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1章
1歳 -水の陽月3-
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母上や橡を妖だと思い込んでいるらしい山吹。その理由に心当たりは確かにあります。なのに何を言えば誤解が解けるのか、武器を持った山吹が怖くて頭の中が真っ白になってしまい何も思い浮かびません。
山吹はこちらを警戒して、こちらは山吹に何を言えば信じてもらえ橡に向けた武器を下ろしてもらえるのかを悩み、お互いが全く動けないまま一瞬のようで永遠のような時間が過ぎていきます。
どうすればと焦れば焦るほど何も思い浮かばないポンコツな頭が恨めしい……。
「おい」
そんな膠着した時間を動かしたのは、私の……というよりは私を抱えた母上の後ろから聞こえてきた声でした。その声はとても良く知っている声なのに、何時もとは全く違う威圧感に溢れています。
その声に山吹が反射的に剣を橡から母上に向けた次の瞬間、あっと思った時には山吹は橡によって地面に押さえつけられていました。見ていた私にも何が起こったのか理解できません。ただ解るのは現時点で山吹は地面に抑えつけられ、その山吹の背中に膝を乗せるようにして橡が乗っかっているという事だけです。
<何がどうなったの、コレ……>
「あぁ 櫻には見えていなかったのか。
橡を警戒していた山吹の意識が、剣先と同様に姫さんの方に向いたんだよ。
その瞬間に橡が一気に山吹の懐に潜り込んでわき腹に掌底打ち。
それで身体の軸がぶれたんだが、さらに追い打ちで足を払って体勢を崩し、
体勢を保つために不用意に伸ばされた腕を背中側にねじ上げ武器を落し、
そのまま背後から体重をかけて山吹を地面に組み伏せたってとこだな。」
思わず心話で呟いてしまった私の疑問に、背後からゆっくりと歩いてきた桃さんが答えてくれました。
先程、後ろから聞こえてきた声は桃さんのものでした。ただ何時もの頼りになるお兄さん的な声ではなく、凄みをきかせた声でしたが……。岩屋で私と橡を下ろしてくれた後、そのまま私達の背後を守るようについてきてくれていたようです。
それにしてもあの一瞬で山吹を組み伏せる事が出来るなんて、橡はかなり強いみたいですね。小説の中の橡は出番があまりなかったうえに、2部が始まると早々に退場してしまうので、武芸に秀でている印象は無かったのですが……。
桃さんが傍に来てくれた事にホッとした私でしたが、当然ながら山吹からすれば不審人物がさらに増えた訳で。
「貴様っ! 姫様をどこにやった!! 姫様たちは無事だろうな!」
と橡に抑え込まれながらも、此方を睨みつけてきます。それと同時に流石に女性の橡では男性の山吹を抑え込みきれなかったようで、橡も必死に抑え込んではいるのですが徐々に山吹が上体を持ち上げだしました。
「貴様ら全員、無事で済むと思うなっ!」
と山吹が言い放った瞬間、山吹の頭に凄い音をたてて拳骨が落ちました。
「いい加減になさい! 姫様と精霊様に何たる無礼ですかっ!」
そう言いながら再度拳骨が山吹に向かって落されたのですが、それは流石に山吹も回避しました。それでもまだ山吹は妖 (と思い込んでいる私達)を排除しようと、落した武器に手を伸ばそうとします。そんな山吹に、
「山吹。あなたは小さな頃からとても真面目な努力家でしたが、
少々思い込みの激しい所がありましたね……。
少し、落ち着きなさい。落ち着いて周りを良くご覧なさい」
そう穏やかに優しく諭すように母上が山吹に語り掛けました。
「仕方ないわねぇ」とでも言いたげな母上の苦笑に訝し気な視線をむけた山吹は、周囲を警戒しながらゆっくりと剣を拾いあげました。
「やーうき、おかえりなしゃ」
誤解を少しでも早く解きたくて、あの日呼びかけることができなかった名前を今ここで呼びかけます。ちょっと声が震えてしまっているのは許してほしいところです。
「おかえり、やまぶき! ぼくはちゃんとよいこにしていたぞっ!」
私が山吹に呼びかけたのを見た兄上も、同じように山吹に話しかけます。
母上の後ろに隠れながらだけれど。
いや、うん。気持ちはわかるよ。怖いよね、武器を向けられたら。
私と兄上が話しかけた事でようやく私達の存在に気付いたらしい山吹ですが、兄上はともかく、私の事はチラリと一瞬だけ視界に入れたかと思ったら露骨に視線を逸らされました。
……なんか、もう。山吹とは仲良くできる気がしない。
山吹の事、もう気遣わなくても良いかなぁ……なんて考えがチラリと頭をよぎります。でも母上や叔父上の大事な乳兄弟だし、橡の大事な息子です。出来れば仲良くしたいんだけど。
まっ、今は身の潔白?の証明が先ですね。三太郎さんを呼んで、三太郎さんから説明してもらうのが一番早いと思った私は、いつものように呼びかけます。
「うらしゃーーーーん、きんしゃーーーーーーーーん!」
ところが山吹は突然私が叫んだことに吃驚したようで、サッと剣が私へと向きました。
だから怖いって!!
