未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の極日13-

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顔や名前は記憶が真っ黒に塗りつぶされてしまって以来、思い出すこともできなくなってしまったけれど、私の前世の両親は事故で亡くなりました。両親の命を奪ったその事故は、私の命が助かった事が不思議になるぐらいの大事故だったそうです。流石に私に面と向かって言う人は少なかったですが、世間話の一つとして奇跡的生還だとか幸運だったなどと言っていた人を何度か見かけたことがありました。

私が入院していた時に、付き添いとして病院に来ていた祖母が出会った祖母の知人もそのうちの一人でした。

◯◯父の名君は小さい頃から優しくて責任感の強い子だったけれど、
 最後まで立派だったね。我が子をちゃんと守り通したんだね」

なんて声が病室の中にまで聞こえてきたのです。今になって思えば我が子を失って憔悴しきっていた祖母に対して、少しでも慰めとなるような言葉をかけたかったのだろうと判断できます。ですが当時の私はまだ未就学児だったので、死というものがよく解っていませんでした。なので両親がもうこの世のどこにも居ないという事を、実感できないどころか理解すらできなくて……。

また亡くなった父母の知人と思われる人の中には、極めて少数でしたが私に直接

「両親のおかげで命が助かったのだから、
 お父さんやお母さんが誇ってくれるような良い子になるのよ」

と涙ながらに話しかけてくる人もいました。彼らは両親に救ってもらった命なのだから大切にしなさいって伝えたかったのだと思います。ですが私はその言葉を、私が悪い子をだから両親が大変なことになってしまったのだと受け取ってしまいました。

毎日毎日寂しくて、痛くて、怖くて、つらくて……
なのに両親が会いに来てくれないのは私が悪い子だからなんだと。

ただ死というものが解っていなかった私は、「じゃぁすごく良い子になればお父さんもお母さんも会いに来てくれるはず!」という結論にたどり着き、日々の苦い薬も痛い治療も我慢するから、寂しくても絶対に泣かないで待っているから、早く会いに来て欲しいと願って努力する日々でした。

当然ながらそんな日が来る事はありませんでしたが……。





靴が空を飛んだり箒が海を泳いだりしたら人間はこんな顔をするのかもしれない、そう思ってしまうような呆けた顔をしたのは火箭かせん家の苧環おだまき姫だけではありませんでした。彼女を落ち着かせようとしていた皐月さつき姫殿下の命令を受けた護衛官もポカーンとした顔をしていましたし、何だったら私の声が聞こえた範囲に居るほとんどの人が似たような表情になっていました。

一瞬の空白の間のあと、

「ぉ……ほほほほほほ! なんて脆弱で無様なこと!
 緋桐ひぎり殿下、あの女の言葉をお聞きになられましたか?
 貴方様の横に並び立つ者として、あの者は欠片も相応しくありません!
 そこな下賤な娘とは違い、私ならば殿下の剣として血を浴びる覚悟も
 殿下の盾として命を捧げる覚悟も御座います!」

緋桐殿下の胸にしなだれかかろうとしながらも私を睨みつけ、勝利宣言のように苧環姫は言い放ちました。緋桐殿下はそんな苧環姫を最小限の動きで躱してから、少し困ったような表情で私を見てきました。緋桐殿下には本当に申し訳ないとは思いますが、私は死ぬ覚悟があるなんて嘘は口が裂けても言いたくありません。

「ですが!!」

この会場のどこかで、叔父上や兄上や山吹達も私を見ているはずです。だからこそ叔父上たちにも届くように、お腹の底からシッカリと声を出します。

「私は緋桐殿下の為に死ぬ覚悟は致しかねますが、
 大切な方の為に石を投げられ追われようとも、泥水を啜ることになろうとも
 何が何でも生き抜く覚悟ならば御座います」

緋桐殿下の為に何が何でも生き抜くとは言えません。それは嘘になりますから。私は生死に関することで嘘をつきたくはありません。ついでに少し冷静になれたので言葉遣いも直しておきます。

