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4章
16歳 -無の月7-
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大地の裂け目が、瞬き一つの間に天空の裂け目へと変わりました。
龍さんの小脇に抱えられるようにして飛び込んだ峡谷は、横幅3~4メートル前後と他の亀裂と比べて特別大きなモノでは無かったのですが、深さはどれぐらいあるのか検討もつかない程に深いようで、ふと見た下方は真っ暗闇です。
ゴウゴウと耳元で鳴る風の音に、内蔵が口から飛び出てきそうな浮遊感。過去数回やらかした時の感覚の再現に、本能なのかトラウマなのか反射的に横にある龍さんの脇腹に全力でしがみついてしまいました。
「イタタタ……。これ、落ち着け!」
龍さんが霊力を使ってくれたようで、急に全身で感じていた風がやわらぎます。おかげで呼吸も少し楽になり、同時にぶわっと足元から上がってくる浮遊感に先程まで感じていた浮遊感は落下感の間違いだったと気づきました。
(そりゃぁそうだよね。
浮かんでいるんじゃなくて落ちているんだから)
どうやら自分で思っていた以上に怖かったようで、落ち着いた途端に自分の言葉のチョイスが間違っていた事に気付き、思わず自分にツッコミを入れてしまいます。そして落ち着いた事と龍さんが強すぎる風から保護してくれた事で周囲の音がちゃんと聞き取れるようになり、
「おい、落ち着け!!」
「うぅーーーーー!!」
と慌てている緋桐さんと暴れているらしい青藍の声が聞こえてきました。既に周囲はかなり暗く、自分の手すら輪郭でしか識別できないほどです。あと少しすれば完全に見えなくなりそうなので、その前に青藍を落ち着かせた方が良いかも知れません。
「青藍、大丈夫だから落ち着いて。私の方へ来る?」
そう言って青藍に向かって腕を伸ばせば、龍さんが私を一瞬だけ風で浮かせて抱きかかえ直してくれました。そして小さな手が私の手をぎゅっと握ってきたので、この数日ですっかり慣れてしまった温もりを抱き寄せます。そうして私は龍さんの左腕に座るように抱かれ、青藍は龍さんの左肩に座るようにして私が抱きかかえることになりました。
私が青藍を抱っこするのは落ち着かせる意味もありますが、この峡谷の下に何があるかわからない以上、戦える緋桐さんには一番身軽でいて欲しいからです。なぜなら地上で聞いた時は確信が持てなかったのですが、今では確信を持って言えます。
聞こえてくる声は間違いなく複数の人の悲鳴だと……。
三太郎さんから聞いた、青藍の家族は神座と呼ばれる場所で暮らしている可能性が高いという情報。私と青藍は集落からかなり離れた場所で待機予定だった為に目視は出来ていないけど、遺体があちこちにあるらしいこと。突然現れた巨大で奇怪なバケモノ。風の音の合間に聞こえてくる微かな人の声のような音。
それらの情報をまとめると青藍の家族があのバケモノから逃げて峡谷に身を隠している可能性が高く、ついでに現在進行系でのっぴきならない事態に陥っている可能性も。なので逃げるという選択肢ではなく、峡谷へ向かうという選択肢を選んだ事に後悔はありません。
ただ……、後悔はありませんが恐怖はあるんです。
底なしのように見える真っ暗な峡谷にも恐怖を感じますし、その先で待ち構えているかもしれない何かにも恐怖を感じます。そして何より地上で戦っている三太郎さんが怪我をしたら、ましてや力を使いすぎて消滅なんて事になってしまったら……と思うと不安だし怖くて仕方がありません。
それに生まれて初めてなんです。
三太郎さんが一人も私の側に居ないなんて……。
今も頭上からは爆音や地響きが聞こえてきて、三太郎さんがあのバケモノと戦っている最中だということが解ります。
「龍さん。あのバケモノは何なの?」