その山吹の行動に橡が再び額に青筋を浮かべて怒り、母上は眉根を寄せて不快感を示します。ですがそれ以上に気分を害したのは三太郎さんたちでした。
いきなり目の前に金さんと浦さんが私を守るように現れて、私の視界は金さんの大きな背中で何も見えなくなります。そしてその金さんの背中の向う側で
「うわぁっ!?」
と今までで一番大きな山吹の叫び声が上がりました。
ちょっと、何やったのっ?!
そういえば、側に居たはずの桃さんが居ない!?
と、あたふたと状況確認をしていたら、右斜め前方に居た浦さんがサッと私達の背後に回り込みました。そのまま私達のずっと後方を睨みつけます。それと同時に私の耳にも近づいてくる人の足音が聞こえてきました。
「今の叫び声は何だ、何があった?!」
そう言ってその場に乱入してきたのは、無精髭で若干顔が解りづらいですが叔父上でした。
何、このカオス……。
「申し訳ございませんっっ!!」
おぉぅ、この世界にも土下座ってあるんですね。
そういえば土下座って何で土下座って言うんだろうって子供の頃に調べた事があるんですよ。だって土の下に座ったら、それはもう座るじゃなくて埋まるなんじゃないかと思った訳ですね、小学生の頃の私は。
翌日、担任の先生と一緒に図書室で調べて分かった事は、土下座という言葉は
「土+下+座」という言葉じゃなくて「土+下座」という言葉だという事と、魏志倭人伝にすら載っている伝統ある姿勢だという事でした。
まぁ、そんな逃避をしていても、目の前の光景は変わらないんですけどね。
母上に抱っこされたまま遠くを見ていた視線を前方へと移せば、地面に額をこすりつけんばかりに平伏して母上に謝り倒している山吹と、その横で両腕を腰に当てて仁王立ちしている橡が見えます。今の橡はちょっと怖くて声がかけられない程の迫力というか威圧感に満ちていて、
「山吹、今日程お前を情けなく思った事はありません」
という言葉はとても淡々としていて静かなのに、そのうえ私に向けられた言葉じゃないのに身体がブルッと震えるぐらいに怖いです。
そして土下座こそしていないものの、少し肩身が狭そうに小さくなっているのは叔父上です。乱入した直後に
「姉上、ご無事ですか! ……あれ? 姉……う……え……ですよね?」
と途中から疑問形と言えば良いのか、言葉の調子が弱々しくなってしまう叔父上。
それに対し母上が
「どういう意味かしら? 令法」
「い、いえ。とてもお元気そうで驚いただけです。
昨年は私が戻った時分には顔色がとても悪く……
今年は大丈夫だろうかと大和に居る間も心配しておりましたので。
ですが、随分とお元気で安心致しました」
「まぁ、そういう事にしておきましょう」
なんてやり取りがありました。どうも母上が叔父上を昔の名前で呼ぶときは、叔父上相手に怒っている時のようです。
その直後にいきなり山吹の土下座になった訳です。
母上と叔父上が話している間に、橡が山吹にざっくりと三太郎さんが精霊である事を説明し、山吹も大人4人の中では一番霊格が低い……というよりは浦さん曰く、見る力が4人の中では一番弱いけれど全く見れない訳ではないので、三太郎さんをしっかりと見た結果が快速土下座でした。
いや、もうほんと。何処から突っ込もう。
とりあえず何時までも此処にいる理由はないですし、何より叔父上と山吹にも早く休んで欲しいので拠点に戻るように話しを持っていきたいところです。
<金さん、例のアレを使って拠点に戻ろう。なんだか疲れたから戻って休みたい。
母上や叔父上たちに戻るように促してもらえないかな?>
<承知した。
……が、あの二人には先ずは徹底的に清めてもらうぞ?
