと浦さんにそれぞれ別れて運んでもらう事になりました。
精霊様に抱きかかえられるなんて……と青くなっている二人ではありますが、たぶん男性の姿なのも戸惑う理由の大きな一つなんだろうなぁ……なんて推察してみたりもする私なのでした。
「姫様!! 姫様!!!!」
大きな声ではないものの、低く力強い声が岩屋が見えてきた辺りで私の耳にも聞こえてきました。今はもう岩屋の中には居ないようで、その周辺を山吹は捜索しているようです。私と橡を抱えた桃さんは、私達を岩屋の前に下ろすと
「うわぁ……こいつはすげぇな」
と呆れたように言いました。その視線の先には崖の岩壁から垂れ下がった蔓、そしてその奥には開け放たれたままの扉、更にその奥には剥がされた床板が転がっていました。
どこを探しているのか……。
「あの子ったら!」
横で同じように岩屋の中の惨状を見た橡が顔を真っ青にして、慌てて踵を返して山吹を探しに行きました。誰かが岩屋に入ったらしいという報を聞いてから、私の体内時計で30分強しか経っていないのですがこの惨状です。この世界の人のパワフルっぷりが恐ろしい……。
「山吹には申し訳ない事をしましたね……」
岩屋の惨状に驚きながらも、母上はそうせざるを得なかった山吹の心情を思っているようです。
「槐、櫻。私達も一緒に山吹を探しましょう」
そう言って母上は兄上や私と手を繋ぐと、山吹の姿を探して歩きだしました。
ちなみに母上も橡も兄上も、そして私も岩屋には決して入ろうとしませんでした。
……臭いがね……。
崖下の川を少し下り、川辺にある岩と岩の間の人一人が通れるような隙間を通り抜け、小さな崖というよりは土手を幾つか上ると少し開けた場所に出ました。半年程前まではこの先にある雑木林や野原で山菜や木の実や木苺を採ったりしたものですが、それらが随分と遠い昔のような気がします。
と、そんなのんびりした事を思えたのはここまででした。
「貴様は誰だ! 妖か!!」
「何を言っているのです、山吹。
あなた、熱でもあるのですか!」
山吹と橡が言い争っているような声が私達の所まで聞こえてきます。その声は何時もの二人とは全く違い、吃驚した母上が慌てて私を抱え上げると兄上の手を取って走りだしました。
「何事です!」
そう言って母上が駆け付けると、山吹は一瞬安堵の表情を浮かべた後に
「姫様、ご無事で!! どうか此方に!」
と切迫した声で自分の方へ来るようにと促しました。その山吹を見れば長旅の所為でかなり汚れていて、無精髭が伸び放題なうえに目だけがギラギラとしています。正直それだけでちょっと引くレベルで怖いのに、剣まで抜いて橡に突きつけていました。
「妖め! 例え母の姿を取ろうとも惑わされはしない!」
そう言いながらも山吹は母上と兄上を守るためなのか橡を威嚇します。何がどうなってるんだか……。しかもあろうことか
「姫……さま? おまえも姫様ではないな!!」
と母上にまで敵意を向ける始末。ちょっと山吹落ち着いて!!
「残念だったな、妖どもめ!!
確かに特徴は良く真似ているようだが、母はもっと歳をとっている!
それにお前も一般的には綺麗なのだろうが、姫様のお綺麗さは別格だ!!」
と自信満々に言いながら此方を睨みつけてくる山吹に、ようやく現状が理解できました。
毎日入る温泉では定期的にオイルマッサージに泥パック。
石鹸でしっかり汚れを落とした肌に化粧水で潤いばっちり!
栄養バランスの良い食事は三食しっかりと食べ、質も時間も充分な睡眠。
そんな生活を続けて約150日。
母上と橡の髪は風に軽やかに揺れてはその度に陽の光に輝き、肌は透き通るように美しく。そして表情までもが以前に比べてずっと穏やかになり、山吹からは別人のように見えているのだという事を。
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