この峡谷の下が安全だったら龍さんには増援に向かって欲しいと思うぐらい、あのバケモノの異形さや異様さは筆舌に尽くしがたいものでした。限りなく汚れた黄色としか表現のできない色をした巨大なバケモノは常に形を変え続けて、翼だったり足だったり尻尾だったりがあちこちから生えたり消えたりしていました。そんな混沌としか言いようがない生き物は、前世今世通して見たことも聞いたこともありません。
「儂とて全てを知っておる訳ではないのじゃが……。
おそらくじゃが水の妖の総大将のようなものじゃろう」
頭上から静かに降り注ぐ龍さんの声は、何故かどこか苦しげです。
「龍さん、大丈夫? 何だか……」
一緒に過ごすようになってまだ日が浅いため、三太郎さんを含めた家族ほどでは無いにしても、龍さんだって大切な仲間です。
「儂は風の精霊じゃからなぁ。地の底に向かうのは少々……」
どうやら幼い頃にやらかした、桃さんに湖に潜ってもらう以来の大失敗を再びやってしまったようです。でも今から金さんと交代してもらう訳にもいきません。
「いや、安心せい。完全に風の道を封じられるような……、
そうじゃな、例えば大量の土砂に埋もれたのなら別じゃが、
そうでないのなら大丈夫じゃ。……そんな泣きそうな顔をするな」
ようは何時もより少しだけ霊力の消費が多くなるだけで、どこかが痛いとか苦しいという訳ではないのだと龍さんは続けて説明してくれます。
「それなら良いんだけど……って、いや良くはないけど!」
まるで龍さんが疲れるだけなら別に良いと取られかねない発言に、慌てて訂正を入れます。叔父上を助ける事や、青藍を家族の元へ帰してあげたいという願いは私の我儘です。そしてそれにつきあってくれている三太郎さんや龍さんや緋桐さんは、私の願いに巻き込まれてくれた人たちです。この時点で彼らからはたくさんの優しさをもらっているのだから、必要以上に頼って甘えるのは筋違いというものです。
「儂がしんどいのは櫻や坊主はともかく、
このデカい図体の男を抱えねばならぬからじゃよ」
そういえば精霊さんたちの腕力って考えたことが無かったですが、思い返してみると叔父上たちと大きくは違わない程度でした。我が家の人間の中で一番の力持ちは山吹でしたが、その山吹よりも金さんは少し力持ちだったように思いますが、浦さんはよりは山吹のほうが力持ちでした。
……って、アレ??
「龍さん、もしかして私が見えてる??」
既に周囲は真っ暗で、私の腕の中へと移動してきた青藍のシルエットすら目を凝らして漸く判別できるぐらいです。なのに龍さんは「泣きそうな顔」と言いました。私がそんな顔をしていたかどうかは別として、龍さんには私の表情が見えているということです。
「櫻嬢には見えていないのか??」
「しゃーら、せーらん良い子するから ないたら めー!」
返事は龍さんからじゃなく、緋桐さんと青藍から届きました。発言内容から緋桐さんには見えている事は確かで、青藍に至っては言葉に加えて僅かなブレもなく私の頬へ小さな手を添えてきた事から見えている事は確実です。
「俺達は子供の頃から夜戦の訓練があって、夜目も効くから……。
それに姿は見えるが色までは判別できない!」
と緋桐さんがフォローしてくれますが、この暗闇で表情の判別が出来る目って夜目が効くってレベルじゃないような気がします。この世界で照明の技術や方法があまり発達していないのは、この夜目が効くからという事もあるのかもしれません。
母上たちと一緒に生活してきたのに気づかなかったのは、私が前世基準の明るい拠点を初っ端から用意してしまったからかも……。思い返せば岩屋は薄暗かった気がします。てっきり油の浪費を防ぐ為だとばかり思っていましたが……。
「さぁ、そろそろ下につきそうじゃぞ」
その龍さんの言葉に再び下を確認しますが、私の目には真っ暗で何も見えません。視界がほとんど聞かない反面、聴覚は研ぎ澄まされているようで、はるか頭上高くから聞こえる止まない爆音と、足元をチョロチョロと流れる水の音。それと遠くから聞こえる多数の人間の悲鳴がはっきりと聞き取れました。
「龍さん、緋桐さん。
桃さんの技能「発光」の霊石を使おうと思うんだけど、大丈夫かな?」
「儂らはともかく、おぬしはこの闇では歩くことすらままならぬのじゃろう?
