未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の極日9-

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この世界に転生して早16年。そろそろ前世の人生と同じぐらいの時間をこの世界でも過ごした事になります。その間、思い通りや予想通りになった事は幾つもありました。ただ、それ以上に思い通りにならなかった事や想定外の事の方が多かったように思います。

……いや思いますじゃなくて、確実に、そして圧倒的に多かった!

「何が どうして こうなった」と思った事は一度や二度じゃないし、様々な新規開発品の試行錯誤中なんかは数えるのが馬鹿らしくなる程に思ったものです。


そして今、この瞬間も!!

(何が どうして こうなった……)

遠い目をしたくなる私をギュゥと強く抱きしめてくる皐月さつき姫殿下は、私よりも身長が20センチほど高いため、こうもしっかりと抱きしめられてしまうと全く身動きが取れません。しかも皐月姫殿下はヒノモト国の人なので、当然ながら武術を身につけています。そのために締めてくる力が強く、息が苦しく感じるほどです。ついでに姫殿下の服に焚き籠められた香の匂いが強すぎて、別の意味でも呼吸が苦しかったりもしますが。

「さ、皐月姫殿下。如何されましたか?」

1分1秒が惜しいと思うほどに多忙だった私を問答無用で呼び出し、案内された部屋に入った途端に抱き締められて約3分。最初の10秒は驚いて、続いて2分ほど戸惑って、その後はジワジワと苛立ちが湧き上がりました。

その苛立ちが爆発しなかったのは、相手の身分がとても高かったことに加えて、彼女の身体が微かに震えていた所為です。その震えに気づいてからは、苛立ちよりも心配のほうが先立ちました。

(なにか良くないことがあったの??
 でも私が呼ばれた理由がわからないし、本当に何がどうなってるの??)

モゾモゾと動いて何とか姫殿下の顔を見上げたら、目に涙を溜めた皐月姫殿下と目が合ってしまい、驚きのあまり息を飲みました。思わず姫殿下の背中に腕を回し、ポンポンと小さな子供をあやすようにして落ち着かせます。不敬にあたるかもしれませんが、正直なところコレ以外に私に出来る事が思いつきません。

「ごめんなさい。いきなりで驚かせてしまったわよね」

2度ほど大きく深呼吸をした皐月姫殿下は、ようやく私を腕の中から開放すると、
少しだけバツが悪そうに眉尻を下げました。そりゃぁ驚きますよと言いたいところですが、そこは理性が働きます。

「いえ、私は構いません。ですが、なにか御座いましたか??
 それとも私どもが何か不作法な事を致しましたのでしょうか……」

今になって小火宴しょうかえんへの納品は認めないと言われたら、流石に怒って良いよね?? ただその場合、どうして抱き締められたのか全く説明がつかないんだけど……。

「いいえ、貴女や吉野家には何の落ち度もないわ。
 ただ……その前に。お前たち、少しの間席を外しなさい」

皐月姫殿下はそう言うと、部屋の隅で控えていた随身や女官たちに出ていくように命じました。女官はともかく随身の女性は流石に「しかしっ!」と反論をしようとしたのですが、

「この私がこんな華奢な体躯で幼い頃から病弱だった彼女から
 危害を加えられるほどに弱いと……お前はそう思っているのか?」

「いえ、そうではありませんが……」

ほんの数分前、皐月姫殿下に急襲されて抱き締められた時、私が躱すことも抵抗することも出来なかったところを見ているので、随身の方からすれば「私が危険だ」と主張しづらいところですよね。

結局、扉の直ぐ外で控えているという妥協案を姫殿下と随身の双方が飲み、部屋の中は私と姫殿下の二人だけになってしまいました。これはこれで落ち着きません。

「貴女にどうしてもお礼を言いたかったの。
 ありがとう……本当にありがとう……」

シーンと静まり返った部屋に姫殿下の小さな声が響きました。今までに2回、彼女とは会った事がありますが、気の強そうな顔つきが今日はなんだかとてもションボリと気弱に見えます。

「ずっとずっと兄様あにさまがどうして変わってしまったのか、
 幼い頃の兄様は私の自慢の兄様だったのに、どうして変わってしまったのか、
 もしかしてうちの派閥第一妃派が何かしたのだろうかと、心配だったし不安だったの」

