未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陰月14-

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(自分の目の前で蜘蛛の糸が切れたカンダタは、
 こんな気持ちだったんだろうか……)

現実逃避なのか、呆然としながらも前世の学生時代に読んだ芥川龍之介の蜘蛛の糸のワンシーンを思い出しました。信じられない、信じたくない。そんな気持ちばかりが溢れ出て現実が受け入れられず、じっと叔父上の顔を見つめ続けます。細いとはいえ希望の糸を確かに掴んだと思ったのに、その糸がプツリと切れてしまいました。それと同時に私の心の糸もプツリと切れてしまったようで、どうにかしなくてはと思うのに身体がまったく動きません。

「叔父上、どうして目を開けてくれないの?
 どうして……返事をしてくれない……の??」

何度呼びかけても全く反応のない叔父上に、込み上げてくる嗚咽が堪えられず声が途切れ途切れになってしまいました。今まで自分一人で対処が出来ないほどの困難が起こった時は三太郎さんに助けを求めていたのですが、今は三太郎さんへ話しかける精神的余裕すらありません。

なまじ希望を持っていただけに、絶望がとても深く……深く……。

前世の両親の死は、私が幼すぎてしばらくの間は理解できず。ようやく実感できる年齢になったらなったで、辛い気持ちで苦しくなる子供時代でした。もし死に目に会えていたら、せめてお葬式に出る事が出来ていたのなら少しは違ったのだろうかと前世では思っていましたが、死に目に会えたとしても心の痛みが軽くなるものではないということを、今、ここで思い知りました。

「あぁあああああーーーーーっっっ!!!」

私の心臓を目に見えない誰かがギュッと握り潰しているかのように、胸が痛くて仕方がありません。呼吸すら出来ないほどの痛みに、喉が裂けそうな叫び声が出てしまいます。

「どうした!?」

扉がバンッと開いて血相を変えた桃さんが飛び込んできましたが、私の視界は叔父上に固定されたままで動かすことができません。

その視界がフッと暗くなったかと思うと、背後からぎゅぅと抱きしめられました。その体温や香り、そして何より声から桃さんが片手で私の視界を塞ぎ、もう片方の手で私を抱きしめたのだとわかりました。

「泣くな。俺様まで苦しいだろうが……。
 人の死がこんなに胸が苦しく痛いモノだなんて……俺様は知らねぇ」

心話を飛ばしているつもりはないのですが、近すぎる所為か、あるいは私の感情が強すぎる所為か、桃さんと感情の共有がされてしまっているようで、人間の死とは魂の循環でしかないと思っている精霊の桃さんまでもが苦しそうな声を出します。

「だって……だって……」

その先が言葉になりません。

「やはり駄目であったか……」

「最善は尽くしたのじゃがな」

金さんと龍さんがそんな事を言いながら、私の中から出てきました。

「お願い、まだ叔父上は生きてるから!!」

だから霊力を送るのを止めないでと、真っ暗の視界の先にいるはずの二柱の精霊に縋るように訴えます。

「櫻、そなたが家族の死というものに強い忌避感を持っているのは知っている。
 だが……人はいずれ、何時かは死を迎えるものだ。
 せめて鬱金の最後が寂しいものではなくなるよう、手を握ってやるが良い」

いつも以上にゆっくりと言葉を紡ぐ金さんに、反論したいのに反論できる要素がありません。確かに人間……いえ、生命あるものはいずれその生命を終えます。それは叔父上だろうが、私だろうが……そして動物だろうが植物だろうが、すべての生命がその運命から逃れる事はできません。それは私だって解ってはいるんです……。




前世同様に今世でもこんなに早く家族を失うのか、それが私の運命なのかと失意のどん底に落ちかけた私を龍さんの声が引き止めました。

「櫻よ……。おぬしは叔父を助ける覚悟はあるか?
 この世の全てを根底から変えるほどの覚悟じゃ」

「……覚悟??」

「あぁ、おぬしにとっても、
 おぬしの守護精霊にとっても苦難の連続となるじゃろう。
 それでも挑む覚悟はあるか?」

「叔父上が……叔父上が助かるのなら!!」

切れてしまった蜘蛛の糸が再び目の前に降りてきて、反射的に飛びつきました。私だけでなく三太郎さんにまで苦難を強いてしまう事には申し訳無さを感じますが、叔父上が助かるのなら土下座だって何だってして三太郎さんを説得します。