ならば明るくする一択じゃ。
それによって起こる不都合は、その都度対処すれば良い」
「龍様が仰るとおり、櫻嬢が身動きできないのであれば明るくするのが良いかと。
もし明かりを目指して敵がくるようならば俺が排除する」
ガチャリと緋桐さんが剣を握り直したと思われる音が聞こえるのと同時に、足の裏が久しぶりに大地を踏みしめました。ところがその土はグチュリと嫌な音を立て、足が滑ります。
「儂の力で周囲の空気を浄化しておるゆえおぬし達は気づかぬじゃろうが、
周囲はとんでもない悪臭じゃぞ。おそらく此処の大地も水も腐っておるな」
青藍を抱えたまま後ろにひっくりかえりそうになった私を、龍さんが支えてくれます。そんな場所に青藍を下ろす訳にもいかず、一度龍さんに預けてから腰から下げた小袋の口を開け……まずい。どれが何の霊石か解らない。
必要になりそうな霊石をできる限り持ってきたのですが、この暗闇では霊石の区別がつきません。明確に形の違う織春金と震鎮鉄は手で触って区別がつくのですが、似たような球体の深棲璃瑠と火緋色金の区別がつかないのです。それに霊石の区別が付いたとしても、そこに籠められた技能の紋までは解りません。仕方ない……。
「緋桐さん、ちょっと手を貸してください」
そう言って緋桐さんの手を取ると、その手のひらに幼い頃から何度も見た発光の紋を指で描きます。
「この紋が入った石ってどれですか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう一度頼む」
いきなりの事で戸惑った緋桐さんでしたが、もう1度手のひらに紋を描いたら難なく目的の霊石を見つけてくれました。その霊石を発動させるのは簡単で、作った際に桃さんが決めたコマンドワードを私が言えば発動します。何時もなら道具や装置に取り付けることで発動を制御しているのですが、今回は装置を持って移動するなんて無理なので、霊石単体でも発動させる為の仕組みを作ったのです。なので目をつぶって意識を手のひらの上に集中し、決められたコマンドワードを唱えます。
「モモサン、ツヨクテカッコイー」
……何でこんなコマンドワードを設定したのよ、桃さん。
そもそもこれを私が唱えるって事は桃さんが側に居ないって事で、何を言ったって桃さんには聞こえないのにぃ!!
ポワッと私の手のひらの上に小さな明かりが灯りました。ただこれだと光量が足りないので、もう一段階技能レベルをあげます。この技能のレベルの変更も、コマンドワードと同様に最近追加できるようになった機能です。技能レベルの上昇はコマンドワードを複数回言えばよいだけなので、簡単です。……簡単ではあります。
ちなみにコマンドワードを言えば発動する霊石ですが、中には「爆発」なんて危ない霊石も少数ながらあり、それらは別のコマンドワード+アルファで設定されています。
半径10m近くが煌々と明るくなり、少々薄暗いところも含めればそれなりに先までが見えるようになりました。ようやく暗闇の恐怖からは開放されて一息つけますが、何時までも発光している霊石を手に持っている訳にはいきません。青藍を抱っこするにしても何をするにしても、片手が塞がったままでは不便です。
なので龍さんの霊力を浮遊という技能の形で籠めた織春金を取り出すと、小さな桜の花の形をした台座の中央に織春金と発光の霊石をはめ込みます。こうすることで発光した霊石が私の頭上1mぐらいのところでプカプカと浮遊しつづけてくれるのです。
しっかりと霊石が浮かび上がったのを確認してから、再び青藍を龍さんから帰してもらいました。それからようやく周囲を見回したのですが、途端に明るくした事を心の底から後悔してしまいました。
地面をチョロチョロと流れる水は、水と呼ぶのすら嫌になるぐらいの汚水で、黄土色と赤黒い色の筋が何本も入り乱れるようにして流れていました。その幅こそ大きくありませんが、深さは濁っていて全く解りません。流れる音だけを聞けばそんなに深いようには思えませんが、あえて足を入れたいモノでもありません。
