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3章
16歳 -火の極日7-
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この世にある全てのお城がそうなのかは解りませんが、ヒノモト国の王城は台所が大小合わせて両手の指の数以上もあるのだそうです。私が連れてこられた台所はその中でも一番小規模なもので、王族や城勤めの人たちの食事を作る為の台所というよりは、来客用のお茶やお菓子を用意するための台所との事でした。
その台所の中央には厳重に鍵がかけられた井戸が1本あり、外に面している壁際にはまだ熱が残っている竃が3基ありました。他にも板の間には囲炉裏3基やテーブルが規則正しく配置されています。そして右手の壁際には食器棚が並び、左手の壁には食品庫なのか隣室へと繋がっていると思われる扉が一つありました。
「海水は汲みに行かせているゆえ、間もなく届くはずだ」
そう言いながら扉付近に陣取っているのは梯梧殿下です。その横では皐月姫殿下が腕を組みこちらを睨みつけていました。そんな2人に対し、緋桐殿下は私のすぐ横で、
「大丈夫か? 櫻嬢が嘘を言っているとは欠片も思っていないが、
いきなり作れと言われてすぐに出来るものなのか??」
と心配そうに尋ねてきます。
「大丈夫ですよ。大量に作れと言われたらちょっと無理ですが、
今回は数人が味見出来る程度の量が出来れば良いだけですから」
そう答えるものの、問題が全く無い訳ではありません。桃さんの力を借りずに塩を作る場合、問題となるのは時間よりも燃料です。
国土の大半が砂漠を含む乾燥地のヒノモト国ですが、全く植物が生えていない訳ではありません。水場の近くには塩莎草と呼ばれる前世の葦のような、でも例によって葦より数倍は大きくて極太の草が密集して生えていますし、砂しかないような浜辺ですら莎草と呼ばれる塩莎草と似た草が生えています。この国ではそれらを燃料として使っているのですが、当然ながら無尽蔵に使える資源ではありません。一年中次から次へと生えてはくるのですが、それでも国民全員が好きなだけ刈取り続けたらどうなるかなんて考えるまでもありません。幸いなことにヒノモト国では無の月になっても暖を取る必要が無いため、なんとか草類の燃料でもやっていけているようです。
これら以外にも、ヒノモト国で沢山作られている麦からとれるワラやもみ殻も燃料として使っています。ただ前世のように稲わらや麦わらやもみ殻からバイオ燃料を製造するなんて技術がこの世界にある訳がなく、乾燥させた草類を燃やすだけなんです。そんな方法では効率が悪くて当たり前で、あっという間に火は燃えあがりますが、同じぐらいあっさりと火は消えてしまいます。
なのでヒノモト国の料理にはコトコトと煮込むようなものはほとんど無く、さっと炙ったり焼いたりするような料理が殆どです。ですが製塩にはどうしても海水を長時間、沸騰させ続ける必要があります。
「ただ燃料をそれなりに使う事になりますが……」
「必要なモノはこちら側で用意するから心配致すな。
それで燃料以外には何が必要になるのだ?」
私と緋桐殿下の話しを聞いていた梯梧殿下が声をかけてきました。緋桐殿下と違って梯梧殿下の声は、いわゆるイケボという括りには入らないのでしょうが、耳にスッと入ってくる不思議な声をしています。
「ここにある鍋等を使わせて頂けるのなら、
後は綺麗で目の細かい布を3、いえ6枚お借り致したく存じます」
本当はコーヒーフィルターのような濾紙があれば一番なのですが、紙自体が貴重品のこの世界では用意できるはずがありません。だから布で代用するしかないのですが、私たちが拠点で使っている土蜘蛛の糸から造られた布をここで使う訳にもいきません。土蜘蛛の糸を加工した艶糸から作られた布なら3枚で十分なのですが、用意される布の目が粗い事を想定して二枚重ねて使用する事にします。
「何よ、我が国で作っている方法と同じなんじゃないっ!」
布の用意をお願いした所で、皐月姫殿下がイライラとした感情をそのまま言葉にして吐き出しました。まぁ確かに用意する物には大差ないと思います。