「同時に私は私の為に死ぬ覚悟をされるような方をお慕いする事はできません。
 生き抜く覚悟をしてくださる方でなければ、私は嫌です」

そう言い切った私を、周りの人は珍獣を見るような目で見てきました。まぁ、それも仕方がない事です。この国では苧環姫のような考え方が当たり前なんですから。

「緋桐殿下、そして皐月姫殿下。そして臨席されておられる皆様。
 どうか誤解をなさらないでください。
 私は決してこの国の文化を否定しているわけではないのです。

 この国の方々が大切な人の為に死ぬ覚悟を持つ事を良しとするのならば、
 それはこの国の文化風習として大切に守り伝えていくべきです」

国や地域が違えば文化風習も変わります。それを自分の価値観に合わないから悪い文化だと判ずるのは、野蛮で独善極まりない行為だと私は思います。だからこの国の老若男女が、大切な人の為に死ぬ覚悟を持つことが正しいというのならば、ヒノモト国ではそれが正しい文化風習なのです。

もちろん一部の人が犠牲や我慢を強いられたり強制されるような文化ならば、それは変えていくべきじゃないかとは思いますが、少なくともこの「大切な人の為に命をかける覚悟を持つべき」という文化に関して老若男女関係なく、多くのヒノモト国の国民にとっては至極当然の価値観のようなので、外部の人間である私がどうこういう問題ではありません。

ただ同時に私の価値観も否定してほしくないのです。私に死ぬ覚悟をするべきだと強制してほしくありませんし、相手に望むべきだと言われても私には無理です。

それは私には到底受け入れがたい事なのです。

「惰弱にも程がありますわ!
 そのような心持ちで緋桐殿下の寵愛を得ようなど笑止千万!!
 他国の庶民の出なればその程度でも仕方がないのかもしれませんが、
 殿下に命を捧げられる事がいかに名誉な事なのかを理解できないとは……。
 それに戦場いくさばで武勲を上げる事と同じぐらい、戦場にて散る事もまた名誉。
 夫の名誉を喜ぶ事もできぬような伴侶など不要の極み!」

なんというかヒノモト国は衣装の関係で日本の古墳時代っぽいのだと思っていましたが、気性に関しては戦国時代や大戦時の日本に近いのかもしれません。或いは北欧のヴァイキング。彼らは戦場で死ぬ事を「偉大な死」とし、老衰や病死は「不名誉な死」だと忌み嫌っていたと何かで見聞きした覚えがあります。

戦い続ける事が当たり前な環境では、戦いも死も日常の延長どころか日常そのものといえます。だからこそ生まれた価値観なのかもしれません。

「ですが私は大切な人に置いていかれたくはありませんし、
 大切な人を置いていきたくもありません」

もう二度と……という言葉を心の中で付け足します。私は両親に置いていかれ、祖父母を置いてきてしまいました。置いていくのと置いていかれるの、どちらがより辛いかなんて比べられる訳がなく。どちらも言葉をどれだけ尽くしても言い切れないほどに辛いんです。

幸いな事にこの世界で新しい家族には恵まれましたが……いや、血の繋がった両親が居ない時点で恵まれているに?マークを幾つか付けたくはなりますが、家族として一緒にいてくれる母上を始めとした皆のおかげで、私は今、とても幸せです。

だからこそ残してきた祖父母の事を思うと、胸が痛いほどに苦しくなります。

「そのうえで緋桐殿下にお尋ねいたします。
 殿下は私に自分の為に命を捨てて欲しいと……そう望まれますか?」

深呼吸を一つしてから、しっかりと緋桐殿下の目を見て真剣に問いかけます。その途端、緋桐殿下の眼差しや表情から戸惑いの色がスッと消えました。

「いいや、櫻嬢には俺のために命をかける覚悟などしてほしくない。
 命どころかほんの僅かなかすり傷ですら負って欲しくないからな」

そう言いながら私の方へと歩み寄ってきたかと思ったら、私の前でスッと跪くと私の手を恭しく取りました。そしてそのまま私の手の甲を殿下の額に軽く当ててから顔を上げます。

「そして誓おう。俺は櫻嬢の為に如何なる困難があろうとも生き抜くと」

緋桐殿下、その言葉は本命の女性に言ってあげてください。今此処で私に向かって言われても困ります。苧環姫の求愛を断るのに丁度良い言い訳になると思ったのでしょうが、後で自分の首を締めても知りませんよ。

(っていうかこの絵面、どこかで見た覚えがあると思ったら……
 前世友人が猛烈に推していた、第2部の1シーンの挿絵だ!!)