それに土は地表の土と違って脆さを感じさせはしませんが、泥と呼んだら泥が可哀想になるぐらいに粘ってドロリとしています。更には何故か時々ボコッと泡立っては、プシューと何かしらの気体が抜けていきます。
泥水が沸騰したらこんな感じなのかもと思うような光景は、流れる汚水への嫌悪感と相まって目をそらしたいぐらいですが、そらした先の崖も同様に粘度の高い泥の泡から気体を吐き出していて目をそらす意味がありません。
「これは……ひどいな」
急に明るくなった事で目を瞬いていた緋桐さんが、やっと周囲を見ることが出来たのか唖然とした様子で呟きました。その声に両目を手で抑えていた青藍もゆっくりとあたりを見回しはじめたのですが、ちょうどその時
「ギャアーーーーッッ!!!」
という耳をつんざくような悲鳴が、先程までよりもずっと近くから聞こえました。
落下途中から意識して、途切れ途切れに聞こえてくる悲鳴の事は考えないようにしていました。焦ることなく、まず準備をしなくてはと思っていたからです。まずは視界の確保や足場の確認をしなくては話になりませんし、他にも自分たちの身を守る為の手段は全部使っておくべきです。
だと言うのに、その悲鳴を聞いた途端に青藍は
「おたーーっ!! おもーーー!!!!」
と良くわからない言葉を叫んで、いきなり暴れ出しました。いくら4~5歳児ぐらいの力と体格とはいえ、抱っこから無理やり降りようと暴れられると私では対抗しきれません。
「ちょ、青藍! 落ち着いて」
落っことしそうで慌てて強く抱きしめるのですが、それが悪かったのか暴れ方が一層激しくなります。
「静かに!!」
私では無理だと判断した緋桐さんが青藍を抱き上げようとしたのですが、いきなりグッと剣を握り込むと身体を反転させて、光の輪の先の闇の奥を睨みつけます。その闇の奥からグチャといえばよいのか、ズチャといえばよいのか……。何か粘度の高い大きなモノが這いずる音が、徐々に大きくなります。
「龍様、櫻嬢と青藍を……」
「あぁ、解っておるよ。おぬしは気張れよ」
「はっ!」
暴れていた青藍も私達の雰囲気に気圧されたのか、急に大人しくなりました。そんな私を龍さんが再び抱き上げます。その時でした。
「来るぞ!!」
緋桐さんの声と同時にズジャアア!!!という音が峡谷に響き、闇の中から何かが飛び出してきたのでした。
龍さんの小脇に抱えられるようにして飛び込んだ峡谷は、横幅3~4メートル前後と他の亀裂と比べて特別大きなモノでは無かったのですが、深さはどれぐらいあるのか検討もつかない程に深いようで、ふと見た下方は真っ暗闇です。
ゴウゴウと耳元で鳴る風の音に、内蔵が口から飛び出てきそうな浮遊感。過去数回やらかした時の感覚の再現に、本能なのかトラウマなのか反射的に横にある龍さんの脇腹に全力でしがみついてしまいました。
「イタタタ……。これ、落ち着け!」
龍さんが霊力を使ってくれたようで、急に全身で感じていた風がやわらぎます。おかげで呼吸も少し楽になり、同時にぶわっと足元から上がってくる浮遊感に先程まで感じていた浮遊感は落下感の間違いだったと気づきました。
(そりゃぁそうだよね。
浮かんでいるんじゃなくて落ちているんだから)
どうやら自分で思っていた以上に怖かったようで、落ち着いた途端に自分の言葉のチョイスが間違っていた事に気付き、思わず自分にツッコミを入れてしまいます。そして落ち着いた事と龍さんが強すぎる風から保護してくれた事で周囲の音がちゃんと聞き取れるようになり、
「おい、落ち着け!!」
「うぅーーーーー!!」
と慌てている緋桐さんと暴れているらしい青藍の声が聞こえてきました。既に周囲はかなり暗く、自分の手すら輪郭でしか識別できないほどです。あと少しすれば完全に見えなくなりそうなので、その前に青藍を落ち着かせた方が良いかも知れません。
「青藍、大丈夫だから落ち着いて。私の方へ来る?」
そう言って青藍に向かって腕を伸ばせば、龍さんが私を一瞬だけ風で浮かせて抱きかかえ直してくれました。そして小さな手が私の手をぎゅっと握ってきたので、この数日ですっかり慣れてしまった温もりを抱き寄せます。そうして私は龍さんの左腕に座るように抱かれ、青藍は龍さんの左肩に座るようにして私が抱きかかえることになりました。