「はい、特殊な道具は必要ありませんので
明日からでも貴国で作る事が可能に御座います」
皐月姫殿下のトゲトゲしい言動が気にならないレベルで、自分の敬語の危うさが恨めしくて仕方がありません。碧宮家再興なんて絶対にしないうえに、私自身は華族とも王族とも関わる気が皆無だったので、その手の勉強は最低限しかしていなかったのですが、母上にお願いしてもう少し時間を増やすべきかもしれません。
今まで出会った王族や華族のみんなは「櫻嬢はそれで良いよ」と言ってくれたのでそれに甘えてきましたが、流石にもう甘えていられる年齢じゃないですし……。
ようやく海水が届き、竃の前で火種を大きくする準備をしていたら
<おい、櫻。その食器棚の裏に男が2人隠れているぞ。
あと反対の壁、隣の部屋に通じていると見せかけて小さな小部屋がある。
そこにも3名隠れている。どうする?>
桃さんがこっそりと心話で話しかけてきました。どうする?と聞かれたところで困ってしまいますが、十中八九ヒノモト国の志能備の人たちでしょうし、そんなプロフェッショナルな人に私が気付くのもおかしな話です。変に警戒されても困りますし、知らんぷりするに限ります。
<何か事を起こしたら別だけど、こっちを監視しているだけなら放置かな>
<ふーん、お前がそう言うのならそうするが、
俺様は影でこそこそと何かをしているようなヤツらは大嫌いだな>
<ふふ、そんな事を言ったら心話で内緒話をしている私達も同じじゃない?>
思わずそう心の中で笑いながら返したら、案の定
<俺様たちは違うだろっ!>
と桃さんから反論されました。まぁ桃さんの言い分も解りますが、絶対に他者にバレないという意味では私達の方が悪質かも?なんて思ってしまいます。
そんなやり取りをしつつ竃の火を大きくしました。こうしておけば少々火の精霊力が大きくなったとしても、竃の火の所為だと思うはずです。
「櫻、鍋に海水を入れるのは僕がするよ」
兄上がそう言って海水の入った桶を抱えてくれました。ざっと見て3リットルぐらいなので、重さは3kg強といったところでしょうか。家族から貧弱扱いされている私でも十分に持ち上げられる重さではありますが、私には別の役割があります。
「はい、兄上。準備できましたよ」
真新しい綺麗な白い布を鍋の上に広げて、中央部分を少しだけ凹ませます。そのうえで布が鍋の中に落ちないように、布をしっかりと握っておきます。一番細い糸を高密度で織り上げたというこの布は、それでも艶糸製の布に比べると目が粗く、2枚重ねにしておいて正解だったなぁと心の中で安堵の溜息をつきました。
「このように、まずは海水の中に含まれる不純物を取り去ります」
「いや、海水には何も入っていなかっただろう?」
確かに一見、何も入っていないように見えますが、砂の一粒すら逃さずキャッチしたいのだと伝えると、「ほぉ」という感心したような梯梧殿下の声が聞こえてきました。
「後は海水が10分の1になるぐらいまで強火で一気に煮詰めます」
その言葉に竃番の女性が竃に乾燥した莎草の束を入れました。王城では使う燃料の量も桁違いな為、少しでも効率的に燃料を使う為に専門の職人を置いているのだそうです。
ぐつぐつと海水が煮えたぎってくると、それでなくても暑い部屋の気温が更に上がり、ついでに湿度も上がって不快感マックスです。しかも木べらで中をかき混ぜないといけないので竃の近くに居る必要があり、足元から頭のてっぺんまで熱さと暑さでどうにかなりそうです。
(このヴェール! 叔父上から貰った大切な大切なヴェールだけど……
今この時だけは邪魔で仕方がないっ!!)
動いた拍子に汗のせいで顔に張り付くヴェールが邪魔で仕方がなく、頬ならまだしも口にくっついた時には「うぁああ!!」と内心吼えたくなる程です。
兄上と何度も交代しながら煮詰めていきますが、3リットルの水が300ミリリットルになるまでって結構時間がかかります。私も大変ですが兄上にとっても大変な作業のようで、時々大きく深呼吸をしています。腕力や体力的には大丈夫でも、火の傍に居続けるのはツライようです。普段なら兄上は台所仕事をしないので、慣れていないというのが大きいのかもしれません。
あぁ、だから梯梧殿下は入口で待機しているのかな?