あんなに汚れた二人を家には入れたくない>
<解ってる……。
解ってるんだけど、入浴に関する色々を教えるのが大変そうで……>
母上や橡に教えた時、あの時ですら精魂尽き果ててしまった覚えがあります。しかも今度はそれを叔父上たち相手にやらなくてはならない訳です。
というか、何よりも叔父上のたちの裸を見たくないんですがっ!!
<金さん、叔父上たちに教えるの変わって?>
<断る>
<浦さん、かわ <申し訳ありませんが……>
浦さんが最後まで言わせてくれないぃ!
そして、桃さんは早々に逃げました。
全員(桃さんを除く)で歩いて戻る途中で叔父上と山吹が乗ってきた馬を確保し、そのまま岩屋へと戻りました。岩屋の中はとても暗く、外が明るい事もあって中の様子は入口付近しか見えていなかったのですが、剥がされて放り投げられたであろう床板の奥には床下に入れてあった竹炭が散乱していたようです。
「戻ってきたら何もかもが一切なく……。
しかもそうなったのがここ数日の事ではない様子に焦ってしまったのです。
床下に隠してどこかに身を隠されたのかと思って床板を剥がしてみれば
大量の炭があり、最悪の事態が頭をよぎって取り乱してしまいました。
本当に申し訳ありません」
岩屋の中をぐちゃぐちゃにした張本人の山吹の言葉に、あぁそれは仕方ないよねと心の中で頷いてしまう私です。それに対し
「お前が焦る気持ちは解ります。
ですが、そもそも何故こんなに早く戻ってきたのです?
予定通りに戻っていれば、ちゃんと私達も此方で待つ算段でしたのに」
という橡の言葉にも心の中でウンウンと頷いて同意してします。このカオスな騒動の全ての発端は山吹と叔父上の帰還が早かったからに他なりません。
「そ……それは……」
そんな橡のツッコミに視線を微かに逸らす山吹。あぁ、コレ。私関連だな。
山吹は解りやすいなぁ……。
「そういえば山吹だけでなく鬱金も随分と早かったのですね。
予定では戻るのは10日程先でしたのに、何かあったのですか?」
「少々思うところがありまして。まぁ……その話は落ち着いてから」
橡親子の会話に母上も思うところがあったのか、叔父上に何かあったのかと尋ねます。ただ特に何か変わった事があったという訳ではなく、ちょっと気になる事があったからだという叔父上。大和で何かあったのかなぁ??
そんな話しをしながらも岩屋を後にし、川の中をざぶざぶと上流に向かって歩いていきます。川の中を歩くのは自分たちの歩いた痕跡を残さない為なのですが、子供の兄上と私にとって川の中を歩くのはかなりの重労働かつ危険な行為です。それに今の時期は雪解け水が流れ込んでいる所為で水温が低く、なおさら危険です。なので兄上は橡が、私は母上が抱っこしてくれていたのですが、母上も1歳児の体重を抱えて歩くのは大変そうです。それに気づいた叔父上が
「櫻、こっちにおいで」
と手を差し出してくれたのですが、内心で(ごめんなさいっ!)と謝りながらも母上の首にしがみつくようにして背を向けて拒絶しました。
「あれ? 櫻。 叔父上だよ?」
慌てて叔父上が私の顔を覗き込もうとするのですが、それを母上の首元に顔をうずめるようにして断固拒否の姿勢です。
「あら、お嬢ちゃまは人見知りが始まったようですね」
そんな光景を見た橡が、微笑ましいと言わんばかりにニコニコ笑顔でフォローを入れてくれました。
「そ、そういえば、そんな頃合だったね。
槐の時は毎日一緒に居られたから、
こんなに嫌がられた事は無かったんだが……」
しょんぼりといった声色の叔父上に、申し訳なくて仕方がありません。
ですが……
ごめん、叔父上!
今の叔父上と山吹は汚れと臭いが酷くて近づきたくないんです!