私が青藍を抱っこするのは落ち着かせる意味もありますが、この峡谷の下に何があるかわからない以上、戦える緋桐さんには一番身軽でいて欲しいからです。なぜなら地上で聞いた時は確信が持てなかったのですが、今では確信を持って言えます。
聞こえてくる声は間違いなく複数の人の悲鳴だと……。
三太郎さんから聞いた、青藍の家族は神座と呼ばれる場所で暮らしている可能性が高いという情報。私と青藍は集落からかなり離れた場所で待機予定だった為に目視は出来ていないけど、遺体があちこちにあるらしいこと。突然現れた巨大で奇怪なバケモノ。風の音の合間に聞こえてくる微かな人の声のような音。
それらの情報をまとめると青藍の家族があのバケモノから逃げて峡谷に身を隠している可能性が高く、ついでに現在進行系でのっぴきならない事態に陥っている可能性も。なので逃げるという選択肢ではなく、峡谷へ向かうという選択肢を選んだ事に後悔はありません。
ただ……、後悔はありませんが恐怖はあるんです。
底なしのように見える真っ暗な峡谷にも恐怖を感じますし、その先で待ち構えているかもしれない何かにも恐怖を感じます。そして何より地上で戦っている三太郎さんが怪我をしたら、ましてや力を使いすぎて消滅なんて事になってしまったら……と思うと不安だし怖くて仕方がありません。
それに生まれて初めてなんです。
三太郎さんが一人も私の側に居ないなんて……。
今も頭上からは爆音や地響きが聞こえてきて、三太郎さんがあのバケモノと戦っている最中だということが解ります。
「龍さん。あのバケモノは何なの?」
この峡谷の下が安全だったら龍さんには増援に向かって欲しいと思うぐらい、あのバケモノの異形さや異様さは筆舌に尽くしがたいものでした。限りなく汚れた黄色としか表現のできない色をした巨大なバケモノは常に形を変え続けて、翼だったり足だったり尻尾だったりがあちこちから生えたり消えたりしていました。そんな混沌としか言いようがない生き物は、前世今世通して見たことも聞いたこともありません。
「儂とて全てを知っておる訳ではないのじゃが……。
おそらくじゃが水の妖の総大将のようなものじゃろう」
頭上から静かに降り注ぐ龍さんの声は、何故かどこか苦しげです。
「龍さん、大丈夫? 何だか……」
一緒に過ごすようになってまだ日が浅いため、三太郎さんを含めた家族ほどでは無いにしても、龍さんだって大切な仲間です。
「儂は風の精霊じゃからなぁ。地の底に向かうのは少々……」
どうやら幼い頃にやらかした、桃さんに湖に潜ってもらう以来の大失敗を再びやってしまったようです。でも今から金さんと交代してもらう訳にもいきません。
「いや、安心せい。完全に風の道を封じられるような……、
そうじゃな、例えば大量の土砂に埋もれたのなら別じゃが、
そうでないのなら大丈夫じゃ。……そんな泣きそうな顔をするな」
ようは何時もより少しだけ霊力の消費が多くなるだけで、どこかが痛いとか苦しいという訳ではないのだと龍さんは続けて説明してくれます。
「それなら良いんだけど……って、いや良くはないけど!」
まるで龍さんが疲れるだけなら別に良いと取られかねない発言に、慌てて訂正を入れます。叔父上を助ける事や、青藍を家族の元へ帰してあげたいという願いは私の我儘です。そしてそれにつきあってくれている三太郎さんや龍さんや緋桐さんは、私の願いに巻き込まれてくれた人たちです。この時点で彼らからはたくさんの優しさをもらっているのだから、必要以上に頼って甘えるのは筋違いというものです。
「儂がしんどいのは櫻や坊主はともかく、
このデカい図体の男を抱えねばならぬからじゃよ」
そういえば精霊さんたちの腕力って考えたことが無かったですが、思い返してみると叔父上たちと大きくは違わない程度でした。我が家の人間の中で一番の力持ちは山吹でしたが、その山吹よりも金さんは少し力持ちだったように思いますが、浦さんはよりは山吹のほうが力持ちでした。
……って、アレ??