「待て!! てめぇ……その為に櫻に希望を持たせてから、
 わざと絶望に追い込んだな!」

いまだ私を抱きしめていた桃さんが、唐突にそう言い出すと私を更に強く抱きしめて龍さんから遠ざけるようにして庇います。

「も、桃さん??」

「てめぇははなっから櫻にその苦難ってのをさせるつもりだったんだろ!」

「確かに私にもそのように見えますね」

狼狽える私とは真反対の冷静な声が部屋に響きました。このタイミングで留守にしていた浦さんが戻ってきたようです。

「流石は火の精霊というべきじゃろうか。
 火は直感力に優れ、水は適応力に優れていると言われておったが、
 おぬしの直感力は大したものじゃな」

「ということは、そなたには隠した意図があったと認めるのだな」

金さんの声が急に冷たくなります。

「そうじゃなぁ。どこから話せば良いのか……。
 まず、わしは最善を尽くした。だが全力を尽くしてはおらん。
 じゃがそれは決して失敗を望んでの事ではない。それはわかるじゃろう?
 そこの男がこの場で助かるのならば、それはそれで良い事じゃからな」

「言葉遊びをしてるんじゃねーんだよっ!」

飄々とした龍さんの態度が桃さんの癇に障るようで、桃さんはもう切れる寸前といった様相です。そんな桃さんを制し、比較的冷静な浦さんが

「えぇ、わかりますよ。貴方が本当に第一世代の精霊ならば、
 神の欠片でしかない私達とは根本的に存在が違います。
 貴方が全力で力を注ぎ込めば、同時に力を使っている金太郎の力など
 あっという間に消し飛んでしまうでしょう」

そう言いながら襦袢を私の肩にかけてくれました。そういえば叔父上の事が最優先すぎて、自分が全裸な事をすっかり忘れていました。

「そういうことじゃ。
 この世はあらゆる均衡が保たれる事でなりたっておる。
 ……いや、正確には成り立っておった……じゃな」

「ああーーっっ!! 回りくどいことは良いから、結論から言え!!」

どうも単純明快な桃さんにとって、捉えどころのない龍さんは浦さん以上に相性が良くないようです。

「結論か。……ならば櫻よ、叔父を助けたいのならば、
 おぬしの守護精霊と共に禍津地マガツチへと向かうのじゃ」

「え? いや、でもそんな所へ行っている時間が叔父上には!」

今にもその微かな命の営みが途絶えそうだというのに、アマツ大陸を出て禍津地にまで行く余裕なんである訳がありません。そもそもこうやって金さんと龍さんが外に出てしまっているって事は、霊力の回復が途切れてしまっている事を意味しています。私が何度も叔父上に霊力の供給は続けてほしいと懇願したので供給自体はまだ続いていますが、霊力の回復が行われていない以上、いずれ供給は止まってしまいます。

そしてアマツ大陸とマガツの具体的な距離は原作では書かれていませんでしたが、1日や2日で行ける距離でないことは確かです。そんな場所にこれから向かうなんて論外です。

「そもそも禍津地は神々の大戦のおり、呪われた地となった。
 何故なにゆえ櫻をそのような危険な地へと向かわせねばならぬ?」

「おぬし達が3柱が第3世代の精霊の力を吸収するためじゃな」

第3世代。それははるか昔に神々が起こした戦いで、攻撃的な性格や能力を持たされた精霊たちです。仕方がない事ではあるのでしょうが、穢れを急速に溜めては崩壊してしまう第3世代の事は三太郎さんも触れてほしくはないようで、私もあまり詳しくは聞けていません。ですが前世で見たファンタジー物には定番としてあった、攻撃魔法に近い能力を持っているんじゃないかと私は思っています。

「おぬし達は他の精霊と違って、成長……つまり変化をするじゃろう?
 それは儂の力が影響しておるのじゃが、
 このままこの大陸に居続けては大きな成長は見込めぬ」

「つまり……てめぇはずっと俺たちに干渉していたってことか?!」

「桃、少し落ち着きなさい。そのおかげで助かった事もあるはずですよ。
 そして櫻の中にずっと感じていた何者かの気配は、貴方だったのですね」

「そういう事じゃな。
 さて時間が惜しいゆえ、単刀直入に申そう。
 櫻、おぬしが望むのならば儂は全力の力と知識と知恵を授けよう。
 じゃが望まぬのならば、それはそれで良い。
 それがおぬしの選んだ道なのじゃから」