結局、問答無用で呼び戻した桃さんに抱っこされる事になった私です。甘いもの好きの桃さんにとって、おやつ抜きはダメージが大きかったようですね。そして川の中を歩くのは大人でも疲れるので、兄上も橡ではなく金さんに抱っこされる事になりました。
体感時間20分といったところでしょうか、それぐらい川を遡ると大量の水が流れ落ちる音が聞こえてきました。滝まで後もう少しのようです。
その滝はかなりの高さがあり、岩の上を流れてくるタイプではなく真っ直ぐ下に落ちるタイプの滝でした。流れ落ちる水の幅は、ざっと7~8m程でしょうか。水量がかなり豊富なうえに光の加減もあって、流れ落ちる水の向う側を見る事はできません。そこに目をつけて、金さんが半年近くをかけて作り上げた物がその先にあります。
滝つぼをぐるっ回り込むようにして滝の裏側へと向かいます。
雪解け水の冷たい水しぶきが顔にかかるのが難点ですが、仕方がないと割り切って滝の裏側に入ると、そこは一見自然にできた空洞のように見える狭い空間が広がっていました。その壁際には無数のツタやらシダやら良く分からない植物が繁っているのですが、大量のツタで見えないようになっているその向う側、そこが隠し通路の入口です。
そこに先ずは私を抱えた桃さんが入りました。それと同時に桃さんが技能「発光」を籠めた霊石を私に渡してくれたので、それを掲げて事前に決めておいた技能が発動する言葉を唱えます。その霊石に照らされた洞穴の壁や床はとても自然な感じで、人工的に作られたモノとはとても思えません。
その後は兄上を抱っこした金さんが先導しながら奥へと進みます。迷路のようになっている隠し通路を金さんは悩む事なく進んでいきます。金さんのすぐ後ろ……というよりはほぼ横に私と桃さん。その後ろに橡や母上に浦さん。さらにその後ろに叔父上とその馬、そして一番後ろを山吹とその馬と並んで奥へと進みます。
洞穴に入ってくれるか、入ったとしても大人しくついてきてくれるかどうか心配だった馬も、叔父上や山吹が宥めながらとはいえちゃんとついてきてくれて安心しました。もし馬が洞穴に入るのを嫌がったら、金さんに担いで飛んでもらおうなんて冗談で言っていたのですが、本当にならなくて良かったです。
以前に金さんから聞いた話だと、この洞穴は途中からは自然の洞窟を利用しているはずなのですが、その境や違いは目を凝らして見ても私にはわかりません。そんな洞窟の中をずんずんと進んでいくと外から聞こえていた滝の音が徐々に小さくなっていき、さらに奥へと進むと今度は進行方向から滝の音が聞こえてきました。
その滝の音に向かって歩いていくと、そこには巨大な地底湖がありました。桃さんから渡された「発光」の霊石はそこそこの範囲を明るく照らしてくれているのですが、それでも向う岸が見えないぐらいの大きさです。その地底湖に遥か高い場所から水が流れ落ちている音が、先程から聞こえていた滝の音の発生源でした。
そのまま地底湖の淵に沿って反時計回りに奥へと進むと巨大な岩壁に辿り着きました。行き止まり=到着かと思いきや、今度はその岩壁に右手をつきながら、湖に大人たちの膝まで浸かりつつ進みます。すると丁度大空洞への入口からは巨大な岩壁に隠れて死角になっている位置で、再び全員が水から上がって休める程度の広さがある場所に出ました。この先は再び湖と巨大な岩壁があり、この小さな広場から先は湖も深くて進めないようです。
「浦、頼んだ」
全員がそこに辿り着いた事を確認した金さんが言葉少なに言えば、浦さんは「わかりました」と一言だけの返事を残してスッと消えました。母上や兄上、橡にとってはすでに見慣れた光景なのですが、叔父上たちは目の前で急に消えてしまった浦さんに狼狽えてしまいます。
と、先程まで聞こえていた地底湖に流れ落ちる水の音が急に止みました。さらにそのまま待ち続けると、遥か上の方から言葉にしづらい音が聞こえてきます。重たいモノを引き摺るような音と微かな水音が合わさったような音です。
「大丈夫だとは思うが、念の為もう少し下がれ」
と金さんが行き止まりのはずの深い湖から離れるように指示する頃には、目の良い桃さんには見え始めてきたようです。
「おっ、きたきたっ。すっげーよな、これ」
そう心底楽しそうに、まるで玩具を前にした小さな男の子のような表情の桃さん。少し経てば母上や叔父上たちにも見えてきたようです。それは巨大な床でした。
「はぁぁ?!!」
叔父上が珍しく素っ頓狂な声を上げますが、まぁ気持ちはわかります。4m四方はありそうな巨大な床が自分たちの方に向かって徐々に迫ってくるのですから。
これが金さんと浦さんが多大な労力と時間をかけて作ってくれた施設の
インクラインです
ん? 人も運ぶからケーブルカーかな??