第一妃というのは皐月姫殿下や梯梧でいご殿下の実母で、感激家で情に厚い方であると同時に、怒った時は誰も止められない程に激怒する方で、良くも悪くも気性の激しい方だという噂です。また武術の腕で妃を決めるヒノモト国の第一妃な事からも解るように、そこらの護衛よりも強いと言われている女傑です。なにせ一時期は緋桐殿下の師匠も務めた東宮妃の牡丹ぼたん様が手でも口でも絶対に勝てない相手だそうで、皐月姫殿下の気性の荒さは母親譲りなのかもしれません。

この皐月姫殿下の発言で、大体の事情は察しました。先日私が緋桐ひぎり殿下に言った、「兄殿下や妹姫殿下と対話をするべきだ」という事を実行した結果のようです。詳しく話を聞いてみると、緋桐殿下は自分は王位継承を兄と争う気が欠片もない事をまず伝え、更にはこの先のヒノモト国には武だけが優れた人よりも、梯梧殿下のように調整力が高く配下を上手に使うことのできる王のほうが望ましいと思っていることなどを兄と妹に伝えたのだそうです。

先程までの皐月姫殿下の行動の理由がわかり、「うんうん、良かった良かった」と心の中で安堵した私の頭上に、次の瞬間想定外の衝撃が降り注ぎました。

「兄様が好きになった相手が貴女で良かったわ。
 華族出身じゃないから色々と大変だとは思うけれど、
 私が全力で助力するから安心して!」

えっ!? 肝心なソコは話してないの??

王族特有のしがらみや、対華族用の建前の関係でバラす訳にはいかなかったのかもしれませんが、結局想い人(仮)を続行しなくてはならないのかと思うと乾いた笑いすら出てきません。

それにしても問答無用で呼び出された理由って……まさか……

「あの、姫殿下。
 大変申し訳無いのですが、私をお呼びになった理由は……」

「どうしても、今すぐに貴女にお礼を言いたくて。
 内容が内容だけに、安心して話せる此処に来てもらったのよ」

語尾上げで「はぁ?」って言わなかった自分を褒めたい。お礼を言いたいという姫殿下の気持ちは解るし、内容的に誰が聞いているか解らない場所では話せなかったというのも解るけれど。

でも!! 一番忙しい今じゃなくても良かったんじゃ?!

思わず出てしまいそうになる溜め息を必死に堪え、

「そうでしたか。私は私に出来ることをしただけですのに……。
 それが殿下方のお役に立てたというのならば、この上ない喜びです。

 では、私は今晩の用意が御座いますので
 これにて失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」

ひきつりそうになる表情を必死に取り繕って、お辞儀をして退室の許可を求めました。ですがそれに対し姫殿下は私の手を取って引き止めます。

「待って、もう一つ大切な話があるのよ」

「大切な話ですか??」

「えぇ。その……だから……、私と友達になってもらえないかしら?」

意を決して切り出しましたっ!とありありと解る表情の姫殿下に、私はどんな表情で返事をすればよいのか解りません。一応、今日もヴェールで顔を隠してはいるので表情が丸見えってことはないと思うのですが、ここまで距離が近いと完全遮蔽はできていなさそう……。


「姫殿下、一つ確認をさせて頂きたいのですが……。
 友達と仰られますが、それは身分差を一切考慮しない
 対等に付き合う友人という事でよろしいでしょうか?」

「えぇ、もちろんよっ!!」

「発言も態度も全て対等ということでしょうか??」

「そうだと言っているじゃない。
 この国では仕事が絡みさえしなければ身分差に対して厳しくないのだけれど、
 華族の令嬢との交流は社交、つまり仕事といえなくもなくて……。
 だから華族の友人からはどうしても一線を引かれてしまうのよ。
 他国の王族となら対等には付き合えるのかもしれないけれど、
 友人とは言い難くて……」

そりゃぁ、そうでしょうね。
王族や華族は宴で遊んでばかりだと思っている平民も多いけれど、アレは仕事みたいなものです。参加者から国内外のあらゆる情報を集め、また自分に有利な人脈を築き、時には政敵や商売敵の利を潰し、自分の利益や国益を確保する。宴とはそんな種々雑多な思惑を隠して、表面上はにこやかな笑顔で穏やかに会話を続ける場所です。正直なところ今回は緋桐殿下にどうしてもと頼まれたうえに、絶対に守ると約束してくれたので参加するけれど、私個人としては絶対に参加したくありません。

「解りました。
 ではこれから私と皐月姫殿下は、対等な友人ということでよろしいでしょうか?
 その場合、私の言動が王族に対して不敬にあたるモノになると思いますが、
 それもお許しいただけますか?」