何を言われたって私に出来ることがあるというのに、叔父上を助けないという道は選べません。ただ気になっている点は幾つもあります。

「まずは金さんと龍さんは私の中に戻って、
 霊力の回復をしながら叔父上に力を送り続けて。
 気になることがたくさんあるから、話し合うにしてもまずはそこからだよ」

何が何でも叔父上は助けるのだという決意の元、私はそう言ったのでした。




<櫻はこの世界に違和感を感じはしなかったじゃろうか?>

私の中に戻った龍さんからそう問いかけられて、思い出したのは転生した直後のことでした。あの頃は生きるのに必死でしたが、同時にありとあらゆるものに違和感を感じていました。ですがそれは異世界だから仕方のない事だと思っていました。だってこの世界の精霊や人間の誰一人として違和感を感じていないのだから。

「前世の常識基準で言えば、幾つも違和感はあったよ。
 四大精霊のうち風の精霊だけがいないところや、ヤマト国の人だけが長寿な事。
 それに何よりありえないぐらいに長い間、文明がほとんど発展していないこと。
 挙げだしたらきりが無いぐらい」

「それがこの世界の普通だぜ?
 櫻のいた世界とは違うんだから仕方なくねぇか?」

再び叔父上にぴったりとくっついて横になる私の側に座っている桃さんが、首を傾げてそう言います。「そうですね」と浦さんも頷く辺り、やはりこの世界で生まれ育った精霊にとってはそれが当たり前で、違和感を抱く私が異質なのです。

<そうじゃなぁ。まず神代かみよの昔の話からはじめようか。
 むかしむかし……>

そう言って龍さんが語りだしたのは、この世界の成り立ちでした。幾つかは私が前世で呼んだ小説未来樹の中でも書かれていた事でしたが、知らないことの方が圧倒的に多く……。

はるか昔。
神々は後に第一世代の精霊と呼ばれる自分の分身を作ると、世界の創造を始めました。その時の神は4柱。火の神、水の神、土の神、そして風の神。それぞれの神が自分に5割の力を残してから、残りの5割を2つや3つに分割して分身を作ったのに対し、風の神は自分込みで4つに分割しました。風の神にとって一箇所に留まって同じ作業を繰り返すのは苦痛でしかなく、それを4柱で分担することで軽減しようとしたのだと言います。

ただ、それはとある神の野心に火をつけました。本来ならば自分と同格の神が、明らかに自分よりも霊力の劣る格下になったのだから。不穏な空気が流れ始めた頃に世界は完成し、神々は即座に第一世代の精霊を再び自分へと戻しました。

風の神を除いて……。

そしてソレだけが原因では無かったそうなのですが、切っ掛けにはなって神々の大戦が始まりました。それがこの世界の成り立ち。未来樹という大きな大樹に茂る、幾つもある葉のうちの一つの成り立ちです。

<この世界は大きな大樹に茂る葉の一枚なのじゃが、
 その大樹が枯れ始めたのは何時の頃じゃったか……。
 今やその大樹の葉の大半が滅びの運命にあり、残すはほんの一枝のみじゃ>

健康な葉の数は両手の指の数で足りる程しかなく、大半は何かしらの問題を抱えていて、未来樹そのものも倒壊する直前なのだと龍さんは言います。なぜこの世界の神の分身でしかない龍さんがそんな未来樹全体の事を知っているのか不思議に思いますが、それよりも気になるのは子供の頃から疑問に思っていた事です。この世界は根幹と呼ばれた正史の世界なのか、それとも葉生と呼ばれたIFの世界なのか……。

「ここは私が知る、未来樹の……つまり正史と言われている世界なの?」

<……ふむ。おそらくおぬしが申しているであろうその世界は……>

少し言い淀んだ龍さんでしたが、一拍置いてから

<既に滅んだ>

ときっぱりと言い切りました。更には

<先程も申したが、滅んだのはその世界だけではない。
 この世界が茂る大樹には無事な世界のほうが珍しいのじゃよ。
 そして均衡が重要じゃとも先程申したことを覚えておるか?
 この世界からとある神を除いて、3柱の神が消えて久しい。
 不均衡とはなったものの、幸いにも生き残った神の力で
 急激な崩壊こそ防げておるようじゃが、それもそろそろ限界じゃろう>

<ま、待て! その話からするとそなたが望むものは……>

珍しく絶句した金さんの心話の後を浦さんが引き継ぎます。

「私たちに神になれと……貴方はそう言っているのですか?!」
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