山吹はこちらを警戒して、こちらは山吹に何を言えば信じてもらえ橡に向けた武器を下ろしてもらえるのかを悩み、お互いが全く動けないまま一瞬のようで永遠のような時間が過ぎていきます。
どうすればと焦れば焦るほど何も思い浮かばないポンコツな頭が恨めしい……。
「おい」
そんな膠着した時間を動かしたのは、私の……というよりは私を抱えた母上の後ろから聞こえてきた声でした。その声はとても良く知っている声なのに、何時もとは全く違う威圧感に溢れています。
その声に山吹が反射的に剣を橡から母上に向けた次の瞬間、あっと思った時には山吹は橡によって地面に押さえつけられていました。見ていた私にも何が起こったのか理解できません。ただ解るのは現時点で山吹は地面に抑えつけられ、その山吹の背中に膝を乗せるようにして橡が乗っかっているという事だけです。
<何がどうなったの、コレ……>
「あぁ 櫻には見えていなかったのか。
橡を警戒していた山吹の意識が、剣先と同様に姫さんの方に向いたんだよ。
その瞬間に橡が一気に山吹の懐に潜り込んでわき腹に掌底打ち。
それで身体の軸がぶれたんだが、さらに追い打ちで足を払って体勢を崩し、
体勢を保つために不用意に伸ばされた腕を背中側にねじ上げ武器を落し、
そのまま背後から体重をかけて山吹を地面に組み伏せたってとこだな。」
思わず心話で呟いてしまった私の疑問に、背後からゆっくりと歩いてきた桃さんが答えてくれました。
先程、後ろから聞こえてきた声は桃さんのものでした。ただ何時もの頼りになるお兄さん的な声ではなく、凄みをきかせた声でしたが……。岩屋で私と橡を下ろしてくれた後、そのまま私達の背後を守るようについてきてくれていたようです。
それにしてもあの一瞬で山吹を組み伏せる事が出来るなんて、橡はかなり強いみたいですね。小説の中の橡は出番があまりなかったうえに、2部が始まると早々に退場してしまうので、武芸に秀でている印象は無かったのですが……。
桃さんが傍に来てくれた事にホッとした私でしたが、当然ながら山吹からすれば不審人物がさらに増えた訳で。
「貴様っ! 姫様をどこにやった!! 姫様たちは無事だろうな!」
と橡に抑え込まれながらも、此方を睨みつけてきます。それと同時に流石に女性の橡では男性の山吹を抑え込みきれなかったようで、橡も必死に抑え込んではいるのですが徐々に山吹が上体を持ち上げだしました。
「貴様ら全員、無事で済むと思うなっ!」
と山吹が言い放った瞬間、山吹の頭に凄い音をたてて拳骨が落ちました。
「いい加減になさい! 姫様と精霊様に何たる無礼ですかっ!」
そう言いながら再度拳骨が山吹に向かって落されたのですが、それは流石に山吹も回避しました。それでもまだ山吹は妖 (と思い込んでいる私達)を排除しようと、落した武器に手を伸ばそうとします。そんな山吹に、
「山吹。あなたは小さな頃からとても真面目な努力家でしたが、
少々思い込みの激しい所がありましたね……。
少し、落ち着きなさい。落ち着いて周りを良くご覧なさい」
そう穏やかに優しく諭すように母上が山吹に語り掛けました。
「仕方ないわねぇ」とでも言いたげな母上の苦笑に訝し気な視線をむけた山吹は、周囲を警戒しながらゆっくりと剣を拾いあげました。
「やーうき、おかえりなしゃ」
誤解を少しでも早く解きたくて、あの日呼びかけることができなかった名前を今ここで呼びかけます。ちょっと声が震えてしまっているのは許してほしいところです。
「おかえり、やまぶき! ぼくはちゃんとよいこにしていたぞっ!」
私が山吹に呼びかけたのを見た兄上も、同じように山吹に話しかけます。
母上の後ろに隠れながらだけれど。
いや、うん。気持ちはわかるよ。怖いよね、武器を向けられたら。
私と兄上が話しかけた事でようやく私達の存在に気付いたらしい山吹ですが、兄上はともかく、私の事はチラリと一瞬だけ視界に入れたかと思ったら露骨に視線を逸らされました。
……なんか、もう。山吹とは仲良くできる気がしない。
山吹の事、もう気遣わなくても良いかなぁ……なんて考えがチラリと頭をよぎります。でも母上や叔父上の大事な乳兄弟だし、橡の大事な息子です。出来れば仲良くしたいんだけど。
まっ、今は身の潔白?の証明が先ですね。三太郎さんを呼んで、三太郎さんから説明してもらうのが一番早いと思った私は、いつものように呼びかけます。
「うらしゃーーーーん、きんしゃーーーーーーーーん!」
ところが山吹は突然私が叫んだことに吃驚したようで、サッと剣が私へと向きました。
だから怖いって!!