この世界では台所は女性の為の場所だから、中まで入ってくる緋桐殿下の方が規格外なんだろうなぁ。
汗だくになりながら時間をかけて10分の一まで煮詰めたところで、鍋を火から一度おろして、別の鍋の上に新しい布をかけて再び濾します。既に煮詰まった海水の中には白い結晶が見えていて、それが布の上に残って水分だけが下の鍋へと落ちていきました。
「火を使っただけで、我が国の塩の苦味が消えるのか??」
興味津々といった感じで布の上の白い結晶を覗き込んだ緋桐殿下は、私が止める間もなくその熱々の結晶をペロリと舐めてしまいました。
「あっ!! それ、塩じゃないですよ!!」
「うわっ、ぺっぺっぺっ!!!」
あぁーーーーーあ……。
海水を煮詰めると最初に出てくる白い結晶は塩にしか見えませんが、アレは塩じゃないんですよね。前世なら硫酸カルシウムなんですが、こちらの世界では何かは解りません。解りませんが、塩じゃない事は確認済みです。
(うんうん、それ苦味というよりエグ味ですよね。
私も経験済みだから、よーーく解りますよ)
思わず温かい目で緋桐殿下を見てしまいますが、そんな状況に怒りが爆発してしまったのは皐月姫殿下でした。
「……よくも私達兄妹を謀ったわね!」
わなわなと唇が震え、そこから零れ落ちる言葉は怒りで溢れかえっていました。
「おまちくださいませ。まだ完成しておりません。
緋桐殿下は除去すべき苦みを舐めてしまわれたのですっ!」
慌てて弁明して、硫酸カルシウムを濾過し終えた濃い海水を再び煮詰めてもらいます。
「少し落ち着け!」
「兄様が!! ……いえ、何でもありません」
緋桐殿下の窘めに皐月姫殿下が反論しようとしますが、直ぐに口をつぐんでしまいました。なんとなくですが、彼女がここまで強硬な態度になる理由が解ったような気がします。少しでも兄のフォローをしたいって気持ちや、自分がしっかりしなくてはっていう気持ちが先走って、その気持ちが空回りしちゃっている感じなのかもしれません。
それにしても山や島で作った時に比べると、ヒノモト国の海水はこの時点で除去できる白い結晶が1.5倍ぐらいあります。海域によって海水の成分が多少違ってくるのは当然だと思うのですが、こんなにも違うなんて驚きです。三太郎さんに聞いてみたら、その場に居付いている精霊の違いらしく、この世界はこういった目に見えないところにファンタジー要素が満載なのかもしれません。
そんな事を考えている間も、どんどんと煮詰まっていく海水。もはや海水というよりは白い結晶で濁ったドロドロした水なのですが、ここで最大の注意が必要なんですよね。おそらくヒノモト国産の塩に苦味が多い最大の理由は此処だと思います。
「かなり水分は飛んだものの、まだ水分が感じられるこの状態で火を止めます。
そしてここでもう一度、布で濾します」
この時、けっこう熱々の塩が撥ねてくるので注意が必要なのですが、すかさず兄上が鍋を、そして何故か緋桐殿下が布をもってくれて私を「危ないから」と遠ざけてくれました。それはとてもありがたいのですが、皐月姫殿下の視線が痛い……。
最後は鍋ではなく小鉢の上で水分を濾過し、布の中に残ったのが待望の塩です。ちなみに小鉢の中にある液体の主成分は塩化マグネシウム、つまり「にがり」となります。
まぁ前世と同じなら……という注釈が付くんだけどね。
布を海水に浸してから天日で乾かし、布の表面付着した塩をかき集めるというヒノモト国での製塩法を聞いた時にもしかしてと思っていたのですが、数日前に塩を試作した結果確信に変りました。最後に残った液体がにがりとして使えるかは別問題ですが、エグ味の強い白い結晶と最後の苦い水分を取り除けば、ヒノモト国の海水で作った塩も充分美味しい塩になります。この世界の人的には雑味の無い「The 塩化ナトリウム」なミズホ国産の塩が至上なんでしょうけどね。
「どうぞ、お確かめください。この塩はしっとりとしていますが、
ここから乾煎りして水分を飛ばせばサラサラな塩にもなります」
そう言って布からお皿へと移した塩を差し出します。ざっと大匙5杯ぐらいにはなったでしょうか。3リットルの海水からあれだけの労力と燃料を使ってこの量しか取れないのは割に合わない気もしますが、前世のようにお店に行けば誰でも気軽に買えるような物じゃないので仕方がありません。
塩が冷めるのをまってから塩を手に取り、その手触りや色などを確かめる3人の殿下たち。勿論一番最初に口に入れるのは殿下たちではなく、私やお付きの人たちです。
うん、味は悪くありません。若干島で作ったものより雑味が多い気がしないでもないですが、普通に美味しい塩です。浦さんならこの塩で魚を炭火焼きしたいと言いだすでしょうし、金さんなら肉の塩焼きと一緒にお酒をグイッとなんて言いだすと思います。
ちなみに桃さんは塩よりも焼肉のタレ派です。
「これは……、そんな馬鹿な……」
この国の塩を知っている人なら梯梧殿下と同様の感想を抱くと思われ、私を信じていると言っていた緋桐殿下も目を丸くしていますし、皐月姫殿下も小さな声で「嘘……」と呟いたまま固まってしまいました。
「これでご理解頂きましたでしょうか?