「龍さん、もしかして私が見えてる??」
既に周囲は真っ暗で、私の腕の中へと移動してきた青藍のシルエットすら目を凝らして漸く判別できるぐらいです。なのに龍さんは「泣きそうな顔」と言いました。私がそんな顔をしていたかどうかは別として、龍さんには私の表情が見えているということです。
「櫻嬢には見えていないのか??」
「しゃーら、せーらん良い子するから ないたら めー!」
返事は龍さんからじゃなく、緋桐さんと青藍から届きました。発言内容から緋桐さんには見えている事は確かで、青藍に至っては言葉に加えて僅かなブレもなく私の頬へ小さな手を添えてきた事から見えている事は確実です。
「俺達は子供の頃から夜戦の訓練があって、夜目も効くから……。
それに姿は見えるが色までは判別できない!」
と緋桐さんがフォローしてくれますが、この暗闇で表情の判別が出来る目って夜目が効くってレベルじゃないような気がします。この世界で照明の技術や方法があまり発達していないのは、この夜目が効くからという事もあるのかもしれません。
母上たちと一緒に生活してきたのに気づかなかったのは、私が前世基準の明るい拠点を初っ端から用意してしまったからかも……。思い返せば岩屋は薄暗かった気がします。てっきり油の浪費を防ぐ為だとばかり思っていましたが……。
「さぁ、そろそろ下につきそうじゃぞ」
その龍さんの言葉に再び下を確認しますが、私の目には真っ暗で何も見えません。視界がほとんど聞かない反面、聴覚は研ぎ澄まされているようで、はるか頭上高くから聞こえる止まない爆音と、足元をチョロチョロと流れる水の音。それと遠くから聞こえる多数の人間の悲鳴がはっきりと聞き取れました。
「龍さん、緋桐さん。
桃さんの技能「発光」の霊石を使おうと思うんだけど、大丈夫かな?」
「儂らはともかく、おぬしはこの闇では歩くことすらままならぬのじゃろう?
ならば明るくする一択じゃ。
それによって起こる不都合は、その都度対処すれば良い」
「龍様が仰るとおり、櫻嬢が身動きできないのであれば明るくするのが良いかと。
もし明かりを目指して敵がくるようならば俺が排除する」
ガチャリと緋桐さんが剣を握り直したと思われる音が聞こえるのと同時に、足の裏が久しぶりに大地を踏みしめました。ところがその土はグチュリと嫌な音を立て、足が滑ります。
「儂の力で周囲の空気を浄化しておるゆえおぬし達は気づかぬじゃろうが、
周囲はとんでもない悪臭じゃぞ。おそらく此処の大地も水も腐っておるな」
青藍を抱えたまま後ろにひっくりかえりそうになった私を、龍さんが支えてくれます。そんな場所に青藍を下ろす訳にもいかず、一度龍さんに預けてから腰から下げた小袋の口を開け……まずい。どれが何の霊石か解らない。
必要になりそうな霊石をできる限り持ってきたのですが、この暗闇では霊石の区別がつきません。明確に形の違う織春金と震鎮鉄は手で触って区別がつくのですが、似たような球体の深棲璃瑠と火緋色金の区別がつかないのです。それに霊石の区別が付いたとしても、そこに籠められた技能の紋までは解りません。仕方ない……。
「緋桐さん、ちょっと手を貸してください」
そう言って緋桐さんの手を取ると、その手のひらに幼い頃から何度も見た発光の紋を指で描きます。
「この紋が入った石ってどれですか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう一度頼む」
いきなりの事で戸惑った緋桐さんでしたが、もう1度手のひらに紋を描いたら難なく目的の霊石を見つけてくれました。その霊石を発動させるのは簡単で、作った際に桃さんが決めたコマンドワードを私が言えば発動します。何時もなら道具や装置に取り付けることで発動を制御しているのですが、今回は装置を持って移動するなんて無理なので、霊石単体でも発動させる為の仕組みを作ったのです。なので目をつぶって意識を手のひらの上に集中し、決められたコマンドワードを唱えます。
「モモサン、ツヨクテカッコイー」
……何でこんなコマンドワードを設定したのよ、桃さん。
そもそもこれを私が唱えるって事は桃さんが側に居ないって事で、何を言ったって桃さんには聞こえないのにぃ!!