その山吹の行動に橡が再び額に青筋を浮かべて怒り、母上は眉根を寄せて不快感を示します。ですがそれ以上に気分を害したのは三太郎さんたちでした。
いきなり目の前に金さんと浦さんが私を守るように現れて、私の視界は金さんの大きな背中で何も見えなくなります。そしてその金さんの背中の向う側で
「うわぁっ!?」
と今までで一番大きな山吹の叫び声が上がりました。
ちょっと、何やったのっ?!
そういえば、側に居たはずの桃さんが居ない!?
と、あたふたと状況確認をしていたら、右斜め前方に居た浦さんがサッと私達の背後に回り込みました。そのまま私達のずっと後方を睨みつけます。それと同時に私の耳にも近づいてくる人の足音が聞こえてきました。
「今の叫び声は何だ、何があった?!」
そう言ってその場に乱入してきたのは、無精髭で若干顔が解りづらいですが叔父上でした。
何、このカオス……。
「申し訳ございませんっっ!!」
おぉぅ、この世界にも土下座ってあるんですね。
そういえば土下座って何で土下座って言うんだろうって子供の頃に調べた事があるんですよ。だって土の下に座ったら、それはもう座るじゃなくて埋まるなんじゃないかと思った訳ですね、小学生の頃の私は。
翌日、担任の先生と一緒に図書室で調べて分かった事は、土下座という言葉は
「土+下+座」という言葉じゃなくて「土+下座」という言葉だという事と、魏志倭人伝にすら載っている伝統ある姿勢だという事でした。
まぁ、そんな逃避をしていても、目の前の光景は変わらないんですけどね。
母上に抱っこされたまま遠くを見ていた視線を前方へと移せば、地面に額をこすりつけんばかりに平伏して母上に謝り倒している山吹と、その横で両腕を腰に当てて仁王立ちしている橡が見えます。今の橡はちょっと怖くて声がかけられない程の迫力というか威圧感に満ちていて、
「山吹、今日程お前を情けなく思った事はありません」
という言葉はとても淡々としていて静かなのに、そのうえ私に向けられた言葉じゃないのに身体がブルッと震えるぐらいに怖いです。
そして土下座こそしていないものの、少し肩身が狭そうに小さくなっているのは叔父上です。乱入した直後に
「姉上、ご無事ですか! ……あれ? 姉……う……え……ですよね?」
と途中から疑問形と言えば良いのか、言葉の調子が弱々しくなってしまう叔父上。
それに対し母上が
「どういう意味かしら? 令法」
「い、いえ。とてもお元気そうで驚いただけです。
昨年は私が戻った時分には顔色がとても悪く……
今年は大丈夫だろうかと大和に居る間も心配しておりましたので。
ですが、随分とお元気で安心致しました」
「まぁ、そういう事にしておきましょう」
なんてやり取りがありました。どうも母上が叔父上を昔の名前で呼ぶときは、叔父上相手に怒っている時のようです。
その直後にいきなり山吹の土下座になった訳です。
母上と叔父上が話している間に、橡が山吹にざっくりと三太郎さんが精霊である事を説明し、山吹も大人4人の中では一番霊格が低い……というよりは浦さん曰く、見る力が4人の中では一番弱いけれど全く見れない訳ではないので、三太郎さんをしっかりと見た結果が快速土下座でした。
いや、もうほんと。何処から突っ込もう。
とりあえず何時までも此処にいる理由はないですし、何より叔父上と山吹にも早く休んで欲しいので拠点に戻るように話しを持っていきたいところです。
<金さん、例のアレを使って拠点に戻ろう。なんだか疲れたから戻って休みたい。
母上や叔父上たちに戻るように促してもらえないかな?>
<承知した。
……が、あの二人には先ずは徹底的に清めてもらうぞ?