貴国の海水でも製法によっては十分に美味しく……」
説明の途中だというのに、いきなり歩み寄ってきた皐月姫殿下がガシッと私の肩を掴んできました。しかもそのままガックンガックンと前後に揺さぶります。
「この製法は他国にも知られているのか?!
我が国で独占する事はできるか!!」
待って! 今喋ったら間違いなく舌を噛むからっ!!!
「落ち着きなさい、皐月。
この製法は確かに魅力的ですが、問題もあります」
「承知しております、燃料の問題で御座いますね」
皐月姫殿下を梯梧殿下が抑え、そして私を兄上と緋桐殿下が救出しながらも会話が続きます。
むちうちになったらどうしてくれるんだか……と思いつつ、兄上のフォローに入る事にします。ヒノモト国に上陸してからずっとやってみたかった事でもありますし、なんだったら前世からやってみたかった事の1つでもあります。
「燃料の問題に関しましても、私どもに一案が御座います。
ただ、なにぶん今回は急な事でしたので用意しておらず、
少しお時間を頂くことにはなりますが……」
「燃料問題を解決する案がそなたにあるというのか?」
恐らく梯梧殿下には未だ私が幼い子供に見えているようで、少し侮ったような視線が向けられます。
「えぇ、御座います。
火を使わずに水を沸かす方法が」
「「「「は??」」」」
私の言葉に、ヒノモト3兄弟はともかく兄上まで固まってしまったのでした。
その台所の中央には厳重に鍵がかけられた井戸が1本あり、外に面している壁際にはまだ熱が残っている竃が3基ありました。他にも板の間には囲炉裏3基やテーブルが規則正しく配置されています。そして右手の壁際には食器棚が並び、左手の壁には食品庫なのか隣室へと繋がっていると思われる扉が一つありました。
「海水は汲みに行かせているゆえ、間もなく届くはずだ」
そう言いながら扉付近に陣取っているのは梯梧殿下です。その横では皐月姫殿下が腕を組みこちらを睨みつけていました。そんな2人に対し、緋桐殿下は私のすぐ横で、
「大丈夫か? 櫻嬢が嘘を言っているとは欠片も思っていないが、
いきなり作れと言われてすぐに出来るものなのか??」
と心配そうに尋ねてきます。
「大丈夫ですよ。大量に作れと言われたらちょっと無理ですが、
今回は数人が味見出来る程度の量が出来れば良いだけですから」
そう答えるものの、問題が全く無い訳ではありません。桃さんの力を借りずに塩を作る場合、問題となるのは時間よりも燃料です。
国土の大半が砂漠を含む乾燥地のヒノモト国ですが、全く植物が生えていない訳ではありません。水場の近くには塩莎草と呼ばれる前世の葦のような、でも例によって葦より数倍は大きくて極太の草が密集して生えていますし、砂しかないような浜辺ですら莎草と呼ばれる塩莎草と似た草が生えています。この国ではそれらを燃料として使っているのですが、当然ながら無尽蔵に使える資源ではありません。一年中次から次へと生えてはくるのですが、それでも国民全員が好きなだけ刈取り続けたらどうなるかなんて考えるまでもありません。幸いなことにヒノモト国では無の月になっても暖を取る必要が無いため、なんとか草類の燃料でもやっていけているようです。
これら以外にも、ヒノモト国で沢山作られている麦からとれるワラやもみ殻も燃料として使っています。ただ前世のように稲わらや麦わらやもみ殻からバイオ燃料を製造するなんて技術がこの世界にある訳がなく、乾燥させた草類を燃やすだけなんです。そんな方法では効率が悪くて当たり前で、あっという間に火は燃えあがりますが、同じぐらいあっさりと火は消えてしまいます。
なのでヒノモト国の料理にはコトコトと煮込むようなものはほとんど無く、さっと炙ったり焼いたりするような料理が殆どです。ですが製塩にはどうしても海水を長時間、沸騰させ続ける必要があります。
「ただ燃料をそれなりに使う事になりますが……」
「必要なモノはこちら側で用意するから心配致すな。
それで燃料以外には何が必要になるのだ?」
私と緋桐殿下の話しを聞いていた梯梧殿下が声をかけてきました。緋桐殿下と違って梯梧殿下の声は、いわゆるイケボという括りには入らないのでしょうが、耳にスッと入ってくる不思議な声をしています。
「ここにある鍋等を使わせて頂けるのなら、
後は綺麗で目の細かい布を3、いえ6枚お借り致したく存じます」