「えぇ、当然じゃない。対等の友人なんだから!!」

対王族用の重複敬語じゃなくても良いという許可を得たので、ここぞとばかりに一気に話し続けます。なにせ私と姫殿下の友人という認識が噛み合っていないと怖いので……。

「でしたら……、いえ、だったら一つ言っておきたいことがあります。
 いきなり呼び出されたら困ります。私にも都合があるんだから」

「えっ……」

「対等の友人同士だとしても礼儀は必要です。
 王族や華族の礼儀とは意味が違うかもしれないけれど、
 相手の都合を考慮するとか迷惑をかけないというのは最低限必要な礼儀です」

「……」

「特に皐月姫殿下は立場が立場です。
 殿下にそのつもりは無くても、相手にとっては命令になる事もあります」

「…………」

姫殿下の沈黙が怖いですが、この際だから言いたいことを全て言ってしまいます。対等の付き合いを許すという言質をとっているとはいえ、万が一を考えると心臓がバクバクと痛いほどに脈打ちます。

「そして……」

一拍入れて深呼吸をします。

「もし、今の私の発言を聞いて、
 姫殿下に心にある感情が私に対して申し訳ないという気持ちや、
 自分の至らなさを恥じる気持ちならば対等の友達になれますが、
 王女の私に向かって!という苛立ちや怒りの感情が占めているのなら、
 私は姫殿下とは対等の友達にはなれそうにありません」

しっかりと顔を上げ、皐月姫殿下の目を見て宣言します。前世では多くはありませんが、仲の良い友人が数人いました。でも、今世では友人どころか同年代の知人すらいません。だから友人になれたら嬉しいと思う反面、王族の友人は色々と大変そうで気が引けてしまいます。

そもそも「友達になって!」と宣言してから友達になるなんて、前世ですら経験がありません。小さい頃は別として、普通は当たり障りない会話からお互いの共通点を探して、それをきっかけに徐々に親しくなっていく……。この方法が絶対というわけではありませんが、少なくとも私はそんな友達の作り方しかしたことがありません。

「……………ぃ」

「えっ??」

爆音を奏でている自分の心音よりも小さな声に、反射的に聞き返してしまいました。

「だ、だから、ごめんなさいって言ってるのっ!
 早くお礼を伝えたくて、貴女にも都合があるってことに気づかなかったの」

顔を真っ赤にした姫殿下が、目尻に浮かぶ涙を拭うこともせずに私を真っ直ぐに見ながら謝罪の言葉を口にしました。王族という立場上、十中八九謝罪は無いだろうと思っていたので少し目を瞠ってしまいます。そして謝ってくれた以上、私も誠実に対応しなくては……。

「はい、謝罪を受け入れます。 次からは気をつけてくださいね」

「えぇ! ありがとう」

皐月姫殿下は嬉しそうな顔をした途端に、再び私を抱き締めました。抱きつき癖があるのかもしれませんが、鼻がツライので勘弁してほしいところです。

「じゃぁ、私は帰りますね。
 準備を急がないと、緋桐殿下に迷惑をかけてしまうから」

流石に完全な友達口調は気が引けるので、敬語程ではないけれど少しだけ気を使った口調で告げました。

「それなら王城ここで支度をすれば良いわ。
 私の持っているモノで貸せるものは貸すし、
 そうじゃないのは使いを出して持って来させるから」

ありがたいような、ありがたくないような提案に少しだけ悩みます。私がここで身支度をしている間に、荷物を取りに行ってもらうのが時間短縮という点では最善だとは思います。でも身支度に使う品の中には他人に見せられないものがあったりするので、それを見られる危険を冒したくありません。

あと、何より水浴びができないっ!

私が泊まっている宿は、前世でいうところのロイヤルスイートルームみたいな部屋で、4人で使ってもまだ部屋が少し余ります。そんな余った小部屋の一つの壁や床や天井を、べとべとさんの撥水液でコーティングした防水布で保護し、そこにタライを置いてお風呂とも呼べないぐらいの簡易的な行水部屋を作りました。

できるだけ気づかれないように早朝に素早く4人が順番に行水するのですが、その為には船に不寝番に行っている叔父上か山吹が樽いっぱいの海水を持ち帰ってくる必要があります。それをこっそり浦さんの技能「浄水」で塩抜き&綺麗にして、順番に石鹸を使って行水を済ませ、その残り水で洗濯をし、更にそれを再び「浄水」してから携帯ウォシュレット用の水として使います。