ポワッと私の手のひらの上に小さな明かりが灯りました。ただこれだと光量が足りないので、もう一段階技能レベルをあげます。この技能のレベルの変更も、コマンドワードと同様に最近追加できるようになった機能です。技能レベルの上昇はコマンドワードを複数回言えばよいだけなので、簡単です。……簡単ではあります。
ちなみにコマンドワードを言えば発動する霊石ですが、中には「爆発」なんて危ない霊石も少数ながらあり、それらは別のコマンドワード+アルファで設定されています。
半径10m近くが煌々と明るくなり、少々薄暗いところも含めればそれなりに先までが見えるようになりました。ようやく暗闇の恐怖からは開放されて一息つけますが、何時までも発光している霊石を手に持っている訳にはいきません。青藍を抱っこするにしても何をするにしても、片手が塞がったままでは不便です。
なので龍さんの霊力を浮遊という技能の形で籠めた織春金を取り出すと、小さな桜の花の形をした台座の中央に織春金と発光の霊石をはめ込みます。こうすることで発光した霊石が私の頭上1mぐらいのところでプカプカと浮遊しつづけてくれるのです。
しっかりと霊石が浮かび上がったのを確認してから、再び青藍を龍さんから帰してもらいました。それからようやく周囲を見回したのですが、途端に明るくした事を心の底から後悔してしまいました。
地面をチョロチョロと流れる水は、水と呼ぶのすら嫌になるぐらいの汚水で、黄土色と赤黒い色の筋が何本も入り乱れるようにして流れていました。その幅こそ大きくありませんが、深さは濁っていて全く解りません。流れる音だけを聞けばそんなに深いようには思えませんが、あえて足を入れたいモノでもありません。
それに土は地表の土と違って脆さを感じさせはしませんが、泥と呼んだら泥が可哀想になるぐらいに粘ってドロリとしています。更には何故か時々ボコッと泡立っては、プシューと何かしらの気体が抜けていきます。
泥水が沸騰したらこんな感じなのかもと思うような光景は、流れる汚水への嫌悪感と相まって目をそらしたいぐらいですが、そらした先の崖も同様に粘度の高い泥の泡から気体を吐き出していて目をそらす意味がありません。
「これは……ひどいな」
急に明るくなった事で目を瞬いていた緋桐さんが、やっと周囲を見ることが出来たのか唖然とした様子で呟きました。その声に両目を手で抑えていた青藍もゆっくりとあたりを見回しはじめたのですが、ちょうどその時
「ギャアーーーーッッ!!!」
という耳をつんざくような悲鳴が、先程までよりもずっと近くから聞こえました。
落下途中から意識して、途切れ途切れに聞こえてくる悲鳴の事は考えないようにしていました。焦ることなく、まず準備をしなくてはと思っていたからです。まずは視界の確保や足場の確認をしなくては話になりませんし、他にも自分たちの身を守る為の手段は全部使っておくべきです。
だと言うのに、その悲鳴を聞いた途端に青藍は
「おたーーっ!! おもーーー!!!!」
と良くわからない言葉を叫んで、いきなり暴れ出しました。いくら4~5歳児ぐらいの力と体格とはいえ、抱っこから無理やり降りようと暴れられると私では対抗しきれません。
「ちょ、青藍! 落ち着いて」
落っことしそうで慌てて強く抱きしめるのですが、それが悪かったのか暴れ方が一層激しくなります。
「静かに!!」
私では無理だと判断した緋桐さんが青藍を抱き上げようとしたのですが、いきなりグッと剣を握り込むと身体を反転させて、光の輪の先の闇の奥を睨みつけます。その闇の奥からグチャといえばよいのか、ズチャといえばよいのか……。何か粘度の高い大きなモノが這いずる音が、徐々に大きくなります。
「龍様、櫻嬢と青藍を……」
「あぁ、解っておるよ。おぬしは気張れよ」
「はっ!」
暴れていた青藍も私達の雰囲気に気圧されたのか、急に大人しくなりました。そんな私を龍さんが再び抱き上げます。その時でした。
「来るぞ!!」
緋桐さんの声と同時にズジャアア!!!という音が峡谷に響き、闇の中から何かが飛び出してきたのでした。
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