本当はコーヒーフィルターのような濾紙があれば一番なのですが、紙自体が貴重品のこの世界では用意できるはずがありません。だから布で代用するしかないのですが、私たちが拠点で使っている土蜘蛛の糸から造られた布をここで使う訳にもいきません。土蜘蛛の糸を加工した艶糸から作られた布なら3枚で十分なのですが、用意される布の目が粗い事を想定して二枚重ねて使用する事にします。
「何よ、我が国で作っている方法と同じなんじゃないっ!」
布の用意をお願いした所で、皐月姫殿下がイライラとした感情をそのまま言葉にして吐き出しました。まぁ確かに用意する物には大差ないと思います。
「はい、特殊な道具は必要ありませんので
明日からでも貴国で作る事が可能に御座います」
皐月姫殿下のトゲトゲしい言動が気にならないレベルで、自分の敬語の危うさが恨めしくて仕方がありません。碧宮家再興なんて絶対にしないうえに、私自身は華族とも王族とも関わる気が皆無だったので、その手の勉強は最低限しかしていなかったのですが、母上にお願いしてもう少し時間を増やすべきかもしれません。
今まで出会った王族や華族のみんなは「櫻嬢はそれで良いよ」と言ってくれたのでそれに甘えてきましたが、流石にもう甘えていられる年齢じゃないですし……。
ようやく海水が届き、竃の前で火種を大きくする準備をしていたら
<おい、櫻。その食器棚の裏に男が2人隠れているぞ。
あと反対の壁、隣の部屋に通じていると見せかけて小さな小部屋がある。
そこにも3名隠れている。どうする?>
桃さんがこっそりと心話で話しかけてきました。どうする?と聞かれたところで困ってしまいますが、十中八九ヒノモト国の志能備の人たちでしょうし、そんなプロフェッショナルな人に私が気付くのもおかしな話です。変に警戒されても困りますし、知らんぷりするに限ります。
<何か事を起こしたら別だけど、こっちを監視しているだけなら放置かな>
<ふーん、お前がそう言うのならそうするが、
俺様は影でこそこそと何かをしているようなヤツらは大嫌いだな>
<ふふ、そんな事を言ったら心話で内緒話をしている私達も同じじゃない?>
思わずそう心の中で笑いながら返したら、案の定
<俺様たちは違うだろっ!>
と桃さんから反論されました。まぁ桃さんの言い分も解りますが、絶対に他者にバレないという意味では私達の方が悪質かも?なんて思ってしまいます。
そんなやり取りをしつつ竃の火を大きくしました。こうしておけば少々火の精霊力が大きくなったとしても、竃の火の所為だと思うはずです。
「櫻、鍋に海水を入れるのは僕がするよ」
兄上がそう言って海水の入った桶を抱えてくれました。ざっと見て3リットルぐらいなので、重さは3kg強といったところでしょうか。家族から貧弱扱いされている私でも十分に持ち上げられる重さではありますが、私には別の役割があります。
「はい、兄上。準備できましたよ」
真新しい綺麗な白い布を鍋の上に広げて、中央部分を少しだけ凹ませます。そのうえで布が鍋の中に落ちないように、布をしっかりと握っておきます。一番細い糸を高密度で織り上げたというこの布は、それでも艶糸製の布に比べると目が粗く、2枚重ねにしておいて正解だったなぁと心の中で安堵の溜息をつきました。
「このように、まずは海水の中に含まれる不純物を取り去ります」
「いや、海水には何も入っていなかっただろう?」
確かに一見、何も入っていないように見えますが、砂の一粒すら逃さずキャッチしたいのだと伝えると、「ほぉ」という感心したような梯梧殿下の声が聞こえてきました。
「後は海水が10分の1になるぐらいまで強火で一気に煮詰めます」
その言葉に竃番の女性が竃に乾燥した莎草の束を入れました。王城では使う燃料の量も桁違いな為、少しでも効率的に燃料を使う為に専門の職人を置いているのだそうです。
ぐつぐつと海水が煮えたぎってくると、それでなくても暑い部屋の気温が更に上がり、ついでに湿度も上がって不快感マックスです。しかも木べらで中をかき混ぜないといけないので竃の近くに居る必要があり、足元から頭のてっぺんまで熱さと暑さでどうにかなりそうです。
(このヴェール! 叔父上から貰った大切な大切なヴェールだけど……
今この時だけは邪魔で仕方がないっ!!)