当然ながらこれだけ水の精霊力を使いまくった日々を過ごしていると、精霊力の流れに敏感な人などが

「今年は火の神様のお力が弱いのだろうか?」

とか

「もしかしたら今年の農作物は不作になるかもしれないぞ」

なんて話しているのが聞こえてきたりするようなります。不安にさせてしまって本当に申し訳ないけれど、この部屋限定の異常精霊力で農作物にまで影響は出ないはずなので許してください。私達家族にとって、行水すらできない生活は苦痛でしかないんです。

おかげでヒノモト国に上陸してから10日と少し経ちますが、未だに私の髪はしっかり艶があってサラサラですし、肌も綺麗で健康的な状態を保てています。


うん、やっぱり駄目だ。着飾るよりも、まずは基本をしっかり綺麗にだよね!


「皐月姫殿下のお言葉は大変ありがたいことなのですが」

「櫻、言葉遣い。友達でしょ」

「あー、えと。とっても嬉しいんだけど、自分の準備の他にも
 叔父上たちの様子も確認したいから一度宿屋に戻るわ。
 もしかしたら叔父上たちの方を手伝う必要もあるかもしれないから」

「そう、わかったわ。
 そうだ!! 櫻は一人では馬には乗れないのよね?
 じゃぁ武官に早馬を出させるわ。護衛がてら宿まで送らせるから」

「ありがとう、すごく助かる」

気安い会話が嬉しいのか、どこかウキウキした様子の皐月姫殿下の提案を受けて、私は馬に乗せてもらって帰ることになりました。

それにしても……
私に友人を作って欲しくてヒノモト国に送り出してくれた母上も、まさか姫殿下と友達になって帰ってくるとは思わないだろうなぁ……。




この国には道が2種類あって、馬車や歩行者が通る通常の道路とは別に、馬を高速で走らせる事もできる軍用の道があります。誰でも通れる道ではなく、軍か王家の許可を得た人しか走れないのですが、その分高速で移動可能なんです。元々は戦時の伝令の重要性から作られた道なんだそうですが、今でも緊急性の高い時に使われているんだとか。

その高速道路を使って宿に戻った私を待っていたのは、疲労困憊でヘロヘロになっている叔父上と山吹、そして兄上でした。3人がここまで疲れ切っている姿は、今まで数える程しか見たことがありません。

「叔父上、大丈夫?!
 兄上も山吹も、とりあえずお水を飲んで……」

部屋に備え付けられている台所で搬入予定の食事の準備をしていた3人ですが、慣れない事をしたために肉体的な疲労よりも精神的に疲労しているようです。

「おかえり櫻。大丈夫だったか?? なにか言われたのか??」

私の姿を確認した途端に叔父上がキリッとした姿に戻り、こちらに駆け寄って来ましたが、少しだけ足元がふらついています。兄上や山吹も心配そうに駆け寄ってきましたが、叔父上と同様に足元がふらついています。

「大丈夫、お礼を言われて友達になってって言われただけだから。
 それより軽食と甘味の準備は?」

「と、友達?!」

私の返答に叔父上が目を丸くしてしまいますが、それは後でゆっくりと話せば良いことで、大急ぎで片付けなければならない事ではありません。

「その話は後でゆっくり、今は急ぎの用件を片付けてしまわないと」

「あ、あぁそうだな。だが大丈夫だ。つい先程、櫻の指示通り全て作り終えた。
 搬入するための番重ばんじゅうは松屋七房ななふさ氏のツテで借りられたし、
 後は私達も一度身を清めて着替え、小火宴の会場へと向かうだけだ」

良かったぁ、ギリギリすぎるけれど一応は間に合ったようです。




その後、まずは私が先に行水を済ませてから叔父上たちも身を清め、緋桐殿下が私を迎えに来るのを待ってから、叔父上たちは大慌てで小火宴の会場へと向かいました。私は王族である緋桐殿下のパートナーとして参加するので、宴の開始時間ギリギリか少し遅れて入るぐらいで丁度良いらしいのですが、叔父上たちは前もって搬入を済ませて、軽食などをテーブルに慣れべておく必要があるため、本当に時間がギリギリなんです。

それでも緋桐殿下が迎えにくるまで決して出かけようとしなかったのは、私を一人にする訳にはいかないからです。やっぱり私がお荷物なんだなぁ……。

そんな事を思っていたら、緋桐殿下が手をサッと差し出したかと思うと、

「さぁ、櫻嬢。行こうか」

と輝かんばかりの笑顔で告げたのでした。
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