「このシーン! メチャクチャ良いのよ! 博愛主義でタラシに見えるこのキャラね、実はかなり一途な人でね」と言いながら挿絵を見せてくれた事があったのを思い出しました。原作とは状況がかなり変わっているので、もう原作知識は使えないと思っていましたが、変な所で名残があるものです。

そもそも私は小説版根幹の第1部しか読んでいないうえに転生した時間軸が第1部終了後&第2部開始10年前だった為、この世界の地名等の情報を知っているという程度の恩恵しかなかったんですよね。原作知識をガンガン使って無双するような熱い展開とは無縁の16年でした。




「そんな……そんな……。
 緋桐殿下、どうか冷静にお考えください!
 王族として、ヒノモト国人としての誇りをお捨てになるのですか!」

苧環姫からすれば、自分の大好きな人が道を踏み外しかけているようなものですから必死です。

「俺にとって一番大事なのは武人としての誇りだ。
 いずれ国王となられる兄者を一武人として支える事こそが俺の望む誇りだ」

緋桐殿下がそう言った瞬間、周りの人達が息を呑むのが解りました。今、緋桐殿下は王族主催の小火宴という公式の場で、自分は決して王にはならないと宣言したのです。緋桐殿下を王にすることで利権を得ようとする一派も、情勢を見つつ上手く立ち回ろうとしていた一派も衝撃的な発言に絶句してしまっていますし、第一王子である梯梧でいご殿下を支持する一派も、まさか緋桐殿下が自分から王位継承戦を下りるとは思っていなくて、喜ぶよりも先に呆然としてしまっています。

「そして俺は大切な櫻嬢の為に生還が難しいとされる戦からも生きて戻り、
 戦場いくさばで死ぬ名誉よりもずっと多くの武功をたて続けよう。
 櫻嬢、君が俺の傍に居てくれる限り……」

未だ私の手を握って、ひざまずいたまま私を見上げている緋桐殿下。乙女ゲーとかならうっとりとするようなシーンですが、実際に目の前でやられると身の置き所がなさすぎて、恥ずか死しそうです。今直ぐにでも握られている手を引っ込めたい衝動にかられますが、コレも作戦を成功させる為の演技だと思うとそうもいきません。

「緋桐……殿下………」

恥ずかしさのあまり上手い返しが全く思いつかず、名前を呼ぶ事しかできません。しかもその声が震えてしまいました。火が吹き出そうなほどに顔が熱く、絶対に真っ赤になっていると思うと余計に居たたまれません。恋愛経験値0の私では無理です!と、最初から断るべきだったぁぁ。

「ですが……ですが!!
 確かに緋桐殿下ならばそうやって武功を立て続けられる事は出来ましょう。
 ですがそこの娘にはどのような武勲が立てられましょうか?
 たいした武勲も立てずに命を落とすのは目に見えております!」

「そうですよ、緋桐殿下。
 もし彼女を心の底から大切に思うのならば、手放されるべきです。
 どうしても手放せないのならば、第2妃や3妃になされば良いのでは?」

苧環姫と彼女の同伴者がそれでも食い下がります。同伴者の方はどうやら従姉妹の恋路を応援したいというよりは、利権の確保が目的のように見えます。苧環姫からすれば平民の、しかも殿下の寵愛を受ける2妃は許せないようで、そんな提案をした同伴者の男性を睨みつけました。

「櫻嬢が命を落とすようなことは絶対に無い、この俺が守り通す」

スッと立ち上がった緋桐殿下は、私の肩を抱くようにして傍に寄り添いました。

「緋桐殿下が我が国で指折りの武人である事は私とて知っております。
 ですが自分の身を守ることすら出来ぬような女を守り続けていては
 いずれ凶刃が殿下に届いてしまいます!」

「……あぁ、確かにそういう日もくるかもしれないな」

緋桐殿下がそう返した途端、自分の主張を受け入れられたと思ったようで苧環姫の表情がパァッと明るくなりました。そんな苧環姫を無視して私へと語りかける緋桐殿下は、今まで見たことがないぐらいに真剣な表情で口を開きました。