動いた拍子に汗のせいで顔に張り付くヴェールが邪魔で仕方がなく、頬ならまだしも口にくっついた時には「うぁああ!!」と内心吼えたくなる程です。
兄上と何度も交代しながら煮詰めていきますが、3リットルの水が300ミリリットルになるまでって結構時間がかかります。私も大変ですが兄上にとっても大変な作業のようで、時々大きく深呼吸をしています。腕力や体力的には大丈夫でも、火の傍に居続けるのはツライようです。普段なら兄上は台所仕事をしないので、慣れていないというのが大きいのかもしれません。
あぁ、だから梯梧殿下は入口で待機しているのかな?
この世界では台所は女性の為の場所だから、中まで入ってくる緋桐殿下の方が規格外なんだろうなぁ。
汗だくになりながら時間をかけて10分の一まで煮詰めたところで、鍋を火から一度おろして、別の鍋の上に新しい布をかけて再び濾します。既に煮詰まった海水の中には白い結晶が見えていて、それが布の上に残って水分だけが下の鍋へと落ちていきました。
「火を使っただけで、我が国の塩の苦味が消えるのか??」
興味津々といった感じで布の上の白い結晶を覗き込んだ緋桐殿下は、私が止める間もなくその熱々の結晶をペロリと舐めてしまいました。
「あっ!! それ、塩じゃないですよ!!」
「うわっ、ぺっぺっぺっ!!!」
あぁーーーーーあ……。
海水を煮詰めると最初に出てくる白い結晶は塩にしか見えませんが、アレは塩じゃないんですよね。前世なら硫酸カルシウムなんですが、こちらの世界では何かは解りません。解りませんが、塩じゃない事は確認済みです。
(うんうん、それ苦味というよりエグ味ですよね。
私も経験済みだから、よーーく解りますよ)
思わず温かい目で緋桐殿下を見てしまいますが、そんな状況に怒りが爆発してしまったのは皐月姫殿下でした。
「……よくも私達兄妹を謀ったわね!」
わなわなと唇が震え、そこから零れ落ちる言葉は怒りで溢れかえっていました。
「おまちくださいませ。まだ完成しておりません。
緋桐殿下は除去すべき苦みを舐めてしまわれたのですっ!」
慌てて弁明して、硫酸カルシウムを濾過し終えた濃い海水を再び煮詰めてもらいます。
「少し落ち着け!」
「兄様が!! ……いえ、何でもありません」
緋桐殿下の窘めに皐月姫殿下が反論しようとしますが、直ぐに口をつぐんでしまいました。なんとなくですが、彼女がここまで強硬な態度になる理由が解ったような気がします。少しでも兄のフォローをしたいって気持ちや、自分がしっかりしなくてはっていう気持ちが先走って、その気持ちが空回りしちゃっている感じなのかもしれません。
それにしても山や島で作った時に比べると、ヒノモト国の海水はこの時点で除去できる白い結晶が1.5倍ぐらいあります。海域によって海水の成分が多少違ってくるのは当然だと思うのですが、こんなにも違うなんて驚きです。三太郎さんに聞いてみたら、その場に居付いている精霊の違いらしく、この世界はこういった目に見えないところにファンタジー要素が満載なのかもしれません。
そんな事を考えている間も、どんどんと煮詰まっていく海水。もはや海水というよりは白い結晶で濁ったドロドロした水なのですが、ここで最大の注意が必要なんですよね。おそらくヒノモト国産の塩に苦味が多い最大の理由は此処だと思います。
「かなり水分は飛んだものの、まだ水分が感じられるこの状態で火を止めます。
そしてここでもう一度、布で濾します」
この時、けっこう熱々の塩が撥ねてくるので注意が必要なのですが、すかさず兄上が鍋を、そして何故か緋桐殿下が布をもってくれて私を「危ないから」と遠ざけてくれました。それはとてもありがたいのですが、皐月姫殿下の視線が痛い……。