あんなに汚れた二人を家には入れたくない>
<解ってる……。
解ってるんだけど、入浴に関する色々を教えるのが大変そうで……>
母上や橡に教えた時、あの時ですら精魂尽き果ててしまった覚えがあります。しかも今度はそれを叔父上たち相手にやらなくてはならない訳です。
というか、何よりも叔父上のたちの裸を見たくないんですがっ!!
<金さん、叔父上たちに教えるの変わって?>
<断る>
<浦さん、かわ <申し訳ありませんが……>
浦さんが最後まで言わせてくれないぃ!
そして、桃さんは早々に逃げました。
全員(桃さんを除く)で歩いて戻る途中で叔父上と山吹が乗ってきた馬を確保し、そのまま岩屋へと戻りました。岩屋の中はとても暗く、外が明るい事もあって中の様子は入口付近しか見えていなかったのですが、剥がされて放り投げられたであろう床板の奥には床下に入れてあった竹炭が散乱していたようです。
「戻ってきたら何もかもが一切なく……。
しかもそうなったのがここ数日の事ではない様子に焦ってしまったのです。
床下に隠してどこかに身を隠されたのかと思って床板を剥がしてみれば
大量の炭があり、最悪の事態が頭をよぎって取り乱してしまいました。
本当に申し訳ありません」
岩屋の中をぐちゃぐちゃにした張本人の山吹の言葉に、あぁそれは仕方ないよねと心の中で頷いてしまう私です。それに対し
「お前が焦る気持ちは解ります。
ですが、そもそも何故こんなに早く戻ってきたのです?
予定通りに戻っていれば、ちゃんと私達も此方で待つ算段でしたのに」
という橡の言葉にも心の中でウンウンと頷いて同意してします。このカオスな騒動の全ての発端は山吹と叔父上の帰還が早かったからに他なりません。
「そ……それは……」
そんな橡のツッコミに視線を微かに逸らす山吹。あぁ、コレ。私関連だな。
山吹は解りやすいなぁ……。
「そういえば山吹だけでなく鬱金も随分と早かったのですね。
予定では戻るのは10日程先でしたのに、何かあったのですか?」
「少々思うところがありまして。まぁ……その話は落ち着いてから」
橡親子の会話に母上も思うところがあったのか、叔父上に何かあったのかと尋ねます。ただ特に何か変わった事があったという訳ではなく、ちょっと気になる事があったからだという叔父上。大和で何かあったのかなぁ??
そんな話しをしながらも岩屋を後にし、川の中をざぶざぶと上流に向かって歩いていきます。川の中を歩くのは自分たちの歩いた痕跡を残さない為なのですが、子供の兄上と私にとって川の中を歩くのはかなりの重労働かつ危険な行為です。それに今の時期は雪解け水が流れ込んでいる所為で水温が低く、なおさら危険です。なので兄上は橡が、私は母上が抱っこしてくれていたのですが、母上も1歳児の体重を抱えて歩くのは大変そうです。それに気づいた叔父上が
「櫻、こっちにおいで」
と手を差し出してくれたのですが、内心で(ごめんなさいっ!)と謝りながらも母上の首にしがみつくようにして背を向けて拒絶しました。
「あれ? 櫻。 叔父上だよ?」
慌てて叔父上が私の顔を覗き込もうとするのですが、それを母上の首元に顔をうずめるようにして断固拒否の姿勢です。
「あら、お嬢ちゃまは人見知りが始まったようですね」
そんな光景を見た橡が、微笑ましいと言わんばかりにニコニコ笑顔でフォローを入れてくれました。
「そ、そういえば、そんな頃合だったね。
槐の時は毎日一緒に居られたから、
こんなに嫌がられた事は無かったんだが……」
しょんぼりといった声色の叔父上に、申し訳なくて仕方がありません。
ですが……
ごめん、叔父上!
今の叔父上と山吹は汚れと臭いが酷くて近づきたくないんです!