「櫻嬢。一つ聞きたい事がある。
 俺たちヒノモト国人より遥かに長い寿命を持つヤマト国人であっても、
 いずれは死を迎える。これは人である以上、絶対に変えられぬ運命さだめだ。

 何より俺は武人だから、櫻嬢や櫻嬢の出身国の人々よりも死は身近だ。
 どれ程櫻嬢と共に生きると強く願っても覚悟をしたとしても、
 俺より強い者と戦えば無事ではすまない。
 無論、そんな相手とは戦い自体が起こらぬように努力をするつもりではいる。
 だが……どれほど君を置いていかないように全身全霊を注いでも、
 君が恐れる可能性を皆無にはできない。その事についてどう思う?」

私の目を覗き込むようにして言葉を紡ぐ緋桐殿下に、私も同じように真剣な眼差しで応えました。

「もし……もし、私の大切な人が命の危機に瀕したのならば、
 私はこう言うでしょう。

 一緒に連れていって・・・・・・・・・……

 と。一人で旅立たせてしまう事も、一人残される事も嫌ですから」

そう緋桐殿下に向かって言いつつも、前世の両親と祖父母の事を思い出してしまいました。

前世では両親の分もしっかりと生きなくてはと思っていましたが、時々ふとした瞬間に(どうして私も一緒に連れて行ってくれなかったの?)と思うことがありました。流石にそんな気持ちを祖父母に知られる訳にはいかず、自分の心の奥深くにしまいっぱなしでしたが、祖父母を悲しませる事になったとしても私は両親と一緒に居たかった思う事がありました。

私も年を取り、結婚をし、子供ができれば両親の気持ちが理解できるようになるのかもしれませんが、今の私には両親が私を置いていってしまった気持ちを本当の意味では理解しきれていません。母上に聞いたら解るのかな……。



緋桐殿下の手が私の頬にそっと添えられ、親指が私の眦に触れました。そしてその指が優しく横にスライドしていきます。この時になって私は、初めて自分が涙を浮かべていることに気づきました。

(泣くつもりなんて無かったのに、恥ずかしいな。もう……)

照れ隠しで緋桐殿下に笑いかければ、ホゥという溜め息のような声があちこちから聞こえてきました。どうしたんだろう?と周囲を見ようとして、真っ先に目に入ったのは怒りに震える苧環姫でした。

「……私、これにて失礼致しますわ!!」

そう言うと私を射殺さんばかりに睨みつけてから、きびすを返して去っていきました。同伴者も慌ててその後を追ったのですが、彼からも睨まれてしまいました。本当に悪役ですね、私。




「さ、さぁ、堅苦しい挨拶はここまでに致して、宴を始めるとしよう!
 今日はとても珍しい料理や品もたくさん用意してあるゆえ、
 みなもどうか楽しんでいってほしい」

サッと皐月姫殿下が手を上げ、それを合図に護衛官たちが剣を掲げました。その護衛官たちの一人が皐月姫殿下に大きな弓と変わった形の矢を渡し、姫殿下がその矢を夜空に向かって放つと、ピュィィィっと甲高い音を立てて飛んでいきました。あれはもしかして平家物語などの出てくる鏑矢なのかな? 前世今世通して初めて見たよ。

その鏑矢の音を合図に宴会場はざわめきで埋め尽くされ、

「新物の小麦で作られた焼き菓子に御座います」

という声のする屋台では、小さい頃に叔父上が買ってきてくれた春日大社の神饌の「ぶと」にそっくりな、トンカチで割って食べた超固いお菓子が並んでいますし、その向こうではうどんにそっくりな麺料理がありました。

他にも飲み物や小物などの屋台が、庭にある木々の根本に幾つも設営されています。宴に参加する華族たちはその屋台を覗いては、興味のある料理や品を受け取り、そしてソレを話のネタに社交に励むようです。

「では俺たちも行こうか」

すごく優しい笑顔を浮かべて私に手を伸ばしてくれる緋桐殿下には大変申し訳ないですが、周りからチラチラと向けられる興味津々な視線から察せられるこの後のことを思うと、私も苧環姫のように帰りたい……そんな気持ちになってしまうのでした。
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