最後は鍋ではなく小鉢の上で水分を濾過し、布の中に残ったのが待望の塩です。ちなみに小鉢の中にある液体の主成分は塩化マグネシウム、つまり「にがり」となります。
まぁ前世と同じなら……という注釈が付くんだけどね。
布を海水に浸してから天日で乾かし、布の表面付着した塩をかき集めるというヒノモト国での製塩法を聞いた時にもしかしてと思っていたのですが、数日前に塩を試作した結果確信に変りました。最後に残った液体がにがりとして使えるかは別問題ですが、エグ味の強い白い結晶と最後の苦い水分を取り除けば、ヒノモト国の海水で作った塩も充分美味しい塩になります。この世界の人的には雑味の無い「The 塩化ナトリウム」なミズホ国産の塩が至上なんでしょうけどね。
「どうぞ、お確かめください。この塩はしっとりとしていますが、
ここから乾煎りして水分を飛ばせばサラサラな塩にもなります」
そう言って布からお皿へと移した塩を差し出します。ざっと大匙5杯ぐらいにはなったでしょうか。3リットルの海水からあれだけの労力と燃料を使ってこの量しか取れないのは割に合わない気もしますが、前世のようにお店に行けば誰でも気軽に買えるような物じゃないので仕方がありません。
塩が冷めるのをまってから塩を手に取り、その手触りや色などを確かめる3人の殿下たち。勿論一番最初に口に入れるのは殿下たちではなく、私やお付きの人たちです。
うん、味は悪くありません。若干島で作ったものより雑味が多い気がしないでもないですが、普通に美味しい塩です。浦さんならこの塩で魚を炭火焼きしたいと言いだすでしょうし、金さんなら肉の塩焼きと一緒にお酒をグイッとなんて言いだすと思います。
ちなみに桃さんは塩よりも焼肉のタレ派です。
「これは……、そんな馬鹿な……」
この国の塩を知っている人なら梯梧殿下と同様の感想を抱くと思われ、私を信じていると言っていた緋桐殿下も目を丸くしていますし、皐月姫殿下も小さな声で「嘘……」と呟いたまま固まってしまいました。
「これでご理解頂きましたでしょうか?
貴国の海水でも製法によっては十分に美味しく……」
説明の途中だというのに、いきなり歩み寄ってきた皐月姫殿下がガシッと私の肩を掴んできました。しかもそのままガックンガックンと前後に揺さぶります。
「この製法は他国にも知られているのか?!
我が国で独占する事はできるか!!」
待って! 今喋ったら間違いなく舌を噛むからっ!!!
「落ち着きなさい、皐月。
この製法は確かに魅力的ですが、問題もあります」
「承知しております、燃料の問題で御座いますね」
皐月姫殿下を梯梧殿下が抑え、そして私を兄上と緋桐殿下が救出しながらも会話が続きます。
むちうちになったらどうしてくれるんだか……と思いつつ、兄上のフォローに入る事にします。ヒノモト国に上陸してからずっとやってみたかった事でもありますし、なんだったら前世からやってみたかった事の1つでもあります。
「燃料の問題に関しましても、私どもに一案が御座います。
ただ、なにぶん今回は急な事でしたので用意しておらず、
少しお時間を頂くことにはなりますが……」
「燃料問題を解決する案がそなたにあるというのか?」
恐らく梯梧殿下には未だ私が幼い子供に見えているようで、少し侮ったような視線が向けられます。
「えぇ、御座います。
火を使わずに水を沸かす方法が」
「「「「は??」」」」
私の言葉に、ヒノモト3兄弟はともかく兄上まで固まってしまったのでした。
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