結局、問答無用で呼び戻した桃さんに抱っこされる事になった私です。甘いもの好きの桃さんにとって、おやつ抜きはダメージが大きかったようですね。そして川の中を歩くのは大人でも疲れるので、兄上も橡ではなく金さんに抱っこされる事になりました。
体感時間20分といったところでしょうか、それぐらい川を遡ると大量の水が流れ落ちる音が聞こえてきました。滝まで後もう少しのようです。
その滝はかなりの高さがあり、岩の上を流れてくるタイプではなく真っ直ぐ下に落ちるタイプの滝でした。流れ落ちる水の幅は、ざっと7~8m程でしょうか。水量がかなり豊富なうえに光の加減もあって、流れ落ちる水の向う側を見る事はできません。そこに目をつけて、金さんが半年近くをかけて作り上げた物がその先にあります。
滝つぼをぐるっ回り込むようにして滝の裏側へと向かいます。
雪解け水の冷たい水しぶきが顔にかかるのが難点ですが、仕方がないと割り切って滝の裏側に入ると、そこは一見自然にできた空洞のように見える狭い空間が広がっていました。その壁際には無数のツタやらシダやら良く分からない植物が繁っているのですが、大量のツタで見えないようになっているその向う側、そこが隠し通路の入口です。
そこに先ずは私を抱えた桃さんが入りました。それと同時に桃さんが技能「発光」を籠めた霊石を私に渡してくれたので、それを掲げて事前に決めておいた技能が発動する言葉を唱えます。その霊石に照らされた洞穴の壁や床はとても自然な感じで、人工的に作られたモノとはとても思えません。
その後は兄上を抱っこした金さんが先導しながら奥へと進みます。迷路のようになっている隠し通路を金さんは悩む事なく進んでいきます。金さんのすぐ後ろ……というよりはほぼ横に私と桃さん。その後ろに橡や母上に浦さん。さらにその後ろに叔父上とその馬、そして一番後ろを山吹とその馬と並んで奥へと進みます。
洞穴に入ってくれるか、入ったとしても大人しくついてきてくれるかどうか心配だった馬も、叔父上や山吹が宥めながらとはいえちゃんとついてきてくれて安心しました。もし馬が洞穴に入るのを嫌がったら、金さんに担いで飛んでもらおうなんて冗談で言っていたのですが、本当にならなくて良かったです。
以前に金さんから聞いた話だと、この洞穴は途中からは自然の洞窟を利用しているはずなのですが、その境や違いは目を凝らして見ても私にはわかりません。そんな洞窟の中をずんずんと進んでいくと外から聞こえていた滝の音が徐々に小さくなっていき、さらに奥へと進むと今度は進行方向から滝の音が聞こえてきました。
その滝の音に向かって歩いていくと、そこには巨大な地底湖がありました。桃さんから渡された「発光」の霊石はそこそこの範囲を明るく照らしてくれているのですが、それでも向う岸が見えないぐらいの大きさです。その地底湖に遥か高い場所から水が流れ落ちている音が、先程から聞こえていた滝の音の発生源でした。
そのまま地底湖の淵に沿って反時計回りに奥へと進むと巨大な岩壁に辿り着きました。行き止まり=到着かと思いきや、今度はその岩壁に右手をつきながら、湖に大人たちの膝まで浸かりつつ進みます。すると丁度大空洞への入口からは巨大な岩壁に隠れて死角になっている位置で、再び全員が水から上がって休める程度の広さがある場所に出ました。この先は再び湖と巨大な岩壁があり、この小さな広場から先は湖も深くて進めないようです。
「浦、頼んだ」
全員がそこに辿り着いた事を確認した金さんが言葉少なに言えば、浦さんは「わかりました」と一言だけの返事を残してスッと消えました。母上や兄上、橡にとってはすでに見慣れた光景なのですが、叔父上たちは目の前で急に消えてしまった浦さんに狼狽えてしまいます。
と、先程まで聞こえていた地底湖に流れ落ちる水の音が急に止みました。さらにそのまま待ち続けると、遥か上の方から言葉にしづらい音が聞こえてきます。重たいモノを引き摺るような音と微かな水音が合わさったような音です。
「大丈夫だとは思うが、念の為もう少し下がれ」
と金さんが行き止まりのはずの深い湖から離れるように指示する頃には、目の良い桃さんには見え始めてきたようです。
「おっ、きたきたっ。すっげーよな、これ」
そう心底楽しそうに、まるで玩具を前にした小さな男の子のような表情の桃さん。少し経てば母上や叔父上たちにも見えてきたようです。それは巨大な床でした。
「はぁぁ?!!」
叔父上が珍しく素っ頓狂な声を上げますが、まぁ気持ちはわかります。4m四方はありそうな巨大な床が自分たちの方に向かって徐々に迫ってくるのですから。
これが金さんと浦さんが多大な労力と時間をかけて作ってくれた施設の
インクラインです
ん? 人も運ぶからケーブルカーかな??
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